まったり、ゆったり、気の向くままに

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草濫262号(通称 銀河草濫伝説(笑)


 ちなみに通称の元ネタは田中芳樹の「銀河英雄伝説」からだったりします。



草 濫 平成18年 6月 23日
○○高校
生徒図書委員会広報部
No,262
 我が校の図書館は県内高校で一番の蔵書数を誇り、中国物の作品も沢山ある。今回はそれらについて紹介させてもらう。これを読んで中国物に興味をもってくれたら何よりである。

 今現在、図書室においてある中国物は主なものに「小説十八史略」「秘本三国志」「岳飛伝」「隋唐演義」「反三国志」「風よ、万里を駆けよ」「奔流」「チャイナイリュージョン」「チャイナドリーム」「海嘯」「紅塵」「長江落日賦」「楊家将」などがある。まず全体的な中国の流れを知る上では「小説十八史略」をあげよう。殷代から宋が滅びるまで十八の正史が存在し、それらを初学者のために簡易かしたのが、「十八史略」で日本でも江戸時代の学生にとって必須読本であった。それを小説風に書き上げたのが「小説十八史略」であり、中国物の入門書といえる存在である。

 一個の王朝について書いたものが「隋唐演義」「三国志」であり、「隋唐演義」では文帝の御世から始まり、猛将秦祝宝を中心において、彼と関わる任侠の士について語られる前半と、唐朝が成立してから則天武后の王朝乗っ取りなど、宮廷内での陰謀などが語られる後半に分かれている。正史、説話を編纂して書かれたもので、日本で隋唐ものはこれひとつしかない。「秘本三国志」はそこら辺に乱立している「三国志」とは異なり、劉備善人説を打ち破り、曹操よりに書かれた作品である(しかも傍観者として歴史の変遷を見ていくのは五斗米道の人間である)。数ある三国志の中でも最も面白い作品である。「反三国志」は完全に蜀びいきして書かれた作品であり、幻の珍書とまで言われた作品である。

 さらに細かく、歴史の一部分を抜き取ったのが「海嘯」「奔流」「紅塵」だ。「紅塵」「海嘯」はともに南宋の時代。「紅塵」は宋が金と屈辱的な盟を結んで姦臣秦檜がこの世を我が物とばかりに極悪の限りを尽くして死んだ直後の話であり、密命を受けた主人公が母とともに金の地に乗り込む話であり、「海嘯」は元軍の侵攻に対しての宋軍の絶望的な抵抗を描いたものである。「奔流」は6世紀初頭を舞台とし、北魏の侵攻に対して遼の名将、陳慶之が立ち向かう話である。

 その他、中国で人気のある人物を題材にしたのが「岳飛伝」、「風よ、万里を書けよ」「楊家将」がある。「岳飛伝」は南宋の時代、中国史上最大の英雄岳飛が金軍の侵攻に立ち向かう話であり、中国では「説岳」として民衆の間に講談として入り混じっている。「風よ、万里を駆けよ」は隋朝後期、父に変わって男装して出陣した花木蘭の説話を題材としたもので、ディズニー映画として「ムーラン」の名で上映されたこともある。「楊家将」は宋代初期、宋の将軍楊継業とその一族の転戦を描いた作品で、女性の活躍が多く、イギリスでは「Yang’s Lady Generals(ヤン家の女将軍達)」という題で出版されている。日本国内で出版されているこの作品は残念ながら(?) 、男たちの挽歌(!?)状態になっているが、面白さはまったく損なわれていない(と思う)。

 その他の作品は全て短編集で、読み応え十分の作品がそろっている。他にも中国ものは沢山あるので是非図書室にきたら中国ものを借りて読んでほしい。 
      WRITTEN BY K・M

         個人的中国史
    職を得るなら執金吾、妻を娶らば陰麗華
 後漢の初代皇帝光武帝こと劉秀の言葉である。執金吾とは首都の警備司令官のことで、その兵は長身で美形の若者を選りすぐったものであり、また貴族の子弟が多かったために服装も華やかで、警備兵と言うよりも儀礼的な色彩が強いが、当時の若者にとっては花形とも言える職業だった。陰麗華とは近所の豪族陰氏の娘で、辺りで評判の美少女だった。

 時は王莽が前漢を簒奪して新を建国していた時代。時代錯誤な政策により、天下は乱れ、各地で赤眉の乱等の農民反乱や漢王朝の復興を叫ぶ反乱軍が出没していた。漢の皇族の一人である兄劉えんも漢朝復興の兵を立ち上げたものの、なかなか兵は集まらなかった。しかし劉秀が参加すると「あの慎重居士の劉秀が入るのなら」と、沢山の兵が参加した。この話でわかるように劉秀は非常に慎重な人物で、そのことは辺りに知られていた。そのため、彼はそのことを利用し、敵に突撃するだけで相手に「あの劉秀が何も策なしで、突撃してくるはずがない」と疑心暗鬼を生ざせ、且つ味方には「あの劉秀が突撃しているのだから勝てる戦いに違いない」と鼓舞する効果があった。その後、劉えんの軍は緑林軍という農民反乱軍に参加するが、兄が殺されてしまう。かろうじて劉秀は逃げ出すも、従う部下はわずか数騎、そのため劉秀は大軍を手に入れるためにある豪族の娘、郭聖通を正室として迎え入れることを余儀なくされる。この時陰麗華は劉秀の妻となっていたが、夫の頼みにより、正室の座を譲る。しかし、それもつかの間、劉秀が天下を統一する直前に郭皇后はあまりの我侭っぷりで離縁されて、正室の座に戻ることができた。

 天下統一後、麗華は光武帝の皇后として夫を助け外戚に口出しをさせず、中国史上最も優れた皇后として名を残した。また、夫も「漢王朝の復興」を叫んで唯一成功し、また統一後に、一人の功臣も粛清することなく、中国史上最大の名君となった。のちに、昔住んでいた近所のオバサン達を呼んで談笑していた際、「あんたみたいなおとなしいのが天皇になるなんてねえ」と言われた際、微笑んでいたという。

 同じ漢でも功臣をバッサバッサ殺した劉邦や、無駄に勇を誇り、無益な出兵を繰り返し、他にも匈奴攻めで捕虜になった李稜の家族を殺したり、愛妾の弟で無能者の李広李に功績を立てさせるためにフェルガナ(大宛)まで汗血馬取りに出兵させたり、司馬遷に対して李稜を弁護したということで宮刑(あれを切り取って宦官にしてしまう刑罰)に処したり・・・、と後世からとく(冒とくのとく)武の帝として非難された前漢の武帝や、漢の復興を叫んだくせにできず、義弟が殺されたことで無益な出兵を起こし、結果として国力を弱めたたかが地方の一政権の王であった劉備等とはえらい違いである。
(皇 なつき著「中国帝王図」及びWEB百科事典ウィキペディア参考)

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