秋に咲くヒマワリ・・なのかもね。

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2025.05.25
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今回は、ベネッセの福武總一郎氏が主導された瀬戸内海の直島・豊島を中心に展開される町全体での現代美術の芸術活動を取り上げています。

美術館開所当初は町民や観客に理解されませんでしたが、町内の空き家を改修して美術品として展示したことをきっかけに局面が変わり一気に人気の観光地になりました。産廃で困っていた隣の豊島とも連携しその活動は広がっています。先日の黒川温泉といい、新プロジェクトXは地域の連携もテーマのように思います。

去年木場の東京都現代美術館に行きましたが、ちんぷんかんぷんでした。奈良美智さんの絵だけ印象に残ってます。下町建築と現代芸術の組み合わせとかやってほしいです。

昨年1月に岡山・香川を旅行しましたが小豆島等の離島へは行きませんでした。次に行くときは小豆島、直島、豊島も候補に入れたいと思います。

福武さんはいろいろな社会貢献活動をされていることを今回知りました。世間がバブルで浮かれていたころ、これらの施設を作り、最初はうまくいかなかったものの長年かけて成功に導かれたのは素晴らしいと思いました。





■参考リンク
2025.5.17NHK新プロジェクトX:島に誇りを ~アートでよみがえった瀬戸内海~





Wikipedia:ベネッセアートサイト直島
ベネッセアートサイト直島(ベネッセアートサイトなおしま、英文名称:Benesse Art Site Naoshima)は、岡山市に本拠を置く出版・教育関連企業ベネッセコーポレーションが、瀬戸内海に浮かぶ離島・直島、豊島、犬島で展開する、現代美術に関わるさまざまな活動の総称。地中美術館、ベネッセハウス、家プロジェクト、南瓜に代表される屋外作品(島内の海岸や集落を使ったアート作品のインスタレーション)、その他刊行物やシンポジウムなどを含んでいる。
概要
福武總一郎の主導の下ベネッセコーポレーションが1980年代後半より美術館・ホテル・キャンプ場の複合体「直島文化村」で行ってきたアート活動が、直島島内の海岸や古民家や路地なども舞台となるようになり、もはや美術館内部に納まらない規模になってきたため、2004年(平成16年)7月より「直島文化村」ほか島内のアート活動の総称を「ベネッセアートサイト直島」に改称した。以前からの企業コレクションであった美術品も多いが、ベネッセハウスの構造や瀬戸内の景観、集落の歴史などを踏まえて、直島だけのために構想し制作・設置され、直島以外では見られない場所限定的な(サイトスペシフィックな)インスタレーション作品が増えてきたのが特徴。

また安藤忠雄設計のベネッセハウスへの宿泊、島内の集落でのアート作品鑑賞などのコースが、国内の旅行雑誌よりむしろ欧米の高級リゾートホテル誌に取り上げられることが多く、徐々に外国人観光客が増えている。

Wikipedia:福武總一郎
来歴
進研ゼミで成功した福武書店(現ベネッセコーポレーション、ベネッセホールディングス)創業者・福武哲彦の長男として生まれる。命名の由来は、同郷の実業家大原總一郎。岡山県出身。早稲田大学理工学部卒業。日製産業、日本生産性本部勤務を経て、1973年福武書店に入社[1]。出版業は嫌いで教育にはまったく興味はなかった[2]。
1986年、福武書店社長であった父の急死に際し、東京から岡山の本社へ戻る。代表に就任し、英会話教室のベルリッツを買収、社名を福武書店から「ベネッセ」に変え、上場をし、介護事業にも参入、教育・介護の大手企業に育てた[2]。
帰郷当初は環境の大きな変化に戸惑うが、数か月もしないうちに東京を離れたことの幸せを心底から感じるにいたる。總一郎の目には、歴史もなく自然も存在しない東京は「人間」の欠けた都市と映り始めた。岡山への帰郷は、その数年後に社名を「ベネッセ」(「よく生きる」の意味)に変更するほどに、總一郎に大きな影響を与えた。
ベネッセコーポレーションの企業メセナとして、1992年建築家安藤忠雄の設計によるベネッセハウス・ミュージアムを開設した。2003年にはソニー出身の森本昌義を代表に招き、ベネッセの経営から徐々に退くことを考え、自身の関心は直島の事業や電気自動車に移っていった[2]。
2004年、個人資産を寄贈して直島福武美術館財団(現:公益財団法人 福武財団)を設立し、同年地中美術館、2010年に李禹煥美術館を開館。これら「ベネッセアートサイト直島」の活動により、直島は「現代美術の聖地」と国内外から評価され、2010年の瀬戸内国際芸術祭開催につながった[3]。2012年10月既存4公益財団法人を、美術館運営と文化・芸術による地域振興助成の「福武財団」と、岡山県の教育文化振興助成の「福武教育文化振興財団」に整理統合し理事長に就任。財団の基本財産となるベネッセホールディングス株式約600万株、及び現金・作品・資産等250億円を超える寄付を福武家は行っている。
2008年には個人で東京大学に16億5千万円を寄付し、本郷キャンパスに「情報学環・福武ホール」が建設されている[4]。なお、東大文学部社会学科の看板教授といわれた福武直は總一郎の遠縁に当たる[5]。また地球環境の保全と持続可能な社会の実現を目指して、2009年株式会社SIM-Drive(2017年解散)と電気自動車普及協議会の設立に参画し、それぞれ会長に就任した[1][6]。
2014年6月、原田泳幸に後事を託し[7]、最高顧問に退いた[8]。同年、フォーブスの選ぶアジアの慈善事業家として日本人では3人、楽天の三木谷浩史及びVPLの花沢菊香とともに選ばれる[9]。
2016年10月 名誉顧問就任。
2017年、個人資産を寄贈し、国際公益学院(CGPI:CHINA GLOBAL PHILANTHROPY INSTITUTE)に福武芸術慈善センターが設立された[10]。 福武芸術慈善センターが最初に手がける、中国過疎の農村である山東省桃花島での「アートによる地域再生桃花島プロジェクト」に主席顧問として関わり 、「直島メソッド」と呼ばれる現代アートによる地域再生活動の中国展開を図っている[11]。2024年、現代アートを活用した地域再生への貢献が評価され、山東省 淄博市 沂源県より、「農村振興大使」の称号が授与された[12]。

現在はニュージーランドに在住[14]。

瀬戸内海と私――なぜ、私は直島に現代アートを持ち込んだのか公益財団法人 福武財団 名誉理事長株式会社ベネッセホールディングス 名誉顧問瀬戸内国際芸術祭総合プロデューサー福武 總一郎
東京から瀬戸内へ
かつて私は、若いころは主に東京で生活をしていましたが、40歳になったときに父が急逝したため、本社のある岡山へ帰る事になり、父が進めていた直島での子どもたちのキャンプ場作りのために何度も直島を訪れるようになりました。
そのプロジェクトに関わりながら、島の人々との交流を深め、また趣味のクルーズで瀬戸内の島々を回っていくうちに、瀬戸内海の美しさ素晴らしさと同時に、歴史や文化、島々に暮らす人々のあり方を再認識するようになりました。

瀬戸内の島々の多くは、今日では離島とか過疎の島といわれていますが、近代化の波に洗われていない、かつて日本人が本来持っていた心のあり方や暮らし方、地域の原風景が残っていました。それらは民家のたたずまいであり、人々の慣習であり、近所付き合いであり、自然の恵みを直接いただくという、ある面では自給自足的な生活でもありました。

以下略。







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Last updated  2025.05.25 15:33:25
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