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退職後の職探しの為に 派遣会社に登録しました。 複数登録が可能との事で とりあえず2社に登録しました。 贅沢さえ言わなければ 60の爺さんでも働ける所はごまんとありました。 体がもって、真面目にやれば、 月に20万円は稼げます。 いやー、驚きと感謝です。 この先、ますます、楽しみです。
Mar 20, 2008
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自分の生きる意味を知っていて生きている人がどれ位いるのだろうか? この世に人として生まれて来て、生きる意味のない人などは一人もいない。 しかし、その意味を知っている人は少ないかもしれない。 自分の生きる意味を知っていたなら、自殺などは有り得ない。 人間の心と言うものは虚弱なのだ。 人間の心はその人が思っているほどには強くない。 高名な心理学者達の言葉を借りるまでもなく、 人間の心の奥は、深くて、広い。 自分の事は自分が良く知っていると思っているかもしれないが、 それは単なる愚かな思い上がりによる誤解に過ぎない。 自分で意識できている部分よりも 自分で意識できてもない部分の方が圧倒的に広い。 その部分を無意識と呼んでも、 セルフと呼んでも、 本来の自分と呼んでも、 意味は同じ。 人の人生の最終的なゴールは、 それと出遭えるか、出遭えないかで、決まるのです。
Mar 18, 2008
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3月31日で退職し、いよいよ新たな旅立ちの始まりです。 何となくわくわくしています。 4月1日からの人生設計をしています。 年金で楽隠居をするつもりは全くありません。 働き口を探して、本来の自分で生きてゆこうと思っています。 これまでお世話になりました親族や知人達への恩返しもしたいです。 自分が本当にしたかった事をするつもりです。 人生は面白いものです。 退職が決まった途端に忙しくなりました。 気力が戻ってきました。 思いっきりあばれようと思っています。 やはり、本物の人生は還暦からですね。
Mar 18, 2008
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趣味って何だろう。嗜癖とどこが違う?嗜癖は好きが高じて中毒になる事らしい。所謂、依存症。そこで、ぼくの場合は、アルコール、ニコチン、カフェインが危ないが最も危ないのは、人との関係を求め過ぎる依存。しかも、その関係の取り方が相手を怒らせて見る、と言う危険なやり方。結局、ぼくの最高の趣味であり、嗜癖は人との危険な関係を持つこと。これは、やばい。
Jan 8, 2008
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あるがままを受け入れる事と現状を否定して、抵抗して、出来だけのことをする事とどっちが良い? ぼくには判断はできない。 どちらを選んでも、それが自分の選択なら、必ず失敗すると思っているから。 人間は自分の思いに引きずられて、失敗する。 あるがままを受け入れる事は諦めではない。 現状を否定して、抵抗して、出来だけのことをする事も諦めではない。 だから、判断できない。 あなたはどう思う?
Jan 4, 2008
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ぼくの子供時代は皆が貧乏だった。 ぼくの家も子沢山の貧乏だった。 でも、貧乏臭さはなかった。 だから、ぼくは貧乏が嫌だと思ったこともなかった。 大人達は家族を支えるために懸命に働いていた。 子供達もそれに協力していた。 皆が懸命に生きていた。 夫々が自分の使命を知っていた。 人間にはこう云う事が必要なのだ。
Jan 2, 2008
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自分を極限状態に追い込んでおいて、 それを楽しむのは究極のマゾだろうか? 人間的な感覚では、そうだろう。 しかし、霊的な感覚では、そうではない。 わかるっかなー? わかんないだろうなー!
Jan 1, 2008
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自分を極限状態に追い込んでおいて、 それを楽しむのは究極のマゾだろうか? 人間的な感覚では、そうだろう。 しかし、霊的な感覚では、そうではない。 わかるっかなー? わかんないだろうなー!
Jan 1, 2008
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とても元日の空とは思えない、 空の雲の美しさ。 ここ、下館からの景色だけなのか、 どこからでも見える景色なのか? あの雲は、少なくとも関東地方の人には見えているだろうが、 ぼくが見ている景色と同じではなかろう。 写真にとって見せたい気もするが、 それでは伝わらない、と思う。 穏やかな元日の空模様。 ぼくの心とは裏腹に。
Jan 1, 2008
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今日の恵み 第三十二号 二〇〇八年1月1日 発行 主の顕現主日の詩篇(賛美頌)をお届けしますので、お楽しみください。 詩 篇( 賛 美 頌 ) 七十二篇 1 神よ。あなたの公正を王に、あなたの義を王の子に授けてください。 2 彼があなたの民を義をもって、あなたの、悩む者たちを公正をもってさばきますように。 3 山々、丘々は義によって、民に平和をもたらしますように。4彼が民の悩む者たちを弁護し、貧しい者の子らを救い、しいたげる者どもを、打ち砕きますように。 5 彼らが、日と月の続くかぎり、代々にわたって、あなたを恐れますように。 6 彼は牧草地に降る雨のように、地を潤す夕立のように下って来る。 7 彼の代に正しい者が栄え、月のなくなるときまで、豊かな平和がありますように。 8 彼は海から海に至るまで、また、川から地の果て果てに至るまで統べ治めますように。 9 荒野の民は彼の前にひざをつき、彼の敵はちりをなめますように。 10 タルシシュと島々の王たちは贈り物をささげ、シェバとセバの王たちは、みつぎを納めましょう。 11 こうして、すべての王が彼にひれ伏し、すべての国々が彼に仕えましょう。 12 これは、彼が、助けを叫び求める貧しい者や、助ける人のない悩む者を救い出すからです。 13 彼は、弱っている者や貧しい者をあわれみ、貧しい者たちのいのちを救います。 14 彼はしいたげと暴虐とから、彼らのいのちを贖い出し、彼らの血は彼の目に尊ばれましょう。 15 それゆえ、彼が生きながらえ、彼にシェバの黄金がささげられますように。彼のためにいつも彼らは祈り、一日中、彼をほめたたえますように。 16 地では、山々の頂に穀物が豊かにあり、その実りはレバノンのように豊かで、町の人々は地の青草のように栄えますように。 17 彼の名はとこしえに続き、その名は日の照るかぎり、いや増し、人々は彼によって祝福され、すべての国々は彼をほめたたえますように。 18 ほむべきかな。神、主、イスラエルの神。ただ、主ひとり、奇しいわざを行なう。 19 とこしえに、ほむべきかな。その栄光の御名。その栄光は地に満ちわたれ。アーメン。アーメン。 20 エッサイの子ダビデの祈りは終わった。 明けまして おめでとうございます。今年も、主日の礼拝に備えまして、神様の御言葉にご一緒に集中できましたならば幸いです。 さて、神様を畏れ、愛し、信頼しています信仰者が国を統治して、その国が神様の平安で満たされ、国民の全てが幸福であった時期は、残念ながら、全人類の長い歴史の中では、ほんの僅かな地域でのほんの僅かな年月にしか過ぎませんでした。 しかし、アダムとエバ以来の地上の教会は、今に至りますまで、いつも変わらずに、御約束の救い主を通しましての神様の聖なる恵みの御統治を受け続けて参りました。ですから、今に至りますまで、地上の教会が歴史から消滅する事はなかったのです。しかし、それは、ただ単に地上の教会のためだけではなく、この世の終わりの日に顕現されます神様の完全な御統治のあることを全ての人々に証しするための、神様の御業なのです。それですから、教会は、この世に渦巻く悪と矛盾と悪魔の企ての中で翻弄される事がありましても、この神様だけを畏れ、愛し、信頼しまして、礼拝し、賛美し、感謝し続けるのです。 どうか、この神様が、イエス様の故に、御言葉を通しまして、聖霊の御導きによりまして、新しい年の日々にも、同じ聖恵みを皆様の上に豊かに注いで下さいます様に。下館・聖書ルーテル福音キリスト教会 牧師 赤上和吉 創刊号からのバックナンバーは下記へアクセスしてください。 http://groups.yahoo.co.jp/group/grace-on-today/
Jan 1, 2008
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ぼくは今年で還暦を迎えました。 母親の死んだ歳を越えました。 ぼくには、今、別居の長女夫婦と同居の独身の息子がいます。 先立った次女の忘れ形見の孫もいます。 ぼくは未だ元気ですが、孫の為に後10年元気でいたいですが、 こればかりは分かりません。 孫の為に酒とタバコを止めたいのですが、 どうも無理みたいです。 今、ぼくが死んでも、経済的には誰も困らないようになっています。 これは、先立った長男の御陰です。 結局、ぼくは、みんなのお世話になっていまして、 ぼく自身は何もしてはいません。 このまま朽ちて行って良いのでしょうか?
Nov 28, 2007
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恋しいと言う言葉はもう会えない人に対する気持ちだそうです。 恋とはそんなにも苦しい思いなのだそうです。
Nov 27, 2007
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男と女は絶対に同じではない。決定的な違いは、男は自分の子を自分では産めないと言う事。女も男なしでは子は産めないが、男は女さえいれば子を産ませる事はできる。結婚と言う契約は、一人の男と一人の女の間だけの事ではなく、生まれてくるであろう子どもに対する責任の契約でもある。従って、離婚する事は子供達に対する親の責任放棄である。一度、結婚したら、親でも一人の人間だ何て甘えは赦されるはずもない。独身の人間と既婚者とでは、既に人種が変わっている事を知るべし。結婚もしないで、子供をもうけて、勝手に別れて、子供を不幸にするような人間が地獄に落とされなければ、それこそ不義と云うものである。結婚と云う契約は単なる紙の上だけの契約なのではない。人間としての責任、親となる事への責任の問題なのである。
Nov 25, 2007
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今日は家内の御誕生日です。孫と買い物に行きました。ぼくはすき焼きの材料を買い、孫はケーキを買いました。孫にとって、2400円の出費は大きいと思いましたが、ぼくは援助しませんでした。彼女は彼女の伯父さん(ぼくの息子)からとるつもりです。 ぼくの奥さんの知り合いから豪華な花束が届きました。これには、参りました。 何で?彼女はぼくの奥さんに感謝しているようなのですが、それでも、ぼくとしましては、何で? なのです。 ぼくの奥さんと彼女の関係は全く知りません。毎月、彼女から便りが来ています。彼女が男なら、これはもう不倫です。 ぼくは、ぼくの奥さんを疑った事はありませんから、今回のことも疑ってはいません。
Nov 16, 2007
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その世界で、No1を取るには、命がけの努力がなされるのは、当然。 でも、死んだら、No1にはなれない。 なのに何故に、No1になりたがるのか、 それが問題。 僕としましては、No1に成りたがる人間は愚かだとしか思えません。 人間はこれほど愚かなのです。
Nov 8, 2007
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親であれ、子であれ、恋人であれ、自分以外の他人に自分を合わせて生きようとする事には無理があります。 僕は、野生児として育てられましたから、他人に自分を適応させる事など学んだ事がなかったのです。それも問題です。 妻は典型的な世渡り上手な女性です。だから、野生児の僕を選んだのだと思います。彼女の気配りと言ったら、涙ぐましいほどです。 でも、最近は、彼女もそれに気づいてしまったようなのです。僕への気遣いが半減しました。 それはそれで良い事なのですが、少し、寂しい気もします。 多分、僕にとりましては、ここからが人生の勝負になると思います。 明日死んでも、悔いを残さないように、彼女への感謝を今日、精一杯、表わしましょう。 有り難う。
Nov 7, 2007
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自分を大切にする、その意味は何でしょうか?自分を大切に思える人は、他人をも大切に思えるのです。自分を粗末にする人は、他人をも粗末にするのです。人は人から人として接しられた時に人となれるのです。自分で自分を愛せない人が他人を愛せる筈はないのです。人とはつくづく悲しい存在です。
Nov 4, 2007
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僕は人からの反感を買いやすいようだ。顔も怖いし、態度もでかい。僕自身は気の弱い小市民なのだが、外見はどうしようもない。 僕に対する世間の評価は二分する。偉い人だと言う人と恐ろしい人だと言う人に。 それは僕の二面性のせいもあるが、その二面性は相手から引き出されるようだ。 相手が嘘をついている時には僕は容赦はしない。誠実な人には自己犠牲は惜しまない。 永遠の少年の悲しさではある。
Nov 1, 2007
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娘が入院して以来、3ヶ月も御無沙汰。もう、限界。今日は思いっきり歌ってくるぜ!
Sep 21, 2007
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メタフォルモーゼ = 変身。池に産み落とされた卵が、ヤゴになり、やがて水からあがり、トンボになる。人は、これを見て、羨ましく思う。だって、今の自分さえも変えられないのだから。17年間も地中で暮らし、地上に出たら一月がせいぜいと言う蝉。羨ましいか?人として生まれたのだから、人として生きようよ。
Sep 21, 2007
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永遠の少年は永遠に少年のまま。それは当たり前。なのに、成長させようとした馬鹿がいた。ウェンディだって、彼女の世界があったから、ピーターパンと付き合えた。夫々にその人の世界がある。自分の世界で生きていれば楽なのに、無理して人様の世界で生きようとするから辛いんだ。今のままで、良いんだよ!
Sep 21, 2007
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人のいない南の島で、一人っきりで夕日を眺めながら・・・? 空を飛びたい。 もう一度、あの日に戻りたい。 叶う夢もあれば、叶わぬ夢もある。 夢は所詮夢だから、それで良い。 永遠の少年は永遠に夢を見続ける。 それはそれで幸せな事だ。
Sep 21, 2007
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子供にとって、母親は生きていてくれるだけで有り難い存在。子供にとって、母親を失う事は無限の喪失。誰が、それを埋める事ができる?
Sep 20, 2007
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奇跡とは、人智を超えた出来事が起こる事を言います。ぼく達は娘と孫の為に奇跡を望みました。多分、奇跡は起こされたのでしょう。ぼく達の思いを超えた形で。ぼくが、今、ぼくの置かれています状況に保たれています事が、既に、奇跡なのです。奇跡は人智を超えているのですから、ぼく達の判断を本来的に超えているのですから、これが奇跡だ、などとは言えないのです。後で分かる事なのです。だから、ぼくには分かるのです。
Sep 20, 2007
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ありがとう、と言う言葉は有り難う、とも書きます。滅多にない事への感謝の言葉です。娘は孫を残して天国に召されました。涙も枯れるほど泣きました。思えば、10年前に息子を天国に見送り、15年前には恩師を見送り、20年前には義兄を見送り、25年前には姪を見送り、35年前には父を見送り、40年前には兄を見送り、45年前には母を見送り、ぼくの人生は見送りの人生か?残される者の気持ちはどうなる?ぼくは、後、どれくらいの人達を見送らなくてはならないの?さよならだけが人生なんて、もう嫌だ!でも、神様には、有り難うございます、と言うしかないのです。
Sep 20, 2007
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人の命は分からない。寿命はある。だが、それが何年なのかは分からない。ぼくは、今、60歳。江戸時代なら長生きだ。現代の平均寿命ではあと20年は在るらしい、か?誰の為に生きているのかが、問題らしい。ただ、自分の為だけに生きている人間は、ゾンビらしい。ゾンビほど哀れな人間もいない。自分の為にも、他人の為にも、あのお方の為にも生きる事ができる人間が、最も幸いな人間らしい。
Aug 24, 2007
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仮にAさんのアイディアをBさんが盗用したとしても出てくる結果は同じではない。だとすると、オリジナルって、何?人が考える事は全部、オリジナルなんだよ。AさんとBさんの思考回路は違うから、出発点が同じでも、到達点は違うんだ。だから、盗作騒ぎは馬鹿馬鹿しい。似たような事を考える人はごまんといるけど、同じ事を考える人間は一人もいない。だから、全てはオリジナルなんだよ。もっと、自信を持ってよ。でも、きっかけをくれた人には感謝をしよう。人まねとか、猿真似とか、言うけど、真似ができるのも能力なんだよ。それもオリジナル。
Aug 24, 2007
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娘は2泊3日を乗り越えて、何とか病院に戻れました。神様に感謝です。それにしても、この規則は撤廃しなければならないと思っています。厚労省か医師会に有力なコネのある方、いませんかー?撤廃に向けて協力できる方は集まりましょう。とりあえず、ブログ上でも。こんな奇妙奇天烈な法律は障害者自立支援法に負けず劣らずの悪法ですから。
Aug 12, 2007
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余命2ヶ月の白血病患者を一時退院と称して一泊で帰宅させると言う。変な規則だ。受け容れる側は大変である。少なくとも一部屋は完全除菌しなければならない。勿論、それだけでは間に合わない。廊下やトイレ等はどうにもならない。カビや感染症で死んでも構わないと言うのに等しい。患者無視のこの種の規則を作る連中の人間性を疑う。旧厚生省の腐れ役人共と医師会との陰謀であろう。全く気違い沙汰である。気違いと言うことばは差別用語だそうだが、ああ言う連中には気違いとしか言いようもない。まともな神経の人間にはこんな規則は作れないから。もう、世の中は滅茶苦茶なんだなぁ、ってつくづく思う。
Aug 8, 2007
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便秘症の人はけちだと言う心理学説があります。確かに、ぼくの周りの人で便秘症の人達はけちです。けちと倹約、節約とは違います。節水、省エネは地球人の義務ですから。ぼくは昔から貧乏でその日暮しでしたから、宵越しの銭を持てなかったでしたから、貯金と言う習慣がありません。サラリーマン時代でも、その気になれば相当な蓄えができたはずでしたが、ものの見事に稼いだ金はその月に全部使っていました。一番注ぎ込んだのは彼女(今の奥さん)にです。便秘とけちの関係ですが、因みにぼくは一日2~4回の便通があります。それも大量に。大食らいの幼児並みです。なんだかなー?
Aug 7, 2007
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初めての酒は3歳の時らしい。湯飲みの酒を間違えて一気に飲み干し、一頻り踊って、倒れたと。次の体験は高1。アルバイト先のビアホールで。母親を失った15の冬から酷くなった。以来、45年間、飲み続けている。依存症と診断された事は一度もない。父も母もアル中だったから、兄は酒嫌いで、謹厳実直で、45歳で死んだ。働き過ぎ。その子供はアル中になり、奥さんに捨てられた。因果は巡るのでしょうかね?
Aug 5, 2007
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娘は言いました。こんな事で死ぬ訳がない、って。ぼくは、泣きながら答えました。それで良い、って。ぼくも決めました。娘は死なないと信じると。でも、娘にとっては、天国が一番良い所。ある意味で、この世は地獄に近い所。彼女の姉は言いました。生きていれば良いってもんじゃないでしょ!そりゃ、そうだ。問題は、どう生きるかだからね。こんな娘達を誇りに思います。馬鹿な父親からよくもこんなに良い子達が育ったもんだ。あの方、この方々のお陰です。ただ、ひたすら感謝です。
Aug 5, 2007
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娘の入院先の病院の前にドナルド・マクドナルド・ハウスと言う宿泊施設がある。18歳までの入院患者のお子さんを持つ養育者達の為の施設。ホテル並み以上の設備の部屋が一泊千円で利用できる。その価格の秘密は、運営の全てが寄付とボランティアによって支えられているから。世界には何百とあるらしいが、日本には未だ5施設しかない。ここも、昨年の9月にオープンしたばかり。ぼくも知らなかったが、知った以上は応援しなければ。と言う事で、早速ボランティアに応募。面接の見事パスして、早速、勤務。一回の勤務が3時間。ホテル維持と同じ仕事が待っていた。結構きつかった。ここのボラは約140人。シフトは朝9時から始まって、終夜勤務もいれて5シフトある。こんな時にこういう事に出遭うのも御縁というものか。
Aug 4, 2007
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結局、娘は移植を拒否しました。 ぼく達は彼女の決断を尊重しました。 主治医は怒っていました。 でも、彼女の人生は彼女の人生ですから、 ぼく達は彼女を尊重します。
Jul 29, 2007
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暴発は自己破壊衝動。これまで、何回やったかな?今朝もやってしまった。でも、相手が不明だから、面白くもない。名刺ぐらい取っておけばよかった。
Jul 19, 2007
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ぼくの妻はとても可愛い。でも、少しおかしいかな? 子供達は、分かっているみたい。 長男が死んだから、長女は余計なプレッシャーを受けたかも? ぼくは疑われているから何にもできないけれど、そのうち、なにかするさ。 まあ、どうでも良いか。 ごめんね。
Jul 19, 2007
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彼女は、今、国を相手に10億円の訴訟を起こしている、と言う。 彼は、競売にかけられた家を、自分のものだと言って、頑張っている。 彼らは明らかに統合失調症なのに、公官庁は何もしない。 もう一人は統合失調症と言うことで、生活保護を受けている。でも、彼はもう正常である。 生活保護の福祉課を訪れて、ぼくは怒鳴ってしまった。 “御前らは、税金泥棒だ!”
Jul 19, 2007
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ぼくの母はアル中だった。ぼくの姉もアル中になった。その息子もアル中になった。ぼくの3番目の姉の夫はアル中だった。彼女の子供もアル中になった。ぼくもアル中と見なされているみたいだけど、どうかな?人間は弱い。耐え切れない事があれば、そこから逃げたいのは当然。逃げて何が悪い?
Jul 18, 2007
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まあ、簡単に言えば主観と客観の区別が付けなくなると言うこと。もう少し悪くなると、主観内部での分裂が起こる。それが妄想。 ぼくの周りにはそう言う人が集まる。彼らを見ていると、悲しくなると同時に羨ましくもなる。耐え切れない矛盾に直面して、彼らは自己防衛できた。耐え切れない矛盾に直面して、彼らは自己破壊できた。 それすらできない人間はどうすれば良いのか?
Jul 18, 2007
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人が他人の気持ちを分かるってどういうことでしょうか。その人の心を傷つけないって事でしょうか?でも、何を言っても傷つける時はありますよね。だったら、何も言わないって事でしょうか?難しいですね。
Jul 12, 2007
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神様を信じることと人間を信じることとどちらが難しいだろうか?最近の日本人の殆どは神様ではなく、人間や権力や財力を信じている。その人達の信仰はぼくが神様を信じる信仰よりも強い。何故なら、自分を守るためなら平気で人を騙したり、裏切ったりする人間を信じているのだから。牧師に裏切られたから神様も信じられなくなったと言う気の毒な人も沢山いる。ぼくからすれば、これも愚かなことでしかない。牧師も人の子なのだから、神様の代わりにはなれない。遠くの親戚よりも近くの他人って言われるけど、これもご利益宗教と変わりはない、御都合主義の、状況倫理でしかない。結局、ぼくらは弱い存在なんだ。誰かに守ってもらわないと真直ぐには生きていけない。でも、仲間は選ばないと。
Jul 11, 2007
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何にも無い、当たり前の日々が退屈だ何て、贅沢の極みでした。何にも無い当たり前の日々こそ、神様の恵みの日々なのです。
Jul 10, 2007
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ぼくはこれまで、人を疑った事も無ければ、信じた事も無い。つまり、完全無視。だが、既に長男を失い、次女も失おうとしている今、決断を迫られている。全ての人は、自分も含めて罪人だから、信じるには値しないが、神様はその罪人たちを用いてコンタクトして来られる。だとしたら、信じる価値も無い全ての人を神様からのメッセンジャーとして受け容れる事しかないらしい。全てのことはメッセージなのか?
Jul 10, 2007
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娘の白血病のタイプはM6で、予後が最悪。5年以内の生存率が40パーセント。ここ10年での生存率は0。既に、ブドウ球菌の感染もあって、助かる見込みはない。娘は天国に行くから良いけど、残された孫とぼくらは辛い。でも、この辛さを乗り越えて生きて行く事が、神様の御旨。
Jul 10, 2007
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次女が急性骨髄性白血病を発祥して以来、ずーっと考えていました。 次女の白血病は赤白血病と言いまして、ここ20年でも65例しかない悪性のものです。 治療には2000万円近くかかります。彼女には娘がいまして、 それはぼくの孫娘になるのですが、 孫娘が不憫です。 そこで、ぼくは2000万円稼ぐために 便利屋を始めることにしました。 違法行為以外なら、何でもやります。 どうぞ、ご注文をお願いします。 連絡先は akagami@angel.email.ne.jp です。
Jul 8, 2007
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ぼくの三つ子の魂に“何も望むな、全てを諦めろ”と言うメッセージが刻み込まれたのは確からしい。だから、神様と出遭うまでのぼくには怖いものなどは何もなかった。15の冬までぼくの心は空っぽで、ただ、母の姿だけが映っていた。その母を失い、全くの空になってしまい、ぼくも死ぬことに決めたが、このままでは死ねないという思いもあった。自分も含めて人間は何のために生きているのか、知りたかった。それが分かったら死のうと決めた。未だに生きているのは、未だに決定的な答えを得ていないからだ。あれから45年、死のうと決めた日のことは昨日のことのように覚えている。死を決めれば、その後の生き方は虚無と無頼とに決まっている。それでも、悪の道にも迷い込まず、遊興酩酊の道にも迷い込まないで、ここまで来れたのは、一重に、あの方、この方々のお陰でしかない。60歳になった今でも、ぼくの精神は15歳の冬で止まったままらしい。未だに、人間の生きる本当の意味を知りたがっている。頭では殆ど理解したと思っているが、それが腹の底にまでは降りてこない。未だに腑に落ちないのだ。今回、娘の死の危険に直面して、孫のためには死なないで欲しいとは思ったが、それも我欲に過ぎないとも思っている。ぼくにとって、人生は未だに謎である。
Jun 24, 2007
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娘が入院して、孫を連れて日参しているお陰か、3キロのダイエットに成功!目標はあと8キロですが、それは無理っぽい。この期にあと4キロほど落とせれば大成功。疲れが溜まってきているので、無理できないみたいですが、何とか頑張りましょう。高脂血症は解消しなければ!
Jun 23, 2007
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人助けだの、退屈のきわみだのと御託を並べていた時に、娘は急性骨髄性白血病にかかっていた。肺炎も併発していて、我慢ができなくなって、やっと勤務先の病院で受診し、大学病院に送られたのが12日。翌日に医師から急性骨髄性白血病と告知され、愕然。14日から抗がん剤の投与が始まり、今日で1クールが終了。肺炎も治まり、薬も効いてきたのか、娘はいたって元気になった。尤も、薬の効果はあと20日くらいしないと判明はしない、とのこと。今は、免疫力がゼロの状態だから、感染症だけが怖い。ただただ、助けてくださいと祈ることしかできない。孫娘を連れて日参しているが、万が一の時には、この孫が不憫。人生、一寸先は闇だと言う事の意味を実感。
Jun 21, 2007
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6月17日は父の日で、6月18日はぼくの誕生日で、それでも何にもないとしても、平穏無事ですかね?何もないということは何なんでしょうか?退屈の極みですけどね・・・。
Jun 9, 2007
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困っている人を見たら見過ごしにはできない。自分の都合はさて置いて、その人を助ける。それで、職を失ったことは数知れず。それでも、ぼくは未だに生きている。他人を助ける意味って、何ですか?
Jun 6, 2007
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