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2015年03月06日
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カテゴリ: 雑感・日記
 「3・11」まであと一週間切りました。今日からのツイートではいくつか触れていくことにします。なお、1日の高田で行われた「つどい」については、諸々の事情で12日以降の記述にします。

 陸前高田市。2千人近くの犠牲を出し、主だった街並みは壊された“象徴”の地。その陸前高田市にある高田高校。しかし、震災後、この高校は高田を離れていました。その所在地はとなり街大船渡の、北部に行った立根町。2008年3月にその歴史を終えた大船渡農業高校の校舎が、高田高校の「仮校舎」となりました。
 11年。一ヶ月経ってから、ようやく入ることができた大船渡・高田。朝に高田に入り、廃墟と化した姿に一時間ぐらいは立ち尽くしたでしょうか。それまでの見知った街がなくなっていた。舞鶴市でしたか、応援の給水車が通りかかるまで、茫然としていたのが昨日の事のようです。
 すでに多くの報道で触れられている通りですが、高田高校は街の…どっちか言えば奥地にありましたが、四階建ての校舎は屋上に至るまで津波をかぶりました。当然全壊。右に新高田松原野球場、左に高田高校が見える場所から各々を見ましたが、やはり言葉、出ませんでしたね。高田にはかつてもうひとつ広田水産高校もあり、当時も水産関係の学科があり、校舎も残っていたはずですが、残っていたとしても津波被害もありで使えません。小中学は市内に校舎置くことを考えると、高校は空いてる校舎としては大船渡農高跡しか使う場所はありませんでした。

 11年5月。高田高校再スタートの地は大船渡農高校舎。この時は大船渡東高校萱中校舎と名を変えていましたが、そこが10代後半の童ぁど(わらしぁど・子どもたち、の意味)の居場所となりました。かつては自分も学び、10年近く関わりを持ってきた地。08年の大農閉校で「ああ、あとは取り壊されて終わりなるのか」と思った校舎が、再び居場所になったことに…色々ない交ぜの思いを持ちました。「あの校舎で学び、時間を刻む“後輩”ができた」ことに。

 「周りで犠牲者無い人はいない」高田の状況。
 ほんでも生きている以上は、何かを刻み、歩み、深める事が必要なわけで。大船渡農高跡が再びそういう場になり、いち、にー、さん…気がつけば5年経っていました。
 この間、高田高校野球部の夏の大会は毎年一試合は見に行っていました。
 この間四年間、夏の大会勝利は13年だけ。強い気持ちと、伴わない結果とを、この目で見届けてきました(※)。勝ちたいと思って、俺も汗を流したあの大農グラウンドで、今度は高田高校野球部員が汗を流してきたのでしょう。1学年35人もいるのには驚きましたが。


 この大農の校舎は、70年周辺に建てられたもの。築45年になりますか。08年に「寂しくなるなぁ」思い、閉校を見届けてきましたが、大震災という非常事態に、ひと踏ん張り頑張ってくれました。

 高田高校野球部を継続的に取り上げていただいているスポニチを見てひとつ「おいおい(笑」思いながら見た記事が。それは「卒業式に野球部員が池に飛び込む」のが伝統だというもの。いまは分かりませんが、大農時代は、池に鯉を飼っていたのでそこに飛び込もう思う人はいませんでした。間違えて落ちたバカなら一人知ってますが。

 そのバカですか。

 皆さんの目の前にいますよ。私です。

 夏の日に雨降って、滑りやすい岩の部分歩くものじゃないですね。見事にボジャン。目玉は食うし。周辺に約20学年聞いてみましたがやはり落ちたのは私だけでした。さあ笑え笑え(笑)
 大農時代と環境が違うとはいえ、寒い時期に池に飛び込もういう“後輩”がいる事に、まあなんというか、微笑ましく思いながら該当記事を見ていました。これも「足跡」刻むなかの1行事かと思いながら。そういう“おだぢバカ”やりながら成長するものなんは、自分がよく知ってるから(笑

 ここまでバカ晒しながら書いてきましたが、ほんでも同じ校舎で学んだ“後輩”の皆さん方には“良ぐ”生きてほしいのですわ。あんなゆるぐない目に遭って、そんでも「故郷の力なりたい」という声もあるし、模索中の方もいるべし、それ以外だってあんべ。そこら辺全部引っくるめて「良ぐ生きてけで」、です。
 ま、犯罪だけはしてないが身心壊して一般社会でついていけないアホがいう台詞ではありませんがね。もうひとついうとすりゃ「ダメになるくらいなら誰かに頼らい」。自分が大丈夫なら頼られればいいし。高田高校が4年間使った校舎は、それ以前から「居場所で居続けた」場所です。いま、その役目を終えようとしていることに、幾度も書いてきましたが感慨を持つものです。今春、学舎を巣立ち、次の場に旅立つ全ての方にエールを送り、この項を終わります。

※補足→最初の年は2年中心、12年は1イニングだけの大崩れがコールドに結び付いてしまい、14年はまさかの勝ち越し本塁打…一年、二年、三年の努力がわずか数日で出る厳しさは承知していても、残念な思いも持ちます。この表現でまとめるのも心苦しいです。正直。





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最終更新日  2016年02月27日 22時01分37秒
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