文豪のつぶやき

2005.09.03
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カテゴリ: 新撰組
官軍の有馬藤太らは宇都宮城に拠って、小山の大鳥幕軍を遠望している。
小山からそのまま日光に向かうか、それともこの宇都宮城に攻めてくるか。
いごこちは悪かっただろう。
大鳥幕軍は名にしおう幕軍最強の軍隊である。
それに対し、有馬率いる官軍はわずか三百、しかも日本最弱といわれた彦根兵である。
有馬がいかに勇猛な薩摩隼人であっても、一人ではどうにもならない。
井伊の彦根兵はかつて日本最強といわれた。
徳川四天王の一つ井伊家は、武田家廃滅後、当時最強の軍団だった武田兵を多く召抱え、武田信玄の下、赤い鎧で身を固めた武田の赤備えをそのまま採用し、井伊の赤備えとされた。
関が原以後は、井伊の赤備えと藤堂高虎の藤堂藩が徳川家の先陣とされ、大阪冬、夏の陣でも戦功を上げた。

ほんの10年ほど前まで藩主井伊直弼が大老になって、官軍の先輩たちを安政の大獄によって大量処刑せしめている藩が、官軍のお先棒を担いでいる。
井伊藩はどういう神経をしているのであるか。
やがて有馬の不安は的中した。大鳥圭介幕軍の兵が一部を割き、土方を隊長に宇都宮城に向かってきたのである。
慶応四年(1868年)4月19日、土方は宇都宮城を攻めた。





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最終更新日  2005.09.03 07:36:51
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