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2010年06月06日
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カテゴリ: 私の事、色々と
 都市対抗野球の第二代表決定戦。
 勝負が決した後、泣きながら卒倒してしまいまして。
 みっともない格好で、大変失礼しました。

 でも、一つの思いもあったんです。
 6月6日という日には。
 言い訳がましい様で難ですが、少しお付き合いお願いします。
 一年前の6月6日は、私にとって人生で一番落ちた日となりました。
 突っ込まなくてもいいケンカにあえて打って出て、ボロっかすにされてしまうばかりか、仲間の足を結果引っ張る事になってしまった行動。
 5年前の病気を完治しきれずずるずると引き延ばしてしまう状況。

 人間とは思えない食生活。
 以上のことが重なり、心身ともにダメージを食らい、さらに精神的にも普通の状態でいることがゆるくなくなっていた所に「突っ込まなくてもいいケンカ」の相手の連中にここまでやるかと思わせる行動に激怒し、さらに祖母の危篤状態、それによるさまざまな重圧。

 心臓に来るまでに大した時間は要りませんでした。

 手術といった方が簡単なので、手術と呼称していますが、カテーテル入れての手術も、血管が細く難儀して、普通の人なら1時間ぐらいですむ所を3時間かかる手術になってしまいました。

 それでも手術を受けることができたのは運がありまして、たまたま今までにない病状が出ていて、たまたま家に帰らず病院に直行し、たまたま手術ができる体制があったから、かろうじてこうして生きているわけで、これで家に帰っていたら、電話がない状況で田舎の家にいたんでは、多分誰も知らずに死んでいた事でしょうし、病院行って手術できる体制になければ、病気の進み具合を考えるとやはり大変な事になっていたはずです。なにぶん、自分が受けた治療のやり方は、元看護士の方に言わせると「すぐに処置しなきゃ死ぬ」ものであったそうですから。

 それでもね、手術終わって退院したはいいんですが、おかしいからだと、精神状態が簡単にはぬけなくて。ある程度なら話する事も大丈夫ですが、いわゆる緊張状態に耐えられないんです。家族との対話でも、そういう状態になったら後は“フリーズ”です。

 こんな人間、どこかの会社が取ろうと思いますか。

 ブログなどでは何ともない様に書いてもいましたが、やはり…そのビリビリ感、というんですか。それが辛くて…それでもって病院代など金はかかるし、正直、兄と母には何ぼ感謝してもしきれません。

 あえて名は出しません(複数人)が、そういう状態になった私に対して畳み掛けるように次々とモノしゃべってくれる人もいました。そのときにすっかり凍り付いて、その際とる行動は、一般的な人のとるそれではありませんでした。今回、仲良く?話させてもらった子供が3人ぐらいいましたが彼ら、彼女らのほうが断然マシです。対応力は。

 まだどういう風に書くかは決めていませんが、バカな行動をしかけたときはもはやキチガイと化していましたね。あのときによくも…と今でも思っていますが、その時も運良く回避の手段があったのがよかった事です。
 職場を失って1年ですか。

 それでも辛うじて社会と切れずに生きていられるのは、3つの人付き合いルートがあったからです。
 一つは近い友人たち。
 一つは日本共産党の仲間たち。
 一つは社会人野球、とりわけ赤崎野球クラブの人たちとの付き合いがあるからです。

 それがあるから、まだ自分自身マシに生きようと考えられたであって、そうでなかったらとっくにいなくなっていますよ。俺は。


 都市対抗野球が始まりました。
 先にも言ったとおり、赤崎クラブ・野球との縁があるからまだ生きていられる私にとって、都市対抗野球というのは応援という形でお返しする事ができる大きな舞台です。それにクラブカップ大会では空振りに終わったけど、今度の大会では応援合戦できる相手がいる(駒形、JR、フェズント⇒今回は不参加)このライバルと相対し、応援で後ろから押してやる事が、今の俺ができるただ一つの恩返し、と考えたわけです。

 矢巾に勝ち、江刺に勝って準決勝。
 岩手のクラブチームで唯一応援団を持っているチーム。
 このチーム・応援団と対戦する事が非常に楽しみでした。

 駒形の団長さんは、経歴20年を超える経験豊富な方。
 JRの団長さんも、盛岡鉄道局時代からの応援団、という話です。
 自分が唯一対等に頑張れるものがあるとすれば、「チームに対する熱意」たったのこれだけでした。

 だから、全国の応援団の映像を見て、実際この目で見た東北の企業チームの行動も参考にして、その集大成が、今回の応援でした。

 俺も野球好きだから、グラウンド上でたたかいたいという気持ちはありますが、今はそれがかなう体ではありません。
 だったら、自分ができる応援という形で背中を押す事で、自分もたたかいの現場に立つ。そこで全力で何かにぶつかる事が、今のウツっているを掃うきっかけにもなるのでは、とも思い、興味ない人から見れば「あんたバカぁ」とでも言われそうな応援をし続けて、背中を押したつもりです。

 そうして“押していった”選手たちが、一つ勝ち、二つ勝ち、一歩後退したけど、三歩進んだその姿を見て、うれしいものがありました。ここまでいくのなら、より上の舞台でもたたかわせたいし、私自身も東北の“ライバル”とやりあいたい、と思うようになりました。
 俺がドンだけおろかな人間か、語ればキリないけど、それでも「選手を押す思い」は誰にも負けない。そういう思いで、ここ数年自身を覆った「ウミ」ともたたかい、選手たちを後押しした。その選手たちが、自分たちの努力の成果を出す事ができた、というのが何よりもうれしいものがありました。

 グタグタ書いてきましたが、辛い一年をここで払拭する事ができた。自分にも居場所があった。選手の背中を押すという一つの役割果たせてよかった。
 自分がもうどうでもいい、と思った事があっただけに、今回のいい結果というのに、思いも色々重なって。あの通りになってしまいました。みっともない所かまして本当にすみません。

 まだ一般的な生活には程遠い私ではありますが、それでも生きていてもいいんだ、というのを実感した、生きていてよかった、と実感できたのが、その最悪の地に堕ちた1年後だったというのが…本当にうれしい事でした。

 またどこかでずっこけるかもしれないけど、あえて言わせていただきます。


 俺はまだ生きているぞ!
 生きてていいんだぞ!
 生きる力になっていただいている皆さんありがとう!

 東北大会。
 どこが相手でも精一杯たたかう選手の背中、押してきます。

 参院選。
 どんなのが出てきても、人が生きる踏み台でい続けます。

 「生きててよかった」
 そう思った今日6月6日 本当にありがとう!


 と、いうことで、雑なつくりにしてしまいましたが、今日の記事制作終わらせていただきます。拙稿お読みいただき、ありがとうございました。





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最終更新日  2010年06月07日 03時01分32秒
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