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2006/10/09
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揺れる篝火(かがりび)の下で、彼は銃剣にもたれかかりそうになる体を立て直した。
腹に力を入れなければ、立っていることさえ億劫(おっくう)だ。
もう十日、胃袋を満たすものといえばキャベツのスープばかり・・・そんなことをフランスにいる家族に書き送っても、故郷とて大差ないのだろう。
マインツの包囲戦に加わって一年、自軍は相変わらず攻めあぐねている。
前進して新たな土地へ向かわなければ、この一帯は徴発し尽くしたというのに。
しかし幸い、飢え死にする前に実りの季節が巡ってきた・・・朝がくれば、彼の前には収穫を待つばかりの小麦の穂が広がる。
前線から離れた農村地帯。
彼の隊の役割は、この地域の収穫を戦地に兵糧として送り出すことだ。
農夫達の抵抗は警戒しているが、十分脅しつけておいたから大きな混乱はあるまい・・・
そこで、彼の思考は遮られた。
突如、地鳴りのような響きが沸き上がり、振り向いた視界にうねるような黒い影が映る。
背後に鬱蒼と控える森が動いた。
いや、それは常闇(とこやみ)の森から無言で押し寄せる、数百騎の馬影であった。
「て・・・っ、敵襲・・・・!」
警告は蹄の音にかき消される。
彼の放った銃声に起きだしたフランス軍兵士達は、幕舎や近隣の民家から飛び出した所を蹂躙され、切り伏せられた。
(まさか・・・オーストリアの連中は川の向こうだって・・・くそっ!)
先端に刃のついた銃剣を槍代わりに構える間もなく、真横を駆け抜ける騎兵が荒々しく腕を伸ばし、彼の額めがけサーベルを振り下ろした。

小一時間ほどで戦いの片はついた。
傭兵隊長とおぼしき濃い金髪を刈り込んだ男が、まだ息のあるフランス兵達を一カ所に集めている。
己の血にまみれて地面に伏しながら、彼は硝煙にけむる夜気の向こうに現れた騎影を眺めていた。
死の使いにふさわしい、闇に溶け込むような黒衣をまとい、襟元の徽章と銀色の髪だけが月の光に昂然と輝いている・・・制圧した大地にゆっくりと馬を歩ませる、その静謐な灰色の瞳は、はるか東に据えられていた。


フライハルトの北西、ライン川西岸に位置する大司教領マインツ。
大河を背にしたこの街は、フランス陣営のある西方に身を張り出し、敵の進軍を食い止める牙城として頑強な抵抗を見せていた。
ライン下流の西部をほぼ支配したフランス軍は、籠城するマインツの包囲を続けていたが、密かに渡河し後方に回り込んだオーストリア・ドイツ諸候連合の奇襲を受け、北方へ後退を余儀なくされた。
これによりマインツは補給が自在になり、援護に駆けつけた諸候も入城を果たしている。
その中には、フライハルト兵三千を率いるアルブレヒトの姿もあった。
「見事な働きぶりでしたな。」
上官であるローレンツ侯爵の言葉に、アルブレヒトは軽く会釈を返したまま表情を和らげようとはしない。
マインツ周辺の穀倉地帯を制し、フランス軍二個中隊を撤退させた戦果など、彼には何の感動ももたらさないらしい。
「侯爵殿の進言が的確でした。」
アルブレヒトは、森を利用しての強襲を提案した老ローレンツ候の功績を讃えるにとどめ、再び口をつぐむ。
敵に気取(けど)られれば、数で劣る不利を背負い込む危険な作戦であった。
だが、無理を押して初手で補給地を奪ったのは正解だった。
夜襲の直後、住民と連合軍によって刈り入れを終えた空(から)の土地は、フランス側にとって、兵を消耗させてまで早急に奪い返す価値はない。
結果、劣勢に陥ったフランス軍は、激しく抵抗することもなくマインツ西方の放棄を選択したのだから、これはローレンツ候の老獪な手腕といえよう。
むろん、フランスは再び陣を立て直して攻撃に転じるだろうが、今度はこちらも、マインツの守備兵と連携して迎え撃つことができる。
そして、真の問題はここからであった。
フランス側のライン戦線総指揮官ジュールダン将軍は、既にマインツの北、デュッセルドルフの街を占領し、南進を続けている。
兵力を集中させてマインツ攻撃に乗り出してくるのは、時間の問題だろう。
この年、ライン戦線に投入されたフランス側の総兵力は14万5千、対する連合軍は17万といわれている。
総数で勝っているとはいえ、兵は各地に分散して配置されているのだ。
マインツ一点を集中して攻められれば、どこまで耐えられるだろうか・・・。
アルブレヒトは右手の指先で、長いこと彼を支えてきた襟元の銀細工をなぞった。
フランス兵をこれ以上進軍させるわけにはいかない。
マインツを抜かれれば、その先には彼のフライハルトがあるのだ。
あの慎ましく美しい国を、女王の統べる国を守るために、このマインツで食い止めねばならない。
それが彼の、唯一至上の責務であった。





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Last updated  2006/10/10 03:39:56 AM コメント(8) | コメントを書く


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