秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2023.04.01
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カテゴリ: 宗教
今月のことばは、お経の正信偈にある「摂取心光常に照護したまう」です。正信偈は去年の春まで2年半、毎週末のお寺に通い、朝のお勤めでほとんどの回で詠んだポピュラーなお経で、参加者は皆さん暗記されていました、私はできませんでしたが。たしかこの言葉があったなと思い出します。

浄土真宗本願寺派光明寺さんの解説では、正信偈は『教行信証』の全体が圧縮されており、真宗教義のすべてを学んだことになるくらい大事なお経だそうです。「摂取心光常照護」の解説の中で、阿弥陀仏の仏像の手のポーズについて触れられていたのが興味深かったので調べてみました。

今まで気づきませんでしたが、両手で輪っかを作られています。岸寺日下賢裕先生によれば、浄土真宗では、人々を収め取って決して捨てないという阿弥陀仏の慈悲の心を表す「摂取不捨印」というそうです。人類初のオッケーサインのようにも見え、安心感があります。仏像の手のポーズの意味もいろいろ調べると面白いです。

■参考リンク
2023.4.13内容の追加。


築地本願寺:2023年4月 今月の参拝カード


2012年1月 摂取の心光 つねに照護したもう 法語カレンダー解説投稿日: 2011年12月30日 作成者: admin 浄土真宗本願寺派光明寺
抜粋
「正信偈」の文
今月の法語は、『教行信証』「行分類」の「正信偈」の文から選ばれました。
まず、「正信偈」について少し述べることから始めたいと思います。「正信偈」は正式には「正信念仏偈」と呼ばれます。われわれ浄土真宗の門徒が心の依りどころとする根本聖典、『教行信証』の最も重要な一部分の抜粋です。それは、六十行百二十句からなる讃歌です。

一月の法語解説でも少し触れましたが、「正信偈」は二つの部分に分けられ、「法蔵菩薩因位時(ほうぞうぼさついんにじ)」(『同』)からは『無量寿経』に基づいて述べられる依経段、「印度西天之論家(いんどさいてんしろんげ)」(『同』十七貢)以下は三国七高僧の釈によって説かれる依釈段と呼ばれます。
そしてこの偈のなかに『教行信証』の全体が圧縮されているのです。したがって、「正信偈」を読むことによって真宗教義の全体が鳥瞰(ちょうかん)できるのです。そしてまた、「正信偈」を学べば真宗教義のすべてを学んだことになるといっても、過言ではありません。
さて、その「正信偈」のなかから、
摂取心光常照護(せっしゅしんこうじょうしょうご)
(『日常勤行聖典』十三貢)
(摂取の心光、つねに照護したまふ。『註釈版聖典』二〇四貢)
の文が取り上げられてあります。この一句は『観無量寿経』の、
光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまはず。
(『註釈版聖典』一〇二貢)
や、善導大師の『観念法門(かんねんぽうもん)』に、
ただもつぱら阿弥陀仏を念ずる衆生のみありて、かの仏の心光つねにこの人を照らして、摂護(しょうご)して捨てたまはず

等とある文に依られていると考えられます。
途中略
この和讃では、阿弥陀仏という名告りは、十方世界に生きるあらゆる者を念仏の衆生に育てあげ、光明のなかに摂め取って捨てないからであり、それゆえに阿弥陀と名付けるのであるといわれます。といたしますと、摂取ということが「阿弥陀仏」という名告りの基盤をなしているということです。摂取不捨ということを離しては、阿弥陀仏という仏さまを語ることはできないということです。
ですから、阿弥陀仏の仏像を拝見しますと、右手を高く掲げ、左手を下にしておられます。それは、摂取と不捨ということを表しておられる姿といわれています。もっとも智慧と慈悲を示されているとの見方もあります。いずれにしましても、この和讃からは阿弥陀仏と名付ける理由として、念仏の衆生を摂取して捨てないからだといわれます。



仏さまのハンドサイン:彼岸寺2014年4月9日日下 賢裕先生

抜粋


2021年10月14日仏のポーズ「印相」は写真映えする:デイリーポータルZ





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Last updated  2023.04.13 22:22:57


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