文の文

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sarisari2060

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2004.09.15
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カテゴリ: 未分類
友人の右手の親指の付け根に結石ができたと聞いたときは、そんなところにできるものなのかと驚いた。

長年ペンを握り締めて、筆圧高く、その大波小波の人生を文字にして原稿用紙をうめてきたひとなので、長時間の酷使のせいかとも思われた。

その石は神経にさわっているらしく、動悸とともに体中に痛みが走ったという。

横になることもできず、布団のうえに座ったまま、夜を明かした。

病院に行くと強い薬を出され、二の腕までしっかり固定され、石が暴れるから、その手を使ってはならんと厳命された。

そうなると痛みもさることながら、日常生活が円滑にいかない。ペンどころか、箸が持てない。

風呂に入れない、掃除ができない、ご飯が作れない、化粧ができない、そして、なにより、書くことができない。自分が自分でいるために為すことがなにもできない。

なにもできず、ただ漫然と朝から晩へ今日から明日へと、時のうつろいを見つめるいるしかなかった。

もううんざりだ、もうたくさんだ、コレじゃあ生きてる甲斐がない、こんなことが続くんなら、死んでやる、自殺してやる。そんな思いまで心をよぎった。



整形外科で長く待たされ、ようやく順番がきて診察される。と、先生は首を傾げている。

「おかしいなあ。治ってる」

もう、痛くもない。友人はざまあみろと思った。意思の力で石をなだめたのだと。

それを聞いたまわりのものはまたへーと驚く。そんなに簡単に治るもんなの?と。このひとは不死身か?などと思ったりもする。

体の方が慌てたのかもしれない。こんな結石ひとつで自殺なんぞされたら困る、と。

文学の世界で、友人の慕わしい作家はみな自死している。友人にもそういう願望が若いときから身のうちにあるのだという。

ふんばってふんばって人生の大波小波に立ち向かってきたひとが、たった一個の石で死ぬのはなんとももったいないとも思うが、執拗な痛みというものはそういうふうにひとを萎えさせるのだろう。

姑を見ててもそう思ったのだが、もともと健康なひとほどそんなふうだ。で、そういうひとは治ってしまえば何事もなかったかのように、自分がいかに健康かと語り始めるのだ。

自分にはできんことだなあ、としみじみ思ったりしている。





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Last updated  2004.09.16 07:56:43
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