文の文

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sarisari2060

sarisari2060

2004.07.19
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カテゴリ: エッセイ
作文教室ではサンプル文のコピーが配られ、高井先生が朗読されたあと、講評があり、合評する。

先だって、あるご婦人の文章に、「昭和28年ごろ、貧乏をして質屋に通った」というくだりがあった。その質草というのが「大島紬の反物、着物、時計」だった。

「これは自慢か?」という評があった。その質草を書くのが問題なのだ。ほんとの貧乏人はそんなもん持ってはいない、と。

「だって、ほんとうのことですもの」という本人の反論があったが、それでもそこをそのまま書かないのが配慮である、と。

ことほどさように、何気ないことが自慢に聞こえてしまうのだ。いたるところに地雷がうまっているようなものだ。

定年後の男性が語る往時の手柄話だとか、裕福な老婦人があちこちまわった海外旅行記だとか、成績優秀な子供の出身校だとか、幸福な風景は知らず知らず、反感を買うのだと知る。

同じ教室で、「天井桟敷」という映画の邦題をつけたお父さんを書いた文章もあった。

それはすごいなあ、世の中にはいろんなひとがいるなあ、と感心した。

わたしは、年上の友人が多いせいか、みなさん自慢の種を持っておられて関心する。文章で読んだり、直接聞いたりした。



川端康成の棺を担いだなんてのもすごいなあ。宇野千代と家永三郎の親戚で岸恵子の隣人だったというひともいたなあ。

パンダの名前の公募に当選したひともいたし、おばあさんがミスユニバースだったというひともいたなあ。松あきらの同級生というひともいたし、高見知佳と家族ぐるみの付き合いをしてるひともいた。

っとここまで書いて、ふっと我に返る。

わたし自身のことだが、こういうひとを知ってるということも一種の自慢に聞こえるかもしれんという気もしてくる。

ええ、ええ、ことほどさように・・・・・・。





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Last updated  2004.07.19 14:38:53
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