文の文

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sarisari2060

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2006.01.10
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カテゴリ: エッセイ
口腔外科の定期検診だったが、どうも病院へ行くというよりH先生に会いに行くと思っているようフシがある。

検査結果に疑問符がついたときにはそんな余裕はなかったけれど、事なきを得て安心し、喉元すぎればなんとやらだ。

京都のおみやげと同人誌を紙袋に入れて用意したりしてて、いやはやこれは千鶴子さんと同じかな?なんて苦笑してみたりする。

いやいや、そういうことではなく、H先生のような個性的なお医者さんに会ってその愉快な話を聞くのが楽しみなのだ。なんとなく取材気分でもある。

とはいえ、片頬の身にはこの寒さはこたえている。咀嚼に際して不自然な筋肉の使い方をしているので、普段からどうしても顔の左半分が疲れやすい。それがこの寒さに余計かじかんでこわばってしまい、かみ合わせに抵抗がある。

治療台でそう告げると先生が触診した。先生が指で押さえて、ここは痛いですか?痛いでしょう?と言ったところがことごとく痛かった。

こめかみから顎にかけての筋肉が張って、肩こりと同じ状態になっているのそうだ。左半身は欠損があるので、血流が悪いのだとも言われた。そういう原因なら方策を考えていけばいい。

先生がその次第をカルテに書き込むあいだにいろいろ話が飛ぶ。それからがお楽しみだ。

先生が久しぶりにスキーをした話から定年後の過ごし方について、そしてネットのことから作文のこと。なんだか話がころころ転がっていく。



「へー、そうなんですかー」と驚いていると「それが純愛小説なんです」ときた。「ええー」と治療台の上で目を見張り、のけぞりそうになり、落ち着いてから「はあ。そうなんですかあ」とこちらも上質の笑顔になる。

「日の目を見ることは絶対ないんですけどね、誰かに見られるとかっちょわるいんで、誰もだどりつけないようなところにおいてあるんです」と先生は頬を少し上気させて言った。

小説は、銀行員だとか証券マンだとかいろんな分野で活躍していたひとが書いたほうが説得力のある作品ができるみたいですから、医療の現場からってことでいいんじゃないですか、とわたしがいうと、先生が「渡部淳一とか」と言った。

だれだったか、渡部氏のサイン会で握手しているときに、この手はあんなこともこんなこともいろんなことをしてきた手なんだーと思ったと言っていたのを思い出した。「解剖学的女性論とか、ちょっと女性をバカにしてるような感じしますよね」とわたしがいうと先生は「小田和正もそうなんですよ」と言った。

先生と奥さんは小田氏のファンなのだが、「君を守ってあげたい」みたいなことばかり歌うのは、どうも立ち位置に差があるってことではないかと思っているのだという。


そこでわたしは昨日読み終わったばかりの四方田犬彦(印象的な名だなあ)氏の『「かわいい」論』からの受け売りで、小さいもの、はかなげなもの、守ってあげたくなるような脆弱で壊れやすいものに対する美学、幼さという不完全さをめでる美学のようなものが日本人にはあるらしいことを言った。

「わび・さび」とか「もののあわれ」とか「幽玄」とか「いき」とかというのと同じように、「かわいい」は21世紀の日本の美学なのかもしれないというようなことが書いてあったのだ。

「そういわれてみればー」と互いに妙に納得したのだった。

「これで先生の恋愛小説もちょっとおもむきが変わるかもしれませんね」とわたしが言うと、先生はまた例の笑顔になって「純愛小説です」と訂正した。










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Last updated  2006.01.16 22:56:31
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