秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2024.01.14
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テーマ: 経済(1445)
くら寿司USAが米国でお店も株価も人気のようです。

日本のくら寿司は何度か行きましたが、御酒を飲まなければ結構安く、メニューも豊富で新鮮で、清潔で、機械化され、遊び心もあって楽しいお店だと思いました。

日本の競合各社がまだ進出していないこともあり、米国店は日本にくらべて3,4倍の値段にも関わらず人気店だそうです。くら寿司の珍しい配膳システムや遊び心が米国人に受けたように思います。1960年代の青木廣彰氏の米国でのステーキ店「BENIHANA OF TOKYO」の成功を思い出します。このままの調子を保って世界市場で成功したらよいと思います。




■参考リンク
くら寿司USA、ニッチ市場とらえ米国人を魅了-株価6倍は実力かRachel Phua、Min Jeong Lee2024年1月12日 20:04 JST Bloomberg
昨年7月には時価総額が一時10億ドルを超えた
ビジネスモデルが全米で通用するということを証明した-姥一CEO
くら寿司の米国法人、くら寿司USAが株式市場とソーシャルメディアでセンセーションを巻き起こしている。株価が急上昇し、時価総額は一時10億ドル(約1450億円)を突破。日本でおなじみの回転ずしだが、工夫を凝らし熱狂的なフォロワーを生み出ている。
  タッチパネルを使った注文受け付けや自動化テクノロジーを駆使し、くら寿司は低価格のメニューを米国でも実現。2019年に新規株式公開(IPO)を実施したくら寿司USAの株価は以来、6倍を超える水準に上昇。11日の終値は88.78ドルとなった。IPO価格は14ドルだった。
  昨年7月には株価が108.92ドルに達し、上場来高値を更新。時価総額が一時10億ドルを超えた。現在は株価収益率(PER)が680倍と、ラッセル2000指数構成銘柄中11番目の高水準で、同指数のPER平均29.6倍を大きく上回っている。

  くら寿司USAの最高経営責任者(CEO)、「ジミー」こと姥一氏は東京でインタビューに答え、不確かな時期での出店が親会社で疑問視され、高コストと大きな損失について弁明しなけれならなかったが、「チャンス」だと思ったこの機会を逃したくなかったと打ち明けた。
  くら寿司USAは店舗数を20年の早い時期に比べ倍以上に増やし、高級ハンバーガーのシェイクシャックやアメリカンチャイニーズのパンダエクスプレスに並ぶような急成長を遂げた。
 カリフォルニア州アーバインに本社を置くくら寿司USAが米国1号店をオープンさせたのは09年。今は16州と首都ワシントンに店舗を構えるが、姥氏は少なくとも30州でチェーン展開したいと話す。
  くら寿司USAの株式1.68%を保有するレンジャー・インベストメント・マネジメントのシニアアナリスト、デビン・ホランド氏は、すしは今や米国でも人気だが多くの人にとって自宅で楽しむのは難しく、ハンバーガーやブリトーなどが中心のレストランチェーン市場のニッチ(隙間)をうまく埋めたのがくら寿司USAだと指摘する。
  米国でのくら寿司人気は驚異的だ。食事をするのに時に8時間待ちとなることもある。食べ終わった皿を水洗浄レーンに入れると景品が当たるなど、スティーブンスのアナリスト、ジョシュア・ロング氏は「イートエンターテインメント」だと話す。同氏はくら寿司USAの投資判断を「買い」相当にしている。
  同氏によれば、くら寿司の価格は米国での一般的なすしレストランの半分程度で、一皿3.20-3.85ドルだという。
  ただ、くら寿司USAのバリュエーションは、昨年度の利益が150万ドルに過ぎなかった企業にしては大き過ぎるとみるアナリストもいる。
  シティグループのアナリスト、ジョン・タワー氏は最近のリポートで、顧客の支出抑制と景気減速が株価の圧迫要因になり得ると分析。ウィリアム・ブレアのアナリストはカリフォルニア、テキサス両州に店舗が集中していることもリスクだとの見方を示した。
  ナスダックのデータは、23年12月時点の信用取引でくら寿司USA株の約11%が空売りされていたことを示している。同年1月は約3%に過ぎなかった。
 こうした弱気な見方も意に介していないのがロング氏で、株価は割高な水準だが、くら寿司USAは売り上げを事業成長計画に投じていると説明。
  また、バークレズのアナリストはリポートで、直近の四半期にくら寿司USAの売上高に対するレストラン営業利益率は19.5%で、売上高に対する管理費は11四半期連続で前年同期から減少しているとし、「アーリーステージ」の企業としては珍しいとの認識を示した。

  姥氏は、投資家から「もっと出店できないのか」と聞かれることが多いと言う。「もっと成長できないのか」と尋ねられ、一気にマーケットシェアを取ることで価格決定力が得られるのではと助言されると話した。
  そうしたこともあり、米国での最初の10年間は「爆発的」に事業を拡大することに力を入れたと述べ、同社の「ビジネスモデルが全米で通用するということを4年間かけて証明」でき、株価がそれについてきたと考えていると明らかにした。


くら寿司(株)【2695】:株価・株式情報 - Yahoo!ファイナンス



くら寿司USA【KRUS】:株価・株式情報 - Yahoo!ファイナンス


Wikipedia:青木廣彰
青木 廣彰(あおき ひろあき、1938年10月9日[1] - 2008年7月10日[1])は、日本の実業家、冒険家、元レスリング選手、バックギャモンプレーヤー。東京都出身。アメリカ合衆国の鉄板焼きレストランチェーン「BENIHANA」の創業者。通称、ロッキー青木。息子のスティーヴ・アオキはディスクジョッキー(DJ)、娘のデヴォン青木はモデル・女優として知られる。
経歴
青木湯之助、かつの長男として中野で生まれる[2]。青木家は江戸時代は紀州徳川直参の旗本だった和歌山県士族の旧家である[要出典]。父の湯之助はかつて郷宏之の芸名で活躍していた俳優・タップダンサーで、後にレストランチェーン紅花 (BENIHANA) 共同創業者となった。

1960年、ローマ五輪の日本レスリングチーム補欠選手。1962年、ニューヨーク市ハーレムで移動アイスクリーム屋を開き、和傘のミニチュアをアイスクリームに添えるアイディアが功を奏し成功を収める[2]。1962年、1963年、1964年のレスリング全米選手権のフリースタイルとグレコローマンスタイルでそれぞれ優勝し、レスリング選手として活躍した。1964年、米国選手として東京オリンピック出場選手に選ばれるがアメリカ合衆国の市民権がなく、結局2回の五輪出場チャンスを逃すこととなる。ニューヨーク市立大学シティカレッジを卒業。
1964年、両親が既に日本橋を本店に銀座などで洋食屋「紅花」を数店舗経営していたため、両親兄弟も伴い家族も渡米し、鉄板焼きレストラン「BENIHANA OF TOKYO」第1号店をニューヨーク・マンハッタン西56丁目に開業[2]。コメディアン的ボードビリアンのステージアクターだった父・青木湯之助(郷宏之)のアイディアでパフォーマンスを取り入れた鉄板焼きをはじめる。珍しさも相まって多数のマスコミに取材され店は繁盛し、ヒルトンホテル会長・バロン・ヒルトンからも出店依頼が来るようになり、後に米国内80店を含む世界110店舗を展開する、一大日本食チェーンとなる「BENIHANA」の礎を築き、実業家としての成功を手にする。





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Last updated  2024.01.14 23:51:13
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