出かけようギブソン

出かけようギブソン

2006年10月15日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
再発予定のゲットーのライナーノーツを書いた。


もう何年も前、俺は諦めていた。
月に1,2度ライブをやっていた。打ち上げで、俺はすごいとか、ロックってのはようそんなんじゃなくてようとか、俺が一番パンクだ、とかいう言わば虚勢みたいな我の張り合いにもうんざりだったし、実際俺が先頭切ってそんな悲しい自慢話をしていた。人の歌なぞ聴かず自分のことばかりしゃべっていたものだ。
それが嫌で今度は弾き語りで自作のフォークブルースを始めた。我ながら当時の歌は良かったんだが普段からその歌の主人公にならなくちゃリアリティがないよとか言って出鱈目やってたら本格的に酒にはまった。小難しい奴に見られたくて、酒呑みで変人を装っているうちにそれが板についてきてにっちもさっちも行かなくなった。その当時仲良くなったのがてっちゃん。吉祥寺曼荼羅の裏、やるき茶屋でよく呑んだものだ、店員にはジミーっていうイラン人がいた記憶がある。
独りでブルースやってるといろんなタイプの気の狂った人たちと知り合う。雨の吉祥寺駅前に座り込みいつものようにブルースやってた夜、遠くから背中にアンプを背負い真っ青なファイヤーバードにスライドバーを滑らせエルモアスタイルで爆音を轟かせながら歩いてきた男がいた。旅のブルースマン、K。奴に連れられ俺は旅に出た。旅の途中、姫路で最後の金で焼肉屋に行ったことがある。喰い終わった後、清算時にクジひかされたらスイカが当ってしまい姫路城で空手チョップで割ってから食べた記憶がある。
Kとは長い旅を終えてからバンドを始めた。ギターと歌が俺とK,どんどんドラムに辞められ最後に見つけたドラマーが結局てっちゃん。そのバンドの対バンで仲良くなった連中の中で一際狂ってたのがヨーホー。そのバンドのラストライブ、ちょうど俺の前で泥酔しながら観てたヨーホーはなんと泣きながら最前列でゲロはいた。でもそれですっきりしたのか復活しダイブ。翌日病院行ったら肋骨折れてたらしい。あの頃の吉田は眼鏡かけていなかった記憶がある。
ラストライブの翌日、俺はヨーホーを吉祥寺イセヤに誘った。呑みながら言ったんだ。バンドやろうぜ。スタジオ入ろうぜ。儲けようぜ。俺とてっちゃんとお前で誰にも出来なかった音楽やってしまおうぜ。奴はやると言った。その日から俺たちの長い旅が始まったんだ。その日のヨーホーはオレンジ色のパイレーツTシャツ、俺はオレンジ色のクランプスTシャツ。馬鹿兄弟みたいで物凄く恥ずかしくてイセヤに行く途中俺だかヨーホーだかがTシャツ買って着替えた記憶がある。
とりたてて何が変わったとか何が良くなったって訳じゃない。アルバイトだって辞められないし、アパートだってずっと変わらない。でも、このバンドやってから俺たちはきっと変わったんだ。明日を俺たちは見つけたんだ。そんな俺たちの初期音源、いまだにそうだけど手さぐりで何かをやらかそうとしていたんです。下手糞だけど愛してる曲たちです。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2006年10月16日 12時46分53秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: