
4月12日 193
ロダン体操
日野草城五句
南下する静岡市街
※佐伯祐三の郵便配達夫
ロダン体操
1928年、二度目のパリ滞在中に、30歳の若さで結核で死んだ
「佐伯祐三とパリ展」を静岡市立美術館で見てきた。
大阪の寺の息子として生まれ、今の東京芸術大学に入り 結婚、
彼が絵を描いたのはわづか6年間だった。
その6年間に、ユトリロの影響を受け、独特のパリの街角の
風景を描き続ける。
くすぶった建物の壁は作者自身のように感じられた。
帰国中に描いたという下落合の風景二点は違和感があった。
500円払ったイヤホンの解説が、かなり悲劇的で
暗い町角とピタリ合致していたから、妙な気分になった。
冬の曇天の日に描いていたのかと思ったが
結核を患ってから、最後は少し精神も病んだらしい。
見終わってロダン館にまわったら、彫像をスケッチをする
グループが 静かにキャンバスに向かっていた。
彫像も地獄の門も、以前より黒く磨き上げられている。
見疲れて緑の山を眺められる休憩室に入ったら、テレビで
体操のお姉さん三人が 不思議な 体操をしている。
よく見たら、画面の右下にロダン館のいろんな彫像が現れて
そのポーズを真似する体操だった。とても面白かったので
ロダン体操と名付けTVの
日本珍風景に申し込もうかと思った。
新緑の中を電車の駅まで、のんびりと歩いて帰ってきた。
日野草城「ミヤコホテル」
けふよりの妻と来て泊つる宵の春
バラ匂ふはじめての夜のしらみつつ
うららかな朝のトーストはづかしく
湯上りの素顔したしく春の昼
永き日や相触れし手は触れしまま
※ 静岡市の呉服町商店街
南下する静岡市街
静岡市の街はどんどん南にさがってきている。
戦前から戦後長いこと、紺屋町、呉服町通りと七間町が
交差した角に伊勢丹のある札の辻が街の中心だった。
デパートは他には戦前からある駅前の松坂屋だけだった。
40年くらい前になって、静岡清水を走る静鉄のターミナル駅が
今はセノバと呼んでいるテナントビルとなり、同じくJR静岡駅が
パルシェとなった。これで駅周辺は戦前からの松坂屋に
109と丸井、西部だったパルコが加わり6店になり、
街は札の辻中心からどんどん南下してJR駅北口中心になった。
ところが新しく、JR静岡駅から東に4分一つ目の東静岡駅前に
マークイズとか言う巨大なテナントビルが出店した。
三階建てだが、通路がすごく広く、ヤングと若い家族で
かなり混んでいる。静岡清水の真ん中にあり、県内からは
海岸線を車でくると駐車場も広く便利らしい。
静岡市80万人に周辺市町の30万人を加えた1,000,000人商圏
ではあるが、街の中心だった、特に映画街で繁盛した七間町は
今はすっかり影が薄れてしまった。
昔から老舗より新店と言う言葉があるくらい
客の心理は移り気だ。
かつてJR駅の位置が東にずれると、紺屋町通りの客が減ると
国道をそのままJR駅をくぐる南北通路も通さず
駅南のイトヨーの売場を二階までにとどめた
世界的に有名な静岡市ショーチョーキョーがあった。
今はただ大型資本のテナント進出に、街は悲鳴をあげている。
時は変化をもたらすエネルギーだと言うが、
呉服町育ちの私は、昔の街並みが懐かしいですよ。