Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2012年12月17日
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カテゴリ: 夢有無有
「オリエントの神々」序章六・メソポタミア文明の成立
 アッカド人は紀元前2400年頃に、メソポタミアやシリアの都市国家を統一して広大な領域国家を立ち上げますが、これもまもなく滅亡して、一時シュメール人が勢力を回復します。しかい、やがてセム系のアムル人のバビロン第一王朝(古バビロニア王国)が成立、ハンムラビ王のときには全メソポタミアを支配したるに至りました。王は運河の大工事をおこなって治水・灌漑を進め、古今東西が見習うとされる有名なハンムラビ法典を発布して中央集権化を進め、領内の多民族を支配します。その法典によれば、王は神の代理者として統治し、刑法には「目には目を、歯には歯を」の復讐法の原則にはたちましたが、被害者の身分によって刑罰が違っています。此れは時代社会上の要請であったのでしょう。
 紀元前1500年ごろまでにイランや小アジアの高原地帯の牧畜民は、中央アジアの南ロシアやインド・ヨーロッパ系の遊牧民の移動にともなって民族移動をおこし、青銅の武器と戦車と騎馬によって各地の先住民を征服して国家を形成します。そのうち、はやくから鉄製の武器を使用していたヒッタイト人は、紀元前1700年なかば頃には、小アジアに強力な国家を建設してバビロン第1王朝を滅ぼし、シリアに侵出してエジプトと戦います。またカッシート人は南メソポタミアに侵入してバビロニアを支配しました。このほか北メソポタミアからシリアに広がったミタンニ王国も強大でした。こうしてオリエントでは紀元前1500から紀元前1400頃には、エジプトの新王国をも含めて諸王国が並立する複雑な政治状況がうまれ、数世紀間の混乱が続くこととなりました。メソポタミアでは多神教が信仰されていましたが、民族の交替が激しかったため、その時々で信仰される最高神も変わります。文字はシュメール人がはじめた楔形文字がセム系やインド・ヨーロッパ系の民族の間でも使用され、アケメネス朝のペルシア人にいたるまで、言語は異なってもみな楔形文字を用い、粘土板に書いていました。また六十進法や太陰暦の使用、それにもとづく閏年(うるうどし)の設置など、天文・暦法・数学・農学など実用の学問の発達は当時の世界の最高水準にありました。
 シュメールの人たちが、面倒な六十進法を取り入れたのは幾通りにも割り切れる便利さのせいだと言われています。60という数字は、多くの整数で割り切れます。楔形文字には1から59に対応する数字があって、これは内部に十進法を含みます、しかし、0を表す記号はなく、空白で表したため、完全な位取り記数法ではありませんでした。ゼロの発見は印度での発見を待つ事と成ります。また、彼らはこれを角度にも利用し、1度を60分に、1分を60秒に区分しました。

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最終更新日  2012年12月17日 06時31分32秒
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