文の文

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sarisari2060

sarisari2060

2011.03.04
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カテゴリ: エッセイ


国立能楽堂にて 現代狂言 を鑑賞。
彼の職場からのご招待券で、さても、ありがたいことだ。



しかし、夕刻、彼となかなか連絡がつかず
時間は迫るし、で若干、イラっとしたりもしたが
ま、命とられるわけじゃなし、と思い直す。

話はそれるが
先日、谷中ペケ市で、あるおじさまが
「命とられる値段じゃないし、買うか」といいながら
500円の小文袋を買ってくださった。
花粉症の薬を入れて車のなかに下げておく、と。

おじさまは山形出身のかたで、
かの地ではさりげなくそういうのだそうだ。

「命とられるほどの」という物差しは
なかなかにすごいもんだ、と感心した


年を取ってくると、
どうにも、自分のなかでとんがってくるものがあって
不寛容の自覚があるのだけれど
そんなとき「命とられるほどの」と唱えたら
なんもかんも、丸くおさまるような気もする。


ま、そんなこころもちで鑑賞した現代狂言。
笑わせてもらいました。
息子1も気分転換になったそうで
よかった。

能舞台は脇正面とかがあって(自分たちはその席だった)
声はまっすぐ響いていくものだから
普通に前を向いてスピーディに話されると
なかなかに聞き取りにくかったりする。


なるほど狂言役者たちのあの腹からの声の響き
ゆったりとした間合いは、そういうことなのか。
つまり、会場の端まで届く響きだ。
比較でわかることがある。


それにしても
萬斎さんが自分たちは筋肉サイボーグだと言っていたが
やっぱり、狂言は体のキレが大事なのだと、感じた。

動きのキレもそうなのだが
静止のキレに目を見張る。

止まっているときのエネルギーなんだな。
だから、体操のヒロミチおにいさんや、
格闘家のニコラス ペタスさんの動きに感心した。

コミカルなうごきもキレがものをいう。
エネルギーの森さんのエビの動きがよかった。

古典狂言「六地蔵」
ナンチャンの精進ぶりがうかがえる。
その姿勢、その声音、その抑揚。
素直に型に収まろうとする努力。

その型があるから、
現代狂言「五獣拳」の型破りが生まれる。


しかし、最後の「ドラゴンキャッスル」は狂言にするには
なかなかに手強い素材だなと思う。

場面場面はよく練られていて
演技の完成度も高いのだけれど
筋書きのパロディがうまく機能していない感じもした。

能舞台でやる必要があるのか、
このノリは文化祭だな、
言葉が生硬すぎる、なんて
こころのなかでとんがり始めるものもあったのだが

まあ、命とられるもんじゃなしで

ひととき笑わせてもらって
今日のアクシデントを洗い流してもらったのだから
しかもノーペイで見させてもらったんだから

いいじゃないの、
うんうん、ありがたいありがたい、と思いつつ
総武線に乗ったのだった。












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Last updated  2011.03.05 01:27:42 コメントを書く


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