2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
全17件 (17件中 1-17件目)
1
我青春の初舞台の思い出に「キャバレー」体験が有る。高校2年生だったと記憶しているが、親戚の先輩にネクタイを締めてもらい、此れからキャバレーに連れて行ってやる!と、雪の降る大門街に有った「キャバレーフロリダ」へ、函館高水<後の北大水産学部>の先輩達三人に連れられて乗り込んだ。ネクタイをして貰っていた時からドキドキ胸が高まって居たのだから、お店に入りコートを預けてボックスの席に付いてから、震えが止らずガタゴト~~とテーブルの下に入った足の震えが如何しても収まらない!ホステスさん達に悟られない様精一杯の演技の積りで、寒い!ア~寒い!の連発だったが、プロの彼女達は私が初めての経験で有る事を、見抜いていて、初心!、可愛い~~と弄ばれて、本人はコチコチ硬くなって居た。愉しい所では無く、メチャメチャ緊張していた。今思うと白粉の匂いや、大人の女の人の匂いの様な複雑な刺激が思い出として残っている。其の頃としては珍しく、自家焙煎のコーヒー屋さん、手作りのケーキ屋、ビリヤードなど、大人っぽい雰囲気の場所で何と無く背伸びしながらの自分が居て、とっても懐かしい函館である。後に遠い親戚のあの大学生だった御曹司が私の姉と結ばれて、義兄と成り、年若くして無くなったお通夜に出席の我が姉兄弟妹全員で・・♪ ユウア~マイサンシャイン、♪♪・・と歌った!《追記》 札幌経由、小樽え出発の時間がダンダン迫って来る。仕事を終えて帰ったら、昔の小樽の思い出も日記に成るだろうか?大人に成ってからの思い出は、日記に書けない部分も多くなるから~~~。
2002年03月27日
コメント(2)
蓄音機に電動モーターを取り付けた「電蓄」と言う名の78回転のレコードで、当時の歌を聞き、覚えた頃、其の遠い親戚の家の6歳ほど年上の、学生だった<現北海道大学の水産学部>御曹司の影響を多く受けた事を思い出す。ポピットの店名の洋食屋さんが有って、チキンライスを4~5人分を大きなフライパンで、一粒のご飯も落とさずに高々と煽り、最後にブランデーか何かでブオオ~と炎が上がる様を見て・スゲ~~と思い、後にレストランを開店する事に成った原点が此処に有ったような気がする。此処のお店でフライドポテトの綺麗に面取りした、バターで食べる一品が大好きであった。この頃に覚えた唄が不思議と忘れていない!ユアマイサンシャイン、テネシーワルツ、トウーヤング等‥、それに何故かはぎれの良い、アルゼンチンタンゴが大好きになったのも函館のこの家でした。我が青春の始まりはこの頃からだった~~~のかも・
2002年03月26日
コメント(0)
函館~小樽の仕事の予定が、中抜きと成って2日間の営業が可能と成り、一週間振りのHPでの再会で、心が弾みます。此処でお会いした様々な方々との語らいが、旅え出掛けた事で、いっそう懐かしく、恋しく感じたことでした。昨日が私の00歳の誕生日で、宿で一人「宿杯」を上げるのも落ち付かなく、レンガ造りのカネ森倉庫のビヤレストランで地 Beerをカールレーモン製のソーセージで寂しげに飲み、牡丹雪の降りしきる街中を散策し、昔の花柳界の佇まいが残る一角で営業中の割烹へ辿り着き、カウンターで、当店のママさんと意気投合して[祝杯]を挙げる事が出来ました。すっかり仲良しになり、再会を約して帰宿しましたが、当年八十一歳の現役ママさんでした。何と1921年の生れなので、本人は二十一歳ヨ!と酒良しビール良しで私の方が先に酔っ払って仕舞うほどでした。芸者さんだったので踊りの師匠でも有る様で、話し方、身のこなしなど、表情にも色気さえ感じるママさんとの出会いは、シルバー世代の自分の生き方にも考えさせられる物が有りました。
2002年03月25日
コメント(2)
日付けが変わったので今日の日記を書いて,暫くの間後ろ髪を惹かれる思いで離れます。ノートパソコンが絶対欲しくなるだろうけど、旅に出て居る時が有るから、又違った角度で、客観的に物が見える事も有るだろうから~~。疎遠に成っても忘れずに、足跡を期待して戻って来ます。多くの方の支えによって此処迄続けられた事を心から感謝申し上げます。ありがとう御座いました。 B-Boku 年老いたけど《僕》です
2002年03月18日
コメント(3)
冬は熊のように静かにオネンネ!だった。でも今年の冬はPCで四苦八苦だったので冬眠ナシ!孫と一緒の旅行では、携帯電話のメールを使う・を教えて貰ったり、iモードも使える様になった!年配者向きの機種が出て、扱い易く成った事も有るが、好奇心旺盛で、常に挑戦の気持ちを失わない事が、何よりの《若さの秘訣》かナ?と思う。此れからがシーズン入り、「海と船」で愉しく仕事で頑張ろう!明日から暫く出稼ぎの季節老[労]働者。
2002年03月17日
コメント(0)
ネオン街での不摂生が祟って、完全二日酔いの一日~愉快な仲間と飲んでいると、話もカラオケも、調子が出て来たら帰る時間も、飲む量もまるで忘れ、ひたすら愉しんでしまう・・・最初はちゃんと、加減しながら飲んでいるのだが~。【加減】は難しい~~?湯加減、火加減、味加減、等‥其々に自分の尺度としてのカゲンが有り、日常生活の中で持って居る筈なのに?妻の一言! あなた! 飲み方も良く考えて・・好い加減にして!私の健康を思っての事だと解ってはいるのだが、一年に4~6回はある。其のうちに,何時か語気を強めて・アンタ!イイカゲンにして!!と来るだろう~~ 今日は静かな調子だったが・・・
2002年03月16日
コメント(1)
HPに子育て奮戦記が沢山見受けられ、孫が沢山居る私としても、お母さん達と一緒の目線で読んで見ているつもり~~。ほんと・大変!お疲れ~ご苦労さん!と肩でも揉んで上げたい~私達が生れた昭和一桁二桁の前半までは、産めよ、増やせよ!の大量生産時代。私も10人兄弟姉妹だったので、上が下の面倒を見るのが当たり前で、兄弟喧嘩をしながら、加減や思い遣りが自然と身に付いて来たのだと思っている。勿論育った環境にも因って多少の違いは在るにしても~~。そこで思う事・・・我が子が可愛いのは当たり前、一人っ子だったら尚の事、2人、3人と愛情が分散される訳では無いのだが、過保護に陥り易い状況も現実に在るのでは??楽天HPの子育て系のお母様方!今日のタイトルの関係について、どのような感想をお持ちでしょうか???《注》 過保護がダメと言う前提でない事を付け加えたい
2002年03月15日
コメント(2)
昭和61年2月・ レストラン等3店舗を閉めた直後の新聞の或るコラム欄で、自分の事でそんな記事が書かれた事があった!要約すると、自然の良港として発展を遂げて来たが、工業港としての機能が重点で、神戸や横浜の様なハマの元町のイメージが私の店を発信地にこの街にも~~との想いが有って実際に内装にも灯台、舵輪、航海灯更に船の旗などを使ってマリンっぽい店にしてムードのある洋食店だった!然し開店数年して鉄鋼も造船も重厚長大産業が年々衰退し始め,次第に経営が思わしくなくなるに連れて萎縮して行く自分に悔しい思いが募って来た。【逆境】の日記で書いたように結局閉店したが、この時記者のインタビューの別れる時「老兵は死なず・マッカーサーの心境ですよ」と言った。そうしてこの記事の最後に、こう結んである。どこまでもロマンを追い求める男の真骨頂を垣間見る思いでした。~~~と、翌年には「続男のロマン」出たのである。 ロマン・・の持つ言葉が如何であるかは其々の解釈!実感として《ロマンではメシは食えない!!》と思っているが、しかし年老いても、ロマンを失ってはダメであるとも・・・
2002年03月14日
コメント(2)
HP開設55日目と成って色々な方とお知り合いになり、姿、容姿が分らない侭、何と無く自分也に周波数の合う方とのお話が出来る様に成ってくる。 この画面の向こう側に、今絶世の美人が居て話してるのか、ぶ男と語っているのか、等誰も考えては居まい!<写真掲載して私です>と言ってる以外は~~。素適な、綺麗な、美味しそうな、可愛い!などの画像は沢山見る事が出来て嬉しい限りですが、【美女も野獣も】見る事は有りません。しかし文面から伝わる周波数が一致に近い方を、私の好みの美女に想像してしまいます。其れは「心」の事で、優しさ、思い遣り、謙虚さ、力強さ、包容力、協調性など‥ が感じられる時、感じさせて呉れる人です。私も若かった頃は結構《面くい》の方だった!しかし歳と共に自然に「容姿より心」のウエートが高く成って来た様に思う。私たち夫婦は「美女でも野獣でも」なく普通の朗[老]つがい。
2002年03月13日
コメント(3)
そろそろ三月二十二日。42回目の結婚記念日が来る、昨年暮れの事故で全損の保険金が頭金と成って、妻専用のセコンドカーを買ったが、その際に指定NOを妻が結婚記念日の<322>にし様~と言う事に成った。ホンダの[Fit] サテンシルバーの色が年相応でいい感じ~ イタリア旅行ですっかり小型車のフアンと成り、本当はベンツの小型車が欲しかったのだが・・予算の関係で~~余りにもリスクの高い胸部大動脈瘤の手術を断念し、出来るだけ元気で長持ちさせ様~と動脈に5cm以上になった【瘤】を胸に抱え乍の生活が,始って一ヶ月足らず、今日は久し振りの好天で、早速322で、お琴の師匠でも有り友人で住職の奥さんでも有るお寺え出掛けた。 当然お昼は自分で~お餅を焼いて砂糖醤油を付け海苔を巻いて・・頂きま~ス で終えた私。平和な日々が続きますように!! 今朝、名漁労長として鳴らし、我一族の将にゴッドファザーであった父の命日の仏前で手を合わせた。南無阿弥陀仏~~~~~~~と。娘達よ!貴方達が一番好きで可愛がられたお爺ちゃんの命日だよ!
2002年03月12日
コメント(0)
果たして国民が注視する中で、国民的期待に何処まで迫れるか?数々の疑惑がどの様に解明できるのか?政治番組での史上最大の視聴率に成るであろう~もう直ぐ始まる・・・自分達の目で確りと日本の政治姿勢を見つめ様では有りませんか。 """""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""""※ 案の定~との印象で終ってしまい、こんな事で臭い物に蓋。 で終えてしまっては、国民を馬鹿にし、税金を無駄食いする族議員を温存する事に成ってしまう。小泉総理が自民党をぶっ壊してでも改革を断行する!!多くの国民が期待をし結果~支持率上昇であった筈でしたが、真紀子外しを境に元の木阿弥に、戻ってしまった。政治の裏側をこんなに,確りと見せてくれた宗男功績だけは認め様う。政も官も完全に国民無視!《売国奴》!激しい怒りを感じる。
2002年03月11日
コメント(2)
世界中で獲れるマグロの70%が日本で消費されて居るそうだ!其のマグロを追い続けて35年以上~紆余屈折の人生だったが、今もマグロの叔父ちゃん<私の弟>は、鮪以外の水産物には興味がない様で、頑張って居る。孫達はマグロ大好き!で、高校生から3歳の孫迄皆この叔父ちゃんが鮪と同じ様に大好きなのです。だって時々送って来ると毎日でもマグロをお腹一杯に《お刺身、手巻き寿司、カルパチョ等‥》食べる事が出来るから~~。買い付けや様々な技術指導等で世界を股に賭けて来た執念わ、男のロマンさえ感じる。回転寿司が流行って居る蔭に、この様な人がいる事を知って居て欲しい~~
2002年03月10日
コメント(0)
随分昔の事に成るが、漁業時代~の事。田舎に在る倉庫整理の作業を終えて、近くの温泉で汚れと汗まみれの身体を清めて車で帰る途中、居眠り運転で路上に停車中の軽貨物に衝突して仕舞った!何と其の車は牛乳配達の車で、代車の手配が付かず、小破だった自分の自動車で、毎朝6時から修理に出した車が直る迄、約半月程牛乳屋さんの小父さんと一緒に配達するは目に成った・・丁度今頃の季節で、坂道の多いこの町での早朝からの牛乳配達は寒くも有り大変だった事を思い出した次第。当時はビンの牛乳で玄関先に牛乳受けの箱が有った物でした~スーパーで紙パック入りの牛乳の時代になって、懐かしく事故の事を思いつつ、時代の移り変わりを今更の様に感じる。
2002年03月09日
コメント(0)
物損事故で大した事では無かったのですが、事故の時こそが代理店の出番!信頼に応えるチャンスでも在る訳ですから~北海道での事故は道路状況等から冬の事故が、扱いの約70%で、凍結路面などでのスリップに因る物が多く、昨年の暮れには妻の車両事故で、保険屋さんが自分の事故処理で忙しい年末を過しました。この時の事故は車両保険一杯の全損となり、皮肉な事に私の御下がりばかり乗っていた妻が初めての新車に乗る事に成ったのでした。安心料としての保険も其々の考え方が有りますので、信頼の置ける代理店と相談の上、様々な条件に合わせて決める事であろうと思います。出来れば個人の場合は【義理契約】は避けたいものです。特に車の保険は・・・久し振りにネオン街で約束が有り出かけ、シャンソンでもカラオケして来るか?? 亡き越路さんのフアンです~~。
2002年03月08日
コメント(1)
年老いた《小心者》の私~少し恥ずかしい思いで、日記に戻る気に為りました。でも長い人生のほんの、1ページを「逆境」として振り返りながら《自分史》の様に、語り綴って見たのでしたが?正直「日記」が評論の対象に為るなんて思いも掛けない事!!驚きました~小心者の私は<意気消沈>。HPの怖さを知りまた。でも多くの方からの、慰めや励まし等が寄せられ、更に私のHPを見ながら「逆境」の頃を知っている娘達や、海外に住む孫から迄大いなる激励を受けました。以前の日記にも《逆境の時復元力は家族だった》~と書きましたが、67歳の老盛年は又しても家族によって復元!更に大事に思う事は、見知らぬ善意の方々とこのHPで知り会って四十数日も素適に語り合えた事。一般的な日常生活の中で共有出来る様な感性~喜び~悲しみも含めて、良識有る繋がりや仲間意識に感謝の日々が有った事です。今夜も電話で娘・・パパ!応援している人一杯居るネ~でした。 さて? 此れからは短かった役人時代、サラリーマンの頃、そして漁業時代、レストランや喫茶、パブレストランの話、保険屋さん、ボートの先生としての様々な体験談等‥ 青春時代を語ると脛に傷持つ男としては~~娘達も見ている事だし・・五人の娘達の事や、十人の孫達の事も書いて見たいなぁ~思い出、懐かしさ、をつれずれ為るがままに語って行こうと思って居るのですが?? 文筆家で無いので自分流でしか書けませんし、体系的でない「自分史」の積りですので、拙い所はご容赦願います。
2002年03月07日
コメント(2)
【小心者の会】に入会する程の気の小さい私は、掲示板に書いた様な理由で、其の日から書けなくなって仕舞いました。日記リンクして下さった方々や、45日間の間に1300以上リンクして頂いた沢山の方々に心から感謝申し上げます。有難う御座いました!
2002年03月04日
コメント(2)
完全に萎縮していた精神状態から抜け出し、再起を計るには、店を閉め清算する道しかない!と家族を説得し、損保研修生として再出発の道を選び、完全撤退した。丁度50歳だった。閉店して3ヶ月目に妻が道端で突然倒れ、其の日の内に入院しICUで一ヶ月、生と死を彷徨う状況が続いた・・「胸部解離性大動脈瘤」・・この時には【逆境】などとの思いは無かった!只々生きて家族の側に~~の願いだけ。幸い一命は取り留めて、9ヶ月後大手術が成功し、退院して三年目には50?歳で車の免許を取得するまで元気と成った。自分は損保の研修期間を2年で終え独立したが業界は厳しく、企業代理店の多い中での、個人経営は茨の道~結局レストラン時代に実績が有った「小型船舶免許の講師」の資格を取り直し、保険と船の仕事で60歳を過ぎても、目一杯働き続けて来た。様々な節目で、かって名漁労長だった父には助けられ、88歳で亡くなるまで精神的にも家族の大黒柱で在った。人生!大海原を航海している船のように、平穏な海だったり、嵐に見舞われたり~~と様々。 人生~いろいろ♪ 未完の感
2002年03月01日
コメント(2)
全17件 (17件中 1-17件目)
1

![]()
![]()