2月3日 しいちゃんのアトリエ舞踏 167
「むずかしいことをやさしく、 やさしいことを
ふかく、ふかいことをおもしろく」井上ひさし
俳句「密会」
ローザンヌ・バレエ・コンクール

「 むずかしいことをやさしく、や さしいことを
ふかく、ふかいことをおもしろく」井上ひさし
去年7月の右手の怪我から7ケ月たって、はじめて一人で東京に出かけ、
紀伊国屋ホールで 井上ひさしの「太鼓叩いて笛吹いて」を観てきた。
怪我で一人で上京できない時にかぎって、パリオペラ座
バレエ団やミュージカルがやってきた。
それでも怪我の直前に6月の歌舞伎座の杮落しをみたのは幸いだった。
映画にもなった林芙実子の「放浪記」は森光子主演で舞台化され
記録の超ロングランになった。私はあのでんぐり返しが
まだ元気にできた頃の、少し若い森光子を見た。
「放浪記」が林芙実子の私生活を
舞台化したものなら、 従軍記者として南方に派遣され、戦争賛歌の
記事を送り続けた林芙実子が帰国後、反戦小説を書き
廃墟となった日本を耐え抜く庶民を、描き続けた壮絶な晩年を
井上ひさしは「太鼓叩いて笛吹いて」で描いている。
私人林芙実子を描いた「放浪記」と
井上ひさしの「太鼓叩いて笛吹いて」社会派林芙実子は対をなすものだろう。
2002年のこまつ座初演、4回目の上演とも大竹しのぶが
ライフワークとして熱演している。
「滅びるにはこの日本は美しすぎる」
「歴史の本はすぐに忘れてしまうわ。わたしたちがどんな思いで
生きてきたか。どこで間違って、どこでその間違いから
出直したか、今のうちに書いておかなくてはね。
わたしたちが自分で地獄をつくったということを」芝居が終わると
観客がみんな泣いていた。おかみに翻弄された庶民の涙だ。
ものすごい拍手。舞台に一列に座った役者たちが静かにお辞儀をした。
10年も前に書かれた井上ひさしの遺言は
今、会場の客にたしかに届いたのであった。

俳句密会
逢えぬ日の祭りの中を通りすぎ 松本恭子
こがらしの奔放女も日も森も 和田悟朗
きさらぎの風吹き君はひとの夫 桂信子
二人とも少しづつ老い時に逢い 時実新子
まぐわいのしずかなる雨居とりまく 鈴木しづ子

ローザンヌ・バレエ・コンクール
一位二位入賞の今朝のニュースを書いておこう。
今や日本はバレエ王国である。バレエをやる人口が増え
外国の高額チケットのバレエ団の来日が毎年ひきもきらない。
ところが日本のバレエ団の看板は相変わらず
白鳥の湖とクルミ割り人形だ。
若い優秀なダンサーがいくら出てきても、舞台が少ない。
新作を作り上演する仕組みが出来ていない。
音楽とストーリーとダンスでバレエを創りだす人間がいない。
バレエはダンサーばかりではなりたたない。
国も若いダンサーの海外留学にお金を出さないと
いびつなバレエ王国のままだ。ちなみに 昭和27年、当時17歳だった
ノーテンキな私の希望職業はバレエの振付師だった。
奇想天外な発想、おおいに笑えるでしょう。それほどバレエ舞台が好きだった。
渋谷のオーチャード劇場の総監督になった熊谷哲也は
予算が確保できた唯一のダンサーだろう。
初台の新国立劇場つきのバレエ団も海外から総監督を招き
二年契約制のダンサーで新作に挑戦し、海外遠征もして健闘している。
三年に一度の上野の世界バレエ・フェスチバルを見ると
世界の踊りの変化はすごい。とくにモダンバレエは
文学や映像をはるかに超えて、肉体と音楽でダイレクトに
男と女の愛を語りはじめている。
なかば唖然として、上野から帰ってくる電車の中で
日本人に欠けているものは、クリエーションだとつくづく思うのだ。
オペラについで高額なバレエチケットを買うことは
清水の舞台から飛び降りるくらいの事件だから
これから後の人生に何度、ほんもののバレエを
観ることができるだろう。ふと17歳の頃のおろかな未来の夢を
思い出していました。