秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2021.07.06
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戦後の住宅不足解消のため住宅公団により、公団住宅が大量供給されました。その中の目玉にダイニングキッチンがありました。プロジェクトXではステンレス流し台を安価に大量供給するための、サンウェーブ工業(LIXILに統合)の従業員によるステンレスのプレス加工の苦労の話をメインに紹介しています。


ひばりケ丘団地での団地生活を新婚さん向けに紹介したPR映画を最後に掲載しました。新築物件の結露の問題とか、風呂の着火の面倒さ、うっかりストーブでの一酸化中毒とか、結構怖いシーンも多いですが、狭い部屋を工夫して快適に利用する、希望に燃えた若夫婦をうまく描いていて、見とれます。この映画に出てきたダスト・シュートという言葉が懐かしかったです。小学校時代を思い出しました。

■参考リンク
7/6NHKプロジェクトX4Kリストア版「妻に贈ったダイニングキッチン」
昭和32年生み出されたダイニングキッチン。女性たちの家事のしやすさが追求され、台所で椅子とテーブルで食事ができるようになる。そこにはある夫婦の愛の物語があった。
昭和32年生み出されたダイニングキッチン。当時、東京への一極集中が過熱し、国は住宅公団を設立、住宅の大量供給に乗り出す。一戸当たりの床面積13坪の団地での暮らし。狭いながらも家族団らんを生み出した生活は、大人気となった。台所を南側に配置し、椅子とテーブルで食事ができるようにしたダイニングキッチン。ステンレスの流し付きで、女性たちの家事のしやすさが追求された。そこには、ある夫婦の愛の物語があった。
【アナウンサー】国井雅比古,膳場貴子,【語り】田口トモロヲ

日本初ステンレス深絞り流し台 | ものづくりの歴史 - LIXIL
厳しい住宅事情に一筋の光明
終戦から10年あまりたった1956年(昭和31年)。人々の生活にはようやく落ち着きと余裕が戻りつつあったが、戦後の厳しい住宅事情は未だ改善しておらず、東京では多くの人々が風呂なし・二間続きの狭い空間で身を寄せ合うように暮らしていた。台所も小さい流しが付いているきりで、主婦が満足に料理の腕を振るえるような代物では無かった。

日本初の“ステンレスのプレス加工”に挑戦
公団住宅のダイニングキッチンには、戦前にアメリカで開発され、日本にも入り始めていた新素材「ステンレス」を用いることがあらかじめ決められていた。耐久性に優れ、見栄えも良かったからだ。まさに、新時代の住宅の象徴だったが、職人が一つずつ手作業で溶接しており、当時の一般的な流し台の5倍もコストがかかった。さらに公団住宅への導入には大量生産が必要不可欠だったが、当時の日本には、ステンレスのプレス加工ができるメーカーは皆無だった。
白羽の矢が当たったのが、東京・板橋に板金工場を構えていたサンウエーブ(当時)。自動車部品の製造に用いる大型のプレス機械で、“日本初のステンレス深絞り流し台”に挑んだ。
この社運をかけたプロジェクトには二人の若手社員が抜擢された。二人は工場の前にアパートを借り、寝る間も惜しんで作業に没頭したが、何度やっても上手く行かない。問題は金型表面仕上げの精度だった。誤差が大きいと圧力がかかった時にステンレス板が割れてしまうのだ。失敗作は月に400個を数えた。最後は神頼みで、板橋から近い巣鴨のとげぬき地蔵のお札をステンレスの四隅に貼り、毎回祈るようにプレス作業を行った。
失敗を繰り返し、ようやく成功したのは1956年の9月20日。公団住宅は、翌年7月の販売開始を目指して既に建設をスタートさせていた。なんとかギリギリでのすべり込みセーフ。二人の若手社員は納期に間に合った安堵感と、日本初の偉業を成し遂げた喜びとで、涙をポロポロと流して喜んだ。
以降、公団住宅の隆盛とともに、ステンレス製の流し台が一気に普及。台所と食卓が近づき、主婦も料理を作りながら一家団らんに加われる“ダイニングキッチン”を世に広めた。弊社の製品が日本の家族の幸せづくりに一役買ったのである。

Wikipedia:サンウエーブ工業
概要
LIXILグループ(旧初代トステム)系。過去に自主再建を断念して会社更生法を申請し、倒産したことがある。
2009年(平成21年)6月19日に住生活グループと資本・業務提携、第三者割当増資により同社が筆頭株主となった。さらに2010年(平成22年)4月1日には株式交換によって(一時的に)住生活グループの完全子会社となった。なお元筆頭株主の日新製鋼(現日本製鉄)は、2010年(平成22年)4月7日に住生活グループから全株式の20%を譲り受け、持分法適用関連会社として今後も資本・業務面で協力していく方針となったものの、2011年4月1日に2代目トステム・東洋エクステリア・新日軽・INAX・初代LIXILが合併して誕生した2代目LIXIL(旧2代目トステム)の生産子会社になった。
2015年(平成27年)4月1日には2代目LIXILに吸収合併され、解散した。合併後の2代目→3代目(旧初代トステム)LIXILでも「サンウエーブ」ブランドは存続している。

A Complete History of the KitchenPosted June 5, 2020 by by CopperSmith
1960年代のキッチン

2000年代のキッチンはどのようなものでしたか?
キッチンシンク
今日、シンクにはさまざまな素材があります。銅、花崗岩、セラミック、さらにはガラスでさえ、多くのスタイリッシュで機能的なオプションを提供します。最も一般的で人気のあるキッチンシンクはステンレス鋼で作られていますが、銅製の農家のシンクが大きなデザイントレンドであることがわかります。
ステンレス鋼
2000年代の初めに、ステンレス鋼がアメリカのキッチンを席巻しました。ステンレス製の電化製品は、ほとんどステータスシンボルと見なされていました。

Wikipedia:ダスト・シュート

日本では、昭和40年代初めまで大規模なオフィスビル、公団住宅、マンションといった高層の集合住宅や学校に設置されていたが、衛生上の問題、またさらなる高層化やゴミ分別問題の可視化に伴い、廃止されるようになっていった。そのうち、学校では木造校舎から鉄筋コンクリート校舎への立て替えが進んだ際に導入された所も多いが、後年には生徒が転落事故を起こした場合の学校への責任追及を避けるため、投入口をふさぐ処置を施した所がほとんどである。
欧米では、まだ使われていることが多い。
「ダスト・シュート」自体は和製英語であり、英語では"Garbage chute"または"Rubbish chute"という。詳細はen:Chute (gravity)#Building chuteを参照。 またダストシュートが原因で起こった火災がある。(京都国際ホテル火災など)

2021.12.19リンク切れにより差替え。
2022.4.24リンク切れにより差し替え。






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Last updated  2022.04.24 23:05:05


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