文の文

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sarisari2060

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2006.08.23
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カテゴリ: ひとりごと
7月、朗読の教室にひとりの小柄な老人が入ってきた。


年は84歳、度のきつそうなメガネの奥で
ヘラジカのような目がいつもうるんでいる。
痩せて背中の真直ぐなひとで、
その背中が律儀な人生を送ってきましたと
告げているようにかんじられる。

朗読の教室ではまず発声練習をする。
思いっきり息を吐いて1・2と数えて息をすう。

まっすぐな音、地に響く音、遠くまで届かせる音。
息の続く限りあーーーーーと声を出す。

あえいうえおあお、の練習もするし
「外郎売」の言い立ての練習もする。

最初は恥ずかしい思いが先にたって喉が開かないのだけれど
他のどのひとも自分のレベルを
自分であげていっているのだと気づくと
だんだん自分も素直に自分の声に向き合えるようになり
からだが声の出し方を覚えていく。

ひとおとりの基礎練習のあとその日の教材に入る。
慣れてくればお決まりの順番なのだけれど


源次郎さんも最初は事情が飲み込めず
どうなることかの連続だったようだ。
何を聞かれてもさて?という顔つきをしていた。

だれひとり知り合いのいない教室、
もう顔なじみになったものたちがずらりと並ぶなかに

緊張しているのか、なかなか声がでなかった。
声のバルブがきつく閉まっているような感じのかすれ声だった。

しかし訓練されてはいないのだけれど
だとだとしく一節を読む声が印象的だった。
ろうそくが揺らぐように震えるそのかすれ声に味があった。
どんなふうに生きてきたのですか?
と問いたくなるような声だった。

あるとき、外郎売に出てくる外郎をご存知かときかれて
源次郎さんは薄くなった髪を撫でながら
「知っていたかもしれないけれど
年を取ったからわすれてしまいました」と律儀に答えた。

わたしはこの返答がとても好きでノートの隅に書き取ってある。

自分を図り損ねないことは強さなのだと思うし
これでいいのだと今の自分を抱きしめる言葉だとも思う。

朗読の教材は童話や民話、詩が多い。
ことばあそびや教材を元に朗読劇を作ったりもする。

今日の教材は民話で東北地方の方言で書かれてあった。
それを劇のように仕立てて三人ずつが皆の前に立って演じた。

源次郎さんも皆に前に立ち東北弁のナレーションのパートを読んだ。
多少間違いながらもしっかり読んだ。
やはり少々かすれ気味で揺らいだ声だったが
なんとも味わい深い語りだった。
思わずだれからともなく拍手が鳴った。

その後で源次郎さんは
「家でひとりいて誰ともしゃべらないと声がでなくなるんです。
ここでこうして皆さんの前で声がでてよかったと
わたしは思っています」と感想を述べた。

人生の終盤に入って、
知っていたはずのことを忘れてしまう頃になっても
人の前にたって、スポットライトを浴び、拍手をもらうことは
深い意味のあることだ。
ひとはだれしも褒め言葉を栄養にして生きるのだ。
源次郎さんのはにかんだ笑顔をみてそう思った。






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Last updated  2006.08.24 11:08:15
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