文の文

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sarisari2060

sarisari2060

2004.06.28
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カテゴリ: エッセイ
わたしは天下御免の更年期!である。気力体力使い果たして、ある日パタッと倒れる。それは予想のつかぬほど唐突にやってくる。

先週はパワフルな女性と続けて会って、そのあとMRIだったもので疲労困憊してしまった。それどほ動き回ったわけではないのだけれど、相手の言葉にかき回された、という感じがしている。

それにしても、最近は元気なひとに会うと、なんでかとてもしんどくなってしまう。昔からそうだったのかもしれないが自覚的になったのはこのところのことだ。

親しい友人なのに、疲れてしまうのは、こちらのわがままか、とも思うのだけれど、元気なひとのまっすぐな言葉がひどく応える。

こちらの憂いも屈託もはっはーと吹き飛ばされてしまって、かならず、相手の我田引水となって、気がつくと、延々相手の話を聞かされている。それは形を変えた励ましなのかもしれないが、結局そちらの自己満足だろう、と思ってしまうのだ。


なんでこのひとは自分のはなしばかりするのだろう、とか、なんで平気でひとの話をさえぎるんだろう、とか、なんで壁打ちのように考えるいとまもなく言葉を返してくるのだろう、とか、わたしの言葉はどこへ消えてしまったのだろう、とか、なんでわたしの思いをいっときでも、心にとどめてくれないのだろう、とか

なんで一から十まで話しきらないと気がすまないんだろう、とか、二人の会話の持ち時間がものすごくちがうなあ、とか、これはわたしには関係ないなとか、これは自慢なんだろうなあ、とか、高いとこからの言葉だなあ、とか、そんなことを思いながら聞いている。これが疲れるのだ。

こちらの根性が歪んでいて、僻んでいるのかもしれないが、どうもついていけない。ついていけないことに結構衝撃を受けていたりして、このひととのあいだに、いつのまにそんな隔たりができたのだろうと切なくなったり、所詮、そういうもんなのかもしれんな、とニヒルになったりする。

わたしもおんなじようにぺらぺら喋って、なんもかんも自分の話にしてしまって、ゴーマンに自慢話をぶち上げられれば、問題はないのかなあ。カラオケのマイクの順番待ちしてるときのように、相手のことはほっぽって、自分の話したいことを頭のなかで繰っていればいいのかなあ。



いやいや、それでも!なのだ。気がついてないといけないので言っておこう。

あなたのことばにうんうんと頷き、あなたのことばを心にとめて、思いを巡らし、心を添わせ、そうして、言葉を選んでさりげなく伝えることは、つまり、よき聞き手であり続けることはなみたいていなことではなく、それはひどく忍耐のいることで、このほか疲れることなのだ!と、更年期の真ん中でわたしは叫びたいのだ!!

なんて、力むと、ふらっとめまい。これぞ更年期・・・。





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Last updated  2004.06.28 09:42:34
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