北の浪漫人

北の浪漫人

2006.01.20
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カテゴリ: ひとりごと
『合併』という強権発動の根本には、財政がなり行かなくなったことが大きな要因。
地方の財源の先行きの総額が、三分の一になるのか、したいのかは別として、合併という手法を使って3300あった自治体数を三分の一の1200ほどにすれば、自治体は存続できるという数字合わせの論理。

それは、行政運営上の論理であって、住民・住人の存在はよく見えてこない。

そもそも、行政を司る役場は、人々が行き来し、定住が始まり、集落が出来、町が形成される中で人々の利便性のために、専門の職員を配置たのが役場の始まり。住民に役に立つ場所だから『役場』だったと聞く。人口が増え、様々な住民サービスが生まれ、あるときから、それは、市町村間で先を争うように一部では過剰とも思える住民サービスへと移っていった。

湯水のように補助金を駆使することは、箱物作りには有効な手段だった。
が、補助金行政は、使えば使うほど地方財政は〇〇債という借金を積み上げていった。
どの市町村も、右肩上がりのばら色に発展する基本計画を策定し、それがあたりまえのように考え、行動してきたが、人口の減少=過疎化には仕方が無いこととして蓋をしたり、触らないで来たように見える。
実は、団塊の世代といわれる人々が、大きな夢を抱き集団就職列車で大都会を目指した時を同じくして、地域の過疎が始まり、地域の崩壊は始まったといっても過言ではない。しかし、ばら色の夢は、捨てなかった。お題目のように唱えることで住民をつなぎとめてきた。
交付税の削減が現実となった近年、その削減の%の大小に翻弄され右往左往しているのが現実なのではないか。


私の町は、過って15000人ほどの人口であった時代があった。昨年の国勢調査では、5500人 約三分の一の人口規模。
決して人口が算定の基準に優先するものではないことの断りを入れておいて、割り切ってすべてが三分の一とはいかないことも承知の上で、行政の規模をあえて三分の一にするくらいの覚悟を持って自立の自治をして見てはどうだろうか。
過って5500人の頃の行政水準に還ればいいと思う。
行政職員数を5500人規模の時代の数字にする。
(一部の職員の首を切ることではないので、誤解のないように)
矢祭町の事例に学ぶ。
住民も『町のために自分が出来ること』を自ら見つけ、身体を動かす事と智恵を出しそれらを集め仕組みを作ることで行政サービスの三分の二は、手弁当で出来る工夫をする。
足らざる浄財は、みんなで生み出すための仕組みと『夢を』創るのだ。

少子高齢化がとっても大変な問題であることが、常識となっているが、
子どもがゼロになるわけではない。人口爆発が、是正されることではないか。高齢化は、悪いことではない。問題視することがおかしく思う。
元気なお年寄りが増えることは、歓迎すべきことではないのか。


合併の議論の前に、しっかり褌を締めなおす取り組みが必要と思う。





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最終更新日  2006.01.20 19:33:07
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