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2016年01月08日
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カテゴリ: 私の事、色々と
 今日は3時からの仕事。

 朝から無心に日向ぼっこしていました。

 人間は、考えて行動する生き物。

 だけど、いまの俺には考えることが苦痛に思う部分もある。

 いっそ、思考回路失ってしまえば…なんてね。

 でも、苦しむのも生きる証か。

―その3時からの仕事を終え―

 今晩は。今日の仕事を終えて、いま某市民ホールにて佇んでいます。家事を一定担っていますが、影響ない範囲で、精神的にゆるくない場合はこうして一人になることもあります。タイムライン、お付き合いよろしくお願いします。

 昨日も言いましたが、今年は近隣の街→大船渡→参院選(ダブル選?)と、7月までノンストップ。ハードな日程で日々を過ごしそうです。200%の意を込め参加した歳祝いにボケている暇もないですね。明日、明後日も所用はたんまり入っています。社会変革の道は大変だ(笑)で、年明けから始めている「食事認知(メモ)」。私の肥満体至る経過で、一番見なければならないのが食生活ですが…結構根深いものがありまして。歳を追って順繰りに見ていくとしますか。


 いまでこそある程度色んなものを食べられるようになりましたが、小学校中学年あたりまではほんと、食べられる食べ物が「両手で足りる」品目しかありませんでした。卵、納豆、カレー…ワカメ除いた生物はダメだし。
私は 小学1年次は給食がない(盛小ふたば教室―情緒障害児教室―は午前のみ)ので、2年生時 (←ツイッターではこう書きましたが、正確には『給食後下校』)小学校入学時からですか、色んな食べ物を見るようになったのは。対応できるまでに時間食いましたね。ある程度できるようになったのが10歳時。この10年間、結構響きました。

【ポイント2・成長期の「食育」なき食べ方】
 小学校5年次あたりから成長期に入り、それまでより食事の量が増えました。しかし、増えても太らない。小学時代のローレル指数(痩せすぎ太りすぎ図る指数)は、小学1年次の約150から小学6年次は標準値内へ。成長期だけあって新陳代謝は図られますが、中学時代からの家庭崩壊がここでも響きます。ようやくマシになりはじめた食生活で、身近な見本なるはずの親が「機能」しなくなり、勢いてっとり早く作れるものや店屋物に頼るしかなくなりました。そこに量の無秩序さが加わったのが後々響きます。

【ポイント2補足・予兆の聞き逃し】
 高校3年の時です。高校野球も終わり、文化祭の準備をしていたときのこと。情報処理室で資料作りをしていた食物科のメンバーや生徒会のメンバーと話をしていた時、自分の食生活に何人かからチェック入りました。当時の食物科のメンバーが作っていた資料は「食料に入っている調味料」の話でしたか。その資料はいま手元にあるので読み返すと、まま自分に対する警告に見えました。その資料作っている中、当てはまる行動をとっていた私に警告したMさんやS君の忠告、もっと真に聞いていれば…と反省です。

【ポイント3・ギアチェンしなかった社会人時代】
 社会人になり、自ら稼いで金を得るようになり、2の補足で出された警告を入れぬまま、覚えてしまったペースで食事を進めてしまっていました。その“成果”は2005年(30歳)時の体重100キロ突破に。その体調のときに社会人野球でついに本登録となり、更に社会活動では小泉内閣による「郵政選挙」。特に後者の時に「気張らなければ“消される”」と思い、週6日夜勤と平行して行動する…体の状況も鑑みない行動をしましたね。全てが終わってから倒れ、夜勤を続けられなくなりました。

【ポイント4・社会保障の庇護は受けず強引な復帰が生んだもの】
 その時で既に心身ともに痛み、就業には困難がありましたが、社会保障につながることがなく、八方塞がりになって気が狂いそうになった時期がありました。一年かけて何ぼか体も癒え、就業に復帰しましたが、長くはできず。 一般的な収入を得られず、それを「食べ物は“余り物”でまかなう」
 一時的にでも社会保障などの庇護を受け、しっかり体治してしまってから社会に復帰した方がよかったのでしょうが、それを得られない以上自力でどうにかするしかない…という思いで復帰しました。しかし結果「貧すれば鈍する」を絵に書いたような形で破綻を招くことに。

【ポイント5・ストレスから食に。更に狂った“認識”】
 09年の手術は成功し、翌10年に就業を経てこうして生きていますが、色んな意味のストレスを食で解消してしまいがちになり、更に「食ったか食わないか分からなくなる」事態にも。一定の就業と家事をしてはいますが、その中で心身の調子が覚束なくなった時に「認識を失う」ことが多くなり。これはイコールしての散財にも結び付きました。

 飯の食べ方もわからない、ある意味獣のような食生活。09年以来はコンビニ食だけは取らなくなりましたが…認識の問題が。本当はここまでひどくなれば「胃関連の手術」も考えてみれば、と言われますが、リスクがあるのが引っかかり、踏み出すことができません。なのでここ数年酷くなっている「認識」を正す行動を先ずはしてみようと考えています。

 ある意味気ままに生きてきた人生の罰なのかもしれません。それと、自分のことには無頓着でいた(生きる“目的”だけに焦点あてて突っ走ってきた)のも。



 さすがにここでどうにかしなきゃバカだろ、と。

 ここまでずらずらと“要因”を書いてきました。思い出しつつ思い出しつつ書いてきたし、「狂った原因」は食事だけではないので、これで“清書”とはなりません。いわゆるプロトタイプ。いつかは系統だっての記述で記そうと考えています。この一文が参考になれば幸いです。





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最終更新日  2016年01月09日 19時29分20秒
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