ビジネス便利屋兼ライター 永嶋信晴のブログ

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2006年08月07日
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う~、暑い!!!

 たまらなくなって昨日、ほぼ一年ぶりにクーラーをつけたのですが、熱気だけが噴出すという結果に…。

 古いから、もう壊れたのかもしれませぬ。

 買ったのが昭和ですからね。でも、古い電気製品は意外と耐久性がある。

 構造が単純な分、打たれ強いというか。

 しかし、この暑さでクーラーが効かないとなると、今年の夏は越せないかも。

 昔はどの家も、クーラーなんて洒落たものはなく、扇風機でした。



 最近の暑さは、空気をかき混ぜるだけでは凌ぎようがない。

 先週、企業の環境問題に関する座談会に出席したのですが、CO2の削減はまったなしのところまで来ているようです。

 地球温暖化は、新聞やテレビで見るだけじゃないことを実感しました。

 それはさておき、こういう酷暑の凌ぎ方ですが、長い経験から自分なりの方法があるのですよ。

 それは暑さを忘れるくらい好きなことに没頭すること。

 オイラの場合、日本のお城もそのひとつ。

 昨日は古城に思いをはせながら、しばし暑さを忘れることができました。

 …ということで、今日は前々回の「城山・津久井湖をゆく」の続編です。

 それでは…。

 峰の薬師から津久井湖畔まで降りてくると、正面にそびえる形のいい山に目が行きます。

 これが、津久井城があった城山。

城山




 本で調べてみると、津久井城は、鎌倉時代初期(1200年頃)に三浦一族の筑井太郎次郎義胤によって築城されたらしい。

 現在の城跡は、16世紀初頭の戦国時代、小田原北条氏の城となって整備されたとか。

 当時の城主は、北条早雲の家臣内藤景定。

 甲斐武田氏の勢力圏に近く、武田氏による度々の攻撃にさらされたのですね。

 その後、豊臣秀吉の小田原攻めの際に落城、廃城となる。



 花の苑地には、駐車場や売店、ガーデンテラスなどがあって、ちょっとしたドライブインのような雰囲気。

 津久井湖展望台のバス停そばの小道を辿って、いよいよ津久井城攻めの開始です。

 最初は、九十九折の山道が整備されていて歩きやすい。

 もちろん、山城当時の道は、こんなスイスイ登れたらすぐ敵に攻め滅ぼされてしまいますけど。

 登ってゆくと、やがて見事なヒノキ林が左右に広がってきました。このヒノキは江戸時代末期に江川太郎左衛門が植林したものだとか。

 江川太郎左衛門って、どこかで聞いたことがあると思ったら、伊豆韮山の代官だった人ですね~。

 当時の先端技術の反射炉を作り、行政官や洋学者などさまざまな分野で活躍した人物。司馬遼太郎の幕末の小説にも度々登場します。

 ヒノキ林を過ぎると、上り坂はだんだん急になってくる。森はさらに深く、野鳥のさえずりが鬱陶しくなるくらい息が上がってきました。

 町役場から城山湖、そして津久井湖と、結構歩いていますからね。最後にこんな心臓破りの丘が待っているなんて。

 それにしても、城山をぐるっと回り込むようにして登っているみたい。左側は落ちたらそのまま下まで転がり落ちていきそうな断崖絶壁。

 ただ歩いているだけでもこんなにキツイのに、城攻めのときは思い鎧や武器を持ってよじ登るのですからね。戦とは過酷なものであるというのが膚で実感できました。

 でも、4~5年前に登った八王子城址はもっと大変だったかも。

 真夏の炎天下に、直射日光を浴びつつ急斜面を延々と登ったのです。

 滝のように汗が流れて、目を開けられないほどでした。

 1リットルのペットボトルを持って登らなければ、熱中症で倒れていたかもしれませんね。

 そのときのことを思えば、行った日は曇っていて、それほど暑くはなかったのですが…。

 しかし、途中の岩場には、なんと鎖場。

 去年の春、北武蔵の伊豆が岳で鎖にしがみついたまま立ち往生した記憶がよみがえります。

 山城を攻略するには、攻め手は十倍の兵力が必要と言われますが、その理屈が膚でわかりました。

 やがてそろそろ山頂かなと思ったとき、道の分岐点に小さなスペースが…。そこには、小さな水溜り。

 そばの看板を見ると、「宝ヶ池」というらしい。

 池にはどう見ても見えないですね~。

 これは湧き水によるもので、昔から涸れたことがないという。

 籠城のときは、水の有る無しが生命線ですからね。

 まさに、宝の池だったのでしょう。

 さっそく写真を撮ろうとしたら、大量の蚊の波状攻撃にさらされました。ちょっとでも静止すると、敵機が一斉に襲来。

宝ヶ池

 逃げ腰で撮ったら、またぶれてしまいました。

 宝ヶ池の傍らを通り、山肌に沿って進むと、やがて大きな杉が現れます。樹齢700年、樹高40メートルという堂々とした杉。

大杉

 大きすぎて写真に納まりきらない。カメラを向けながら後ずさりしていたら、斜面から落ちそうになりました。

 ここでも蚊の大編隊から、執拗に攻撃を受けたのでダンスを踊りつつ前進。

 蚊の攻撃をかわしつつ、道を登ってゆくとやがて、飯縄神社へたどりつきました。

 ここは津久井城当時、飯縄曲輪があって、本丸にあたる本城曲輪と対をなしていたのだとか。

 見晴らしはあまりよくないですが、周囲には腰曲輪のあとも見られて城跡というのがわかります。

 飯縄神社から津久井城の本丸を目指して歩きました。

 曳き橋の跡や空掘の跡を経て、やがて城山の山頂へ。標高は375メートル。

 山城の痕跡がところどころ残っているのですが、鬱蒼と木が茂り、天気もよくないのでうまく写真が撮れませんでした。

 ちょっとでも立ち止まると、蚊がブーンとうなりながらアタックしてくるのですよ。

 ホント、うざい!!

 本城曲輪は、周囲を「く」の字形の土塁(土を盛ったもの)で囲み、曲輪の南東面を守る構造。

本城曲輪

 戦国期の山城ですから、大阪城や姫路城のような立派な天守閣や本丸御殿のような建物はありませんが、城好きとしては縄張りがわかるだけでもうれしい。

 周囲の木立にさえぎられて、津久井湖の湖面がちょっと望めるだけで、絶景スポットではありませんね。

 時刻は4時半。

 そろそろ帰りの準備をしなければならない時刻でしたが、山麓に城主や家臣の屋敷の跡が広がる根小屋地区が整備されていると聞き、行ってみることにしました。

 場所は、津久井湖とは反対側。

 急斜面を駆け下ります。道がぬかるんでいて、何度か転びました。

 20年前に筑波山へ行き、頂上からノンストップで駆け下りたことを思うとそれほどでもありませんが、結構ヤバイ箇所もありましたね。

 そこは何といっても山城ですから馬鹿にはできません。

 中腹からは、「水場デッキ」というジェットコースターのコースみたいな散策路が整備されて楽々降りてくることができました。

水場デッキ

 津久井城の武士たちが住んだという地区は、木々が建ち並ぶ森となっています。

 中世には、1200人くらいの人が城内で生活をしていたらしい。

 その後津久井城は、後北条氏の支城から廃城となり、代官屋敷へと変わって行ったとか。

 津久井城の歴史は1664年で終わりを告げたという。

 実質稼動していたのは、150年間だったのですね。

 兵どもが夢の跡。

 それにしても、弓矢や鉄砲じゃなく、蚊に追い回されるだけというのは、やっぱりいい時代に生まれたのかもしれませんね。






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最終更新日  2006年08月09日 16時14分36秒
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