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2006年09月11日
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カテゴリ: 私の事、色々と

 さっきまでは、今週の共産党の選挙結果を書いていましたが、とにかく、あれだけ件数が多いと書くのにも、調べるのにも一苦労です。元々は、あんな感じで書いてなくて…大体にして、いつからだろ。書くようになったのはと思って、私の前ブログを見ていましたら、 この記事 がきっかけだったんですね。この間の東大阪の府議補欠選挙のように、定数2の補欠選挙に自民党が3人立てた北海道議・函館選挙区補欠選挙の結果がきっかけでした。この選挙は、元々日高礼子道議の逝去に伴い行われたものでしたが、地元の「 函館電子新聞 」の予想記事では、自民3人、民主1人の記事が99・5%を占め、0・5%残された前川一夫さんの記事はたったこれだけ。
 「日高の弔い合戦に意気込む共産党前川だが、1万票取れれば大勝利だ。」

 結果は、自分のブログ記事にも書きましたが、前川さんが、自民党の候補を500票差でかわし当選。3議席になって、発言権が縮小していた共産党が、再び発言権を回復することになりました。このときは痛快でしたね。ゴミの様にしか扱われていなかった所が逆転勝利ですからね。で、次の週から書き始めて、いつの間にやら半年以上が過ぎ去っていました。

 さて、本題の「9・11」。予告編に書いたとおり、3つの「9・11」に触れていきます。
 2001年の「9・11」は、私が当時勤めていた北上のローソンで、いつも来るおばあさんから「まるで映画のようなことが起こった。ビルに飛行機がぶつかったんだよ。」という言葉を聞いた時には、何のことだか見当もつかず、そのまま仕事をしていたが、夜勤の勤務明けに家に帰ってテレビを見た時に、私はようやくおばあさんの言っていることが理解できた。その映像が、今も頭に焼き付いて離れない。

 その事件から5年が経ち、色々な角度で物事が見る事ができるようになってきた。私は、いつも9・11が来るたびにこう思う。
 「あの時、テロリストを『犯罪者』として、捕まえるほうに選択肢を傾けていたらな…」
 と。そうしたら、復讐の連鎖なぞ起こらなかっただろうに、といつも思ってしまう。
 あの時、ショッキングな事態に、どの立場の国も「ああいうことをした連中を許さない」という事では意見が一致していた。それを、各国合同の捜査でテロリストを犯罪者として逮捕し、裁判にかけて罰を与える手段に出ていれば…だが、アメリカが「暴走」して、アフガニスタンを攻撃してしまった。アフガンにいたあるテロ勢力は、この攻撃を大義名分として反撃を始める。その反撃がまた「爆撃」を呼び、爆撃で被害を受けた人が「復讐」としてテロ勢力を頼りにする…。
 思慮のない、激しい感情に身を任せて行動した結果、5年で「寛容性」というのがすっかり失せる世の中になってしまった。だけども、一つだけ希望を見出すとすれば、そういう超大国の暴走を許さず、あきらめないで行動する人ができた、ということだ。太陽系を生命体のない状態にするには、まだ早すぎる。


 2005年の「9・11」。すっかり一定の方向に乗せられてしまった選挙の中「下手すれば半減以下(嘲笑)」「いや、0になるかもよ(嘲笑)」と嘲り笑うコメンティーターとかいう連中を横目に、暑い中、そして、夜勤の勤務も休まないまま臨んだ選挙戦。あのままズルズルとどこかの勢力の「目論見どおり」になれば、更なる後退の憂き目にもあったが、何とか踏ん張った。(この件は こちらの記事 からどうぞ)
 正直、体に応え、今だに治っているとは言えない。ただ、何もしないで「はい負けました。東北の議席もなくなりました」では、それ以降4年間眠れない日々をすごす事になってしまっていた。それよりはずっとマシだ。いま、参院も入れれば18人しかいない共産党の国会議員だが、全国のネットワークとつないで、18人以上の頑張りを見せている。それだけでも体はった甲斐があった。

 「たかが一人がんばったって」と悪意を持って訊ねる人に言いたい。その「たかが一人」が、山ほど積み重ならなければ、いい結果は出せない。「たかが一人」ではない。「まず一人」目からだ、と思って自分なりにがんばってきた。こんな私の行動を「バカだよハハハ」と笑うのは自由だが、じゃあ自分はどんな生きかたしているんだ、と逆に聞いてみたい。
 10ヵ月後には、一つの審判の時期がやってくる。7カ月後のそれとあわせて、熾烈な前哨戦が繰り広げられている。負けていいたたかいはある訳ゃない。何とか、特に精神状態がぶれる事がなくなれば、と思って、日々動いています。


 最後に1992年の「9・11」。当時私は高校2年生でした。何がどうしたかわかりませんが「ふるさと発見銀河鉄道」というイベントがあり、私も、大船渡市代表のひとりとして参加した。(この事業は、今も続いていて、ネットで何か情報がないかと思って探してみたら、日本青年団協議会の この記事 にたどり着いたので、ぜひ見ていただきたいです。)
 小学4年から高校3年までが参加するこのイベント。私が参加したのは第3回ですか。大きく4つの組に分かれ、さらにその中で8つの班が組まれました。同じ組の中には、某強豪高校のサッカー部の選手兼生徒会長という人もいたし、県中央部の生徒会副会長&陸上部でモテモテの人もいましたね。私の班ですか?高校生2人。中学生3人、小学生2人の7人で班を組んでいて、班長は、しっかり者の葛巻の同年代の人にしてもらって、私はと言えば…ここでもいじられ役のムードメーカーでした。

 岩手と言うのも広いもので、沿岸中部、沿岸北部、県北…色々歩きました。そして、色んな人にめぐり合えました。それを話していったら、今日一日あっても足りないほどなので止めにしますが、3泊4日の日程の中でも友情と言うのが深められるんだな、というのを感じました。
 今だから話せる話ですが、大体こういう事をすると、2日目か3日目あたりに「お前、誰が好みのタイプだ」なんて話になるんです。私も思い当たる人はいましたが、積極的には発言しないべ、と思ってはいても、先に書いたとおり、ムードメーカー。何か発言しないわけには行きませんでした。色々とかわしてはいても、だめですねぇ。何人かの「ワナ」にはまってしまい、名前まで言わされる羽目になってしまったんです。

 翌日は盛岡駅で解散でしたが、3泊4日とはいえ、積み上げてきた友情考えると、別れというのはつらいんですよ。いつでもね。その時に色々記念撮影をしていましたが、自分の属していた班と組の中の有志が「その人とツーショットで写真とれ」という事になってしまいまして…。彼女もできた人間性をもっている人で、それに応じていただきました。何のかので話はしていたのでその部分もあったんでしょうね。
 今その写真ですか?行方不明となってしまいましたよ。しかし、この行事に参加できたことは、今でも大事な青春の一ページとして心の中に残っています。その出発の日が9月11日でした。

 大船渡に帰ってきて、一日休みをおいて大農に登校したのが16日。授業中はずーっと何か気の抜けたソーダのような自分がいました。女友達に「行事に参加して、いい人見つけたな」と言われた時は、図星の事を言われてドギマギしましたが。
 あの時一緒に行動した人たちは、上は32歳、下でも24歳になりました。みんな、どういう人間に成長しているでしょうか。
 もし、「第3回ふるさと発見銀河鉄道」に参加した方が、何かの縁でこのページにたどり着いて見ていたら…私からは以下のメッセージを送ります。


 「皆さん元気でいますか。私、大船渡農業にいた伊東勉は、色々山あり谷越えの人生歩んでいますが、何とかこんな感じで生きていま~す。
 これからも、一生懸命生きる人の踏み台になって生きていきます。どこかで縁があって会うことができるその日まで、がんばって生きていきましょう!」


 人と触れ合うイベントに多く参加させてもらった大農関係者、そのイベントでふれあった沢山の方に感謝して、この項を終わらせていただきます。

(脈絡なしに編集後記)
 自分が小説を書く時、人とのふれあいというのを中軸に作品を作っていきます。それを作ってくれたのは「1992年の9・11」から参加した文中のイベントのような行事でした。
 今もその行事が続いているのにはホッとしました。これからも続いてほしい行事です。
 「9・11」…私にとっては先に書いた二つのようなものだけではなく、何か一つ「書いててホッとするモノがないかな」と思って、思い出を探ってみた結果、浮かび上がったのが「ふるさと発見銀河鉄道」でした。今は、単純に考えればいいものを複雑に考えたり、その逆もあったりして何だかなぁとおもう時もありますが、そういうのをまずは自分のブログで書くことができれば、と思って日々挑戦中です。人によってものの捉え方が違うものもありますからね。

 一時間かけて書いたこの一文。その内、1992年の部分を書くのに40分費やしました。一字一字書いていく毎に、そのときの状況が思い出されましてね。
 いつか、ぶいっちゃんから言われた事を思い出しましたよ。
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>一日を除いてはそういう気持ちになることはありませんでした
記事を読ませていただきました。わかりますよ、お気持ち。
ふと魔が差す瞬間に誰かを思い出す事が出来る人は幸せなんです。私も学生でバイトやってる時(雇われてる側の時)には一瞬ですが、バレないやろ?って思う瞬間がふっと頭をよぎったことはあります。しかしやっぱり身内であれ、友人であれ、信頼という文字であれ、誰(何か)かを思い出すと出来ないですね。人間ってやっぱ弱い時もありますからね。誰かや何かのお蔭で助かっている時も多いですよね。
>「悪いことはできねぇ…」
いい人との出会いがこの言葉を思い出させたのでしょうね

らんきーブログ  「許すという事」 2006年5月3日記 私の書いた感想文に対するお返事です。
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 『ふと魔が差す瞬間に誰かを思い出す事が出来る人は幸せなんです』の部分、今読み返すとああそうだな、と改めて感じさせられます。「競争」よりも「共存」できる社会。「9・11」以降、殺伐となった社会を、そろそろカジ切り替えよう…という事を語った所で、この一文に関して筆を置きます。

 だらだらと文を続けてすみません。この一文から、何かを感じていただければ幸いです。
 今日の二つの作品を書き終わりました。長文を読んでいただいてありがとうございます。また明日…かけるヒマあるかなって所ですが、お目にかかります。


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最終更新日  2006年09月14日 21時15分01秒
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