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2005.08.05
坂本竜馬の周辺(新撰組-鳥羽伏見の戦い8)
カテゴリ:
新撰組
鳥羽伏見の戦いで破れ、大阪城に退散した土方新撰組は驚愕した。
大将がいないのである。
大将とは、十五代将軍徳川慶喜である。しかも今の今まで前線で戦ってきた会津、桑名藩の藩主、松平容保、松平定敬もいない。
わけはほどなくわかった。
幕軍の本拠地である大阪城では鳥羽伏見の劣勢が伝わると、慶喜の出陣をうながす声が出てきた。慶喜が出陣しないと幕府軍の士気が鼓舞しないというのである。当たり前のことである。古来、大将が戦場にいない戦さがあったろうか。
慶喜は、
「よし、皆、出陣の用意をせよ」
と下知した。
城内は沸き立ち、勇奮した。いよいよ慶喜公がその気になられたのだ、と思った。
まさに逃亡した、という言葉がふさわしい。
慶喜が大阪城を脱出したのは、1月6日夜午後10時ごろ、会津、桑名両藩主、老中板倉伊賀守ら側近数名を連れ、夜の大阪をひた走り、八軒家から小船でこぎ出でて海に出た。
天保山沖には幕府艦隊がいる。
翌1月7日朝、慶喜は幕府艦開陽丸に乗り込むとさっさと江戸に向かって遁走した。
これは、どういうことであろう。
水戸勤皇学の影響をうけた慶喜が、朝廷に逆らって逆賊の汚名を着るのを恐れたとはいえ、慶喜のために戦っている家来をおいて、遁走するなど尋常の神経ではない。
慶喜は家康公の再来といわれたが、家康ならば敵前逃亡などはしない。おそらく大阪城に拠って朝廷を偽装する薩長軍を見破り、大鉄槌をくらわし、再び天下に覇をとなえたであろう。
逆賊の汚名を恐れるというやわな神経は戦国期に生まれた家康にはない。これは信長や秀吉も同様であろう。
慶喜は戦国武将の図太さやあくの強さはない。江戸三百年の太平期に慣れた神経質な知識人だったのだろう。
とにかく土方ら新撰組は置き去りにされた。
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最終更新日 2005.08.05 06:17:32
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