2015/02/11
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この国で至上の重みをもつ女王の印章が、ユベールの手中でほのかな輝きを放っている。
(レティシア様・・・なぜ、私にこれを・・・・!)
女王はティアナに命じて、剣に指輪を仕込ませたのだろう。
だが自ら印章指輪を手放すとは、政治的決定権を放棄するようなものではないか。
その時、彼の乗る馬車がおもむろに進路を変えた。
国境をめざし西進していたのを、マイン川の流れに沿って北東へと。
再びフライハルトの内奥へと向かって・・・

*  *  *


その日の夜半すぎ、女王の騎士たちが議場に集い半円状に居並んでいた。
輪の中央に立つのは、アルブレヒトとフォルクマールである。
アルブレヒトは直立の姿勢のまま一人ひとり騎士たちを見つめ、互いの意志を確かめる。
目礼したフォルクマールが騎士の半数を引き連れ、王宮へと一路馬を駆った。

コツコツと、静寂の中に軍靴の音が響く。
「陛下・・・」
寝台の上についた指が、かすかな衣擦れをつむぐ。
議場から戻ったアルブレヒトは、既に眠りについたレティシアの隣に腰掛け、彼女の呼吸を確かめるように上体を傾ける。
その気息が安定していることに安堵し、しばし主君の姿を見守る。
彼は無言で、この時を慈しむように噛みしめた。

「アルブレヒト・フォン・ブランシュ――貴方を、私の騎士に任じます。」
  ゆるやかな巻き毛は、天窓から差し込む陽光に照らされて淡い黄金色。
  まだ5つの王女が先代の黒獅子に支えられながら、この日のために司教が祝別
  を施した王家の剣をかざす。
  跪いて頭を垂れるアルブレヒトの左右の肩に、一度二度と儀礼的に刀身が当て
  られる。
  「主の御名のもとに。常に勇敢に、気高く、忠実であれ。」
  レティシアが述べる叙任の言葉は凛としてよどみなく、その高雅さに内心感嘆
  する。
  だが、ふと目に留まった王女の手――懸命に王剣を握る白い手が、あまりにや
  わらかで幼い様を目にして、アルブレヒトは過酷な運命を背負うだろう王女を
  哀しく、愛おしいと思った。


「アル・・・」
目を覚ましたのか、レティシアは半身をよじってアルブレヒトに体を向けた。
彼女の伸ばした左手が銀髪の襟足をかすめ、力なく上掛けに落ちる。
「陛下、まだお休みになってください。」
「明かりをつけて。貴方と話がしたかった・・・大丈夫、意識ははっきりしているから。」

枕元に据えられたランプに、黒獅子の騎士は火を灯した。
彼が再び主君の表情をうかがうと、長い睫の下で紺碧の瞳が揺れている。
「ユベールを、移送したそうね。」
「・・・・。」

予測はしていたが、やはりアルブレヒト達は自分の裁断を仰がず、独断で事を決した。
「アルブレヒト、貴方の本心がききたい。」
20年という時を共に過ごしてきた・・・しかし思えばここ数年は、対立の連続であった。
「私が自分を失っていると思うの?女王としての役目を担えないほど・・・」
「ご命令とあらば、はっきり申し上げます。陛下は欺かれておいでだ。グストーにも、ご自身にも。」

常と変らず、感情の起伏に乏しいアルブレヒトの瞳からは、いかなる決意が宿っているか読み取れなかった。
それが今は恐ろしい。
「・・・だから、私から女王の権能を奪うと?私を宮廷から引き離して。」
「陛下、遅すぎましたが、まだ手遅れではない。バイエルンとの婚礼を取りやめていただきたい。」
「・・・・っ!」
「陛下も十分にご存じのはず。この国がドイツ諸侯と結びつき野心を持つことを、オーストリアは歓迎しません。そして万が一にもオーストリアとの連携が崩れれば、対仏戦争に勝利することなど不可能であると――。」

女王は力を込めて体を起こし、忠実な騎士に向かい合う。
「分かっています、アルブレヒト。熟慮を重ねて、こう決めたの。」
「お分かりなら、なぜこのような危険な賭けをなさるのです。あの男が、グストーが上手くいくと請け負ったからですか。陛下、あの男は・・・」

アルブレヒトは主君の肩に手を添える。
「あの男にとって、フライハルトは箱庭に過ぎない。あの男の理想を実現するための巨大な箱庭・・・失敗すれば混ぜ返し、また新たな遊びを始めるか、別の玩具に気移りするか。ですが陛下、翻弄され代償を支払ってきたのは陛下ご自身ではありませんか。」
「アル・・・」

女王はかぶりを振る。
「確かに彼は、一度この国を去った・・・でもグストーは変わった。感傷や願望じゃない。この国に根を張って未来を切り開こうとしている。貴方にも知ってもらいたい。あの冷淡で皮肉な態度の奥に、どれほどの情熱があるか!どれほど尊い願いが隠されているか!」
彼女の声が熱を帯び、己の手をアルブレヒトに重ね握りしめる。
「貴方が忠節から、こうしたのだと分かっています。すべて私を守るためだと。でもアルブレヒト、貴方は私が昔とは違ってしまったと言うけれど、それは昔の私が幼く、貴方やクロイツァー達に庇護され、何もできない、何もしなくてよい飾り物の王族だったから・・・でも、もう違う。この手でフライハルトを守りたい。願う形に導きたいの。そのために、時にはこの手を穢すことがあったとしても・・・」
「より強力なご親政をと望まれるなら、能(あた)う限りの助力を致しましょう。それでも、グストーだけは認められない!」

想いに任せ、アルブレヒトはレティシアを抱き寄せた。
「グストーの並外れた才覚・・・この国に有用だということも、陛下がどれほど深くあの男に惹かれているかも、私では決して代わりになれぬことも承知しているのです!だが、あの男は劇薬・・・いつか陛下を蝕み尽くしてしまう。」
「アルブレヒト・・・」

レティシアの額に乞うような口づけが落とされ、彼女を抱きしめる腕に一層の力がこもる。
「私は黒獅子の騎士――陛下の御身を守ることこそが第一。どうか、今一度お考え直し下さい。引き返せぬ道を進んでしまう前に・・・」
レティシアの体が震え、呼吸すら忘れそうになる。
誇り高いアルブレヒトが、いま己の全存在をかけて彼女を引き留めようとしている。
「アル・・・」
彼の名を呼ぶのが精一杯だった。
今さら決意を覆すなど、できるはずもない。
だがフライハルトの女王には、黒獅子の一身を賭した訴えに応じる責務があるのではないか――なぜなら彼を騎士に叙任した時から自分とアルブレヒトは、かくの如く定められてきたのだから。
苦悶に細められた灰色の瞳は、長い時をかけて慈しんだレティシアの姿を映している。
「・・・・っ」
己の魂が引き裂かれる音を、彼女は聴いた気がした。
黒衣をまとうアルブレヒトの胸に、彼女は額を押し当てる。
「もし・・・」
もし自分が訴えを拒んだなら――
事ここに至った以上、彼はグストーを無傷ではおくまい。
そしてアルブレヒト自身は・・・?

だが女王の逡巡は、そこで断ち切られた。
「陛下・・・」
彼女の右手をとったアルブレヒトの声音が、堅く鋭くなる。
「王家の印章を・・・あの指輪を、どこへやられました。」
「・・・・。」

常にシグネットがはめられていた女王の右手には、何の飾りもない。
「陛下!」
「シグネットは王たる証・・・今の私には何の決定権もない。」

印章なしにレティシアは、女王としての公式な文書を発布できない。
どのような行動を騎士たちが起こそうと、国主の指示という名目ではできないのだ。
「アルブレヒト・・・貴方を大切に想っているわ。心から・・・言葉では言い尽くせない。でもたとえ貴方でも、私の決定を覆すことはさせない。」





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Last updated  2015/02/11 04:34:38 PM
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