文の文

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sarisari2060

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2004.06.13
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カテゴリ: エッセイ
みどりさんから電話があった。
「さくらんぼ、どうする?」
6月のおたのしみ、山形からサクランボのお取り寄せ、である。佐藤錦は直径2センチの法楽である。あの甘さはひとをとりこにする。
「もちろん、頼む」
みんなで頼めば送料が安くつく。

と、同時にサクランボ泥棒のニュースを聞く。人が汗水たらして、丹精込めて実らせたものをかっさらうとは、万死に値する、と誰かが言っていた。

ああ、そうだ、6月13日は太宰治が死んだ日で、19日が桜桃忌だと思い出す。

太宰は昭和23年に山崎富栄と玉川上水に入水心中した。19日に死体があがり、その日は彼の誕生日でもあるので、三鷹市下連雀の禅林寺で偲ぶ会が催されるという。

39年しか生きなかったひと。太宰より長く生きてしまった、とか思ってからもずいぶん時間がたつ。



そうして、ふっと思う。作家の奥さんは大変だなあ、と。

桜桃忌の名の由来になった作品「桜桃」は夫婦ケンカの話だ。あせもが胸の間にできたおくさんがその箇所を「涙の谷」と言ったのかきっかけで、主人公の思いがゆれ始める。

そうして耐え切れず、やけ酒を飲みに行った店で「桜桃」が出て、この男は「子供より親が大事」といいながら、さくらんぼをつまむのである。

小説としての味わいなどは横において、思う。こんなに小心で身勝手なひとが夫だとしたら、そして「家庭の幸福は諸悪の根源」と書く男と毎日一緒に暮らすとしたら、それはたまらんわなあ。

まあ、ひとは誰にも欠点はあり、それはそれと認めながら、それを補う長所があるからこそ付き合っていけるのだと思うが、天秤の片側にそれだけのマイナスがありながら、共に暮らしているのは、反対側にそれよりも重いプラスがあるということである。

実際の大宰夫人は下連雀では太宰の小説の口述筆記をしていたし、太宰作品の最初の読者であり、その意味での幸福感はあったに違いないと思う。つまり小説家と暮らす妻にも恍惚の不安があったわけだなと思う。

なにがあっても、珠玉の言葉を編む男だからこそ、一緒に暮らした。おんなは泥棒のように、大事なひとを横から奪って、命までも絡め取ってしまった。

太宰治の遺体は、数時間後に立派な棺に移され運ばれたが、山崎富栄の 遺体は、午過ぎまでムシロをかぶせたまま堤の上におかれ、父晴弘が1人で、変わり果てた娘の前に忘れられた人 のように立っていたという。

21日 本郷指ガ谷町山崎達夫宅にて密葬を行い、都内文京区関口二丁目の目白坂の途中にある永泉寺に埋葬された。

この目白坂は谷崎潤一郎、円地文子、瀬戸内晴美 が住んでいた目白台アパートへの道だという。なんとなく業のふかいことだなあとか思ってしまう。

癇癪持ちだったり奇行癖があったり浮気だったり貧乏だったりほら吹きだったり見栄っ張りだったり、人間味の極致のような欠点を抱えた作家と共に暮らすのと、皇太子妃であることとは、どっちが大変だろう、とか思う6月13日である。





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Last updated  2004.06.13 09:48:01
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