看護侍

看護侍

2004年04月26日
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生まれもつ野性を、

司馬遼太郎氏はある講演のなかで、
飼いならす装置として欧米人の「聖書」、
日本人の「世間」を挙げている。

天上の神であれ、地上の他者であれ、
誰かが自分のふるまいを見つめている。
その目を意識し、視線に恥じ入る心があって、
人は文明人であることを誇れるのだろう。


神の目や人の目を恐れた形跡はない。
あるのは、「われひとり、高し」の驕慢(きょうまん)さであり、
人の屈辱を喜びとする精神の卑しさである。

暴虐の主がフセインから米兵に代わっただけかと人々が疑えば、
復興が進むはずもない。
貴い目的に賛同し、危険を分かち合う日本など同盟国への背信行為でもある。

後手後手に回る米政府の対応を見れば、
世間――国際社会の視線に対する感度不良は個人のレベルにとどまるまい。
千丈の堤も蟻穴(ぎけつ)より崩れる、という。
築きかけたイラク復興の堤を守るには、
徹底した調査と厳正な処分を通じて、失われた感度を取り戻すしかない。


作中人物に語らせている。
「どんなに賢くっても、にんげん自分の背中を見ることはできないんだからね」(「さぶ」、新潮文庫)。
ひとの視線を借りて、初めて見えるものもある。

先日の読売新聞の『編集手帳』から、無断転載。
名文ですね。


虐待写真を見たフセインが、
『俺の拷問のほうが軽かった』
そうかも、しれない。

白人は加害力が桁外れに高い。
彼等に取って、有色人種は人間じゃ無いのだ。
組織の命令で虐待したとしても、あの楽しそうな雰囲気はなんだ?
彼等の本質だからだろう。
虐待を楽しめるのだ。

アメリカ人は凄い。





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最終更新日  2004年05月15日 13時25分39秒


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