文の文

文の文

PR

Profile

sarisari2060

sarisari2060

2011.05.18
XML
カテゴリ: 雑感雑想雑思案


青柳恵介氏が語る
骨董にまつわる楽しいお話を楽しみにしている。

いつも、友人ふたりと日暮里駅で待ち合わせて
夕食を住ませてから、
教室である谷中の韋駄天さんへむかう。

昨晩もそうだった。
日暮里駅前の中華料理店から
谷中へ向かって歩いていった。
時間にしたら10分あまりだろうか。

その途中で足が痺れ出した。

友人ふたりは勤労婦人で
本人達は意識していないだろうが
私から見ると、足の運びがまことに早い。

すっすっすっ。
目的地へ向かうための歩行。
教室が始まる時間にはまだ間があったが
身に付いた歩行速度
対角線を歩くような無駄のない感じ。

遅れないように歩いていると
足の裏から痺れ始める。

ふくらはぎ、もも裏、最後は臀部。
足全体が突っ張る感じ。

おいおい、これはどうなるんだろう、
と思っていると
傍を車が通ったので、
これ幸いに立ち止まる。

瞬時に回復するわけもなく
引きずるようにして、
ようやく目的地に着く。

「こんばんわ~、おひさしぶり~」
とはずむような友人達の声を聞きながら
ひとり落ち込んでいた。

東芝病院のセンセイは
しびれや痛みはすべて、脊柱感狭窄症に由来する、
という。

だましまだし生活して
もう我慢ならん、となったら手術するのだが
それまでは、つまり、我慢するわけだ。

だましだましの生活というのが
こんな場面に現れる。

ひとのペースに合わせて歩くことが出来ないこと。
自分のペースに合わせてもらわねばならないということ。
気持ちのしんどいことだ。

そのしんどさに釣り合う天秤を考える。
考えて、しんどくなる。

たくさんのことをあきらめねばならんな、と思う。

いや、つねに誰かと一緒にいたいわけではない。
もともと団体行動は得意ではない。
引く手あまたの人気者でもないし
気がつくとみんなとちがうところにいたし
ひとりでも平気だし、
だから、いいんだけど
いいはずなんだけど

こんなふうに現実を突きつけられると
うっと後ずさりしてしまう。

そして
後ろ向きになりそうな思いのなかを泳ぎ
自己憐憫の大波を被って溺れそうになる。

苦しくなって息継ぎをするように、
過ぎた時間を思う。



予後のよろしくないとされる悪性腫瘍ができて
手術してそのあと15年も生きて来た。

あのときでおわっていたかもしれないのに
15年だ。
すごいじゃないか。

あきらめたことは山ほどあるが
新しい出会いもあったし
自分のこころのなかにめっけたことは
もっとたくさんあった。

生きることの意味はより明確になった。

ありがたい、と素直に思う。
御の字、だ、と。


そうだ、くらしのさまが変わるだけだ。
わたしはわたしのペースが変えられない。
だれかのペースに合わせることが出来ない。

ああ、それはわがままではなく
しかたのないことなのだ。

ある意味、ありがたいのかもしれない。
決まったことは悩む必要はない。

だれかの背中をみながら歩くことになること。
だから見える景色もあること。
それが、天秤の片側にあるものだ。


どうぞどうぞ
「おさきにどうぞ」






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011.05.18 09:33:36 コメントを書く
[雑感雑想雑思案] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: