文の文

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sarisari2060

sarisari2060

2004.03.04
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カテゴリ: エッセイ
世の中のことを好きと嫌いに分けてみると、だんぜん嫌いの方が多い!と気づいてしまうと、なんだかつらい。

自分のなかの振り子が大きく揺れているのがわかる。それはいつだって、いややとええなあの間をいったりきたりしているのだけれど、ここのところいややの方に大きく振れて、なかなか戻ってこない。

学級委員とか生徒会役員とかPTA役員とか町内会役員とか、まあ、人生のなかでそんなふうな役回りがよく回ってきたわけで、それは自分の利益より全体の利益を考えるような立場にいやおうなく立たされてしまうわけで、自分が嫌だなと思うこともその立場でいやじゃないという顔をしなければ、事が進んでいかないわけで、事が進まないことは自分の評判を下げることであるという計算がないわけでもないのだけれど、まあ、時に応じ、自分を殺してしまうことになる。

組織にいるということはおおむねそういうことなのかもしれないが、それをノーペイでやっていると、時に、救われない思いがするのである。

で、ふっと、気づくとにこにこしながら、こころのなかでは「きらいきらいあんたなんかだいきらい!」とか「いややいややものすごういやや」とか節操なく唱えていたりする。
それはもう、まったくききわけのない子どものように。

で、また、おとなの私はこれではいかん!と思う。そういうききわけのない人間も嫌いだぞ、と。自分のことは好きでいたいから、いやいや、そうはいっても、それぞれに事情のあることだから、そこはそれ大人になって、好きにならんとね、とか無理して、律儀にそんなふうに思おうとする。

若いときはそれでいけたのだけれど、更年期の悲しさで、非常にわがままになってきたせいか、どうもその律儀さが持続しない。いや、そういう撓めかたも、なんだか胡散臭くて嫌だな、と思い始めてきたのかもしれない。

で、そういう目で世の中を眺めていると、やっぱりいやや!と思うことがそこここに溢れているのである。




自分をひとつの点だとして、その点には色がついていて、点はいっぱい集まって線や面になっていくのだけれど、みんなと同じ色の点だったら、自分がどこにいるのわからなくなってしまうから、わたしはここにいるのよ!と叫ぶようにみんなとは違う色に自分を染めるということ。

最初から、まわりのどの点とも色が違う孤独な点にとって、それはいつもいつもなにかにさらされているということで、ほとほと疲れてもしまい、同じ色の点が集まって線になって面になっていくところで、その安心感に自分も浸りたいと願って、もともとの自分とは違う色に自分を染めるということ。

あるいは、私の振り子はそういう両極を行ったり来たりしているのかもしれない。片方に振れたときは反対側のことが嫌になり、もう片方にいったら、同じように反対側のことが嫌になるのかもしれない。

これもなんだか、救われない・・・。





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Last updated  2004.03.04 10:51:16
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