秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

PR

×

Calendar

Favorite Blog

コレ、いいかも☆ natsu。さん
ハワイアン生活  … hayatoman20さん
NO COLOR NO LIFE! N… color&designさん
芦田晋作の三文レビ… 芦田晋作の三文レビューさん

Freepage List

2017.10.29
XML
カテゴリ: 映画 Cinema
ニクソン米大統領といえば、私が小学校高学年の頃に登場しましたが、ベトナム戦勝終結、ドル防衛策、中華人民共和国訪問等、世間を驚かせる号外クラスのニュースを連発して、有能な大統領と畏怖したものでした。






ただ中学になってからはウォーターゲート事件にまみれ、最後は寂しくホワイトハウスを去り、以後歴史上はなんか無かったことにされてタブーのような存在だと思います。

そのニクソン米大統領の人生をオリバー・ストーン監督が事実に事実以外のものも交えて描いたのがこの作品です。近々、ケネディ米大統領の暗殺に絡む公文書の一部が公開されるようですが、この映画を見て、関与はしないまでも、ニクソン大統領がケネディ兄弟の暗殺の計画を知っていた可能性があることを知り、びっくり。

ウィキペディアはニクソン大統領の人生をうまくまとめているので、映画を見ながら読むのがおすすめです。その中で、米大統領選に破れて不遇時代、日本の岸元首相が世話をしたのを知り、佐藤内閣の沖縄返還は一朝一夕ではなかったんだなと岸元首相の懐の深さや大局観に感慨を深くしました。オススメの映画です。


2人の兄弟を結核で亡くし、家計はたいへんでしたがハーバード大学から奨学生の提供を受けるほど優秀でした。


政治活動資金疑惑をTVを利用したチェッカーズスピーチで乗り切るも、後年ケネディにTV討論会で破れます。


1960年の米大統領選挙で敗れた後、南部の石油会社等の財界人から1964年選挙への立候補を勧められるも断わります。ケネディ米大統領存命中にもかかわらず、1964年選挙にケネディは立候補しないと財界人が語っていたのが印象的でした。



1968年の米大統領選に立候補するに際してフーバー米FBI長官と面談し、強力なライバルだったロバート・ケネディ米上院議員の暗殺をフーバー米FBI長官からほのめかされています。


数々の経済外交政策で有頂天になったニクソンは自分を大統領にしてくれた南部財界人を怒らせ、後の辞任への道を歩き始めます。石油会社のトップが、経営に負担になるから米環境保護庁の規制を緩めてくれと頼んでも断わったシーンは、最近のトランプ米大統領がパリ協定を離脱して米エネルギー産業を保護する現状と対照的で興味深いです。


リチャード・ニクソン
不遇時代[編集]
弁護士活動再開[編集]
リンドン・ジョンソンとともに(1961年)
1960年の大統領選挙の落選後、ニクソンは一時的に政治活動から離れ、ニューヨーク州に移り再びペプシコ社などのアメリカの大企業の弁護士として活動することになった。なお、この不遇時代には副大統領時代からの友人であり、1960年に内閣総理大臣を辞任した岸信介が度々世話をしており、顧問先を紹介したり、日本に招いて弟の佐藤栄作を交えてもてなしたりしている。このことは、その後の大統領当選後に佐藤政権における沖縄返還要求に対して返還を決定するなど日米関係に少なからず貢献することになった[32]。

産経ニュース:トランプ氏、ケネディ暗殺文書の一部公開保留を指示 CIAなどの公開差し止め圧力に譲歩

ロバート・ケネディ暗殺事件

米石炭産業はパリ協定離脱を歓迎 他の業界は批判





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017.10.29 18:44:40


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: