夜中になって、この日の朝日新聞朝刊をめくっていたら、『日米交換船』(新潮社)刊行の記事が掲載されていた。
その記事から、借用しつつ簡単にまとめると、次のような概要となる。
「日米開戦半年後の42年6月。ニューヨークと横浜から出た船には日米の外交官、会社員、学生らおよそ1500人ずつが乗っていた。鶴見俊輔は留学生としてそのなかにいた。船は途中、東アフリカで乗員を同数交換する。交換船は最終的にアメリカから約6000人、イギリスから約4000人を帰国させることとなる。この本は加藤典洋、黒川創が聞き手となって、鶴見の証言を引き出す。あわせて黒川創が担当し、1万ページにおよぶという当時の外交文書から航海の全容をよみがえらせた」
刊行を期して、ささやかな記者会見が行われたのだろう、新聞記事には鶴見俊輔、加藤典洋、黒川創の3人が横並び、談笑しているような写真もあわせて掲載されている。ちなみに鶴見は1922年生まれ、加藤は48年、黒川は61年。戦後はもうここまでやってきたのだった。
鶴見は、当時、乗船するか否か、選択を突きつけられた。アメリカに残ることも可能だった。それぞれの立場、あるいは階級でその後の処遇が様々であったとしても。だが鶴見は「乗る」と即答した。その理由は「愛国心なんてものじゃない。負けるときには負ける側にいたいというぼんやりした考えだった」。
これには、鶴見の幼少時代、そして留学時代に抱えてきた独特の屈折がある。そこに鶴見の独自性があるのだが、今は書かない。
と、こんなことを書いているのは、ちょうどこの日、ネットで注文していたこの本が手元に届いたからだった。
人に誇ることはできないが、自分なりに細々と本を読み続けてきた。そのようにしていれば、何人かの書き手や、いくつかの本そのものが、自分の人生にひっかかって残っていることを自覚することになる。それらは反発や否定も含む。この3人と彼らのいくつかの書物は、そんなふうにして、自分の中に存在する。まあ、そんな感慨を持って、500ページほどの本の重量を手に持ってたしかめてみる。
とにかく読んでみることにする。
ブリキのレストラン。 2007.08.28
オトモダチのしょひょう。 2007.06.19
だからなに? 2006.07.23
Calendar
Comments