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昨日の夜、仕事の関係でパーティーを開催。目白にある会社のクラブを貸し切り100人くらい招待して盛大に催すことに。司会を任され、日頃のポリシーにのってこの日も台本を全て覚えて望もうとしていたのだけど、開会の5分前になって、突然のメール。親友が不慮の事故で重体という。なんでまたこんな時に。。。気分的に司会どころではなくなり、とは言っても当然、司会はしなければならない中、結局準備していた台本をベタ読みすることしかできず。よく芸能ニュースなんかで、親が危篤で、でも舞台を優先して周囲にはそんな雰囲気は微塵も見せず結果的に親の死に目にも会えなかった役者さんの話を聞いたりするけどなんとなく、その心境が分かった気が。丁度、会が終わった頃、一命は取り留め快方に向かっているとの知らせが。なんだか複雑な心境に陥り、昨晩は一人自宅で深酒になってしまいよって、今日の会社もまたつらい。。。
2006年05月18日
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少し前に、大学時代の友人から突然連絡があってオフィスが、よく行く客先の近くということが判明。先日、早めに打合せが終わったので連絡をしてみた。そして、超久しぶりの再開!一緒にランチを食べに行くことに。大学時代のアホな生活を懐かしく思い出し、他の友人の消息について情報交換したり。やっぱり学生時代の友人って、社会に出てからの知人とは付き合いの深さが違うような気が。大学時代は、よく深夜に電話掛かってきてバイク飛ばして遊びに行って、朝まで飲んだりしてたけどビジネスで知合った人とそんなことないからなぁ。
2006年04月04日
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1週間、カナダのトロントに行って来ました。当たり前だけど、遠かった。街は予想以上に綺麗で、治安も比較的良さそうで、住みやすそう。以前は世界一の高さを誇ったCNタワーの展望台へ。チケット売り場には、「いっらしゃいませ」と表示してあったけど、どうも読みづらい。。。タワー自体は、550mくらいあり、下から見てもスゴイが、エレベーターの上昇中に外が見渡せて、それはかなりスゴイ。 最初の展望台は、340m付近で一部の床がガラスになっていてその上に立つのは、ちょっと勇気がいる。更に上の展望台へここが確か450m付近で、スゴイというよりもヤバイ。 しかし、CNタワーは1976年に建設されたってのも、またスゴイ。それから、ナイアガラに参上。写真やテレビで見たことはあるものの、これもまたスゴイ。 ナイアガラの滝を見ると、華厳の滝なんて、、、(まあ、あれはあれで、別の良さがありますが、、、)人工物も自然のものも、ついでにディナーの肉とデザートも、カナダは、皆、スケールがデカイ!「霧の乙女号」という妙に可愛らしい名前の(普通の)船に乗ってナイアガラに接近。おいおい、のみ込まれるぞ っていうくらいまで、近づき、最後は滝というか飛沫に囲まれて、ビショビショになりながらもなんだか神聖な気持ちに。 心を洗い流すには、良いところではと。。。ちなみに、帰国の際、風が強いとかで成田に着陸できず、結局、関西空港に降ろされてしまい、帰りの方は更に遠かった。。。カナダのパイロットからすれば、東京と大阪なんて、ご近所って感覚なんでしょかね。それにしても皆さん、カナダ:トロント、結構お薦めですよ。
2005年10月13日
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帰省の折、実家から船に乗り瀬戸内海の小さな島へ渡った。そこには、第二次大戦中に人間魚雷「回天」の基地が作られていた島で、今は発射場跡の他に記念館が建てられている。実家に戻った時に、よく訪れる場所なのだか、国や家族、そして愛する人の為に、自らの命を捧げていった若者の魂に心を打たれる。記念館には、出撃前にしたためられた両親や妻宛ての遺書が多数展示されていて、それを読むたびに、涙が止まらなくなる。20代そこそこの若者が、新妻に、「自分はお前と結婚できて日本一の幸せな男だった。 しかし、だからと言って、自分が死んだあとは、自分の墓守など一切考えず、 誰か良い人を見つけて、是非、幸せになって欲しい」そんな言葉、今の時代に残せる人なんてどれ程いるだろう。魚雷に乗り込み、敵艦に突入していくという手段が、本当に正しかったのかどうか色々と意見はあるだろうけども、少なくとも、将来の平和な日本のことを思って、自らの命を捧げていった若者達の心は無駄にはしたくないなぁと。その為に、今の自分にできることは何だろう。あまりにも、今の自分が情けなく、ちっぽけに思えてきたりした。
2005年08月11日
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夏休み、実家に帰省し、急遽思い立って山奥の温泉を訪れた。日によっては、朝9時の次は夕方4時になってしまう超ローカル線に乗り山奥に。お客なんているのだろうかと余計な心配をしていたが、現地にはそれなりに立派な宿があり、宿泊客もちらほら。早速、宿の露天風呂へ。森の中の温泉で久々に湯の中で足を伸ばし、サイコー!でも、気がつくと、頭の中は今抱えているプロジェクトの懸案事項が。。。湯の中でじっくりと打開策を探る。いつの間に、こんなサラリーマンになってしまったのだろうか。。。でも、温泉で心と体のアクは、それなりに洗い流せたような。翌日、温泉宿からの帰り道、ローカル線の乗換駅のホームで、なななんと、その懸案事項を生み出した張本人にばったり遭遇。霞ヶ関中央官庁の官僚で、通常、直接話をすることは、まず無理。これは、きっと神が与えてくれたチャンスだ などと自分に言い聞かせ、アポ無しの襲撃。今回、突きつけられた要求の理不尽さを追及し、改善を嘆願。このことがきっかけで、翌日、事態は思わぬ方向へ。。。運命とか巡りあわせって、不思議なものだなあと、痛感です。
2005年08月10日
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昨日は、最近、ますますシャレにならなくなりつつある仕事の間隙を縫って社内のイベントに潜入。ハリウッド映画とタイアップキャンペーンを組んだとかで、そんなことする会社だったっけなぁ なんて思っていたら、このタイアップにかこつけて、今度は、社内関係者集めて、渋谷のクラブハウスで弾けちゃおうと。しかし、右見ても左見ても、若めの社内関係者(30代前半までが対象だとか)が、400人くらい群れて、ワイワイやってるってのも、なかなかスゴイ世界だった。結果的に、酒飲んで、映画のプレビュー映像観て、ワイワイ騒いで、次は何かな~ なんて思っていたら、終わってしまった。それでも、スタッフの人たちは、えれー大変だったと思う。(ごくろ~さま!)しかし、イベント中のゲームで、幸運にもクリアして前に出た10名の内、僕の隣りの人が、会社でも隣りに座ってる後輩だったってのは、かなーり笑えた。そういえば、ちょっと納涼してきますっと呟いて先に帰って行ったと思ったらこんなところで出会うなんて。ついてるんだか、ついてないんだか。。。ついでに、彼、今日、年休だぞ!PSしかし、宇宙戦争って、素直に訳すと、「Star Wars」になってしまう気がするのは僕だけだろうか。実際は、「War of the World」らしいが。。。
2005年06月28日
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そろそろ次の第一歩を なんてことを考えながら久々にブログに思いを綴った帰り道、携帯にメールが。メールの送り主は、最近、魂の注文を受注した営業からだった。ここ2年くらい、一緒に仕掛けてきた物件で、会社としても、かなーりチャレンジングなスキームで、おっかなビックリなところもあったけど彼の熱意に、お客もついに心を動かされ、注文が決まった経緯もある。そんな彼から、ちょっと唐突に、メールが。--------------------------こんばんは。会話したいですが、帰宅電車内です。さて、仕事に追われる日々、まわりを含め今のままだと何処に向かって仕事しているか、見失う気がします。短期、中期、長期とビジョンも大切ですが、やってるなかでの達成感や次につながるモチベーションが欠落すると、浮上するのは容易ではない。そろそろボトムアップしませんか?今一度、各々の矢を束ねて折れなく割けない太い矢を。まずは身近な所からやりませか?場合によっては、上層部に持ちかけようとも考えてます。--------------------------相変わらず、アツイ男だけど、本当に、そろそろ動くべき時なのかななんて、改めて思ったりして。このタイミングの良さに、不思議さと運命めいたものも感じたり。さあ、そろそろなのかなあ。。。。
2005年06月15日
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本当に久々の日記。気合を入れて、東欧を巡った記憶を刻み込んでたけど、今の自分には、ちょっと重すぎて。。。高校の頃から書き連ねている(本当の)日記も、最近は数日間の記憶を辿りながら、逃げてくような日々を追ってる感じ。少なくとも、ブログなんて、もっともっと気楽に日々吐き出してくもんだよなあと。東欧の記憶は、またいつか、ゆっくりじっくりを記憶を呼び戻してみることにしよう。今日は、定時後から精神病院を作り直す話。うーん、やはり重い。相変わらず、統一感のない、変な話が多いし、やたらと慌しい。先週は打合せが27件で、今週は28件。。。今日一日だけで10件の打合せ。いったいなんなんでしょ。サラリーマンとして、やるべきことはやらないと仕方がないけど、そろそろ次のステージのことを考えてみてもよいかななんて。何か面白いことは。。。面白くなくても、命がけで取り組もうと思えるもの。きっと待っててもダメなんだろうね。
2005年06月14日
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東欧を巡った旅の日記を記憶辿りながら記していたら、あれよあれよと、日にちが経ってしまいました。ということで、東欧旅行記は、のんびりと記していくこととして、近況を。今日は、映画の撮影でした。佐藤浩市が主演で、今冬あたりに公開予定のスターフィッシュホテルという映画。先日、会津で大規模なロケも行なわれ話題となったが、今日は朝早くから四ツ谷界隈に出没してロケ。最初は、古ぼけた屋台で、佐藤浩市と榎本明が、酒と”おでん”で語り合い。その後、通りでの追走シーン!榎本明が、妙にリアルな兎の着ぐるみを着て、逃げる!この役は、少なくともビジュアル的には、かなりきてます。私も真横で映ってますので、劇場でお目にかかれれば幸いです。それにしても、佐藤浩市!やっぱり、シブイですね!撮影の合間も、時折見せる鋭い眼差しの一方で、おちゃらけたパフォーマンスも見せ、いつか、一緒にBarなんかで深く語り合ってみたいなと。つくづく、そんな贅沢なことを思ってしまいました。 ファンには申し訳ないけど、よく佐藤浩市に似てると言われるんですけどねぇ。。。 m(__)m
2005年01月30日
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朝、プラハを旅立つ前日とは打って変わって、街全体が霧につつまれ、何も見えない車の中から川(の方向)を見ても、真っ白で本当に何も見えないこんなに一日で街の表情が一変してしまうものなのかそういう意味では、美しい街並みを記憶に留めることができて、ラッキーだった午前中は、プラハから車で南へ200km、3時間の旅やがて、「チェコのねじれた形の川辺」を意味するらしい”チェスキー・クルムロフ”に到着まずは、街が一望できる丘まで登り、パノラマに浸るプラハとは違って、長閑で赴きのある街並みが広がっていた それからチェスキー・クルムロフ城の中に。城内には5つの中庭があり、壁面の綺麗なフレスコ画を観賞しながら、そろりそろりと進むそして、城を抜けて旧市街へ石畳の細い通り沿いに御土産屋が並んでいる中央の広場に辿り着き、少し休む そして、聖ヴィート教会を見学入口に、「お尻」のオブジェがあったので、とりあえず浣腸のポーズをしてみる 教会には、フランシスコザビエルの像もあり、神聖な気持ちに街を流れるモルダウ川も、プラハに比べて、まだまだ細い 本当に、観光するには程よい街の大きさとにかくのんびりしていて、時間の流れも、なんだか緩やかお腹が空いてきて、洞窟のようなレストランに入るここの街のお店はどこも入口が狭く、奥行きがやたらと深いお昼は、鱒のグリル料理を頂いたまったくクセがなく美味いもちろん、ビールも美味い!でも、そろそろ飽きてきたイモ料理には、少しウンザリ昼食後、ウィーンに向けて出発チェコからオーストリアへの国境は、予想に反して、原則通りのチェックとなった車から降り、入国審査の通路でパスポートチェックしかし、係員は至って陽気出入国が余り無く、暇なようで、気分的に、原則通りの方法でチェックをしてみたといった感じだった気のせいもあるかもしれないが、チェコからオーストリアに入って道路沿いの家々の赴きが変わったような気がチェスキー・クルムロフからウィーンまでは、200km強車で4時間の旅だったが、そろそろ時間的な感覚が麻痺してきて妙に早く、近く感じられたウィーンの郊外にあるホテルに到着ホテルでのディナーで名物のウィンナーシュニッツェルを頂くウィンナーシュニッツェルとは、子牛の薄切りを叩いて平らにのばしたものを揚げたものだが、個人的には日本のトンカツの方が、ボリュームも旨味もあって好きかなとでも、ここで頂いた白ビールは、美味かった。。。ウィーンにて、眠りにつく
2004年10月20日
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朝食を済ませた後、ホテルの周辺を散歩してみる。平日ということもあり、通りは通勤で気忙しく行き交う人たちが沢山夜とは全く違った、まさに朝の風景だったが、のんびりと歩いている自分がなんだか申し訳なくなるその後、一旦、ホテルに戻ってから、プラハ城に向かうまずは、プラハ城の裏側の門から入城城内を抜けて、正門へ抜ける正門では、凛々しい衛兵が門番をしていた日本人観光客と思わしきおばちゃん達が、隣りに近寄っては写真を撮っている顔色一つ変えない衛兵は、ますます凛々しい衛兵は門の両側に一人ずつ立っているのだが、見た目で写真撮影の数に差が出るらしいその後、衛兵の交代を見るこれまた、なかなか渋い! そのまま交代した衛兵の後ろを付いて行き(これも、ちょっと変な感じだったが)再び、入城。広い中庭を抜けていくと、荘厳な聖ビート教会が聳え立っていた結構というか、かなりデカイ!完成までに500年を要したというここでは、100年という単位が、短く感じられてしまい、100年前の建物だと、まだまだ新しいという感覚になる教会の中の壁際に貴族達の墓が沢山並んでいたきっと、夫々に栄華を誇った人たちなのだろう 教会を後にして、黄金の小道と言われる通りへかつて、錬金術師達が住んだというこの通りも、現在は土産屋ストリートとなっていた朝早かったこともあり、まだ店も空いておらず、少し寂しげな細い通りだった 通りの先の小さな広場の階段で一休み その広場を抜けると、そこには、朝靄に煙るプラハの大パノラマが広がっていた100塔の町と言われるだけあって、夥しい数の塔が華麗に連なっているなんて美しい町なんだろう本当に溜め息ものだった プラハ城の坂を降りて、市街地に向かう2002年の大水害の跡が、生々しい民家の壁際には、僕の頭を遥かに超える場所に、冠水のラインが残っているやがて、モルダウ川に掛かるカレル橋に到着橋上の30体もの石造が、訪れる観光客を迎え入れるプラハ解放後、世界中から観光客が押し寄せると同時にスリ集団も世界中から大集合したそうで、治安はあまり良くないらしいでも、カレル橋から望むプラハ城は、やはり絵になるよって、実際の絵も沢山売られている カレル橋を渡って、旧市街広場へ石畳の通りをのんびり歩く 旧市街広場の天文時計ここで丁度12時の仕掛け時計を見る動き出す頃には、広場は凄い人で混雑その割には、意外とショボイ動きだった。。。そのまま、天文時計の塔に登る塔の上からは360度、プラハの町が見渡せたどこを見ても、それぞれが絵になる素晴らしい町だ ふたたびモルダウ川に掛かる別の橋を渡る しばらく行ったところに寿司屋があったやはり興味深いものである店頭のメニューを覗いて見た。イカ、タコ、アワビ、イクラ、ウニ、なななんと、どれも一貫1200円相当全て同じ値段というのも不思議だが、いやはやスゴイ世界である寿司が高い!という印象も残しながら、プラハの市街地を後に。少し足を伸ばして、ボヘミアの古城に行ってみる少し前まで国に取り上げられていたが、国の解放と共に城主に戻ってきたとのことだった80歳になる城主が、今も城内で暮らしていた城から眺める町は、のどかだった。こういう風景も、またいい 夜は、プラハの丘にある修道院に潜入し、ビールを頂く併設の醸造所からの出来たて黒ビールは、また格別! 少し酔って、町全体が見渡せるところへ(ブドウ畑だったか?)ライトアップされたプラハ城と、その背後に広がる町が、また綺麗しかし、ホテルへの道は、えらく渋滞常に渋滞らしいようやく、ホテルに到着 ここのホテルには、なぜかケーブルカーがあるそれに乗り込み、上の方に。登った先にはラウンジがあったそこで、ジンを頂きながら、ラウンジの外のテラスに出るそして、またしても華麗な夜のプラハに溜め息をついた
2004年10月19日
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朝、結構、気に入ったホテルを旅立つ。もっと、ホテル周辺の湖のほとりなんかを散歩しておけば良かったとちょっと後悔。ベルリンから、車で約350km、約7時間の旅途中でドレスデンに立ち寄る元々、ドイツには堅苦しいイメージがあったけど、ここは気品に満ちた素敵な街だったまず、中心部の劇場広場に立つ ゼンパーオペラの巨大な建造物が広場に面して、文化的な香りも感じさせる しかし、この町は第二次大戦1945年2月のアメリカの空襲で、かなりのダメージを負ったそうで、50年以上経った今でも、あちこちで修復作業が続いていた。よって、建築物も殆どがオリジナルではなく、再建されたものだそうだ。真実は定かではないが、アメリカは東欧の”歴史”に対してコンプレックスを抱いていて最後の最後にコテンパンに町を崩壊させた とのことだった確か、京都に対しては尊敬を抱いていて、敢えて空襲の対象にはしなかったという話を聞いたことがある。文化的に異なるものには、コンプレックスを抱かないのだろうか。まずは劇場広場に面するツヴィンガー宮殿に忍び込む。ここは、庭は、バリバリ工事中だった4箇所くらいの巨大な噴水をリニューアル中で、なんだか風呂場を作っているような雰囲気だった劇場広場近くの聖母教会も、まだ修復中。瓦礫の中の石から、元々あった場所が特定できた部分は元に戻し、それ以外の部分を新しい石で創り上げていた。こんな大きな建物で、石がどこにあったか割り出すなんて、シュレッダーの屑から、元の資料を再現するような感じだ。こちらの石は、空気に触れると酸化して黒くなってしまうため、修復された壁は、白と黒のオセロ状態になっていた。これは人によって感じ方が違うかもしれない。ここはマイセンゆかりの町としても有名で、ドレスデン城の壁には、長さ100mにも及ぶマイセンタイルで「君主の行列」が描かれていた。こんなものの御値段なんて、いったい幾らになるのだろうか。 町を流れるエルベ川に沿う形で遊歩道があって、日本人を見た演奏家が”サクラ”を弾き始めたりするここは優雅で、落ち着ける通りだ。 昼は、魚料理を頂いた。こちらの魚は大抵が川魚で、この日も川魚のように思ったが、味は、まるで海の魚のようで、なかなか美味かった。ビールは、白ビールを注文。ビールは、相変わらず、どこにいっても美味!そして、いよいよプラハに向けて、残り150kmの旅に出る途中、ドイツとチェコの国境で、ドイツ兵が、かなーりゴツイ顔つきでやってきて、パスポートを厳しい眼差しでチェック一方、チェコ側は、「どこにいくんだい?」「プラハとチェクキークルムロフ行くんだ!」「そう、良い旅を!」なんて会話をして終わってしまった。最初に聞かされていたイメージとは、まるで逆だった。そして、夜、プラハに到着ホテルで一段落してから、夜の街に繰り出す近くにカルフールがあったので、覗いてみた野菜は、皆、萎びていて、魚も水槽の中にいたが、全部、コイに見えてしまうしかし、チェコの人は、皆、険しい顔つきで、スーパーの中でも一人で歩いていると、なんだかおっかない共産圏時代の生活を引き摺っているのだろうかなにはともあれ、あこがれのプラハに足を踏み入れた翌日のプラハの町に期待を抱きつつ眠りにつく
2004年10月18日
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2日目いよいよ、ある意味、旅行の初日まずは、ホテルの1Fにあるレストランでビュッフェ形式の朝食を取る。あまり期待していなかった分、意外に豪勢で、結構旨い(と感じることができた)特にソーセージは、なかなかの味(さすがに朝からビールとはいかなかったが、これは、本当に旨かった)案の定、少々食べ過ぎた朝食を消化させるため、食事後、ホテルを出て散歩してみる外は、やはり寒い。10℃くらいだろうか。でも、寝ぼけた頭を覚ますには、心地良い外気だった付近の湖畔を暫く散歩。大きな橋を途中まで渡り、朝靄にけむる湖畔沿いの家を眺めるこの辺は、リゾート地なのだろうか。むかーし、走ったホノルルマラソンの折り返し地点の風景をふと思い出したホテルを後にし、ベルリンの中心部に。そして、ベルリン大聖堂に到着。鐘が鳴り響き、白い鳩が、聖堂の周りをクルクルと飛んでいる重みと迫力ある造りに圧倒されるヨーロッパに来て始めて遭遇した巨大建造物だった分、感動も一入ドイツの”ゴツイ!”という雰囲気を存分に味わうことのできる建物だと思う その後、ペルガモン博物館へ入るなり、ギリシャ風の神殿が、どーんと復元されていて、またまた圧倒されるそれだけで結構、満足してしまい、、というよりも、それだけだと思い込んでいて暫く休憩そろそろ出ようかなと思いながら、奥にある小さな扉を抜けると、その数十倍の展示スペースが広がっていて、汗だくになりながら、博物館を堪能もう、終わりかなと思ったら、その後、更に2Fがあることが判明し、倒れそうになる確かに、博物館に入る前に全体像を良く見ておけば、十分に予想できたことだが。。。 その後、ブランデンブルグ門に足を運ぶ前月のベルリンマラソンで、渋井がゴールを掛け抜けたところだ。ミーハ-と言われるかもしれないが、同じように駆け抜けてみる門自体は、それなりにデカク、インパクトもあるが、でも、結構、あっけなく存在している感じ。 門の少し先に、かつて、ベルリンの壁が存在していた現在は、路面電車のレールのような細い鉄が埋まっているだけで、ちょっと見ただけでは気がつかないその真上を、普通に車が通っているそれ程、随分と、あっけなく東と西が融合している感じがした1989年なんて、まだまだ歴史的に浅いと思うのだけど。少し先に、再開発地域があって、そこに富士山の形をしたSONYセンターが異様な存在感を示しているのを発見東西統一のお祝いに(?)、ソニーが、一千億円を投じて建設したらしいうーん、SONY恐るべしその後、ベルリンの壁が残されている場所へかつて、壁の近くに住んでいたという人が、毎日のように東から西へ脱出しようとした人を撃ち殺す銃声が響いていたと生々しく語っていた東と西を隔てる2枚の壁の間に野犬が離され、逃亡なんて、とっても無茶な話だったようだしかし、この壁の、消しゴム程度の小さな欠片が、御土産として千円くらいで販売されていることにも、少々憤りを感じる本当は、どっかの山奥の採掘場から出荷されているのかも なんて疑ったりもしてみる それにしても、驚いたのは、ベルリンって、東ドイツの中にあって、そのベルリンの半分が西ドイツの領土として、壁で囲まれていた ということだ。てっきり、ドイツも朝鮮半島のように真っ二つに分断されていたのだと思っていたが、実は、東ドイツの中に、西ドイツとしてのベルリンがあって、その輪の中に、東側の民が逃げ込もうとしていた という事実歴史認識が甘かったなあと恥じるしかし、壁崩壊後も東と西の経済格差は歴然として残り、旧東ドイツの人は、まだまだ共産圏の頃の考え方が抜けきらないようで、実際の融合は、なかなか進んでいないらしい人って、やっぱりなかなか変われないのかなぁうーん、三つ子の魂百まで とは、結構言えてるのかもしれない昼食は、小奇麗なビアレストランへビールは、その店、お薦めの野苺フレーバー入りのビール(ちょっと邪道かもしれないが)を頂く。ドイツ産の果実フレーバーのビールなんて、日本ではあまり見かけない気がするのだが、そこのところは、さずがビールの本場、結構旨かった昼食後、「きむらや」という小さな土産屋に立ち寄る10坪そこそこの小さな店だったが、先日、小泉首相も買い物に訪れたらしい店長だと思わしき人が、テレビ通販の売れっ子弁士の如く、小気味良く商品紹介を続け、思わず心を奪われそうになるちなみに、小泉さんは、魚の臭いが消えるという金属石鹸(日本だと三千円が、ここだと千円)を50個も買っていったらしい。日本の総理大臣、ちょっとショボイですねえ。でも、5万円分の石鹸と思うと、それはそれで、スゴイのかなあ。ベルリンの中心部を離れ、ポツダムへ心地よい林を抜けて、しばらく行くと、まるで英国の片田舎の小さな古城のようなツェツィーリエンホーフ宮殿が現れたそう、ドイツの戦後処理と日本の降伏要件そして戦後の日本の管理方針が話し合われたというポツダム会談が開かれた場所だ入場は結構、厳密に管理されていて、予約時間に合わせて数分刻みでの入場だった中は、決して豪華ではないが、歴史的重みを感じる部屋に家具今は、ひっそりと、大戦後の時間を積み重ねているといった感じ その後、サンスーシー宮殿へフリードリッヒ大王が18世紀に夏の居城として建てたという大宮殿の中に、ちょっと異質な大広間が広がっていたしかし、壁一面に、あまり趣味が良いとは思えない鉱石や貝殻がベタベタと貼り付けられていたなーんか変と思っていたら、その宮殿専属という中国人のガイドが、教えてくれた建築後に、思いっきり装飾しちゃったらしいやはり、往々にして後付けは”変”になるものだメインの宮殿の前方(目測で100mくらい先)の左右に、巨大な建造物何かと思ったら、片側が召使の宿で、もう片方が、料理場だったという臭いが充満しないように、あえて料理場を離れた所に作ったらしいが、出来た料理を冷めない内にダッシュで宮殿まで運ぶのも、随分とご苦労なことだこの王様は、随分と見栄っ張りだったようで、とにかく見栄えのする豪勢な宮殿を建てるよう命じたとのことただ春の夜の夢の如し。。。
2004年10月17日
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朝、世田谷の自宅を出て、成田に向かう別に気にしていなかったのだが、出発が週末で良かったもし平日だったら通勤ラッシュで、スーツケース持っての移動はとっても大変だったと思う新宿からNEXで成田へ成田で、諸々の手続きをして、出国ゲートへ最近は、手続きも簡略化されて、随分とすんなり通過できるようになった気が。出国前に、ラーメンをすするご飯ものにしておいた方が良かったかなと、少し後悔最初の行き先は、ドイツ航空機はルフトハンザだった初めて乗ったが、シートもサービスも比較的いい感じ30分おきに、ドイツのビールを持ってきてくれるうとうとしながら12時間のフライトそして、いよいよミュンヘンの空港に到着シャレにならないくらいデカイ空港だったここの空港は、コーヒーがフリーサービスというのが嬉しかった空港の売店で、水を購入し、乗り継ぎまでしばらく休憩しかし、ドイツってルフトハンザしかないんですかね延々と続くゲートに、延々とルフトハンザ機が並んで、完全な独占状態でしたそして、ルフトハンザの国内便でベルリンへ2シートの隣りの席に、真っ赤な網タイツをはいた若い女性が座り、ちょっとドキドキ向こうは、僕が時間を確かめるために出した日本の携帯にちょっと興味を示したようすチラチラと(僕ではなく)携帯を見る(笑)もちろん、会話することもなく、1時間程度のフライトだったが、ここでもドイツのビールを堪能ベルリンに到着した時、あたりは夕闇そこから車で、ホテルに直行そして、旧東ドイツ側の外れの方にあるホテルに到着取り合えず、部屋で一段落。 その時、ホテルの外から地響きと共に、ドン、ドンと、途轍もなく大きな大砲のような音が鳴り響くえっ? 何事?何かの反乱か? テロ?恐る恐る、部屋から出て、窓の外に目をやると、なななーんと、ホテルの真上付近に花火!結局、なんの花火だったのかは知る由もなかったけど、旅の始まりの祝砲と勝手に思い込んだおめでたい夜でした。
2004年10月16日
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久々の海外旅行!しかも、ちょっとマイナー(?)な東欧で麗しい時を過ごしてきました。ヨーロッパは初めてで、イターリアやフランス、パリといった王道も良いのだろうけど、ちょっと渋く芸術の風に吹かれてみたいと思ったりして、チェコのプラハやハンガリーのブダペスト、そしてウィーンの森の風に吹かれてきました。これから東欧への旅行を予定されている方への参考になれば、旅行はしないけど、僕の旅行記で少しでも旅の雰囲気を味わってもらえたら、そして、僕自身の旅の記憶として、これから10日間の旅が始まります。
2004年10月15日
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ゴルゴつながり「おもろい会」の皆様 &たまたま、このページにおいでくださった方へ最近、普段、あまり接することのない業界(私は電機メーカーで先方は保険業界)の方から、お声が掛かり人生について真剣に議論する機会に恵まれました。その際、別れ際に、ある小冊子を頂きました。あなたが、将来の夢を考えたり実現する際にきっと参考になりますよと。それは、”幸せな小金持ちへの8つのステップ”という本(本田健 著)でした。小金持ちの定義は、資産1億、年収3千万円だとか。(資産10億以上の大金持ちは、お金を稼ぐことに意識を集中させ、 愛するパートナー、家族、友人、自分の時間などを忘れてしまいがちなので、 幸せな人生を送るのは小金持ちで十分だと)正直、最初は胡散臭いなと思いました。騙されたと思って読んでみたのですが、久々に衝撃を受けました。すごく楽な気持ちになり、明日への希望が湧いて来ました。この感動を、色々な方と共有したいと思いました。ご存知の方も多いようですが、私も、是非読んでみたい! という方がいらしたら連絡下さい。私宛に、送付先の住所と御名前を頂ければ、可能な限り、私の方で調達してプレゼント(送料もこちらで持ちます)させて頂きたいと思います。元々、プレゼントするための本のようですので。-----------------------------------□補足(本文より抜粋)私のクライアントには、同じ年齢で、似たような仕事をしている人たちがいますが、彼らの収入には、100倍もの違いがあるのです。学齢も同じくらい、親も同じサラリーマン、たいして能力にも差が見えない。でも、よくよく彼らを観察してみると、いろんな違いがあるのに気がつきました。普通の人が、なぜ金持ちになれないのか、よく分かるようになったのです。著者は、成功した親の影響で、世界中の数百人の金持ちから話を聞く機会を得たそうですが、文化や習慣も異なるのに、彼らにはある共通した哲学があるというのです。考えてみれば、美味しい料理⇒高い、 かなりマズイ飯⇒安い快適なファーストクラス⇒高い、 窮屈なエコノミークラス⇒安いなのに、肝心なお金は、嫌な上司に仕え、ストレスばかり溜まる安月給のサラリーマンに比べ、例えば今話題のプロ野球選手は、好きなことをして私たちよりも稼いでる。野球をやるのが嫌で嫌で仕方がないなんて選手聞いたことありませんよね。しかも、一流選手は、年俸数億円です。これは、いったいどういうことなのでしょうか?あなたの知り合いに、小金持ちはいませんか?きっと、すごく楽しそうに仕事をしていませんか?もし、あなたが自分の大好きなことを仕事にしていなければ、人生の大部分を無駄にしていることになります。まず、仕事をしている時間(一日のかなりの時間)が楽しくないという点で、大いに損をしています。また、好きでもない仕事には、心から打ち込めないので、お金にも恵まれないのが普通です。幸せに成功している人たちは、例外なく、自分の好きなことを仕事にしています。彼らは、口をそろえて「自分の嫌いなことを一日中やるなんて信じられない!」と言います。普通の人が、小金持ちになれないのは、「お金や成功に関しての体系的な知識」がないからだそうです。この本には、小金持ちになるための体系的な理論が実に分かりやすく整理されています。もちろん、この本に具体的なお金儲けの方法が書かれている訳ではありませんが、人生の新しい第一歩を踏み出す際の、よい助言本になるような気がします。ご連絡お待ちしています。--------------------------------------あと、話は変わりますが、森ビルさんが六本木ヒルズで、「アーク都市塾」なる経営塾をやられているのですが、私も卒塾生で、同塾では、非常に濃密で有意義な時間を過ごすことが出来ました。9/24に「アーク都市塾」の卒塾セレモニー&コース案内が予定されていますので、興味のある方はエントリしてみてください。20時過ぎまでなので、「おもろい会」にも間に合うと思います。http://www.academyhills.com/school/toshijuku/https://member.academyhills.com/apply/apply_seminar_etry.asp?b$project_id=4870尚、9/26の日本経済新聞にアーク都市塾のPR広告が掲載される予定ですが、私がイメージキャラクター(!?)として登場予定です。日曜日ですが、御時間のある方、見つけてみてください。それでは、また、「おもろい会」他でお会いしましょう!
2004年09月22日
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妹からメールが届いた。「今日はラッキーの命日だね。やっぱり忘れることはできないよ。」僕が小学6年生の9月6日に、彼は家にやって来た。それから毎日の散歩に餌やり。愛嬌があって、可愛くて、賢い犬だった。彼がいるだけで家族が明るくなり、本当にかけがえのない家族の一員だった。僕が、大学で東京に出ることになった時、なによりも寂しかったのは、彼と離れることだったような気がする。そして、僕が家を出てから、日に日に、彼は元気がなくなり弱っていったらしい。最終的には衰弱から皮膚病にもかかってしまい痛々しいものだった。大学4年の夏休みにさしかかろうとしていた時、母から連絡があった。もう駄目かもしれないと。夏休みに入り、数日間帰省した。見た目には元気を取り戻したように見えた。愛くるしい顔で、庭に投げ入れたソーセージを尻尾を振りながら取りに行ったりもした。そして、帰京する最終日、僕の腕に抱かれながら冷たくなっていった。9月6日にやってきて、10年後の9月6日に天に昇っていった。僕が帰ってくるのを、ずっと耐えながら待っていてくれたのか。この家に迎え入れられた日を覚えていてくれたのか。君がいて、僕は凄く幸せだったよ。涙が止まらなかった。そんな日のことを、ふと思い出した一時だった。
2004年09月06日
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仕事の関係で、地方の小さな病院に伺った。打ち合わせの時間まで、少し時間があったので、関係者に施設内を案内して頂いた。建物から出るとすぐに、木立の向こうに延々と広がる水平線が視界に飛び込んできた。真っ青な、本当に綺麗な海だった。こんなに綺麗な海を見たのは、いつ以来だろう。あまりの感動に、なぜだか涙が出そうになってしまった。向こうから、入院患者らしい老夫婦がやってきた。夫が、車椅子の妻に、やさしく語りかけながら、二人楽しそうに、海沿いの小道を歩いていた。なんて穏やかで、のどかなんだろう。健康である筈の自分が、逆に癒された気がした。病んでしまったら、こんな病院に御世話になりたいと、ふと感じた。
2004年09月01日
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帰省から4日ぶりに、自分の部屋に戻ってきた。心配していた熱帯魚は、元気に泳いでいたけど、可愛がっていた(?)観葉植物の内、一番弱々しかった&一番のお気に入りだったのが、しょげてヘナヘナになっていた。苔球から、繊細な緑が広がっていて、朝夕の水遣りが気分的に一服の清涼剤みたいだったのに、あっけなく。。。人の身勝手で閉じ込めてしまった以上は、ちゃんと世話してやらないといけないなと。可哀相なことをしてしまった。
2004年08月20日
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仲間と富士山に登ってきました。なにか人格を持っているような、そんな途轍もない存在感をもってる山でした。しかも、こんな時期に、雹に打たれてきました。残念ながら御来光は拝むことができませんでしたが、そんなに簡単に拝めないほうがかえって良かったかなとも思います。また、来年にでもリベンジしたいなと。
2004年08月15日
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今日、銀座のちょっと怪しげなビルの中の、ちょっと怪しげな会議室に伺った。都内のある場所に超巨大なカジノ(&ホテル、シアター、コンベンション、、、)を作る計画の打ち合わせで、初めて顔を出した。ドアを開けた瞬間、「おっ!久しぶり」と。そこの事務所の取締役だったが、元々は大手ゼネコンの部長さんで、10年近く前に、とあるプロジェクトでお目に掛かった人だった。空前絶後の超バブリーな案件で、いまだにあれほどの案件は手がけたことがない。その建物ができるまで5年近く掛かったが、最初の頃は、夢を語りながらも、ほんとにできるのかねえ なんて、半信半疑だった。「もう、あんな物件はないねえ。いやー、実に楽しかったよ」懐かしそうに彼は語っていた。まさかこんなところで再会するとは。今回の案件は、きっと、前回の案件を越すプロジェクトになりそうだ。夢は大きいほどいい。その分、立ち向かう壁を大きいけど、なんだかワクワクしてきた一日だった。
2004年08月05日
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