文豪のつぶやき

2005.07.25
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カテゴリ: 新撰組
服部武雄は壁を背に二刀流である。
その風貌、宮本武蔵のようであったろう。事実武蔵のような働きをした。
原田左之助、大石鍬次郎、島田魁など手練れの剣士が取り囲んで、踏み込み踏み込み斬りかかるが、逆に服部の剣により傷を負う。
服部一人のために新撰組はついに怪我人が十人を越えたという。
それでも、疲れが見えた服部の腹に原田の槍が刺さり、よってたかって刺し殺した。
ようやく血闘が終わったのは、午前四時だといわれる。
背後で見守る総指揮者、土方はなおも周到だった。
伊東の遺体と藤堂、毛内、服部の遺体を打ち捨て、またもや油小路の辻に放置したのである。
再び、高台寺党が遺骸を取りにくるかもしれぬ、という土方の考えであった。

無論、遺体の周りには、新撰組隊士を伏せてある。
やがて遺体は昼の日光にあたって腐敗が進み、死臭を放ち始めたので、町役人によって埋葬された。
一方、逃げた篠原らは薩摩藩邸に駆け込み、薩摩藩の庇護を受けている。
この直後の、12月9日とうとう王政復古の大号令がおこる。
新撰組は時代から取り残された。





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最終更新日  2005.07.26 04:45:20
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