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みなさん、お疲れ様です。明日も仕事がある方、頑張って下さい。今週の仕事もようやく終わりました。さて、「幸せになりたい」←若かりし思春期の頃には誰しも、人によっては、状況によっては、誰もが心に願う大きなテーマですよね。テーマが大きすぎるので、若い方とお会いしていて(オメーも若いだろ)、時々思うことをボソボソとだけ。「幸せになりたい」これは誰もが願うことですし、私も幸せになりたいし、周囲には幸せになって欲しいと思っています。幸せってなんでしょうね。それは願って探すものではないように思います。「求めるもの」ではなくて「ある」ものだと思うのです。時々、強く強く幸せを切望される方の中に、安定(ある程度の幸せ)を得ると不安を感じたり気持ちが揺らぎやすくなる方が時にいらっしゃるように思います。幸せを願うあまり、幸せを求める事が人生の目的となり、幸せになると目的喪失のような状態や、長い間どこかで抱いていた「幸せじゃない」という考えから、安定を得るとどこかしっくりこないような感覚を感じてしまうことがあるようです。そして、本当の幸せでないような気がしてきたり、安定が真実かを確かめるためにいろいろ試みてみたくなります。快・楽しいという感覚をもとにした存在実感をしっかりと持てること、それが大切なのですが、どうすればいいのか??それはまた次回に譲りたいと思います。ただ一言、どこかで諦める事、するとその先にある、現実に身近にある小さな幸せの種に遭遇するように思います。幸せになりたいと思っている人の近くにも、気付かぬ所に幸せの種はあるものです。現状の否定的な側面だけでなく、いい部分はあるように思います。
2006年06月02日
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こんばんは。・・・この名前を名乗るのも2ヶ月ぶりくらいになるでしょうか(>_
2006年05月22日
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こんにちは。今回もかなり久しぶりになりました。昨日、今年の目標の1つである「水泳を始める」をとうとう始動させました。オフの日の土曜にしてはありえないくらいの早起き、っても8時ですが・・・私からしたら何もない土曜にそんな時間に目を覚ませるなんて奇跡です、奇跡!!そんな早くに起きて、昨日は泳いで来ました。海水浴やプールで遊ぶなどを抜いて、ちゃんと泳ぐという行為・・・高校の授業で急に本気で泳いで目の前に星や虫さんが沢山見えてコンニチワしてそれ以来、・・・なんと10年ぶりくらいの話です。しかも600mも泳ぎました。←健康な人には少ないですか??60過ぎのおばぁちゃんに負けじ劣らずのスロースピードで、100mずつ休憩しながら、休憩がてらジャグジーでブクブク浮いてたんですが、あまりにも気持ちよくてジャグジーで和んでる時間の方がかなり長かったです。う~ん、運動不足、そりゃ仕方ないです。仕事柄、一日中座り仕事ですから。遅刻しかけて血の気が引いた時にダッシュする時くらいしか肉体を動かしませんから。今日はキーボードをタッチする手が筋肉痛でぎこちないです。泳ぐ時に腕や肩に変に力が入っていたようで、二の腕、肩がありえないくらい痛いです(T_T)どうやらフォームが悪いようですでも、いいんです。前回仕事中に子どもたちとバスケをした時なんて2日のタイムラグがありましたから!!でも、今回の水泳で決心しました♪♪のんびり仕事の合間にゆっくり練習しながら、数年かけて1kmを余裕で泳げるようになる!!ちゃんとした4泳法のフォームをマスターするぞ!!って心に誓いました。そして体力が回復したら、ゆくゆくは趣味の一つであるテニスを再開するぞ!!と心に固く誓いました。5年、5年計画で進行していく予定です。
2006年03月12日
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皆さんこんばんわ。昨日久しぶりにお休みだったので、本当に久しぶり、記憶の中では数ヶ月ぶりに友達と遊びました。さて、その久しぶりの遊び場所ですが、自分だけのオリジナルカップラーメンを作りに行きました。関西に在住の皆さん、「インスタントラーメン発明記念館」ってご存知ですか??インスタントラーメン発明記念館↑ここは、大阪府池田市にある、日進のカップラーメンの記念館なんですが、ここでは、スープと具材の組み合わせを自分で好きにチョイスして自分だけの世界にたった一つのカップラーメンが作れるんです!!初耳の皆さん、お薦めです。ぜひ一度行ってみてください。
2006年03月03日
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皆さん、こんばんは。昨日はあまりに疲れて途中で書き込みを断念してしまいました。中途半端な場所でやめてすいませんでした。それで続きですが、なんで日本文化の中でこんなにも敬語が発展しているのか??それは、よく本や文化学などでは、日本がタテ社会やタテ方向の対人関係を重視する文化であり、また「ウチとソト」を重視する文化だからと言われています。その考え方が私もしっくりきています。ただそれに付け足して、私は、日本文化がタテ階層を重視する文化ともに、その「ソト」と区別する時の「ウチ」の中での関係性を重視する際に、自分と他者の境界が先進文化では特異なほど、境界が曖昧なほどの関係性の重視があると思います。これもよく言われますが、日本では居間が重要な生活空間となっていて、個人のための個室を作るという考えはあまり馴染みないものでした。今は違っていますが。そんな自-他の境界が薄い中で自分を確立する試みとして敬語があったのではないかと思う部分があります。敬語を話すためには自分の位置を話し手がしっかりと意識しないといけません。そうやって自己存在をはっきりとさせるため、そして自分から他者を心理的に距離をとるために存在するように感じる部分があります。仲のいい友人関係では敬語は使わないですよね??でも、険悪になってくるとちょっと敬語混じりに会話してみたりしませんか?例えば、喧嘩した夫婦でわざと敬語を話したり。また、仲良くなりたくない相手には敬語を使ったりしませんか?これらは心理的に距離を取っているとも言えると思います。そんな風にして自他分化を願う気持ちや自己存在の輪郭を保とうしている心がどうやらあるように感じます。でも、それでは「あるがまま」の人との関係は実現され難いものがあるように思います。ロジャース理論を日本に適応する時、ロジャースに限らず、精神分析その他の理論を臨床応用しようとする時、日本文化と西洋文化の差異の問題はとても根が深く、大きな問題があるのを改めて実感する今日この頃です。土居先生や木村敏先生の著作集を休暇を作って読み直ないとなぁ。普段何気なく使っている敬語、皆さんはどう思いますか??
2006年02月26日
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最近、日本文化、その特徴についていろいろと考えさせられる事がありました。やまとんちゅ(沖縄の方言)、として生きる者として、日本文化を追求していきたい衝動に駆られています。・・・どうやらアイデンティティが危ういのかな(笑)??それとも、臨床心理学なんてやってる職業病でしょうか(笑)??う~ん。。。まぁ、それはさておき、日本を考える機会に最近よく出逢ったその中でちょっと考えていたのですが、日本になぜ敬語があるのでしょう??敬語のありようも日本文化の特徴ですよね。敬語、いろんな理由から発展してきたんだと思うのですが、日本文化としてどんな意味合いを持っているのでしょうか??沢山考えられるでしょうし、そのような本は沢山でていると思うのですが、ここでは最近の私なりの意見を述べてみようと思います。なので、おいおい、全然違うよ!!や、は!?何言ってんの??という意見があったらどしどし意見宜しくお願いします。ぜひ教えてください。ご指導ご鞭撻お待ちしていますm(__)m“敬語”こんなに敬語が発達した言語体系をもつ文化そうそうあるものではありません。日本って確か世界でもっとも敬語が複雑な文化だと大学の授業で聞いた記憶があります。他の言語は話せないしよくわからないのですが、確か英語は丁寧語程度のものはあっても日本のような謙譲語や尊敬語はなかったように思います(・・・たぶん)。日本ほどでなくても、チベット?タイだったかな?アジアには敬語が発達した言語がちらほらあるそうです。でも、それでも日本ほどに複雑というわけではないようです。どのように違うかというと、チベット(もしくはタイ)の敬語というのは、その国の厳密な階層制度や社会制度を表現するために作られている敬語のようです。これ以上の詳細は知らないので書けないのですが、・・・どうやらそのようです。そんな風に以前先生に聞いたような・・・。さて、それと日本の敬語はどう違うのか?それは、日本の敬語は丁寧語以外にも謙譲語や尊敬語があり、その場その場で関係性が変化すれば使いわける、非常に柔軟性にとんだ表現方法だと考えられます。また、英語では“I”は私もしくは“自分”だけです。それに比べ日本は自分を表現するために、“私”“僕”“俺”“手前”“小生”など、たくさんの表現方法があります。例え話としてよく源氏物語が引用されますが、源氏物語は主語がない状態で敬語の使い分けだけで登場人物が書き分けられているそうです。敬語のありよう、これは外国の人には日本語が難解に感じる部分の一つのようです。なぜそんな面倒くさい複雑な敬語が存在するのか??疑問を投げかけた状態で申し訳ないのですが・・・かなり長くなってしまいましたし、ちょっと疲れで眠いので、続きは明日・・・忙しかったら、明後日あたりに書こうと思います。ゴメンなさいm(__)m
2006年02月25日
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お久しぶりです。皆さんお元気ですか??急な用事もあって、しばらくブログを書き込むことができませんでした(T_T)いや~、疲れました。まだやる事いっぱいですが、ちょっと一段落できました。“忙しさ”←こいつのせいで心もざわつき、TVをみる事もままならず、・・・オリンピック・・・ほとんど見れませんでした。でも、新競技のスノードーボクロス、これだけ見ました。さすがオリンピック選手、魅了されました。かっこよすぎでした。仕事も何もかも忘れ、北海道へ逃亡しようか・・・真剣に悩んでしまいました。。。ちょっと明日の朝まで一休憩。明日もセミナー頑張るぞ♪♪
2006年02月25日
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昨日の続きです。昨日Suppleさんからコメントを頂きましたが、日本ではここ数年自殺者数が3万人を超えています。さらに、うる覚えな知識ですが、たしか太平洋戦争の戦死者数を戦後の累積自殺者数が上回ったそうです。自殺による死者数というのは、発表されている数は氷山の一角で本当に自殺をした人の数を考えるためには報告されている数を11倍しないといけないと聴いた事があります。これには、自殺を図っても病院で死亡確認がされる時に一定時間以内を超えていると、別の志望理由が付けられる事、その他いろいろな理由によるみたいです。・・・この辺もあまり詳しくはないですが。太平洋戦争による戦死者数と自殺による累積数はかわらないか自殺者数の方が多くなってしまったという日本の歴史上の事実。これはいったいどう理解したらいいのでしょう?どうしたらいいのでしょう??私のような凡人の頭では対策を考える事ができませんが、一つ言える事は、日本は戦争を終えてなお、いまだ何かと闘い続けているという事です。そして戦いに巻き込まれ、心休まぬままに人生の幕を下ろさざる状態に陥った方がいるという事は事実として心に留めておく必要があるように思います。日本での自殺者数の増大、この事実に日本人はあまり頓着していないように感じるときがあります。海外の文献を見ていたりすると、外国の方が日本人よりもっと親身に心配してくれているように感じるときさえあります。「心の豊かさ」が叫ばれて久しいですが、少し立ち止まり、豊かさとは何か、避けられぬ背負うべき日本人のさだめや日本文化の特徴、考えてみてもいい時期ではないのかと思います。私個人としては、日本のよさを再認することが大切なように思っています。
2006年02月10日
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みなさん、お久しぶりです。生活の忙しさにかまけ、更新がままならなくなっていました。ニュースを見ていると、最近よく思う事があるんです。正確には2~3年前からなのですが、ニートや引きこもり、自殺、外国との軋轢、その他多くのニュースを見ていると、何が問題なのだろう??日本人はどこへ向かって生きているのだろう??って考える瞬間があります。文化度が上がれば問題が少し解決されるように思っています。では、文化度が上がる為には何が必要なのでしょうか?一個人の意見ですが、時々思うのが、日本人無理しすぎ!!って思ってしまいます。いろんな問題を見ていると、資本主義の理念のもとに、上昇志向、高級志向、便利志向、よりよくしよう、よりよくしよう、と日本人はここまで頑張ってきました。それの一つの進展の形がインターネット文化でもあります。貿易や、株式、インターネット、社会はどんどん複雑になっていき、どんどん覚えることも増えていきます。それが現在の先進国としての地位を築いてきた事に文句はありません。小さな島国がより発展する為に、先人たちは海外の取引を工業を一生懸命に頑張ってきました。プロジェクトXを見ていても、先人たちの非凡な努力と心意気には感動を感じずにはいられません。ただ、本来的に狩猟よりも農耕におもむきをおいて発展した民族である日本人にはどこか無理がある発想なように感じる時があります。人間は自然と切り離しては生きていけないというのが私の持論です。やはり生まれたその土地土地にあった、文化や生き方というものがあります。小さな島国である以上、小さな島国という定めは背負って生きていくべきではないでしょうか。自給自足の時代に逆行しろ、というわけではなく、自分が小さな島国に生きていることを認め、自国に対する尊敬と愛情を持って生きていく方が生物としての日本人としては性に合っているように思うときがあります。たくさん覚えること、考えることが多い分だけ、人間はやることがふえました。とても生活は豊かになりました。でも、それは現実ではあるのですが、地に足のついた生き方をした方がより人間らしいと考えている私からしたら、自然を感じ、他者に関心を向けたりすることの少ない、地に根の下りてない、どこか浮世離れした、現実そのものが架空現実のように思える瞬間があります。小さな島国で出来ることっていうのには、おのずと限界があります。その限界を引き受け、その小さな島国を楽しむことが出来るようになる事、それが日本の文化度がもう一段ステップアップするために必要な認識の変換のように感じています。
2006年02月09日
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こんにちは。インフルエンザに風邪に、体調を壊される方が多いですね。体調を壊されている方も、そうでない方も、どうか皆さんくれぐれもお大事に。私は本格的なインフルエンザに感染した事ってあまり記憶にないんですけど、そのかわり私の場合20代前半まで原因不明(まぁ、原因あるにはあるんですが)な高熱が年一回くらいのペースで出ていました。もともと頭を使う事が苦手な人間だったため、今の仕事の勉強を本格的に始めた頃、必要に迫られ連日の徹夜や脳みそフル回転状態を続け無理な勉強を2~3ヶ月続けると、一段落ついた頃にポコっと高熱が出る事がありました。38℃までは全く平気なんですが、40℃を超えてくると、割れるほどの頭痛と体中を激しい痛みが襲ってました。友達に話したら「それは無理ないわ」と言われるくらいハードな生活だったりしたのですが、強迫的な性格をしている部分があるため、やりだしたら本気でやってしまってました。高熱により免疫力が下がったことで、肺炎になりかけたり、、、いろいろ経験させてらまいました。自慢じゃないですが、ちなみに発熱最高記録として41.1℃まで熱が上がったことがあります!!救急車を呼ぼうと思ったら、携帯片手にそのまま気絶してたことがあります。さすがに死ぬと思いましたね。孤独死ってありえる話だなと痛感しました。・・・いや~、若さゆえの無理懐かしいなぁ。っていうより、ガッチリ心身症ですね。最近ではなくなりましたが、身体症状化しちゃってました。人間無理しすぎず、ボチボチやっていこうと思う今日この頃です。くれぐれも皆さん、お体ご自愛ください。
2006年02月02日
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最近、巷ではインフルエンザが大流行しているみたいですね。私の周りでも数人感染者がでました。私は不規則な生活にもめげず、今はピンピンしていますが・・・「○○は風邪ひかぬ」・・・もしや・・・皆様もお体にはくれぐれもお気をつけ下さい。人間やっぱり体が資本です!!
2006年01月27日
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人間ですもの、人間には人それぞれ価値観があります。それはとても大切です。でも、それがあるゆえの弊害もあります。価値観、つまり認知の枠組みですが、もう少し身体機能に、例えば知覚機能に近い部分では錯視や錯覚、ゲシュタルト心理学の「図」と「地」の関係なんかも含まれる部分があるように思います。価値観ってとっても大切で、一つの事実、例えばコップに入っている水を理解する際に「コップに半分も水がある」と考えるのか「コップに半分しか水がない」と考えるかで、その人の気分や心の在り様は大きく違ってくると思います。ちょっとした差ですが、大きいと思います。また、そんな時に柔軟な視点の切り替えができると楽なのですが、視点が固まってしまうとどうしても生き難くなってくるように思います。時にはそれが原因で心が不調和をきたすこともあると思います。ある出来事に対して「これは不可能だ」と思っている場合、それは無理という真実として人間は出来事を捉えがちですが、「不可能」というのもその瞬間でのその人の認知に影響されている可能性があります。つまり、不可能も本当に不可能なのかは、真実はわからないと思います。真実と現実の違いがあると思います。そういう意味では、「不可能」とは「不可能性」という一つの可能性なんだと思います。不老不死など、本当に不可能な事もあると思いますが。それは今回は少し脇へ置いておくとして。なんとなくですが、そういう風に考えれたら少し硬さがとれ楽になれるように感じています。歴史上に登場する発明家というのは、こういう視点の下、不可能を不可能性として考え、あくまで可能性を追求した人達なんだと思います。少し話が脱線しますが、こういう考え型をする時に大切になるのが、「しんどい時ほど止まってはならない」という歩き方のコツかなと思います。人間はすごく疲れて、くたびれて、しんどい時であるほど、止まらずに歩いたほうがよくて、止まって休むと次に立てなくなるという考えがあります。これは別に疲れを無視して死ぬまで馬車馬のように走り続けなければならいというのとは少し違うと思います。しんどい時にも止まらずに、と考えると確かにそういうニュアンスがゼロというわけではありませんが...むしろそれよりも、登山の時の歩き方のように、ほどよい休憩もはさみながら、配分を考えながら、というニュアンスも含まれいるように思います。ある一時期にエネルギーを放出するためにエネルギーを時に貯めながら、そんな感じかなと思います。不可能という可能性に立ち向かう時、とても莫大なエネルギーが必要となります。放出するためには、それと同じくらい貯める事も大事な事だと思います。
2006年01月26日
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催眠というと、何をイメージするでしょうか?たぶん、普通はテレビ等の影響で退行催眠や「あなたはだんだん眠くなる~」みたいな導入をする暗示だと思うのですが、・・・なんだがとっても怪しげですね。。。でも、それだけではないんですよね。以外と普段の生活の中にも、ちょっとした暗示や催眠って存在するんですよね。例えば、“鰯の頭も信心しだい”って諺や、お母さんが子供に使う「痛いの痛いの飛んで行け~」ってやつも、相手の状態をコントロールするって意味では、簡単な催眠みたいなもんですよね。特に大阪の文化である“笑い”、これも緊張を人工的に作って急激に弛緩する。相手を誘導しているって意味では催眠の一種でもあります。普段、何気なく生活している中に以外と沢山存在しています。それを意識的に上手く利用する事でコミュニケーションの促進に繋がれば、と思って短期療法やNLPのテクニックを仕事先で説明してみたのですが・・・説明の仕方が下手だったせいもあり、楽しんでもらえませんでした。説明下手や頭が固くなってる自分を痛感しました。う~ん、なかかな難しいな。。。話し下手、人間関係下手だから面接室仕事に逃げ込んでるなぁ、・・・・・・イカン、イカン、もっと社会性を身につけなければ(>_
2006年01月20日
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一昨日の晩、仕事後にセミナーを受け、眠くて目をシパシパさせながら10時くらいに帰宅し、マンションの集合ポストを覗いていたら“ドーンっ!!”と大きな音が外から聞こえました。「何事??」とビックリしてから「もしや・・・」と、勘違いである事を祈りつつ、急いで道路へ確認しに行くと、自転車が倒れ、そこから10数メートル先に高校生の男の子が道路の端に寝てました。急いで彼の意識を確認し、動かないように説得してから、急いで救急車を呼びました。ひき逃げです!!彼の搬送先の病院が決まってから、警官と事故直後の状態について話し、その日は部屋に戻りました。今日は帰りが遅い上に疲れがピークだったので、帰りにタコ焼きを買って帰ったのですが、警官との話しが終わった頃には11時半近くになっていました。近所では有名なタコ焼屋さんで買って、ちょっと楽しみだったのですが、冷めたタコ焼きのわびしさや虚しさが、事件への虚しさとリンクしてなんとも思い出深いタコ焼きの味でした。そして昨日。朝早くに警察から電話がかかってきて、彼が頭を強く打ったせいで、(恐らく)一過性の健忘を起こしていて、当時の状況が全く早期できないというのです。大事に至ってないといいのですが・・・心配です。最近は精神医療でも高次脳機能障害へのアプローチが注目されていますが、・・・その話は別の機会にまたするとして。無事だといいのですが・・・。彼の安否を心配しつつ、もう一つ気になるのが交通事件での捜査技術についてです。第一発見者である私も音以外何も聞いておらず、目撃者ゼロです。ちゃんと犯人を検挙できるのでしょうか??不幸は身近で続くものなのか、最近、私の周りでひき逃げ事件が多いのです。去年は仲のいい女の子が夜中にひき逃げに合い、その時もかなり強烈な事件だったのですが、犯人は見つかりませんでした。テレビで放送されている、警察の特番では捜査技術は格段と向上していて、かなりの高確率で逃げても検挙できると放送されいますが、実際はどうなのでしょうかね??大阪に引越した時、治安は心配でしたし、「もしかしたらいつか、何らかの形で事件に関わる日がきたりするのかな」なんて漠と思いはしてましたが、まさかこんなに早くに事件に遭遇するとは(>_
2006年01月19日
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私はわたしの事をする。あなたはあなたの事をする。私はあなたの期待に応えるためにこの世にいるのではない。そしてあなたも、私の期待に応えるためにこの世にいるわけではない。あなたはあなたで、私は私。機会があって私たち二人が出逢えたならば、それは本当に素晴らしい。もし二人が出逢えなければ、それはそれで仕方がない事だ。上の詩をご存知でしょうか?ちょっと機会あって私もしばらくぶりに見たのですが、これはゲシュタルト療法という心理療法の方法論を考えた、パールズという精神科医が詠んだ詩なんです。彼の創始した心理療法は日本ではあまり普及しませんでした。テクニックだけを借用したり、ブリーフセラピーの一環として折衷した形で使用されている方は多いかもしれませんが。本格的に実践されてる方は他の有名な技法に比べれば少ないと思います。そこには多くの理由があるように考えられるのですが、その中には自己の責任を強調する思想は、そういう事に疎い日本人には合わないとの考えから。または、過度の直面化は治療対象論的に考えた時に適応範囲が狭いため。このような意見も含まれると思います。「私は私、あなたはあなた」なんて言われたら、そんな個人主義的な発想は日本人にはなじみにくいように感じるかもしれませんが、本当にパールズが言いたかったのは個人主義的な価値観ではなく、如何に人間と人間が「今、ここで」出逢えるか?なんだと感じます。相手を操作する事も色眼鏡で見る事もなく、自分も操作や色眼鏡で見られず、あるがままの我と汝が出逢う方法を追求した一試論なんだと思います。ゲシュタルト療法は強いリードをする(とても操作的)と思われがちですが、本質の部分ではそうではないように思います。相手の動きや展開にひたすらついて行き、そこであるがままの自分として治療者が介入する。相手を最大限に尊重しないと展開がおきません。イメージと裏腹に、そういった意味では非常に受容的な技法です。そして治療対象論的にも、技法の修整と共に少しずつ広がってきていいると思います。ゲシュタルト療法を学んでいると心とは、考えるものではない、感じるものだ。と言われているようで、個人的にはそこからの気付きや学びは大変面白く大きいものがあります。私が勝手に、偏見を持って見られているという憶測に立ち、その憶測に対する些細な訂正でした。
2006年01月15日
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しばらく更新がままならなくなっていましたが、、、お久しぶりです。私は今、仕事で3つの異なる職種の現場に関わらせてもらっています。そこではどれも、新鮮で面白い発見が多く、結構楽しく働いています。例えば、非行と不登校の心理臨床の実践での違い、根っこの部分では似通っている部分も少なくないと感じることも多いのですが、問題の表れ方としてこんなにも違いがあるのか?と興味深く、また対極とでも言えるような表現方法をとって問題が出てきている現場に関わっているので、片面だけをみるよりも非常に視点が広がって面白いです。・・・心理士として役に立ててるか?うーん、まだまだ不十分で至らないとこばかりですね。まぁ、そこは今回は考えないようにしましょう。そんな風に興味深い発見も多く楽しく働いているのですが、臨床の楽しさを感じているとその臨床の楽しさを教えてくれた、駆け出しの頃のある男の子の事を思い出します。詳細は書けませんが、その時点において僕の手にあまる(と、自分では思っていました)根の深いを問題を抱えた方だったのですが、こちらが耐えれず臨床を続ける事に困難さに圧倒されかけていたときに、心理臨床とは何だろう?自分には何ができるのか?と寝れないほど考え込んでいました。そんなある日、「わからない」と感じることで余計に問題をこじらせていることに気づきました。「心理臨床とは実践の学である」それがバカな頭にも少しわかるようになりました。人と人との関わりを基盤とする学問・実践である以上、こちらの問題や心身のあり方を抜きには考えが成立しません。こちらの考えが相手の関係の空間の理解に影響を及ぼしていると、数ヶ月かかってようやく気づくことが出来ました。それと共に、彼から「出逢いから学ぶ」という事がどういうことなのか?少しだけその答えに近づくヒントを頂きました。書ききれないほどに沢山の事を彼から学ばしてもらったのですが、最も大きな学びが「今、ここで」の人としての出逢いを通して学んだ事を、次の面接、次の出逢いに還元していく事、それこそが心理臨床であり、何に気づき、学んだ事をどうやって還元したらいいのか、についての一遍を学ばせてもらった事です。彼との出逢い、様々な人との出逢いを糧として、楽しく、悩みや困難と共存しながら、臨床実践を続けいきたいでです。いつも謙虚に、いつも楽しく、いつも悩みながら。
2006年01月13日
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ちょっといまさらな気もしますが…せっかく年始(まだギリギリ年始ですよね?)ですので、今年の目標を考えてみようと思います。1.安定した収入を得て、ちゃんと家賃を払い続ける。 って言っても、これまでもちゃんと払ってましたが。…ただ、新居は家賃がアップしてるんです。ガンバって働かねば!!今年こそは、今年こそは安定した収入を得たいです。職業柄どうしても常勤の仕事というのは高嶺の花ですが、今年はガンバって安定した収入をゲットしたいです。2.太らない!!&運動不足を解消する!! 何故か?それは、この正月に彼女から、あるお祝いにミリタリージャケットをプレゼントしてもらいました。それを着るためにはある程度スリムな体型が必要なように感じています。それに今のままだと…今あるパンツ(ズボン)がはけなくなりそうで、一人勝手に危機感を覚えてます。3.心理療法の研鑽を怠らない。 心理臨床全般の研鑽、自己研鑽を怠らないようにしていくつもりですが、特に、精神科臨床と精神分析的精神療法の勉強を引き続きガンバる。精神科臨床は将来的にはそれ一本でいければと思っているジャンルなので、今はあまり関わりがないですが、学び続けていきたいです。今はまったくですし、将来的にも実践できるようになるかわかりませんが、精神分析的精神療法の勉強と研鑽を積んでいきたいです。4.ブロクの更新を続ける。 大きくはこの4つですね!今年もガンバろう。皆様、今年も何卒宜しくお願いいたします。
2006年01月06日
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新年明けましておめでとうございます。昨年末は引越しのせいで、かなりドタバタと目まぐるしく師走が過ぎ去ってしまいました。&引越しの片付けと修理で年始もバッチリ潰れちゃいました(T_T)本当にお久しぶりです。久しぶりの書き込み、ちょっと自分でも嬉しいです。そして新年んという事で心晴れやかです。・・・引越しは・・・すんごく大変でした。日々の仕事に追われ、準備が前日まで殆ど出来ていたなかったので、徹夜で梱包しました。そして、友達に運搬と掃除を手伝ってもらって、どうにかこうにか、なんとか終わりました。・・・お礼と引っ越し祝い&そして忘年会を兼ねて、新居で盛大な鍋パーティーをやったのですが、徹夜にアルコールをガンガンいれたので、かなり妙なハイテンションになってしまい、久しぶりに学生のような盛り上がり方をして楽しく年忘れをしました。すっごく楽しかったです。やっぱり友達に逢えるのは幸せな事だなぁと痛感していました。新居は広さと立地条件は至極最高なのですが・・・・なにせ物件自体がかなり古いため、いたるところにガタがきちゃってました。契約した頃から多少は予想していたのですが、予想を大きく上回るボロさでした。特に水周りが悲惨で・・・大晦日、もう後数時間で今年も終わるという時にトイレの水管が壊れ、トイレが水浸しに(>_
2006年01月02日
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さっぶー(>_
2005年12月21日
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こんばんは。早いもので、ブログを設立して10日が立ちました。こんな短い時間の間に多くの方に訪れていただきました。本当にありがとうございます。な、な、なんと、10日でアクセスが400くらいになっています。これって普通?少なめ?多め?う~ん、IT音痴のため、よくわかりませんが、「関心はひき難いだろうなぁ~、まぁ、仕方ないか。でも誰も見てくれなかったら、それはそれで寂しいな」なぁんて思いながら始めました。そんな当初の私が思っていた数を大幅に越える数ですので、非常に嬉しく、驚きを隠せません。来て頂いた皆さん、本当に有難うございます。m(__)mさて、10日を迎えて思う事は、やっぱりブログでの会話は難しい!!って事です。言葉の語感や意味合い等を考えて書いているつもりですが、自分の舌っ足らずで稚拙な表現になってしまっている文面を見ると、いや~、難しいなぁ、と思ってしまいます。この文章を書いていると、大学院での指導をフと思い出しました。大学院では、理論や治療観、人間観についての指導もされましたが、それ以前に、「言葉を使うとはどういうことか?」「言葉の意味は?」「考えるとはどういうことか?」と徹底して指導されたように覚えています。こんな書き方をすると怪しい哲学のようですが、臨床家として、言葉を媒介して人と職業的に関わる者として、「今、何を考えているか?」「その考えはどこから、どうして浮かんだのか?」「それは伝えるのか、伝えないのか?」「どんな言葉で伝えるべきか?」これについて、繊細に、そして真剣に考えるように指導されました。まだまだ未熟な限りですが、これは大きな財産だと思っています。「言葉」や「考え」を考えつづける事、それは臨床活動の中核の一つであると思っています。言葉を使用することの難しさ、ここでも、考えさせられています。日々、人生の全てが心の糧なのだなぁ、と改めて思う今日この頃です。今後とも、宜しくお願いします。いろいろな事柄について会話していきましょう♪♪
2005年12月18日
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今日は土曜日にしては早く眼が覚めて、清々しさ半分、もう少し寝てたいような気分が半分という感じです。最近、むしろここ数年、あきらかに自分のキャパシティーを超えた仕事とハードルの高い目標を設定しているので、平日に前倒しになった課題のしわ寄せが週末に来る事が多いです。週末は週末でする事もありますし、最近忙しい平日よりも週末の方が苦手です。
2005年12月17日
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なんでだろう??先日書いたコメントが無くなって、その代わりに新しいコメントが書いてある。あっ・・・どうやら、日記の新規作成ではなく、編集してしまったんかなぁ。まだまだ使い勝手がわかってないな。うーん、うっかり者な自分にちょっとショック(>_
2005年12月15日
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カウンセリングという言葉が世間に浸透していくと共に、自己実現という言葉もよく見聞きするようになりました。最近、キャリアカウンセリング系の講演を聴きました。時間が無かったので少しだけ聴講しただけで部屋を出てしまったため、最後はどんな話があったのかしりませんが、私が聞いている時には「若者の自己実現」について話していました。産業領域でも自己実現という言葉を使うようです。「楽しめ、そして生甲斐を感じれる仕事につく事」そして「そのような自分にあった仕事へと向うためにキャリアサポートが必要だ」というよう話と関連させて自己実現を講演されてました。※↑ 産業領域は門外漢なため、もしも私の理解が間違いだったら、スイマセン。自己実現の道として、仕事を選んだ人にはこの考えはいいと思うのですが、自己実現の方法を他の方法(例えば趣味とか)としている人には、若干ピントのズレた話になってしまうのでは?と感じてしまいました。それに、現在の若者に「自己実現を頑張れ!!」「自分にあった仕事を探すんだ」と社会的な風潮として強要するような雰囲気がありますが、それを強要している人生の先輩世代の方々はそんな事と無縁な就職活動をしていたのに、若者にだけ求めるのも、ちょっと酷な気がたまにしています。現代の若者諸君には頑張ってもらいたいです。これってけっこう大変な作業です、本当に。はてさて、自分には心理士があっているのか?なぁんて考えてしまいます。私の自己実現は、朝気分よく起きれたり、朝食が美味しかったり、そんな時に感じる幸せな気持ちを沢山味わう事です。自己実現・・・地に足のついた自己実現の内容がいいですね。
2005年12月13日
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最近(最近に限った事ではないですが)、子どもや見ず知らずの人が巻き込まれる痛ましい事件が驚く間もないほど多々起きています。事件の被害者の方、そして関係者の皆様、ご遺徳を偲び、哀悼の意を表します。さて、昨今の心痛ましい事件の報道において、よくTVで「設備の整った施設とそこでの治療が必要」という発言を耳にします。私としては、これ自体にはなんら反論はありません。精神医療をちゃんと行なえる法整備や施設は必要だろうと思います。先進国の中で日本の精神医療が遅れていると指摘される事は、専門家の中からも少なからずありました。ただ、私はメディアの発言や周囲の反応を散見していると、どうも奇人変人を排他する目的で、隔離するために精神医療を充実させようとしているように思うニュアンスを強くうけます。それでいいのでしょうか??精神保健福祉法の第1章第3条には、日本国民は精神障害に関する理解を深める事と社会復帰への協力をしなければならない、と法律の中にしっかり明記されています。不気味だから、素人には手におえないから、etc、、、専門家に丸投げしては、どんどん悪循環していくと思います。偏見や差別があっては、事件を増やすだけのような気がします。個性を認め、分かり合う努力から始めていきたいと常々感じています。私は国民にも責任がある、と悪者探しをしたいのではありません。これまで50年間も専門家が国民に対してオリエンテーションやガイダンスを怠けていた事も、偏見を助長する片棒を担いでいると思います。なので私にも責任と今後の専門家として果たすべき使命があると思っています。皆で少しずつ、手を取り合って、考えていければと思っています。
2005年12月12日
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引越しをする日程が決定しましたっ!!師走の忙しい中、12月28日に引越しを決行することにしました。貧乏人なので引越業者を呼ぶお金がなく、友達に頼み込んで空き時間を合わせて引越しです。無理難題を聴いてくれた友達に感謝、感謝。それで、夜な夜な睡眠時間を削って少しずつ荷造りを進めていますが、専門書本が多い!!梱包してみて改めてビックリ!!!!運ぶ気がなくなるほど多い(T_T)・・・はたして、そんなに賢い内容が脳みそに詰まっているのか、かなり疑問です。おまけに本棚から修論を発見し、卒業以来始めて修論を見てみました。資格試験の時ですら、スプリットオフして観ないようにしていたのに、久しぶりに見てみました。・・・指導教官、本当に出来の悪い生徒ですいませんでしたm(__)m と心から詫びましたとさ。
2005年12月10日
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パソコン素人の私ですが、とうとうブログを作りました。何もわからないまま人からの勧めと好奇心からはじめました。説明書が大嫌いで携帯電話すらまともに使いこなせない時代遅れな有様なので、今かなりドキドキです。・・・誰か見に来てくれるといいのですが。。。最近の近況としては、この師走のクソ忙しい中に引越しを計画していて、仕事や勉強、+αで引越しの準備で心身共に疲れがピークです。これから日々の出来事や関心事について書き込んでいこうと思ってますが、どこまで時間を作れるかドキドキワクワク。
2005年12月09日
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