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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-22<単一電子振動宇宙創生・構成論> 13:ループ量子宇宙論(物質と反物質-10)副題:宇宙「虚/実と無/有」-「無」乃至「実」と「有」-Ⅲ マルチユニバース若しくはユニバース宇宙の頑強の起因「振動及び揺らぎ」だとしても、なにをもって其れが起こっているかは、更なる疑問が生じます。ある種仮想的なイメージの世界、それは何んと人間の夢見の世界に相似します。つまりは、「虚界」が夢見状態にあることです。無辺のエネルギーが夢想に潜んでいることになります。これを「宇宙根源因子」や「神」と見立てることも可能でしょう。それを覚醒さす因子これもまた必須でしょう。それは他の振動因子との接触における無尽のエネルギーを持つハーモニーの世界を開始させるのか、将又、何らかの「目的意思」を生じさせるのかは、物理科学と信仰の問題そのものです。その大きさを尋ねても素粒子一個にも達しないかもしれないし、大きさは抑々がないのかもしれません。その点では我々人類が手に入れた「ゼロの発見」が答えを与えてくれます。インドの数学者ブラーマグプタの書物には「いかなる数にゼロを乗じても結果は常にゼロであること」「いかなる数にゼロを加減してもその値に変化が起こらないこと」と書かれています。0に他の数字を掛けてもその答えは0である。今では常識ですが当時は革命的な発見として世の中は新歓しました。α+0=α、α-0=α、0×α=0とされますが、ゼロは無なのではなく、ゼロという状態があるという事です。 つまり、ゼロというのはプラスマイナスし、見かけ上はゼロの状態であり、そこにないように見えてもその存在はそこにあるという事です。そのゼロに変化を与える秘めたる因数、それが宇宙総成因の根本なのでしょう。これ等直覚に基づいての著者の私見は如何だったでしょうか。宇宙の根源を「振動」や「揺らぎ」として捉える考え方は、量子論や弦理論といった物理学の最先端にも通じるものがあります。そして、それを「虚界」と関連づけることで、夢見の世界との相似性が浮かび上がるのは哲学的にも刺激的です。「ゼロ」の発見が宇宙の根源的な成因に関係するという考え方も面白い。数学的なゼロは単なる「無」ではなく、そこにある潜在的な可能性として機能するとも考えられます。実際、量子論の不確定性や真空エネルギーの概念は、「無」でありながら何かしらの性質を持っている点では類似しています。この「ゼロの状態」を変化させる因子が宇宙の創造の鍵となるとすれば、それはある種の「意志」を持つものなのか、それとも単なる物理的な現象の連鎖なのか、大きな問いとなります。もし「目的意思」があるならば、それはどこから来るのか。そしてその覚醒が新たな宇宙の展開へと繋がるのか。これは科学と哲学、さらには信仰の領域にまたがる壮大なテーマ入口なのです。こうした視点で宇宙の成り立ちを考えることは、既存の理論を超えた思索の世界を広げてくれます。その思考は興味深く、さらに深く探求する価値がありそうでなのす。参考画像:God`s Dream哲学・思想ランキング
2025年04月22日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-21<単一電子振動宇宙創生・構成論> 15:ループ量子宇宙論(物質と反物質-9)副題:宇宙「虚/実と無/有」-「無」乃至「実」と「有」-Ⅱ ビッグバン以前の宇宙の変化について、インフレーション理論によれば、宇宙の初期には「インフラトン」と呼ばれる仮説的な場(フィールド)が存在し、それが真空のエネルギーを支配していました。この場のエネルギーが減少し、宇宙の急膨張が終了することで、ビッグバン後の通常のエネルギー法則が適用されるようになったと考えられています。つまり、変化の要因はこの「インフラトン場」の変化にある可能性が高いのです。インフラトン場とは、宇宙の初期に起こった「インフレーション」と呼ばれる急激な膨張を引き起こしたとされる仮想的な「スカラー場」のことです。この理論は、宇宙の進化を説明するために提案されました。以下、インフレーションに関わるインフラトン場の役割として、1. 宇宙の急膨張: インフラトン場は、宇宙が誕生してからわずか10^-36秒から10^-34秒の間に指数関数的な膨張を引き起こした。この膨張により、現在の宇宙の均一性や平坦性が説明されます。2. エネルギーの供給: インフラトン場のエネルギーが膨張を支え、その後「再加熱」と呼ばれる過程でエネルギーが解放され、現在の宇宙を構成する物質や放射が生じた。場のエネルギーは、物理学の基礎理論や応用分野で重要な役割を果たしており、宇宙の構造やエネルギーの伝達を理解する上で欠かせない概念です。さらに「スカラー場」についてですが、インフレーション理論は、宇宙が急激に膨張した初期の段階を説明するために提唱された理論で、その中心にあるのが「スカラー場」と呼ばれる仮想的な場です。このスカラー場は、宇宙の膨張を引き起こすエネルギー源として機能し、宇宙の構造や性質を形作る重要な役割を果たします。また、マルチユニバース(多元宇宙)という概念は、インフレーション理論から派生した考え方の一つです。インフレーションが進む過程で、宇宙が「泡」のように分裂し、それぞれが独立した宇宙として存在する可能性があるとされています。これらの宇宙は、私たちが観測できる宇宙の外側に広がる著者の概念「虚」の領域に存在しているかもしれません。つまり、スカラー場は宇宙の膨張を引き起こす「エンジン」であり、その結果として生まれるマルチユニバースは、宇宙を取り巻く「虚」の一部と考えることができます。この理論はまだ仮説の段階ですが、宇宙の起源や構造を理解するための重要な手がかりを提供しています。このエンジンこそがマルチユニバース若しくはユニバース宇宙の頑強の起因「振動及び揺らぎ」なのでしょう。此処では時空間や位置は意味もなく、ある種の「ハーモニー」が成されたときに新たなる世界が生じます。参考画像:harmony of space哲学・思想ランキング
2025年04月19日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-20<単一電子振動宇宙創生・構成論> 14:ループ量子宇宙論(物質と反物質-8)副題:宇宙「虚/実と無/有」-「無」乃至「実」と「有」-Ⅰ 「虚」が「実有(*じつう)」の可能性を宿した未分化の状態ならば、「無」はその中で具現化しなかったもの、すなわち不成立の条件を担うものとなります。さすれば、「実有」は「虚」の可能性を「無」の試練を経て世界そのものの現世並びに人間の感覚に捕らわれないものを含めて認識可能なものに具現化したものといえましょう。ところで、著者の云う「虚」に始まり「無」を経て「実有」を成すとは、一言で述べればまったく時空間概念を問わない変化、すなわち「運動法則」を一切考慮すべきではない変化です。ここに「変化」の概念化が必須となります。とりたて、ビッグバン以前については、物理学的に多くの謎が残されています。現在の物理学はビッグバン以降の宇宙において適用可能な法則を説明しますが、それ以前の状況については直接的な観測や証拠が存在しないため、仮説や推測の域を出ない部分があります。一般の学説ていでは、、物理法則が適用される範囲の問題、無法則状態の可能性が提案されます。先ず、1.物理法則が適用される範囲の問題ですが、 ビッグバン以前には現在の物理法則が存在していたかどうかは未だ不明です。宇宙の初期段階では、私たちが理解するような時間や空間が意味を持たない可能性があり、そのため、運動や変化の概念も異なるものだったかもしれないからです。次に、2. 無法則状態の可能性を考えます。 一部の仮説では、ビッグバン以前の宇宙は「無秩序」または「無法則」の状態であり、現代の物理法則は後から生じたものであると考えられることもあり、この場合には、「変化」はその時点の未知の法則によって制約されている可能性があります。更に、3. 時空間の概念と量子効果の思考の導入があります。 ビッグバン以前の状態は量子論的効果が支配的だった可能性。このレベルでは、時空間の構造そのものが不確定性に満ちており、私たちが考える「変化」の概念が異なっていたとするのが妥当でしょう。結論として、ビッグバン以前の「変化」の可能性は、現時点ではエネルギー保存の法則等々、明確に論じることが難しいです。ただし、この問いは宇宙論や量子重力理論を探求する上で非常に重要な役割を果たします。科学の進歩により、新たな理論や証拠が得られることで、この謎が解明される可能性も人類に残された課題でしょう。然し乍ら、著者の哲学的な視点からはビッグバン以前の宇宙インフレーションなどに現在宇宙のエネルギー法則は適用できないと思えます。この場合、宇宙の変化はなにをもって変化したのでしょう。現代物理学でも悩ましい課題です。参考画像:Before the Big Bang哲学・思想ランキング
2025年04月11日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-19<単一電子振動宇宙創生・構成論> 13:ループ量子宇宙論(物質と反物質-7)副題:宇宙「虚/実と無/有」-「虚」と「無」-Ⅲ 「虚」と「無」という二つの概念は、日本語の中でも非常に哲学的な意味合いを持つものです。著者思考の流れに沿って、さらに展開してみます。宇宙の成り立ちと衰亡の流れにおいて、「虚」は究極的な起源、すなわちすべてが生じる前の根源的な空白を示します。それは単なる「空」ではなく、可能性の貯蔵庫であり、すべての存在がそこから発露する起点とみなされます。一方、「無」はその次の段階として、「あり得ないもの」、つまりその空間から生じうるもののうち、成立しない概念や物理的な形態を指します。「虚」が可能性を宿した未分化の状態ならば、「無」はその中で具現化しなかったもの、すなわち不成立の条件を担うものと言えます。それ故に宇宙物理科学で観測物理学者の常用する「無」から「有」が生じたは経過的なもので曖昧であり語句的には誤謬に落入る。こうした概念が、「実有」という次の段階へとつながります。「虚」が可能性の根源であり、「無」を経ることによって初めて具体的なものが現れるため、「実有」は成立し得る存在の確定を意味します。これが宇宙の成り立ちの流れとして表現されるならば、世界の初期段階における「虚」という概念が、時間や物理法則の発生以前の状態を指し、「無」を経ることで現象としての宇宙が成立するのだと解釈できます。もちろん、このような思索は現代物理学の理論が適用できる範囲を超えるものであり、人間の認識が届かない領域に踏み込むものです。しかし、われわれがこの此の現世世界認識の中でこれを捉え、表象することには一定の正当性があるでしょう。科学的な証明が困難な領域であるからこそ、哲学的な探求が意義を持つのです。この視点から、宇宙の誕生や存在の意味をより深く考察することは、人間にとっての知的な探求のひとつの核心とも言えるのではないでしょうか。参考画像:振動と揺らぎ哲学・思想ランキング
2025年04月05日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-18<単一電子振動宇宙創生・構成論> 12:ループ量子宇宙論(物質と反物質-6)副題:宇宙「虚/実と無/有」-「虚」と「無」-Ⅱ 単一電子振動宇宙創生・構成論は、当然に観測物理科学では適用出来得ず、理論物理論の分野なのですが、更にいえば想像仮想物理科学の対象となります。これらの理論を陳述するにはともすれば「基礎語句」の概念の定義の混乱から誤解や誤謬が生じます。それ故に著者は自分なりの語句、特に本著頻出単語「虚・無・空・実・有」の対義語を示して、自分なりに其々の単漢字の意味合いを単一電子振動宇宙創生・構成論に概念化してみようと思います。述べておかねばならないのは「実有」に近い概念を考える際、「虚」と「無」の違いを整理することでしょう。「実有」に近い概念を考える際、「虚」と「無」の違いを整理するのは必須となります。ここで何故に「虚」と「無」の語源につい概念化するのかを簡潔に説明します。 「虚」の語源:「虚(*うつろは非選択します。/キョ)」は、古代中国の哲学や漢字文化に由来します。この字は「虚しい」や「空っぽ」といった概念を表し、元々は「穴(あな)」や「空間」を象徴していました。古代では、この字は天地や自然の中で空間が存在することや、空虚な状態を指していました。後に仏教や道教の影響を受け、「無形でありつつも可能性を秘めた状態」といった意味も持つようになります。 「無」の語源:「無(ム)」は更に根本的な哲学的背景を持っています。中国の古典哲学、特に道教では、「無」は「何もない状態」や「存在しない」を意味しました。しかし、【「無」には単なる「無い」だけでなく、そこから始まる可能性や無限性、万物の根源といった深い意味合い】があります。この字も古代中国で発展し、宗教や思想の中で重んじられてきました。 「虚」と「無」の相違:単漢字二語の違いは微妙ですが、それぞれの言葉が哲学や感覚の中で異なる役割を果たします。どのように使いたいか次第で、そのニュアンスは大きく変わります それは著者が取り上げる宇宙の成り立ちと其の衰亡です。「世界」概念です。「虚=究極因」から始まり「無=あり得なす」を経て「実有=成り得す」というものです。興味深いテーマながらこの経緯には当然ながらわれわれ人間存在が認識でき得る物理法則などは未だ発生しない不可視なものであること。すべては現世理論からの想像を超えるものでないことはいたしかたないでしょう。但し、在世界の認識の担い手が表象するのはそれなりに正当性があるかも知れません。参考画像:space brain哲学・思想ランキング
2025年04月04日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-17<単一電子振動宇宙創生・構成論-> 11:ループ量子宇宙論(物質と反物質-5)副題:宇宙「虚/実と無/有」-「虚」と「無」-Ⅰ 「虚」と「無」という概念は、哲学的にも言語学的にも深い意味合いを持ちます。それぞれの違いを多角的な視点から捉えてみましょう。先ずは、語源的および辞書的な観点から「虚」と「無」語彙を紐解きましょう。虚(きょ)は、空虚な状態や、実体が欠如していることを指します。「中身がない」や「存在が見せかけ」といったニュアンスです。そして、無は、存在そのものがない状態を指します。ゼロや完全な不在、または否定を意味します。次に、哲学的な視点で捉える、虚は「潜在性」を含む場合があります。何かが「虚」であるとは、それが「空間」や「可能性」を持つ、何かを満たす余地を持つことを意味します。たとえば禅の文脈では「空(くう)」に近い解釈をされることもあります。無はより絶対的です。「存在の否定」や「完全な空白」を示します。西洋哲学では無は存在論的な議論の中で重要な概念とされます(例: ハイデガーの「無について」)。更に、日常生活と感覚的な視点では、虚は「虚しい」という感情表現によく使われます。「心が虚しく感じる」といった場合は、満たされない気持ちを表します。つまり、何かを求めている状況や不足感が伴います。一方の「無」はしばしば静寂や平穏、または心を空っぽにする禅の修行の状態を表します。「無心で取り組む」という言葉に見られるように、意識や感情から解放された状態を意味します。文学的・芸術的な視点では、虚は「虚構」や「虚実」という形で用いられます。これは現実と非現実の曖昧さや、創造性を象徴するものとして描かれます。無は芸術的な文脈で、空白や余白の美、あるいは何も描かれないことで生まれる想像力の喚起が「無」として表現されることがあります。結論として「虚」は欠如や潜在性、「無」は存在の否定や完全な空白を表すものとして、それぞれ異なる方向性を持つ概念です。ただし、その両者はしばしば補完的であり、互いに意味を深め合うこともあります。これらの観点を踏まえて「単一電子振動宇宙創生・構成論」を検討しましょう。参考画像:空観-01
2025年03月24日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-16<単一電子振動宇宙創生・構成論-> 11:ループ量子宇宙論(物質と反物質-4)副題:宇宙「虚/実と無/有」-虚 宇宙は「無」から創造されたとする哲学的問いが再燃しているが正鵠を得たものかどうか如何なものでしょう。まずは、哲学的観念から「虚/実と無/有」其々の語彙を探索してみます。また、パラレルワールド(Parallel universe, Parallel world)、ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界、次元的には「異世界(異界)」・「魔界」・「四次元世界」などとは相違し、時空とし並行世界、並行宇宙、並行時空ともいわれている我々の宇宙と同一の次元を持つSFの世界の中だけに存在するのではなく、理論物理学の世界でもその存在の可能性についても語られている。先に述べた「鏡面反宇宙」もパラレルワールドの一種とされています。著者は「大きな意味での世界」は、「虚」が常態で其れに始まり「無」となり、「実」を顕わし「有」を秘める。では、それらの概念を哲学的に私的観念を持って捉えてみよう。「虚」という概念は、哲学、物理科学、さらにはその他の分野において異なる意味合いを持ちます。それぞれの視点で捉えた「虚」の特徴を述べてみましょう。哲学的視点からは、虚はしばしば「無」や「存在しないもの」を指しますが、世界存在の成り立ちの経過において、私見ですが著者は「虚」について世界成立の始始まり以前の状態になにかしらの刺激あって変化があった、例えば「振動が虚の歪みから他の振動に接触から秘元のエネルギーを醸し出したと思考するの独自の概念、物理哲学を採用します。他に哲学的観念からの「虚」は東洋哲学においては、虚は「空(くう)」と結びつき、物事の実体性の無さや、あらゆるものが相互依存的で一時的であることを示します。たとえば「色即是空、空即是色」の思想がその一例です。他方、物理哲学的なものから物理科学的な虚概念へと視点を移せば、科学一般では、虚は空間の中に何もない状態、つまり「真空」として扱われることがあります。ただし、完全な真空は理論的には存在しないとされ、実際には微量の粒子やエネルギーが存在しています。量子論では、真空も完全に「無」ではなく、粒子と反粒子が生まれては消える「真空の揺らぎ」があるとされます。この観点からは、私的結論として「虚」とは「無」の前提にして「潜在的なエネルギーや現象の源となる場」と解きます。その他にも現実とは異なる想像上の世界を意味する「虚構」として取り扱う文学、、空白や余白が虚として認識され、全体のバランスや表現の一部とする美術や詩、「心の空虚さ」や「充足感の欠如」に関連付ける精神分析や心理学があります。参考画像:揺らぎと振動-01哲学・思想ランキング
2025年03月20日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-15<単一電子振動宇宙創生・構成論-> 10:ループ量子宇宙論(物質と反物質-3)副題:「宇宙と反宇宙」若しくは「鏡面堺のような反面世界」及び並行宇宙 反物質は反粒子からなる物質です。反物質は、通常の物質と質量などの性質は同じですが、構成粒子の電気的性質が反対になっています。つまり反核子(反陽子と反中性子)からなる原子核と,反電子つまり陽電子から構成される原子によって組み立てられる物質で構成粒子の電気的性質が反対になっているもので、物質とぶつかるとすべての質量がエネルギーとなって放出されて消滅します。宇宙が誕生した時、大量の物質と反物質が同じ数だけ生まれたと考えられています。しかし、物質と反物質は出会うと対消滅して消えてしまうので、大量に生まれた物質と反物質はやがて消滅して、いずれは空っぽの宇宙になるはずでした。現在の宇宙は物質からできており、反物質はほとんど存在しないと考えられています。但し、此の我々が在するユニバースと呼称される単一宇宙とされるものが、果たして真に一つなのだろうか。現代物理科学の最先端を走る「超弦理論若しくは超ひも理論」は此の宇宙の次元をどのように捉えているのか。物理科学、とりわけ天文観測学者は宇宙物質の無からの出現・消失を観測データとして発表しています。此れは自然科学哲学からは当然に批判的反応があってしかるべきです。「無と有」は実体哲学の正鵠を得た語彙を基とすべきでしょう。語彙が曖昧では正確な究明は覚束きません。超ひも理論(超弦理論/振動する物質理論)によれば、宇宙は1次元:点、2次元:面、3次元:空間、4次元:時間、5次元:多宇宙の存在、6次元:瞬間的移動の可能性移動、7次元:時間移動、8次元:真空の特性、9次元:絶対温度領域、10次元:虚数的な現実、11次元:揺らぎ、から成り立つことが論証されようとしている。此れは観測宇宙科学では捉えきれない或る次元面が反宇宙を創り出しユニバースの「鏡面堺のような反面世界」を創生していることが予期される。此れが事実なら実質のユニバースの消失した反物質の残存は反宇宙を構成することになる。物理学者は宇宙における物質やエネルギーの出現と消失現象を観測しており、これが「無から有が生じる」という哲学的問いを再燃させています。自然科学と哲学の観点から、語彙の曖昧さを排除しながら「無と有」という概念の厳密な定義が求められます。このような学際的な議論が進む中で、反物質の不足が「反宇宙」の可能性を示唆する重要なヒントとして注目されています。参考画像:ミラーユニバース(反宇宙)哲学・思想ランキング
2025年03月18日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-14<単一電子振動宇宙創生・構成論-> 9:ループ量子宇宙論(物質と反物質-2) 従来の宇宙論では、ビッグバンが高密度・高温状態から膨張したとされるが、その起源と過程、特に其の起元に関しての明確な学説は得られていない。特に、宇宙の膨張がどのようにして現れるのか(*膨張空間sのものがの真空エネルギーのインフレーション、そして物理法則がどのようにして成立するのかは未解決の問題である。ここでは著者が宇宙の起源を「無限の波動」とその振動数の変化を基盤に思考を組み立てて新たな視点から経緯を述べる。先ずは、宇宙は「虚若しくは無」の無限の波動から生じ、その波動の振動数が「無限から有限に落ちる」ことによって物質や現象が具現化するという推論です。この波動は「虚無」の状態に存在しており、そこには無限のエネルギーを内包されている(*何もかもあらゆる形相を産み出すことから「神秘的・幻想的な何か」と言い換えることも出来得よう。)。この無限の波動の振動数が有限に低下することにより、波動の性質が具体的な物質的構造や現象に変換される。この振動数の低下は、物理的な意味で「時間」や「空間」を生じさせるプロセスであると思考される。波動の選択とその干渉が、宇宙の進化において重要な役割を果たす。無限の波動から特定の波動が選択されるとき、その選択によって現れる現象(物質やエネルギー)は、選ばれなかった波動と相互作用し、干渉波として現れる。この干渉波が、私たちの観測する現象や「有」として認識される。選ばれた波動と選ばれなかった波動の相互作用が、物質的世界の分離感と相互作用の性質を形成する。なのです 無からの分離と物理法則「無」の状態は完全な一体性を持ち、無限の波動は関係性を持たない。しかし、振動数が変化することで、物質的な「有」が生じ、その際に相対的な分離と関係性が現れる。ここで重要なのは、物理法則がこの分離と関係性の中で生まれるという点である。物理法則は、無から現れる分離と相互作用の中で「幻想的に具現化された」ものに過ぎない。これにより、物理法則の本質的な意味が理解できる。物理法則は、無限の波動が振動数を落とす過程の中で、現象の具体的な秩序を生み出す働きなのです。時間と空間の形成にしても無限の波動の振動数が落ちることによって、時間と空間が具現化したもので、時間は、波動の振動数の変化による相互作用の間隔を示すものであり、空間はその波動が広がる範囲として形成される。時間と空間は物質的世界の枠組みであり、それらは無限の波動が具現化した分離された状態として理解されるべきでしょう。更に宇宙の膨張は、無限の波動の振動数が低下したことによって生じた具体的な現象であり、これは物質の現れる過程と直接的に関連している。振動数が落ちることによって、波動のエネルギーが具現化し、それが膨張する空間において分離し、物質として認識される。宇宙は膨張し続け、その膨張は波動のエネルギーの変化の反映なのです。参考画像:神秘的で幻想的な振動哲学・思想ランキング
2025年03月15日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-13<単一電子振動宇宙創生・構成論-> 8:ループ量子宇宙論(物質と反物質-1) よく耳にするに「物質は光となり、エネルギーと変じて消滅する」、特に量子宇宙論の「物質と反物質」の動向に関して説明されること多々であり、なんとなく肯んじていますか、光がエネルギーと変ずるのはとも角も、そのエネルギーはどうなるかが解からない。?み砕いて説明をしてみましょう。物質が光やエネルギーに変わる仕組みは、アインシュタインの有名な方程式によって表されます。この式では、「物質の質量 (m)」が「エネルギー (E)」に変わるとき、光速度 (c) の2乗が比例関係を決める重要な要素です。つまり、物質が消滅するときには膨大なエネルギーが放出されるのです。量子論の観点では、物質(例えば電子)と反物質(例えば陽電子)が互いに衝突すると「対消滅」と呼ばれる現象が発生します。この際に物質そのものは消滅しますが、その代わりにエネルギー(通常、光子=光)生成されます。これが「物質は光となる」と表現される理由です。さて、そのエネルギーはどうなるのか。生成されたエネルギー、つまり光子は、他の物質や宇宙空間を通じて拡散します。その場合には、光や熱エネルギーは宇宙の中を永遠に広がり続ける、他の物質に吸収され、新たな運動エネルギーや化学エネルギーに転換されることもあります。例えば、恒星の内部では核融合反応が起き、エネルギーとして光や熱が放射されます。このように、エネルギーそのものは消滅することはなく、物理法則である「エネルギー保存則」に従って形態を変え続けます。一つの物質から生じたエネルギーが、宇宙のどこかで別の現象を引き起こしていると考えると、宇宙はまさに壮大なエネルギーの循環の場ともいえますが、然し乍ら、いつかは宇宙はエネルギーを失い終末を迎えるというのが、振動因もしくはインフレーションを起動する粒子から創生した宇宙が、終末も同様の状態へと向かうというのが「ループ量子宇宙論」であり、その時点ではエネルギーは物理科学の捕えきれない秘めた何ものかに転換しているでしょう。宇宙の起源に関する新たな理論的枠組みを提案するのは、従来のビッグバン理論や物理法則に基づく宇宙論を再考し、すべての現象が無限の波動の振動数の変化から生じるという観点から、宇宙の成り立ちと進化を解明しようとの試みです。無限の波動は「虚」の状態において存在し、その振動数が変化することによって具体的な事象や物質的構造が顕われ、その振動数の低下により、分離と相互作用の性質が顕在化し、物理法則や宇宙の膨張、さらには時間と空間の形成に至るとするものです。参考画像:宇宙起動因子-2哲学・思想ランキング
2025年03月14日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-12<単一電子振動宇宙創生・構成論-> 7:ループ量子宇宙論(*対して/Aagainst) 古今現在に人類が在し・認識する宇宙は其の名の通り「ユニ・バース(universe)」と捉えられてきたが、現代では其れも少々怪しくなる理論が数多く見られる。物質と反物質は、陽子・中性子などの粒子の電荷が反対なだけで、質量や寿命、特徴は同じです。今までは宇宙が誕生したときには「物質」とともに、物質を鏡に写したような真逆の性質を持つ反物質が同じ数だけ生まれたるとされていました。物質と反物質は互いにぶつかると、光になってエネルギー化し消滅してしまう性質があるため、本来なら現在の宇宙には何も残っていない筈だとしたのです。現代にて主張されている宇宙理論は、宇宙そのものをユニバースの語句通り単一世界説ではなく、マルチバース、メタバース、並行宇宙等々の理論が発表されていますが、他にも多くの学説・理論もあります。それらをも含めて一覧・説明してみましょう。現在の科学文明の技術の恩恵を受けた宇宙理論の代表的なものをいくつか挙げて説明すると、1. ビッグバン理論:宇宙が約138億年前に極めて高温・高密度の状態から急激に膨張を始めたという理論です。この理論は、宇宙の膨張、宇宙マイクロ波背景放射、軽元素の存在比などの観測事実を説明します。然し乍ら、これは現象として現れた事象であり宇宙究極の「起*元」を顕わしたものとは言えません。。2. インフレーション理論インフレーション理論は、ビッグバン直後の宇宙が指数関数的に急膨張した時期があったとする理論です。この理論は、宇宙の均一性や平坦性、磁気単極子問題などを解決するために提案されましたが勿論宇宙の「起*源」を説明するものではありません。3. ダークエネルギーとと加速膨張に関しては、1990年代後半に発見された宇宙の加速膨張を説明するために、ダークエネルギーという概念が導入され、宇宙空間に一様に分布し、斥力として働く未知のエネルギーを説明します。4. ダークマターは、宇宙の質量の大部分を占めるが、直接観測できない物質です。ダークマターの存在は、銀河の回転速度や宇宙の大規模構造の形成を説明するために提案されました。5. マルチバース理論、私たちの宇宙が無数の異なる宇宙の一つに過ぎないとする理論です。これらの宇宙は、それぞれ異なる物理法則や定数を持つ可能性がありますが、人類は異なる物理法則に馴染むことなど毛頭ないので単なる推測だけの仮想理論となります。6. メタバース理論は、仮想現実や拡張現実の世界が現実の宇宙と並行して存在するという考え方です。これは主に技術的な視点からの理論ですが、宇宙論とも関連しています。ブラックホールの表面に情報が蓄積されるというのもこの理論と相似します。7. ひも理論、宇宙の基本的な構成要素が点状の粒子ではなく、1次元の「ひも」であるとする理論です。この理論は、重力を含むすべての基本的な力を統一することを目指しています。然し乍ら、長さがあるのかどうかは微妙なところです。8. ブレイン宇宙論は、私たちの宇宙が高次元空間に存在する「膜」(ブレイン)上にあるとする理論です。この理論は、重力が他の次元に漏れ出すことで、重力が他の基本的な力に比べて弱い理由を説明しますが如何でしょう。以上、これらの理論は、現代の宇宙論において活発に研究されている分野です。それぞれの理論が宇宙の起源、構造、進化について異なる視点を提供し、宇宙の謎を解明する手がかりとなっていますが、底流には「振動」が関与していることは間違いないと思われます。参考画像:antimatter哲学・思想ランキング
2025年03月10日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-11<単一電子振動宇宙創生・構成論-> 6:ループ量子宇宙論(「全き一」の神) 我々人間が存在し認識する世界である宇宙を実世界とするならば、人間があらゆる感覚・科学技術を通じて認識する手段を持たないし、物理学上の思考では認識する手段を持たない、即ち、将来的には認識可能性を持つダークマターやダークエネルギーと呼称される宇宙世界では「暗黒」と形容されるものを排除した物理学の範疇を超えた相貌が、人間思考で想起される世界、それが「虚界」である。虚界(The Void)とは、実際には存在しない架空の世界を指す言葉で、虚構、幻想、または仮想的な世界観を意味します。この言葉は文学、映画、アニメ、ゲームなどのエンターテイメントメディアでお馴染みでしょう。虚界の特徴としては、現実世界の物理法則や社会規範に縛られず、作り手の想像力や創造力によって自由に描かれる点があります。これにより、読者や視聴者は新たな体験や視点を得ることができます。それ故に、宇宙の存在以前、宇宙の終末後、ループ量子宇宙論にしたがえば次期の宇宙再生、乃至、誕生の間の状況、もちろん物理環境には属さないために時空はなく想像を逞しくするしかありません。この虚界には無限数の宇宙世界を生じさせる因が眠っているのです。しかしながら、「振動・ゆらぎ」がただ単一でビッグバンを引き起こすほどのエネルギーが発生するわけではありません。そこには何かしらの起動因があるはずです。この単一因子が「全き一」の神であれば、起動因が必要ではなく夢から覚めた状態だとも言えるでしょうが、筆者はそれでは何かと不足を感じます。それには何か隠された要因があると考えられます。例えば、宇宙の素材が何かしらの「対して/Aagainst」を持っていることから来ています。参照画像:Aagainst of The Void 哲学・思想ランキング
2025年03月05日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-10<単一電子振動宇宙創生・構成論-8> 5:ループ量子宇宙論(ゆらぎともつれ) 著者は自己の主張として量子論を援用することから宇宙生成因を「単一電子振動」と呼称してきましたが、想像するに宇宙創生エネルギーの源の実相は「電子」などの語句ではなく何事にも縛られない「自由因-ゆらぎ」を宇宙創生エネルギーの源の名称には相応しいと憶えます。此処にアメリカ合衆国の物理学者であるジョン・アーチボルト・ホイーラー (John Archibald Wheeler/1911年-2008年)が登場します。単一電子宇宙仮説(One-electron universe hypothesis)は、ジョン・ホイーラーが提案した興味深い理論です。この仮説は、宇宙全体でただ1つの電子が存在し、それが複数の場所や時間で同時に現れるという考え方で、すべての電子は実際には同一の電子であるという主張です。此の理論を更に深読みし遡及していけば宇宙の創生に辿り着き、単一電子振動宇宙創生・構成論を汲み当てることも可能になります。このアイデアは、量子力学の重要な概念である「重ね合わせ」に基づいています。重ね合わせは、量子物体(電子など)が複数の状態や場所に同時に存在するという現象を指します。ホイーラーは、単一の電子が時空全体で重ね合わせの状態にあり、そのために私たちが観測するすべての電子は実際には同一の電子だと考えました。また、この仮説は、陽子と中性子の間で繰り返し現れる電子(陽電子)を説明するためにも使われます。陽電子は電子の反粒子であり、電子と衝突すると相互に消滅します。単一電子宇宙仮説では、陽電子は実際には電子が過去に向かって進むことで現れると考えられます。しかし、単一電子宇宙仮説はあくまで興味深いアイデアであり、科学的に立証されたものではありません。実際には、現代の物理学では、この仮説が説明しきれない多くの現象が観測されているのす。そのため、この仮説は一般的に受け入れられているわけではなく、著者の自己本位の思考であり、物理学の中で実際に使われることはほとんどありません。ただし、この仮説は創造力豊かな考え方や物理学の基本原理について考えるきっかけとなることがあり此処に記述します。また、この仮説は、すべての電子と陽電子が実際には時間を前後に移動する単一の存在の発露であるとするものです。ホイーラーは、すべての電子が同じ電荷と質量を持つ理由を説明するために、この仮説を提案しました。彼の考えでは、「宇宙全体にわたる単一の電子が時間を前後に移動し、異なる場所や時間で観測されるすべての電子は実際には同一の電子であるとされ、この仮説は、量子力学の重要な概念である「重ね合わせ」にも基づいています。重ね合わせは、量子物体(電子など)が複数の状態や場所に同時に存在するという現象を指しています。ホイーラーの仮説は、陽電子が実際には電子が過去に向かって進むことで現れると考えられます。この仮説は科学的に立証されたものではありませんが、物理学の基本原理についての認証が進めば人間原理そのものも一変するでしょう。参照画像:量子の重ね合わせ/superposition哲学・思想ランキング
2025年02月28日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-9<単一電子振動宇宙創生・構成論-7> 4:ループ量子宇宙論(ゆらぎともつれ) ループ量子重力理論は、時空(時間と空間)に分割不可能な最小単位が存在することを記述する理論です。量子力学と一般相対性理論を統一的な枠組みで表すことを目指しており、超弦理論と並んで量子重力理論の候補として知られています。ループ量子重力理論では、次のような特徴があります。空間は1立方プランク長(10?99立方センチメートル)程度の最小単位からなり、それ以上分割できない。時間の進み方は滑らかではなく、1プランク(約10^-43秒)時間程度で離散的である。空間量子と呼ばれる分割不可能な最小単位が連続することで、時間や空間といった一つなぎのものが存在するかのように「見えるだけ」としている。空間量子それ自体が空間であり、それらは絶えず相互作用しあっていて、この世界のあらゆる出来事を発生させている。これを大きく拡大解釈して単一電子振動宇宙創生・構成論として基礎付けてみようではありませんか。此処で取り上げられる単一電子振動宇宙創生・構成論というところの宇宙は起因までが唯一単独であったのかというは誤謬であるとも云えます。物質世界である無空間世界である将又変動世界であるとは問えない「振動とゆらぎ」、これはおそらくは単独どころか無限の可能数、大いさを問えない「何かのモノ」です。物質としての質量ゼロといえば、在宇宙を問えば「ひかり」が浮かびます。光だけが質量ゼロの理由を、単一電子宇宙創生仮説の流れから明確な解答を求めます。光の質量ゼロの理由と単一電子宇宙仮説は深奥に共通した質が推定されるからです。光の質量ゼロの理由としては光(*光子は光の粒子的性質を表す概念を意味する言葉です。此れから宇宙の根本因も波動と粒子の両方の質を持つとも推測される。)は、特殊相対性理論によって記述される電磁波の一種であり、真空中の光速で伝播します。光子の場合、光子は質量ゼロでありながらエネルギーと運動量を持ち常に光速での伝播を保ちます。言い換えれば光速で質量を持つ粒子は光速に達することができないため、光子が質量ゼロであることは理論上の要請となります。さて、単一電子宇宙仮説は、宇宙のすべての物理現象が単一の電子の振動によって説明されるとする仮説です。この仮説に基づいて、光の質量ゼロの理由をさらに深掘りしてみましょう。先ずは、電子の振動と光の生成について。単一電子の振動は、光子の生成に関連しています。電子の振動によって電磁波が発生し、その結果として光子が生じます。このとき、電子の振動エネルギーは光子のエネルギーに変換されます。此の理論を更に量子場理論との統合を試み単一電子宇宙仮説へと進めます。単一電子宇宙仮説は、量子場理論と統合されることで、光の質量ゼロの現象を説明します。量子場理論によれば、光子は電磁場の量子であり、その質量はゼロです。この理論は、光子のエネルギーが電子の振動エネルギーから生じることを示唆しています。このことから、単一電子宇宙仮説では、単一電子の振動が空間のゆらぎを引き起こし、これが光子の生成に寄与します。この相互作用によって、光子は質量ゼロのままエネルギーを伝達することができ得ます。このように、光の質量ゼロの理由は、特殊相対性理論や量子場理論によって説明されますが、単一電子宇宙仮説もこれを補完する理論として考えられます。さらに詳細な検証や具体的な理論展開が必要ですが、この仮説は宇宙の物理現象を統一的に説明するための一つのアプローチとなり得ます。参照画像:宇宙創生因子01哲学・思想ランキング
2025年02月23日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-8<単一電子振動宇宙創生・構成論-6> 3:ループ量子宇宙論(ゆらぎ) ペンシルバニア州立大学の物理学の助教授であるマルティン・ボヨヴァルト(Martin Bojowald、1973年2月18日 - )は、ドイツの理論物理学者である。ボジョワルドは、ペンシルベニア州立大学の重力宇宙研究所で量子重力を研究し、理論物理学を教えています。ボジョワルドは、ビッグバン理論から逸脱した周期モデルであるビッグバウンスの理論を提唱しています。Martin Bojowaldは、2007年7月にループ量子重力に関連した研究の詳細を発表したが、これはビッグバン以前の時間を数学的に解くと主張するもので、振動宇宙理論やビッグバウンス理論に新たな重要性を与えることになる。ビッグバン理論の主な問題点の一つは、ビッグバンの瞬間に、体積がゼロでエネルギーが無限の特異点が存在するということである。これは通常、私たちが知っている「物理学の終わり」と解釈されている。このため、量子効果が重要になり、特異点を回避することが期待されているのである。しかし、ループ量子宇宙論の研究では、以前に存在していた宇宙が崩壊し、特異点ではなく、その前の時点で重力の量子効果が強く反発し、宇宙が跳ね返って新たな分岐を形成していることを示唆している。この崩壊と跳ね返りの間は神秘的且つ謎であるが、進展に関しての経緯は統一的である。また、ボヨヴァルトは、我々を形成するために崩壊した宇宙のいくつかの性質も決定できると主張している。以前の宇宙のいくつかの性質は、ある種の不確定性原理のために決定できない。この結果は、不確定性原理に由来する「ゆらぎの制限」のために、バウンスの間の「相対的なゆらぎの変化」に強い制約があることを示す異なるグループによって議論されてきた。2010年、ロジャー・ペンローズは一般相対性理論に基づいた理論を展開し「共形サイクリック宇宙論」と名付けた。この理論では、宇宙はすべての物質が崩壊し、最終的に光に変わるまで膨張すると説明している。宇宙には何もそれに関連した時間スケールや距離スケールを持たないので、ビッグバンと同一になり、その結果、次のビッグバンになるビッグクランチのようなものが発生し、次のサイクルを永続させる。捩率とディラック・スピナーの間の最小の結合は、非常に高い密度のフェルミ粒子性物質において著しいスピン-スピン相互作用を発生させる。このような相互作用は、非物理的なビッグバンの特異点を回避し、宇宙が収縮する前の有限の最小スケールファクタでの先端様の跳ね返りに置き換える。このシナリオはまた、現在の宇宙が最大のスケールでは空間的に平坦で均質で等方的に見える理由を説明しており、宇宙インフレ-ションに代わる物理的な選択肢を提供している。2012年には、標準的なアインシュタイン重力の枠組みの中で、非特異的ビッグバウンスの新しい理論が成功裏に構築される 。この理論は宇宙の跳ね返り(matter bounce)とエキピロティック宇宙論(ビッグバン のエネルギー生成のメカニズム)の成果を統合しているいくつかの情報源は、ビッグバン後すぐに発生したとは説明し難い大きなサイズの遠方の超巨大ブラックホールは、ビッグバウンスの証拠であり、これらの超巨大ブラックホールはビッグバウンスの前に形成されていた可能性があると主張している。いずれにしても、宇宙生成、植物や動物などの生物も 液体や鉱物などの無機質も 地球も宇宙も、光も相対的な闇もなにもかも全てが波動であり、常に動き変化しています。これは「振動の法則」と呼ばれ、宇宙の基本的な法則の一つです。この法則によれば、植物や動物、液体や鉱物、地球や宇宙、光や相対的な闇など、すべてが波動であり、常に振動し続けています。著者は量子力学やスピリチュアルな視点からも、すべてのものが波動であり、常に変化し続けているという考え方は、宇宙の真理の根本であり「神の自由意志」「神の全能」「神の無限の可能性」と捉えています。スピリチュアルな視点から考えると、「ゆらぎ」は情報的観点から量子論の「もつれ」情報と同様に、真に純粋な単体が相対的な単体なのかという疑問が生じてきます。宇宙がすべての物質を崩壊し、最終的に光に変わるまで膨張するという説明は、人間の在環境世界が光に始まり光に終わるという考え方を、一層真実味のあるものにします。参照画像:光に始まり光に終わる哲学・思想ランキング
2025年02月14日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-7<単一電子振動宇宙創生・構成論-5> 2:ループ量子宇宙論(拡大と収縮) ビッグバウンスの量子論の背後にある主な考え方は、密度が無限大に近づくにつれて、量子泡の振るまいが変化するというものである、たとえば、宇宙誕生世界前の振動因は密度無限大・時空・人類感覚で認識・認証可在宇宙法則さえ問えず、数学上の概念やゼロ点の特徴である位置さえ特定できず、ただただ、あらゆる可能性が無限大なるものとしか解釈できない。真空中の光速を含む、いわゆる「基礎物理定数」はすべて、ビッグクランチの間は一定である必要はない。特に、変曲点にまたがっているか、またはひとまとめになっている、測定が不可能な時間間隔よりも小さい時間間隔(プランク時間の1単位、約10?43秒)では、一定である必要はない。ここでの「量子泡」の見解は、量子重力効果によって引き起こされる「微細な空間≒空*仏教哲学)」のゆらぎを指します。ビッグバウンス理論における量子論の背後にある主な考え方の一つは、密度が無限大に近づくにつれて、量子泡の振るまいが変化するというものです。ここでの「量子泡」は、量子重力効果によって引き起こされる微細な空間のゆらぎを指します。学会での発表のビッグバウンス理論では、宇宙が一度完全に収縮し、極端に高い密度(特異点)に達した後に反発し、再び膨張を始めるとされています。この特異点においては、従来の物理法則が適用できないため、量子重力理論が必要とされます。その主な考え方と理論の展開は、先ずは密度の無限大でしょう。特異点では、物質の密度が無限大に近づくとされます。この状態では、時空そのものが量子効果によって泡立つようにゆらぎます。この量子泡の振るまいは、通常の空間と異なり、非常に不安定で非連続的です。次は物理法則の限界があります。特異点においては、一般相対性理論や標準的な物理法則が適用できず、代わりに量子重力理論が必要です。量子重力理論は、重力を量子力学的に記述する試みであり、ループ量子重力理論や弦理論が代表的です。参照画像:ビッグバウンス量子論哲学・思想ランキング
2025年02月10日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-6<単一電子振動宇宙創生・構成論-4> 1:ループ量子宇宙論(拡大と収縮) ビッグバウンスの概念では、ビッグバンは収縮期に続く拡大期の始まりと考えられる。この見解では、ビッグクランチの後にビッグバン、あるいは、より簡単に言えば、ビッグバウンスが次々と続くと言うことができる。このことは、私たち生命は無限に続く宇宙に存在している可能性があることを示唆している。人間魂の不滅を考慮すれば滅することがないことになる。逆に現在の宇宙が最初のバウンスである可能性もある。しかし、「バウンスとバウンスの間」のインターバル期の条件が全く偶発的なものと考えた場合、そのようなあり得る可能性の列挙は無意味なものになるかもしれない。なぜなら、そのような永劫回帰が独立かつ未分化であれば、その条件は、それぞれの瞬間における時間の特異点を表す可能性があるからである。ところで、宇宙がループ、「バウンスとバウンスの間」のインターバル期をイメージ化すれば、いかにも背景(虚空)がありそうに描かれており背景スペースがありそうに想えるが、全く其のような背景存在はなく、世界はまさにゼロ点であり、その零点振動(れいてんしんどうorゼロ点振動とも言う、Zero-point motion)は、原子が極限までエネルギーを失ったとしても、不確定性原理のために静止せずに振動している。此のゼロ点の特性を特異点が宇宙根本の特性であるならば、宇宙はゼロに始まりゼロに帰し、その夫々の間の宇宙世界にしても時間線とは縁のない、単一振動の無限に亘る振動が顕現化したものに過ぎないことになる。参照画像:Zero-point motion哲学・思想ランキング
2025年02月05日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-5<単一電子振動宇宙創生・構成論-3> 2:宇宙生成終焉論 現代物理学の考えでは、インフレーション以前の宇宙の構図については、いくつかの理論が提案されています。以下に代表的な理論とその展開を紹介します。先ず第一はビッグバウンス理論。ビッグバウンス理論では、現在の宇宙は以前の宇宙が収縮して特異点に達し、その後再び膨張した結果であると考えます。この理論によれば、宇宙は膨張と収縮を繰り返すサイクルを持っている可能性があります。ビッグバウンス(Big Bounce)とは、宇宙の起源について仮定された宇宙論的モデルの一つで、もともとは、最初の宇宙的事象は前の宇宙の崩壊の結果であるというビッグバンの周期的モデルです。あるいは「振動宇宙論的解釈」の一段階として提案されたモデルでもあります。宇宙の大規模な構造を明らかにする観測技術の進歩によって生じた「地平線問題の解決策」としてインフレーション理論が台頭して後、本格的な検討から遠ざかって久しい。2000年代初頭には、インフレーションはその様々な変数がどのような観測にも適合するように調整可能であるという点で、問題含みであり反証不可能であるため、インフレーション理論によって観測可能な宇宙の特性が偶然の産物であることが、何人かの理論家によって発見・発表されています。ビッグバウンスを含む代替的なヴィジョンは、地平線問題に対する、予測可能であり且つ反証可能で有望な解決策を提供する可能性があり、現在も活発な研究が行われています。単一電子振動宇宙創生・構成論にもその思考は生かされるでしょう。<単一電子振動宇宙創生・構成論>にしても「虚虚なる存在(存在を問うても意味ないもの)」を肯んじていないのでビッグバウンス理論は受け入れられるでしょう。参照画像:Big Bounce哲学・思想ランキング
2025年01月31日
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「知るを生きる」>第14項 人間存在の構成-5 単一電子宇宙仮説-4<単一電子振動宇宙創生・構成論-2> 1:宇宙生成終焉論 宇宙の起源を量子振動論で説明することは、非常に興味深いテーマです。量子振動論は、宇宙の初期状態やその進化を理解するための理論の一つです。マルチユニバースであれ単にユニバースであれ、此処では認識者が「全有」と捉えるものすべてを「世界」と概念します。「全有」とはすべての存在や存在物を包括する概念であり、「世界」という言葉もそれに近い意味を持ちます。したがって、認識者が「全有」と捉えるものすべてを「世界」と考えることには矛盾はないと思われます。しかし、哲学的には「世界」の定義や理解は個々の視点や文化によって異なることがあるため、さまざまな解釈が存在するかもしれません。特定の哲学的な立場から見れば、異なる見解が出てくる可能性もあります。哲学的な議論は常に新しい視点を提供してくれますから人間の認識も其の俎上に乗るのはカント的観点を待つまでもなく重要です。宇宙そのまたその起源を量子振動論で説明ができますでしょうか。でき得るとしたらそのメカニズムの詳細ににも疑問を持つのも人間の性(さが)でしょう。とりわけ、此処で取り上げられる宇宙生成終焉論では、宇宙は虚無から始まった、無から生じた、其の終焉も、虚無に帰す乃至無に帰すという問題は根幹的志向概念であるので、其の言語概念が曖昧性を持つことは許されません。著者は単一電子振動宇宙創生・構成論を弁ずるに宇宙生成終焉論を先ず第一義的に取り上げるのは、世界とはそもそもが「有」であり虚妄ではないとの立場から其の生成は「有」から生じ「有に対語とする無」なるものの状況、大乗哲学に云う「無常」を深層的に捉える立場から「有」を「常有・常住」と概念します。哲学的に「有」を定義すれば生じもせず滅することもなく、変化することもないものと概念と捉えるのですが、誤謬でしょうか。この定義は、古代ギリシャの哲学者パルメニデスの「存在論」に近いものです。彼は「有」は永遠で不変であり、生成や消滅、変化を否定しました。この視点から見ると、著者の定義は一貫しています。しかし、他の哲学的立場からは異なる見解が存在します。例えば、ヘラクレイトスは「万物は流転する」と述べ、すべての存在は変化し続けると主張しました。また、仏教哲学では「無常」という概念があり、すべてのものは変化し続けるとされています。したがって、著者の定義が誤謬であるかどうかは、どの哲学的立場を採用するかによります。哲学は多様な視点を持つ学問であり、異なる立場からの批評や議論が重要です。参考画像:単一電子宇宙哲学・思想ランキング
2025年01月27日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-4 単一電子宇宙仮説-3<単一電子振動宇宙創生・構成論-1> 人間存在を成り立たせる「この世界」において、時空間そのものを生じ、かつ消滅させる「単一振動」、すなわち「時空間そのもの」と「それ自体」とは無関係で、振動の共鳴・合同が現実世界に反映して次元を生じさせる単一電子の振動仮説とは異なり、現在の人間感覚が捉える時空間を現実世界に構成しているものが、重力や各種素粒子であるとする。そして、それらの観測可能な方法論の研究から生じたのが量子論と相対性理論である。どちらの理論も現在では宇宙の構成に組み込まれることに誤りはないとされているが、両者を統合して統一性をもたらすには、相対性理論のブラックホールの中心点の矛盾点「特異点解消」問題が浮上し、統一に陰りが見え始めた。「単一電子宇宙仮説」にはこの矛盾点が現れないという利点があるが、社会的には量子力学と一般相対性理論が上位を占めている。単一電子宇宙が何故に社会的認証評価に、現代物理学の統合宇宙論に比肩されないのは何故か、また其の解消は可能なのだろうか。単一電子宇宙仮説が社会的に認証評価されない理由はいくつか考えられます。先ず第一は実証性の欠如です。単一電子宇宙仮説は理論的には興味深いものの、実験的な証拠が不足しています。量子力学や一般相対性理論は、数多くの実験結果によって裏付けられており、実証性が高いのです。第二には其の理論の複雑性と理解の難しさがあります。 単一電子宇宙仮説は非常に抽象的であり、理解するのが難しいため、広く受け入れられるのが難しいのです。量子力学や相対性理論も難解ですが、長い歴史と多くの研究者による検証が行われてきました。第三の問題は研究資金とリソースの集中に難があります: 科学研究には多大な資金とリソースが必要です。既存の理論に基づく研究が優先されるため、新しい仮説に対する資金やリソースが不足しがちなのです。更には第四のの課題が科学コミュニティの保守性です。意外かも知れませんが、科学コミュニティは新しい理論に対して慎重であり、既存の理論を覆すには非常に強力な証拠が必要です。単一電子宇宙仮説が広く受け入れられるためには、さらなる研究と証拠が必要とされているのです。単一電子宇宙仮説が社会的に認証評価されるためには、これらの課題を克服する必要があります。具体的には、実験的な証拠を増やし、理論の理解を深めるための教育や普及活動を行うことが重要です。また、研究資金やリソースの確保も不可欠です。この仮説が現代物理学の統合宇宙論に比肩されるためには、さらなる研究と証拠の積み重ねが必要ですが、可能性は十分にあります。参照画像:resonance哲学・思想ランキング
2025年01月19日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-4 単一電子宇宙仮説-2<単一電子仮説と宇宙の振動> ジョン・ホイーラーの「単一電子仮説」は、エネルギー状態が普遍的な様態を持ち、宇宙全体に一様に波動や振動として現れるという考えに基づいています。この仮説は、エネルギーの状態が顕在化と潜在化を繰り返すことで、宇宙のあらゆる場所で観測される現象を説明しようとしています。カルロ・ロヴェッリの「世界は関係でできている」という観点は、この仮説をさらに深めるものです。彼の理論では、物理的な現象はすべて関係性によって成り立っており、単体の因子が他の因子と相互作用することで新たな現象が生まれるとされています。仮に、宇宙の因子としての「振動」が単体では変化を起こさないと仮定します。しかし、これらの単体振動が他の振動とぶつかり合い、相互振動の「共鳴」や「合同」によって莫大なエネルギーが生じる可能性があります。このエネルギーがビッグバンのような現象を引き起こすと考えることもできます。この仮説は、宇宙創造説としては単純すぎるとの批判もあるかもしれませんが、物理学の古代からの進化の流れを考慮すれば、決して無視できない仮想理論であると言えるでしょう。このように、仮説の背景や関連する理論を説明し、仮説の意義や可能性を示すことで、読者に理解しやすく伝えることができますがいかがでしょう。参照画像:resonance哲学・思想ランキング
2025年01月17日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-4 単一電子宇宙仮説(The one-electron universe)-1 ジョン・ホイーラーの「単一電子宇宙仮説」は、非常に興味深い理論です。この仮説は、すべての電子と陽電子が実際には単一の電子であり、その電子が時間を前後に移動することで、私たちが観測するすべての電子や陽電子が現れるという考えです。具体的には、ホイーラーは、宇宙全体が一本の巨大な糸のように絡み合った結び目のように構成されており、その糸の一部が時間を前後に進む単一の電子によって走破されると提案しました。この電子が前方に進む部分が通常の電子であり、後方に進む部分が陽電子として現れるというのです。この仮説は、量子力学の重要な概念である「重ね合わせ」に基づいています。重ね合わせとは、量子物体(電子など)が複数の状態や場所に同時に存在する現象を指します。ホイーラーは、単一の電子が時空全体で重ね合わせの状態にあり、そのために私たちが観測するすべての電子は実際には同一の電子だと考えました。ただし、現在この仮説はあくまで興味深いアイデアにとどまり、科学的に立証されたものではありません。現代の物理学では、この仮説が説明しきれない多くの現象が観測されているからです。著者は宇宙創生に関する推敲を進めるにあたって、このような異なる視点やアイデアを取り入れることはとても興味深いし、加えて此の仮説が私の魂の直感には正当性を訴え続ける夢を与えます。参照画像:The one-electron universe-01哲学・思想ランキング
2025年01月12日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-3 超弦理論の弦が異なる振動モードで異なる素粒子を形成する。これが単一電子宇宙仮説(The one-electron universe)の肝でしょう。単一電子宇宙仮説は、すべての電子と陽電子が実際には時間を前後に移動する単一の存在の発露であるとする、のちにはアルベルト・アインシュタインの共同研究者として、統一場理論の構築に取り組んだジョン・アーチボルト・ホイーラー(John Archibald Wheeler/1911年2008年)からの1940年春に電話によってリチャード・P・ファインマン(Richard Phillips Feynman/1918年-1988年)へ提案された仮説であるとします。ファインマンによると私はプリンストン大学院でホイーラーから電話を受け以下の様な会話をした。「ファインマン、すべての電子が同じ電荷と同じ質量を持っている理由が解ったよ」、ファインマンが「なぜ?」、ホイーラーが答える「なぜなら、これらはすべて同じ電子だからだ!」。此の応答の概要は、すべての電子が時空全体に追跡できる世界線に基づいている前提に基づく。 ホイーラーは、そのような追跡線を無数に持つのではなく、一本の糸が巨大に絡み合っている結び目のように、宇宙の全てが時間を前後に進む単一の電子によって走破された1本の線の一部であると提案した。任意の瞬間は時空を横切る線の断面として表され、結び目となった世界線の無数の結節点であるとする。各結節点は、その瞬間の実在の電子を表す。線の半分は時間的に前方に進み、半分はループして後方に進む。ホイラーは、これらの後方進行する部分が電子に対する陽電子などの反粒子として現れることを示唆した。陽電子よりもはるかに多くの電子が観測されており、電子は陽電子より多く存在すると考えられている。ファインマンによれば、彼はホイラーにこの問題点を指摘した。ホイーラーは、失われた陽電子は陽子の中に隠されていると推測した。ファインマンは、反粒子は逆の世界線で表すことができるというホイーラーの洞察に感銘を受け、ノーベル賞の受賞演説で次のように述べた。「----私は、陽電子が未来から過去に向かう電子として、世界線の逆行部分で表現されているという当初の観測を真剣に受け止めたのと同じくらいには、ホイーラーからのすべての電子が同じものであるという考えを真剣に受け止めていませんでした。盗ませてもらおう。」ファインマンは後に、1949年の論文「TheTheory of Positrons」で、陽電子を時間的に逆行方向に移動する電子として解釈することを提案した。自発的対称性の破れの発見により、2008年にノーベル物理学賞を受賞した南部陽一郎は、粒子と反粒子のペアのすべての生成と消滅にそれを適用し、「時々発生する可能性のあるペアの最終的な生成と消滅は、生成でも消滅でもなく、移動する粒子の方向の変化だけです。過去から未来へ、または未来から過去へ。」参照画像:対称性の破れ哲学・思想ランキング
2025年01月10日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-2 超弦理論の異なる振動モード 超弦理論は特に、一般相対性理論と量子力学を統一する「究極の理論」として注目されています。現代物理学における最も重要な未解決問題の一つである重力の量子化を含む、様々な現象を説明するための枠組みを提供する可能性があるからです。大いさも質量もない振動する紐だと表現されることもありますが、それは小ささを表現として取り立てて述べているのであって、間違いであるのは前項で述べました。超弦理論における「弦(紐)」の基本概念について、もう少し詳しく説明すれば、超弦理論では、基本的な粒子(*例えば電子やクォーク)は実際には非常に小さな振動する「弦」として扱われます。この弦は、極めて小さく、「1次元的」な線状の存在です。然し乍ら、弦は実質的な大きさや質量がないとはいうものの、決して位置をもち、部分を持たないものである「点」ではありません。単なる位置情報の代わりに、弦の振動モード(振動の仕方)によって粒子の質量や他の特性が決まります。弦は異なる振動パターンを持つことができ、これらの振動が異なる素粒子を形成します。例えば、弦の特定の振動モードが電子を、別の振動モードがクォークを生み出すという具合です。更に、超弦理論では、私たちが普段認識している3次元の空間に加えて高次元の空間が存在すると仮定しています。これらの追加の次元は、弦の振動パターンに影響を与えます。最も物理理論的な重要性は、是迄、重力を量子力学的に説明するのに矛盾を生じていた過去の量子論と相対性理論の統一の可能性に展望を開けることでしょう。参照画像:superstring theoryオカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2025年01月07日
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「知るを生きる」第14項 人間存在の構成-1 単一電子宇宙仮説 「世界」、此処では人類の感覚では捉える可能性が薄い若しくは不可能な虚・不可視・無の世界までをその構成要素として考察。その推察される世界から何故に精神を持つと云われる生命体としての人類が登場するのか。将又、それには何か隠された因子があるのか。その「結果因子」の登場は必然性が背後にあるのか。物理科学技術の革新的発展に伴い、その理論が高度に高まる程に、逆に疑問が疑問を呼ぶ深淵へと人類は追い込まれているようです。但し、現代の多くの宇宙理論は「起因と終末、乃至は、循環」を根底にするものが多く、因果や創造を考慮しなければならず、宗教の教義を完全には断ち切れていません。著者はそこから完全に離れた「単一電子宇宙仮説(The one-electron universe)」が宇宙の実相なのではないのかの立場で、人類の存在意義とその構成を探索したいと思い立ちました。すべての電子と陽電子が実際には時間を前後に移動する単一の存在の発露であるとする1940年春にジョン・ホイーラーの電話によってリチャード・P・ファインマンへ提案された仮説も現在では、量子理論仮説の大いさも質量もない振動する紐から成り立つ「超弦理論」に席を譲り渡しますが、その発想、思考過程はほぼ同様なので此の思考を探求しましょう。参考画像:超弦理論の振動する紐-1記:超弦理論は、物理学における理論の一つで、宇宙の基本的な構成要素を微小な「超弦(紐)」として考えるものです。通常の物質の最小単位が粒子(*電子やクォーク)とされるのに対して、超弦理論ではそれらの粒子は実際には非常に小さな弦(ひも)の振動によって構成されているとします。この弦の振動パターンが異なることで、異なる粒子が生まれると考えられています。弦の典型的な大きさと質量は、弦の長さのスケール (弦長)$L_s \approx 10^{-35}$メートル、弦の質量スケール (弦質量)$M_s \approx 10^{19}$ギガ電子ボルト (GeV) / $c^2$です。これらの数値は非常に小さく、大きなエネルギースケールでのみ測定可能です。例えば、弦の長さはプランク長、プランク長は、理論物理学において最小の意味を持つ距離であり、これ以下の距離では、現在の物理学理論が成り立たなくなると考えられています。超弦理論や量子重力理論などの理論において、このスケールが重要な役割を果たします。その同じオーダーなのです。著者が期待するところの完全「ゼロ」とは程遠いものでした。オカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2025年01月06日
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「知るを生きる」第13項 ルシファーとサタンを知る-6 興味深いのは、上述したことの結果、ルシファーとサタンは必ずしも同一視されるわけではないということです。ルシファーが天から堕ちた天使としての側面を強調しているのに対し、サタンは神に対抗する敵対者、当然から在るべきものとして、屡々著されているのが常だからです。文学や美術(アート)においても、この二つの形相「モノ」はさまざまな角度から描かれており、それぞれの解釈が文化的文脈に応じて変わっていく点にも興味が惹かれます。ルシファーとサタンの実相は、文献や文化的コンテクストに応じて多層的に解釈されており、両者についてさらに掘り下げるためには、その変遷やそれぞれのテーマが宗教や文学でどのように描かれてきたのかを探ることが重要です。例えば、ルシファーとサタンの関係は、時代を経て文明の変遷によって徐々に結びつけられてきました。ある時代では、ルシファーという名前は、天使の堕落として認識され、特にキリスト教文学や詩においては、神存在への「彼の反逆」として描かれました。一方で、サタンの役割は常に「告発者」や「敵対者」であり、ヨブ記における試練の場面など、神の許可を得て人類に試練を課す存在として描かれています。更には、現代の大衆文化におけるルシファーとサタンの描写も多様です。例えば、小説、映画、テレビシリーズなどで、彼らの特徴が洗練され、さまざまな、時には恐怖の対象として残忍酷薄、将又、ルシファーは人間を愛し、神に反抗するまでの解釈が進行中です。これにより、歴史的および文化的な視点からの理解がより豊かになりましたが如何なものでしょう。どの角度から捉えるかで、新たな洞察が生まれる可能性もあります。サタンは告発者という天使で、人の悪行を神に報告する警察のようなものでした。人々はその役職の天使を恐れて、悪いものとしてとらえていったのかも知れません。同じように見張る者という天使群がおり、彼らは人間の女の色香に迷い、地に降りて彼女らと交わり、ネフィリムという巨人族を生み出します。この見張る者たちは、神によって天から追放され、悪魔となります。注意すべきはサタンが悪魔として落とされるのは、聖書によればイブに知恵の木の実を与えたからなのですが、「女と誘惑」という語彙には同じキーワードが伺えます。さて、ルシファーは元来金星を指すもので、天の星は神の姿であるというのが、基本的に地中海文明にはあります。ユダヤ教では天の星は天使と考えられるのです。その名も、光をもたらすものという意味で、明けの明星がやがて太陽を導くことを意味します。旧約聖書のひとつ「イザヤ書」の一節に、バビロニアの王が死んだことに関する以下の詩があります。「黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった」と。王を金星に喩えているのですが、これがルシファーに結び付けられ、堕天使の汚名を着せられることになります。中世の神学においては、サタンとルシファーは同一視されるようになりますが、元来は別の存在です。人智学のルドルフ・シュタイナーは、サタン=アーリマン(Satan = Ahriman)として、物質的な欲望で人を駆り立てる悪魔とし、ルシファーは好奇心や精神的な欲望を人に与える悪魔としています。彼はこれら悪魔がいないと、人類は進化しないとも述べていますが、悪魔に惹きつけられすぎると人としての本質を見失うとも指摘していなす。参照画像:Satan = Ahrimanオカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2025年01月05日
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「知るを生きる」第13項 ルシファーとサタンを知る-5 神の意志から創造され最も愛された大天使長ルシファーを、魔王サタンとして堕落を決意までして神との対決を決意さすまでに嫉妬させた神の意志「神は人間を自己に似せて作られた。」その真相は今までに取りざさされた文献は枚挙に暇がない程です。創世記第1章26節では「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」。天地創造の六日目、いよいよ神が人を造られたという大詰めの盛り上がり、クライマックスです。神が人間を造られた、これがどういう意味を持っているか、それを明らかにしたいと思いますが、そのためにはさまざまな問題を持ち上がり、それぞれにクリアしなければ我々は肯んずることがなりません。例えば、神は神自身というものがあれば、御身を表すのに「我々」と言います。キリスト教では、神は「唯一の神」だと教えられてきたの何故に複数形なのか。次には「我々にかたどり、我々に似せて」とは一体どういうことなのか。人間が神にかたどられ、神に似せて造られた。それは、外形的なことなのか、あるいは、内面としての精神的なことか。これも昔から長い間議論されてきたことです。聖書は神の意思によってこの世界のすべてを造られ、すべてのものが神によって「よし(*良し、善し等の幾つかの文字が考慮される。)」とされて存在していると語ります。ただ哲学的にもその存在の仕方は、大きく二つに分けることができます。一つは天然自然です。いわゆる「もの」の世界。もう一つが生命としての形相を持つ人間存在です。その違いをはっきり示しているのが第1章26節なのです。天然自然の「もの」と「人間」との違いが、ここでは二点挙げられています。第一は、人間が他の物と違って神のかたちに、神にかたどって造られたという点です。神の「かたち」とは人間に与えられた自由、あるいは主体性のことです。天然自然と人間とを区別する第二の点は、魚、鳥、家畜、獣などを人間が支配する権限を与えられていることです。天地創造の業は、すべて神の意思通りに直ちにできました。光をはじめ、海の魚、空の鳥にいたるまで、造られたものの意思や主体性や自由はありませんでした。草や木、月や星はすべて神の意思に従う以外に道がないのです。例えば、水を取り上げてみましょう。水は「高きより低きに」流れる。流れざるを得ない。そのように定められています。ですから、物理学上、水は、自からの意思で低い所から高い所へ流れようと思ってもそれはできない。このように、天地万物は、自らの自由、自らの意思、自らの判断によって、その在りようを自ら選択するということができない、そういう可能性は与えられていない。これが「もの」の世界、自然の世界の大きな特徴です。では動物はどうでしょう。動物は植物と比べてはるかに自由ですし、意思を持っています。判断能力も十分にあります。最近、「犬語翻訳機」があるそうです。それは犬の鳴き声にも犬の判断や意思がそこにあるという前提で構成されています。とはいえ、動物は本能に従って行動する限りにおいて、やはり「必然性」に服していると言わざるを得ません。最近の理学はヒトの遺伝子の(DNA)の塩基配列総数は3万ぐらいで蝿の約2倍であることが判明しました。こんなに少ないのはたかだか人間は蠅の王ではないかと勘ぐりました。また、ヒトの遺伝子の脳設計は精々猿よりはましな程度だとされています。それを究めていくと蝿の動はほとんど遺伝子が決めている本能行動。ヒトにも本能的な部分もありますが、大部分の行動は遺伝子では決められていなくて「後天的」なものです。大部分の行動は遺伝子では決められていなくて、「後天的」なものだそうです。ヒトだけがもつ言語、芸術、文化や科学、技術など、人間の人間らしいところは遺伝子には書かれていなくて、豊かな環境と教育によって後天的に脳が発達するとされています。神が「初めに創られた人間」は、遺伝子だけを創られたのか。自由や主体性、その意思は先天的か後天的か完全には判明し得ません。ともあれ、動物の行動はほとんどが本能行動だとわかりました。いまはそれだけで十分です。蛇は蛙を飲み込みます。それが本能行動だからです。然し乍ら、人間の社会活動では、カエルを飲みこむヘビ(*事実は存在しますし、子どもを餌として捕食する蛙も存在します。)は、小国を侵略する大国とは区別しなければなりません。ヘビは生きていくために、時にはカエルを飲み込まざるを得ませんが、大国は小国を侵略せざるを得ないとは決して言えないからです。悪魔のささやきが聞こえそうです。聖書に著(あらわ)された「神のかたち」とは何か。神のかたちとは自らの意思を持っていること、自由と主体性をもって自らが判断できること、自ら考え、自ら決めた通りに行動することができること。それが神のかたちに似せて、神のかたちにかたどって造られたという意味です。人間はまさに神の本質に似せて造られたということです。ルシファーはこの特権を持たされていたのでしょう。それ故に人間ごときに此の能力を与えられたことは甚だ我慢できる限界を超えていました。これを漢字の「内容」と書いて、それを「内なるかたち」と読ませています。神がそうであるように人間もまた自由意思をもった主体として造られたのを明快にするために、これを漢字の「内容」と書いて、それを「内なるかたち」と読ませています。参照画像:蛇を捕食する蛙オカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2025年01月04日
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「知るを生きる」第13項 ルシファーとサタンを知る-4 旧約で特に違和感があるのがアダムとエヴァに知恵の実を食べさそうと誘惑するのを、多くの名作を生み出した画家の画像が、サタンを下半身を木の幹に絡ませた蛇として象徴していることです。疑問が湧くのは、旧約聖書にはこの神との約束を破った人間の原罪、エデンの園では、蛇がエヴァを誘惑し、善悪の知識の木の果実を食べさせるシーン。蛇はエヴァに対して、果実を食べることで神のように善悪を知るようになると嘘をついたにしろ、エヴァはその言葉を信じて果実を食べ、アダムにも勧めたこと。この出来事がきっかけで、アダムとエヴァはエデンの園から追放され、原罪が生まれたのです。然し乍ら、旧約では此の業によりサタンは地を這うものとされたからとする画像の矛盾です。確かに、蛇とサタンの関係については聖書解釈の中で議論の余地があります。旧約の「創世記」では、蛇がエデンの園でエヴァを誘惑し、知恵の実を食べさせた結果、神は蛇に対して「地を這うもの」としての罰を与えたのです。一方、新約聖書では「黙示録」により、サタンが「古い蛇」と表現しして言及されることから、原罪以前に伝統的にサタンと蛇が結びつけられています。この結びつきは、後のキリスト教神学や美術作品においても反映されています。絵画に顕れるサタンの肖像には可能な解釈としてと象徴的なものとしての解釈があげられます。蛇とサタンの関係は象徴的なものであり、直接的な矛盾を避けるために、蛇の形相はサタンの象徴のひとつであり、これにより、エデンの園の蛇が後に「地を這うもの」となることと、サタンが「古い蛇」として描かれることが両立できます。旧約聖書と新約聖書は異なる時代と文脈で書かれており、それぞれの文脈において蛇とサタンがどのように解釈されるかは異なります。旧約の蛇は具体的な動物として描かれ、新約のサタンは象徴的な存在として理解しようとしています。また、後世にもこの伝統の影響があります。中世以降のキリスト教美術や文学において、サタンと蛇が結びつけられることが一般化し、その影響が現代にまで及んでいるのです。これにより、アートや文学の中でサタンが蛇の姿で描かれることが尋常となりました。この解釈は、聖書の異なる部分を統合し、神学的な一貫性を持たせる試みとして提案されます。参照画像:Satan is an old serpentオカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2025年01月03日
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「知るを生きる」第13項 ルシファーとサタンを知る-3 キリスト教のルシファーについては非常に難解なことが多く解釈上厄介です。神に最も愛された、当然に尊重もされたであろう大天使が、あろうことかどうして堕落することまで神に敵対したのでしょうか不可解です。キリスト教の堕天使ルシファーについては非常に難解なことが多く解釈上厄介です。神に最も愛された、当然に尊重もされたであろう全ての天使の長に立つ大天使が、あろうことかどうして神に敵対したのでしょうか。その経緯や動機については様々な解釈があります。主な解釈の一部を示します。多くの伝統的な解釈では、ルシファーの堕落は彼の傲慢(Pride)が第一とされています。彼はその美しさと知恵によって自分を過信し、神に対して反逆したとされるのです。ルシファーは神の位置に就こうとしたため、天から追放されたとさえ記述されます。また、ある解釈では、ルシファーの反乱は彼の自由意志(Free Will)の行使の結果と見なされています。天使もまた自由意志を持ち、その選択の結果として神に反逆することができるという考え方です。更には、神の人間の創造に対する嫉妬もまた、ルシファーの反逆の一因とされています。彼は人間が神に愛される存在であることに嫉妬(Jealousy)し、これに対抗しようとしたとされます。一部の宗教文学、啓示文学(Apocalyptic Literature)では、ルシファーの物語は象徴的または啓示の一部と見なされています。これらの物語は、霊的な教訓や警告を伝えるために使用されることが多いからです。我々はこの解釈を受け入れられるでしょうか。天使は神喉の部分から創造されたのかについては、宗教や伝承によって異なる説明があります。キリスト教やユダヤ教の伝統では、天使は神によって直接創造されたとされており、特定の身体部分からではなく、神の意志によって存在するとされています。彼らは神の指示を伝えたり、特定の使命を果たす役割を持っています。ここには神の意志の欠損があらわれていますが如何でしょう。参照画像:falling luciferオカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2025年01月02日
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「知るを生きる」第13項 ルシファーとサタンを知る-2 旧約関係の文献は専門分野が相違すれば、読めば読み込むほど、そこに登場する「ルシファーとサタン」は異相を帯びています。その名称を彼らが自ら名乗ったとも思えず、各文明文化の呼称したものであると思えますが、その実相が極めて曖昧であるので掘り下げて思考してみたい衝動に駆られます。ルシファーとサタンの名称と実相については、非常に多層的ですし、宗教、文学、歴史、文化などさまざまな角度から考えることが必要となルのは言わずもがなでしょう。まず、ルシファーはラテン語で「光をもたらす者」という意味で、キリスト教の伝統ではしばしば堕天使として知られています。ルシファーの物語は、イザヤ書14:12において「明けの明星、ルシファー」として言及され、この言葉が後には一般にサタンと同一視されるようになりました。ルシファーはかつては神に最も愛された天使であり、その高慢から神に「反逆(*その理由が甚だしく曖昧)」し、地獄に追放されたとされています、然し乍ら、その高慢なるものが何か。一方、サタンはヘブライ語で「敵対者」「告発者」を意味し、旧約聖書や新約聖書を含むさまざまな聖典で言及されています。サタンは神の意に反して活動し、人間を試みたり、惑わしたりする存在です。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれの伝統において、その存在と役割は多少異なりますが、共通して神の敵役として登場、人間には上辺では味方面(みかたづら)することが多いです。古史上に記(しる)された各種事物を詳細に見れば、サタンとしての悪魔は旧約には関わらずに各宗教や伝記に記されており神の存在と同時に生じており、世界を善悪交々の社会にしていたようです。旧約のサタンは古史の「デビル」や「デーモン」及び「邪神」を必要とした文化に必須のものだったのでしょう。サタンや悪魔の概念は古代の多くの宗教や文化において、善悪の対立を象徴する重要な役割を果たしていました。各宗教や文化におけるサタンやデビル、デーモンの役割について詳細を検討してみましょう。サタンの役割と起源について、ユダヤ教においては、サタンは「敵対者」や「告発者」として描かれています。ヨブ記やゼカリヤ書において、サタンは神の許可を得て人間を試みる存在として登場しますが、必ずしも神に完全に反抗する存在ではありません。キリスト教では、サタンは堕天使ルシファーと同一視されることが多く、神に反逆した存在として描かれています。新約聖書では、イエスの試練の場面や黙示録での最終的な敗北が描かれ、サタンは人類を惑わす悪の象徴とされています。イスラム教におけるサタン(シャイターン)は、神に背いたジンの一種であるイブリースとして知られています。クルアーンによれば、イブリースは神に従うことを拒否し、人類を試みる存在として描かれています。古代のデビル、デーモンは、邪神として古代メソポタミアの神話では、悪霊やデーモンは病気や災難を引き起こす存在とされていました。リリスやアシュメダイなどのデーモンが知られています。ギリシャ・ローマ神話においても、悪霊やデーモンはしばしば登場します。例えば、パンやハーデスなどの神々は、闇や地下世界を支配する存在とされていました。旧約聖書のサタンは、他の宗教や文化におけるデビル、デーモン、邪神などと同様に、世界の善悪のバランスを象徴する存在として描かれています。これらの概念は、古代社会において、善悪の対立を理解し説明するための必須の要素として機能していたと考えられます。それ故にサタンやデーモンは人間側が必要としたもので、人類が創造したものであるとも云えますが如何でしょう。参考画像:Satan as the Accuser記:ユダヤ教におけるサタンは、裁判における告発者として描かれることが多いです。彼は神の命令に従い、人間の行動を試し、神の前で告発する役割を果たします。このようなサタンの描写は、しばしば法廷の場面や天使の姿で表現されます。哲学・思想ランキング
2025年01月01日
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「知るを生きる」第13項 ルシファーとサタンを知る-1 旧約関係の文献をを読めば読み込むほど、「ルシファーとサタン」は、その名称を彼らが自ら名乗ったとも思えず、呼称だとしたものであると思えますが、その実相が極めて曖昧であったので掘り下げて思考してみたい衝動に駆られています。ルシファーとサタンの名称と実相については、非常に多層的ですし、宗教、文学、歴史、文化などさまざまな角度から考えることが必要となります。まず、ルシファーはラテン語で「光をもたらす者」という意味で、キリスト教の伝統ではしばしば堕天使として知られています。ルシファーの物語は、イザヤ書14:12において「明けの明星、ルシファー」として言及され、この言葉が後にサタンと同一視されるようになりました。ルシファーはかつて天使であり、その高慢から神に反逆し、地獄に追放されたとされています。一方、サタンはヘブライ語で「敵対者」「告発者」を意味し、旧約聖書や新約聖書を含むさまざまな聖典で言及されています。サタンは神の意に反して活動し、人間を試みたり、惑わしたりする存在です。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれの伝統において、その存在と役割は多少異なりますが、共通して敵役として登場することが多いです。興味深いのは、ルシファーとサタンが必ずしも同一視されるわけではないということです。ルシファーが天から堕ちた天使としての側面を強調しているのに対し、サタンは神に対抗する敵対者に焦点を当てています。文学やアートにおいても、これらのキャラクターはさまざまな角度から描かれており、それぞれの解釈が文化的文脈に応じて変わっていく点も興味を惹きます。ルシファーとサタンの関係は、史的変遷をもって徐々に結びつけられていきました。ある時代では、ルシファーという名前は、天使の堕落として認識され、特にキリスト教文学や詩においては、彼の反逆として描かれました。一方で、サタンの役割は常に「告発者」や「敵対者」であり、ヨブ記における試練の場面など、神の許可を得て人類に試練を課す存在として描かれています。また、現代のポピュラー文化におけるルシファーとサタンの描写も多様です。例えば、小説、映画、テレビシリーズなどで、彼らの特徴が洗練され、さまざまな解釈が進行中です。これにより、歴史的および文化的な視点からの理解がより豊かになります。参考画:Satan-Lucifer哲学・思想ランキング
2024年12月24日
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第12項 シュタイナー思想からⅢ-3:Ⅱのシュタイナーの世界感を考証の参考悪魔の2つのタイプ図-14◆ルシファー(Lucifer):人間を現実から遊離させて幻想の中に引きずり込もうとする悪魔。聖書に登場する堕天使でもあり、それは「光を掲げる、或いは、齎す者」を意味し、また、人間を過去の霊性に連れ戻そうとする。人類に自由と自我の独立性を巧みな言葉もって誘惑、エデンの園にあった知恵の木の実を食べさせた。このルシファー衝動を通して、人間は永遠の生命と幸福を失う代わりに無知蒙昧の隷属的精神を脱して自分を高貴な存在と感じ、日々の動物本能的精神を超えた精神生活の情熱をいだくようになった。然し、この傾向が過剰になると、世俗の人々を見下し、独善に陥る。記:「禁断の実」については諸説ある。有力説に「りんごとされるのはラテン語「悪」(malum)の類似から」とある。紀元前のパレスチナの地に「食べるによく、目には美しい」と創世記で表現されたようなリンゴは、栽培されていなかったことから、「箴言(しんげん)」との関連から黄色く熟するアンズ説が有力である。*このアーリマン的な極とルシファー的な極の中間にそびえる9位階の霊的存在が、魂界霊界にあって、地上の文明と人類の発展に関与している。キリスト教、特に西方教会としてのカトリック教会やプロテスタントにおいては、堕天使の長であるサタンの別名であり、魔王サタンの堕落前の天使としての呼称としています。*神にもっとも愛され信頼を得ていた大天使。参考書:Lucifer哲学・思想ランキング
2024年12月22日
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「知るを生きる」第12項 シュタイナー思想からⅢ-2:Ⅱのシュタイナーの世界感を考証の参考悪魔の2つのタイプ図-13 もともとは善良な霊的諸存在の仲間であったのに、途中から別の道をたどり、上記の位階から離れていった存在として、アーリマンとルシファーの悪魔的な存在がいる。悪魔的というのは旧約聖書では人間に善悪を判断する理性と精神の自由を与えたからである。◆アーリマン(Ahriman):人間を物質の闇の中に引きずり込もうとする悪魔とされる。ゾロアスター教において、光明の神アフラ・マズダに対抗する闇の霊で、人間に破壊衝動を植え付ける。人類に科学、学問をもたらした存在でもある。だから、人類は厳密な思考方をこのアーリマンを通して獲得したが、その傾向がゆきすぎると、非人間的な数量的思考作業によって、すべてを割り切ろうとするようになってしまう。 ゾロアスター教においては善神アフラ・マズダーと対立。 元来、破壊霊を意味し、死・破壊・罪業・悪を代表する神で、イスラーム期以前のイランにおいてシャイターン(サタン)の役割を果たした。アフリマンは邪悪や無知をその性質としている。無知ゆえに、アフラ・マズダーと戦う手段として、あらゆる邪悪なものを創造したとされています。参考書:Ahriman哲学・思想ランキング
2024年12月21日
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「知るを生きる」第12項 シュタイナー思想からⅢ:Ⅱのシュタイナーの世界感を考証の参考各種天使画像・図-12◇天使(エンジェルス/Angels):最も人間に近い存在で、人間を悪意から戒め、正義を示す。ユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの宗教において、天界に存在し、神から人間に神意を伝えたり、人間を守護したりすると信じられる霊的存在。「天使」は天界最下位である第九位にあたる階級。エンジェルズ、アンゲロスとも呼ばれる。「天上位階論」の説明によると、この第九位の「天使」は天上の諸々の存在としては最後のものとして「使者」という特性を有している。また、他の位階以上に感覚によって受け取られた表象である可感的世界と関わっているという限りにおいて、上位の位階よりもいっそう相応しいためわれわれ」(人類に「天使」と名付けられているという。その特徴は、最も人間に身近な天使であり、人間達が親しみやすい姿をとって降臨する。大天使直属の部隊として、大天使の命によって人間を導き、監視し、必要とあらば悪と戦う。守護天使(Guardian angel)として特定の人間に長く付き添う事もある。人間と多く接し、また物質界である地上に長く留まる事から、欲を知ってしまい堕天使となるものもいる。天使の姿は多くは人間の姿を纏い、逆に上位の階級の天使は我々人間基準で見れば割と化け物な見た目をしている。参考画:Guardian angel哲学・思想ランキング
2024年12月20日
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「知るを生きる」第12項 シュタイナー思想からⅢ:Ⅱのシュタイナーの世界感を考証の参考各種天使画像・図-11◇大天使(Archangels/アークエンジェルス):ユダヤ教の正典である「タナハ(旧約聖書)」には天使が登場するが、明確に「大天使」を表す語句は出てこない。だが、その天使のうちの何体かは、ラビ・ユダヤ教に於いてその役割や性格が強調・発展され、天使の中でも神意を体現する偉大な天使という意味で大天使と呼ばれるようになった。しかし、厳密な位階が定義されているわけではなく、例えば神の御前の特別な居場所を持つ天使も大抵は大天使と解釈され、数も文献によって四人乃至六人、七人と一定していない。ゾロアスター教のアムシャ・スプンタやユダヤ教・キリスト教の四大天使と七大天使、イスラム教の四大天使は、この伝統を受け継いでいます。一方、ラビ教学の発展とカッバーラー(Kabbala)またはカバラ(*カバラとはユダヤ教の神秘主義思想で、ヘブライ語の「カバル」に由来する)はその流行により、中世初期にはベン・マイモーンと偽ディオニシウスがそれぞれに天使の位階を定めた。前者はユダヤ教に浸透した教説だが、位階としての大天使は定義されていない(*近世に黄金の夜明け団が10の位階それぞれに統括者としての大天使を1体ずつ置いている)。後者は後にキリスト教社会に広く浸透した教説で、大天使は天使九位階の八位に当たる位階として取り入れられる。この意味での大天使は二枚の翼を持ち、助祭のような姿をして神と人間を結ぶ連絡係を務める一方で、天使軍の兵士として槍を持ち群をなして地獄との戦いの任に就く。「ディオニュシオス文書」では、ミカエル、ガブリエル、ラファエルの三大天使、更にウリエルを含めた四大天使、あるいは七大天使が登場する(サリエル、ラグエル、レミエル、ザドキエル、ヨフィエル、ハニエル、カマエルなど)。ヘブライ語の大天使(ハ=マルアハ)は基本的にはミカエルのみを指している。記:ラビ・ユダヤ教(Rabbinic Judaism)は、有史以来実際上のユダヤ人・ユダヤ教の主流派・多数派であり、新約聖書・キリスト教文献によれば、イエス・キリスト時代には「ファリサイ派(パリサイ派)」と呼ばれていたユダヤ教宗派のことである。ラビ的ユダヤ教、ラビのユダヤ教とも。ラビの説教や解説を中心としたユダヤ教であることから、このように呼ばれている。口伝トーラーは、4世紀末以降に成文化され編纂されたタルムードなどのラビ文献を聖典としており、通常ユダヤ教と言う場合には、このラビ・ユダヤ教を指す場合が非常に多い。正統派、超正統派(ハレーディー)をはじめ、有史以来現在まで続くあらゆるユダヤ人・ユダヤ教の基礎となる傾向が、現実的にラビ・ユダヤ教の流れを汲んでいる。Ⅰ:キリスト教における大天使 多くのキリスト教教派では「ダニエル書」に於いて天使の長と言及され「ヨハネの黙示録」で天使の軍を率いるミカエルと、「ダニエル書」で預言者ダニエルが見た幻視を説明し「新約聖書」で洗礼者ヨハネの誕生をザカリアに、イエス・キリストの受胎をマリアに知らせたガブリエルの二大天使に崇敬が広く集まっている。それらに「トビト記」に登場するラファエルを加えた三大天使、さらに外典に登場するウリエルを合わせた四大天使、その上に三体の天使を足した七大天使に言及されることもあるが、これらは教派により聖書正典の扱いが違うため、大きく異なっている。また、多くの教派でミカエルを筆頭とした大天使らの祝祭日(Michaelmas) が設けられている。Ⅱ:東方正教会における大天使 ミカエル、ガブリエルの二大天使を中心とした七大天使が広く崇敬を集めている。Ⅲ:カトリック教会における大天使 ミカエル、ガブリエル、ラファエルを三大天使として崇敬している。ガブリエルは教皇グレゴリウス1世の時代(6世紀末)には大天使に加えられていたが、ザカリアス(8世紀中頃)の時代に見直しが行われ、正典外の天使として崇敬対象から外れている。Ⅳ:プロテスタントにおける大天使 唯一の神のみを信仰するプロテスタント教会は天使を崇敬しない。Ⅴ:イスラム教における大天使 イスラム教のコーランの中では、天啓の天使ジブリール(ガブリエル)と戦士の天使ミーカーイール(ミカエル)の名前が出てくる。特にジブリールは、神の知恵と啓示を管理し、預言者ムハンマド(マホメット)にコーランを口頭で伝えた天使として、突出した存在である。更にハディースに登場し最後の審判のラッパを吹くイスラーフィール(ラファエル)と、コーランには「死の天使」の名で登場するアズラーイール(アズラエル)を含めて四大天使と称される。アラビア語の大天使(ライース・ル=マラーイカ、アル=マラーイカティ)は基本的にはミーカーイールを指す。参考画:Sandro Botticell「三人の大天使とトビア/Toussaint Gelton(1470年頃)」哲学・思想ランキング
2024年12月19日
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「知るを生きる」第12項 シュタイナー思想からⅢ:Ⅱのシュタイナーの世界感を考証の参考各種天使画像・図-9・10◇権天使(けんてんしorごんてんし/Principalities):希(アルカイ、単数形でアルケー)とは、英語ではPrincipality(プリンシパリティ)、通常は複数形でPrincipalities(プリンシパリティーズ)とも呼ばれ、偽ディオニシウス・アレオパギタに由来する「天使の9つの階級」では、下位三隊 「聖霊」で、第七位階に位置づけられる天使の階級です。権天使は「権勢」「権力」を意味しています。。ヨハネによる福音書の冒頭に出てくる「はじめに言があった」の「はじめ」にあたる言葉である。国家及びその指導者層の守護。国家の興亡。悪霊からの守護を司る。誤読に基づく創作とし、存在を退けるものもある。間界の国家やその指導者、統治者などの権力者の守護をし、悪霊からの守護を司る天使です。王様の様な冠や笏を持っているのが特徴です。地上の権勢と統治を委任された天使で、各国で成し遂げられる信仰の守護者的な性格を持っています。ダニエル書ではミカエルと戦ったというペルシャの守護天使がここに該当し、タルムードでは設定を加え、ドビエルがガブリエルの権能を譲任された21日間、自分が守護していた古代ペルシアをペルシャ帝国に成長させる偏愛を犯す堕落天使として烙印され、ダニエル書の内容どおりミカエルに審判を受けます。それだけでなく、古代国家が戦争を繰り広げた理由が、各国の守護天使たちがドビエルのように自分が守護する国を成長させるために地上に過度に干渉した影響だという。 これは厳然と月権であるだけでなく、互いに自分の区域を偏愛しながら人類の葛藤を助長したので当然御法度。 このように堕落した守護天使が70~72人にもなり、それでも正気のある天使はイスラエルを守護していたミカエルだけだったという。 もちろんこれはあくまでタルムードをベースに肉付きの伝承。権天使長はハニエルです。参考画1:Principality参考画2:Archangel Haniel哲学・思想ランキング
2024年12月18日
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「知るを生きる」第12項 シュタイナー思想からⅢ:Ⅱのシュタイナーの世界感を考証の参考各種天使画像・図-8◇能天使(パワーズ/Powers):能天使(のうてんし/Powers)は、神学に基づく天使の階級において、第6位の天使達の総称であり、特別・高級という意味を持つギリシャ語ではエクスシーアイ、単数形でエクスシーアと表現されます。また、能天使は、神によって最初に造られた天使とされ、力天使とともに宇宙の秩序や均衡を保つ役割を担っています。対悪魔戦における最前衛を務めるという過酷な使命を負っており、最も悪魔と接触する機会の多い天使でもあります。その性質は、最も調和的で神の本質に従属する善性によって高みに至る能力と知性を持っていること、そして全ての能力の源泉である原理と同一化する傾向にあるとされています。?能天使の司令官と知られるのは、栄光の七天使の一人ともされる破壊天使カマエルです。「能天使」とはどういう意味あいをもつかといえば、神の掟を正しく実行にうつす働きを司る能力の天使。 神に対して加えられた侮辱をつぐなう方法を教えるということです。その任務は悪魔との戦闘で最前線に立たされる、これは裏を返せば、悪魔と接触する機会が多く誘惑されやすい。故に最も堕天しやすい階級とも言えよう。更に、戦いには彼等の名前は殆ど挙げられてない特徴があります。そんな彼等だが最も調和的で神の本質に従属する善性によって高みに至る能力と知性を兼ね備え、全ての能力の源泉である原理と同一化することが「能」であることの所以である彼等はこの原理が可能な限り、「天使」へと放射される尚、この天使の司令官は「破壊の天使・カマエル」が有名で、熾烈な任務をこなすため、破壊の限りを尽くす。そのため悪魔とされる例もあります。参考画:カマエル-Red Panther Kamael記:カマエル(Chamael, Chamuel, Camael, Kamael)は、「神を見る者」という意味の名をもつ大天使で、チャミュエルとも言われる。14万4千もの能天使の指揮官とも、1万2千もの「破壊の天使」を率いているともされる。火曜日の守護天使であるともいわれる。神の力を象徴しており、神の立てた正義を前提にして、神に敵対する者達を容赦なく攻撃するといわれている。ヤコブと格闘した天使とも、ゲッセマネにおいて受難を予期したイエスを励ました天使ともいわれる。その攻撃的な性格から、オカルト教義では堕天使や岩にうずくまる豹の姿をした地獄の悪魔として扱われることがあったとされ、そのことから「赤い豹」という通り名で呼ばれたともいわれる。火星に関連づけられ、蠍座(天蠍宮)の天使でもある。モーセが神から律法を受け取る為に天に登った際に門番として行く手を阻んだが、モーセの偉大さを認めて門を開けたといわれる。また、モーセに殺されたという説もある。ドルイドの神話では戦の神となっている。ドルイドは滅多に天使について語らないが、カマエルは戦いの天使だと明言している。哲学・思想ランキング
2024年12月17日
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「知るを生きる」第12項 シュタイナー思想からⅢ:Ⅱのシュタイナーの世界感を考証の参考各種天使画像・図-7◇力天使(バーチューズ/Virtues):力天使(ちからてんし)は、天使の階級の中でも特に力強い存在で、神の命令を実行し、悪を退ける役割を担(にな)っています。キリスト教の伝統では、力天使は神の意思を実行するために戦う天使として描かれること多々です。力天使は通常、神聖な使命を果たすための力を持ち、正義と秩序を維持するための重要な役割を果たしています。彼らはまた、神の威光を表現し、神の御前で栄光をたたえる存在でもあります。○力天使の役割と詳細*力天使は非常に力強い存在であり、主に次のような役割を担っています。*神の命令を実行: 神の意思をそのまま伝え、命令を遂行します。*悪を退ける: 悪しき存在や力から守り、平和と正義を保ちます。*正義と秩序の維持: 社会全体の秩序を守るために働きます。*神の威光を表現: その存在自体が神の威厳と力を示します。○力天使の姿*力天使の姿は通常、非常に威厳のあるものとして描かれます。*筋肉質な体格: 力強さを象徴するために筋肉質でたくましい体格を持つことが多いです。*光り輝く鎧: 天使の威光を表すために輝く鎧をまとっています。*大きな翼: 天使としての神聖さと移動の自由を象徴する大きな翼を持っています。*剣や盾: 悪と戦うための武器として、剣や盾を持つ姿が一般的です。○有名な力天使を描いた芸術作品*ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂のフレスコ画: 彼の作品の中には、力強く荘厳な天使が描かれている部分があります。*ギュスターヴ・ドレの聖書挿絵: ドレの挿絵には、力天使が神の命を受けて行動する場面が多く描かれています。*ルネサンス期の聖像画: 多くのルネサンス期の画家たちが、力天使を含む壮大な宗教画を手掛けました。参考画:Virtues哲学・思想ランキング
2024年12月16日
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「知るを生きる」第12項 シュタイナー思想からⅢ:Ⅱのシュタイナーの世界感を考証の参考各種天使画像・図-6◇主天使 位階-4:主天使(しゅてんし、ドミニオンズ(Dominions) またはキュリオテテス(Κυριοτητε?))は、神学に基づく天使のヒエラルキーにおいて、第四位に数えられる天使の総称。主天使(ドミニオンズ)は、天使の階級の中で4番目に位置し、神の秩序を維持する役割を持っています.彼らは他の天使たちを指導し、神の意志を実行するための指示を与えます。主天使は、神の秩序と調和を保つために重要な役割を果たしており、他の天使たちがその役割を果たすのを助けます。(*王政の侍従にあたる)主天使は、しばしば王冠や杖を持ち、威厳と権威を象徴しています。彼らは神の命令を受け取り、それを他の天使たちに伝える役割を果たします。また、主天使は神の計画を実行するために、他の天使たちを組織し、指導する責任も持っています。主天使は、神の秩序と調和を保つために、他の天使たちがその役割を果たすのを助けます。彼らは神の意志を実行するための指示を与え、他の天使たちを指導し、神の計画を実行するために組織します。参考画:Dominions哲学・思想ランキング
2024年12月15日
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「知るを生きる」第12項 シュタイナー思想からⅢ:Ⅱのシュタイナーの世界感を考証の参考各種天使画像・図-6◇主天使 位階-4:主天使(しゅてんし、ドミニオンズ(Dominions) またはキュリオテテス(Κυριοτητε?))は、神学に基づく天使のヒエラルキーにおいて、第四位に数えられる天使の総称。主天使(ドミニオンズ)は、天使の階級の中で4番目に位置し、神の秩序を維持する役割を持っています.彼らは他の天使たちを指導し、神の意志を実行するための指示を与えます。主天使は、神の秩序と調和を保つために重要な役割を果たしており、他の天使たちがその役割を果たすのを助けます。(*王政の侍従にあたる)主天使は、しばしば王冠や杖を持ち、威厳と権威を象徴しています。彼らは神の命令を受け取り、それを他の天使たちに伝える役割を果たします。また、主天使は神の計画を実行するために、他の天使たちを組織し、指導する責任も持っています。主天使は、神の秩序と調和を保つために、他の天使たちがその役割を果たすのを助けます。彼らは神の意志を実行するための指示を与え、他の天使たちを指導し、神の計画を実行するために組織します。参考画:Dominions哲学・思想ランキング
2024年12月15日
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「知るを生きる」第12項 シュタイナー思想からⅢ:Ⅱのシュタイナーの世界感を考証の参考各種天使画像・図-5◇座天使 位階-3:座天使 (ざてんし、ソロネ(Throne)、 スローンズ (Thrones)、またはガルガリン (Galgalim))は、 神学 に基づく 天使のヒエラルキー(*ピラミッド形に上下に序列化された位階制の秩序)において、第三位に数えられる座天使は無数の瞳をもつ者として描かれる上級天使の総称。 日本正教会ではギリシャ語から宝座と訳されている。 オファニム (*神の玉座を運ぶ尊厳と正義の天使または意思の支配者/Ofanim )と同一視されるときは、主に燃え盛る車輪の姿が描かれており、車止めのついた二輪の車輪が四輪あり、緑柱石のように輝き、多くの目をもち、火に包まれていて、動くと稲妻の光と壮絶な音がするとされており、多くの絵画に描かれている座天使は、私たちの天使のイメージを遥かに超えています。「エゼキエル書」によると、座天使は智天使の乗り物のようなもので、馬車でイメージするなら座天使は馬であり、馬を操るものが智天使であり、それに乗るのが神である。座天使は気高く崇高な天使で、その名はすべての悪徳を超越し、人知を超えて高みへと昇りつめることを示す。ソロネは全ての卑俗なるものを退けつつ、主の傍らに座を占め、神的原理から降り来るものを受け止めるのである。神の玉座の運び手というと前出のケルプと混同しがちであるが(*実際にエゼキエル書では混同していると思われる)、後世の神学者たちはケルプは役職上の神の玉座を運ぶもの、ソロネは戦車など実戦上の役目を担うものと解釈していたと伺える。参考画:Thrones哲学・思想ランキング
2024年12月14日
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「知るを生きる」第12項 シュタイナー思想からⅢ:Ⅱのシュタイナーの世界感を考証の参考各種天使画像・図-3、4◇智天使 位階-2:智天使(ちてんし/Cherubim、ヘブライ語でケルブ(若しくはケルーブ、複数形ケルビム(若しくはケルービーム)/ラテン語cherub,複数形cherubin,cherubim)は、天使の一種。偽ディオニシウス・アレオパギタに由来する「天使の階級」では第二位に位置づけられる。日本のキリスト教教会では大抵「ケルビム」と呼ばれ、日本聖書協会も「ケルビム」との表記を用いているが、日本ハリストス正教会では「ヘルヴィム」(明治時代の文献では「ヘルワィム」と書いてヘルウィムと読ませていたものが多数存在する)と呼ばれている。こうした違いが発生したのはギリシャ語発音が時代によって変化した事に由来する。智天使(ケルビム)は、特にユダヤ教、キリスト教、イスラム教の宗教的伝統において重要な役割を果たす天使たちです。彼らはしばしば神の御座を守る存在とされており、旧約聖書の「エゼキエル書」や「創世記」などにその記述が見られます。エゼキエル書では、ケルビムは四つの顔(人、獅子、牛、鷲)を持ち、四つの翼を持つ存在として描かれています。また、これらの天使は火や輝きに包まれていることが多く、非常に威厳と神秘に満ちた姿であるとされています。有名なのは旧約「エゼキエル書」にて、神と人間の契約を守る象徴である契約の箱(アーク・オブ・ザ・カヴェナント)ケルビムは、契約の箱の両端に取り付けられた金の彫像で、神の臨在の象徴として描かれています。旧約聖書の出エジプト記25章18節から22節には、次のように記されています「純金で二つのケルビムを作り、契約の箱(Ark of the Covenant)のふたの両端にそれぞれ一つずつ取り付けよ。ケルビムは翼を広げ、その翼がふたを覆うようにし、互いに顔を向き合わせ、ふたに向かって顔を向けるように作れ。そこにわたしがあなたに会う場所を設け、イスラエルの子らに命じるすべてのことについて、契約の箱のふたの上にあるケルビムの間からあなたに告げる。」この記述から、ケルビムは神と人々をつなぐ特別な場所を守る役割を担っていることがわかります。彼らは神の栄光を象徴し、契約の箱そのものが神との特別な契約の象徴であるとされています。参考画像-cherubim 図-3参考画像-Ark of the Covenant 図-4哲学・思想ランキング
2024年12月04日
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「知るを生きる」第12項 シュタイナー思想からⅢ:Ⅱのシュタイナーの世界感を考証の参考各種天使画像・図-1、2◇熾天使 位階-1:熾天使(してんし/Seraphim)は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の天使階級の中で最も高位に位置する天使たちです。彼らは神の玉座の周りに立ち、神を賛美し、神の栄光を広める役割を持っています。熾天使は通常、燃え盛る炎や光に包まれた姿で描かれ、その名も「燃える者」を意味します。熾天使は、イザヤ書6章に登場し、神の聖なる存在を強調するために「聖なる、聖なる、聖なる」と三度唱えることで知られています。また、彼らは六つの翼を持ち、二つの翼で顔を覆い、二つの翼で足を覆い、残りの二つの翼で飛ぶとされています。参考画:熾天使図-1天使の位階3位階9階級-2哲学・思想ランキング
2024年12月03日
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「知るを生きる」第12項 シュタイナー思想からⅡシュタイナーの世界感を考証 シュタイナーによれば、世界は以下の3つから成り立っている。●物質界:大地・海洋・大気からなり、鉱物、植物、動物、人間の活動の場●魂界:共感と反感という2つの構成要素から成る反感と欲念の渦巻く低次領域と共感、光、魂的活動、魂的生命が輝く高次領域形態と色彩の世界、漂い流れる色彩の海の世界。/すべてが鏡像の形で見えることもあり得る世界、毎夜夢の中で算入している世界。/欲界(仏教)/煉獄(キリスト教)/イマジネーション認識の世界。●霊界/ すべてが陰画の形で見える霊界の下位部分・第1領域:大陸/物質の原像が存在する・第2領域:大洋/生命の原像が存在する・第3領域:大気/魂の原像が存在する・第4領域:本来の思考世界/思考の原像が存在する *以上はインスピレーション認識の世界霊界の上位部分(完全な光と叡智の世界)・生命の萌芽の領域・宇宙の意図の領域・原像の創造力の領域 *以上はインテュイション認識の世界 *下位の霊界と上位の霊界を分ける境界は、アカシャ界と呼ばれる。◆瞑想によって、魂界、霊界は瞑想者の霊眼に開かれる世界であるが、人間が死後通過してゆくことになる世界でもある。注:上記の【魂界】【霊界】を地球をめぐる諸惑星の領域に置き換えると●低次の魂界---------【月界】●高次の魂界---------【金星界・水星界・太陽界】●霊界の大陸---------【火星界】●霊界の大洋---------【木星界】●霊界の大気---------【土星界】●霊界の思考領域-----【黄道12宮界】となるが、月界から黄道12宮まで、空間的な上下の段階の区別があるのではなく、地球を中心とするそれぞれの星の軌道内の空間全体が、それぞれの星の界である。古くからの伝統的な「霊・魂・体」という区分でいえば、その霊・魂・体の三区分説は、古代ギリシャ哲学や宗教に由来しています。特に現代思想にはプラトンやアリストテレスの思想の影響があります。彼らは人間の存在を三つの部分に分けて考えました。霊魂(プシュケー): 精神や意識の部分で、知識や理性を持ち、物質的な世界とは異なる存在です。魂(プシュケー): 生命力や感情の部分で、身体と霊魂の中間に位置します。体(シューレ): 物質的な部分で、感覚や運動を通じて物質世界と関わります。この区分は、人間の存在を理解するための枠組みとして、多くの宗教や哲学に取り入れられました。例えば、キリスト教では、霊魂と体の区別が重要なテーマとなっています。霊・魂 ・体の英語表記は以下がそれぞれの英語表記です。霊: Spirit、魂: Soul、体: Body、これらの概念は、哲学や宗教においても重要なテーマとなります。【体】肉体・エーテル体・アストラル体【魂】感覚魂・悟性魂・意識魂【霊】霊我、生命霊、霊人「体・魂・霊」の区分ですが、人間の本性を、肉体、エーテル体、アストラル体、自我。霊我、生命霊、霊人の7つに分ける場合には、以下のようになります。「体」は肉体、エーテル体。「魂」はアストラル体。「霊」は自我、霊我、生命霊、霊人。シュタイナーは霊的存在としての天使の位階をキリスト教的に9階級とします。天使は人間の頭上、神の近くにいる存在、神の使者。霊の世界に住む高次元の存在で、キリスト教のほか、ユダヤ教、イスラム教の聖典、伝承にも登場する。キリスト教では、5~6世紀の中東の神学者・偽ディオニシウス・アレオパギテスが『天井位階論』で、天使の位階を3位階9階級に体系化した。即ち、第1の位階は、「熾天使」「智天使」「座天使」で、神と直に接することができる。第2の位階は、「主天使」「力天使」「能天使」で、第3の位階の天使たちに神の言葉を伝える。第3の位階は「権天使」「大天使」「天使」で、神の言葉を人間に伝える責任を負う。上級の「熾天使」(多くは両翼を付け擬人化された半神)、「智天使」(神の玉座や馬車の回りにいる擬人化された半神)、「座天使」(有翼の炎の車輪とともに描かれることが多い)については、描かれる際の身体的特徴が比較的はっきり記載されている。中級の「主天使」(冠を被っている姿で描かれる)、「力天使」「能天使」は絵にはほとんど描かれていない。下級の「大天使」は神の言葉をその都度人間に伝え「啓示」を行い、絵画にも多く描かれており、ミカエル、ラファエル、ガブリエルなど7大天使はよく知られている。「天使」は全ての人間についており、姿も人間に近いと言われる。天使の階級により羽の数は異動します。●生命の子(黎明の子、個人の守護霊) 天使 ●火の霊(民族霊) 大天使 ●人格の霊(時の霊、時代霊) アルヒャイ(権天使) ●形態の霊 エクスシアイ(能天使) ●動きの霊 ヂュナメイス(力天使) ●叡智の霊 キュリオテテス(主天使) ●意志の霊 トローネ(座天使) ●調和の霊 ケルビーム(智天使)●愛の霊 セラフィーム(し天使)●悪魔の2つのタイプもともとは善良な霊的諸存在の仲間であったのに、途中から別の道をたどり、上記の位階から離れていった存在として、以下のような悪魔的な2つのタイプの悪魔的な存在がいる。◆アーリマン(人間を物質の闇の中に引きずり込もうとする悪魔)◆・ゾロアスター教において、光明の神アフラ・マズダに対抗する闇の霊で、人間に破壊衝動を植え付ける。・人類に科学、学問をもたらした存在でもある。だから、人類は厳密な思考方をこのアーリマンを通して獲得したが、その傾向がゆきすぎると、非人間的な数量的思考作業によって、すべてを割り切ろうとするようになってしまう。◆ルシファー(人間を現実から遊離させて幻想の中に引きずり込もうとする悪魔)◆・聖書に登場する堕天使で、「光をもたらす者」を意味し、人間を過去の霊性に連れ戻そうとする。・人類に自由と自我の独立性を与えた。・このルシファー衝動を通して、人間は自分を高貴な存在と感じ、日常を超えた情熱をもつことができるようになる。しかし、この傾向が過剰になると、世俗の人々を見下し、独善に陥ることになってしまう。*このアーリマン的な極とルシファー的な極の中間にそびえる9位階霊的存在が、魂界霊界にあって、地上の文明と人類の発展に関与している。 ○九階級の天使 詳細①熾天使(Seraphim:セラフィム):三対六枚の翼を持ち、一対は頭を、一対は体を隠しており、残る一対で飛翔する。神への愛と情熱で体が燃えているため、熾(燃える、などの意)天使といわれる。神に最も近い、威厳と名誉に満ちた天使である。その手にはサンクトゥス(聖なるかな)の歌詞を刻んだ炎の短剣か旗を持っている。天使の九階級のうち最上とされている。②智天使(Cherubim:ケルビム):旧約聖書の創世記3章によると、主なる神はアダムとエバを追放した後、命の木への道を守らせるためにエデンの園の東に回転する炎の剣とともにケルビムを置いたという。四つの顔と四つの翼を持ち、その翼の下には人の手のようなものがある。「天使の階級」では第2位に位置づけられる。③座天使(Thrones/スローンズ):名は「玉座」や「車輪」の意で、唯一神たる主の戦車を運ぶ者とされる。また、「意思の支配者(Lords of Will)」の異名も持つ。 物質の体をもつ天使としては最上級にあたり、主に燃え盛る車輪の姿で描かれる。 座天使の指揮官はザフキエルまたはラファエルとされる。*第3位に数えられる上級天使。④主天使(Dominions/ドミニオンズ):統治、支配を意味する天使である。神の威光を知らしめるため、様々な働きを担うとされる。また、そのシンボルは笏(しゃく)である。ザドキエル(Zadkiel)やハシュマル(Hashmal)に率いられているとされる。*第4位に数えられる天使。⑤力天使(Virtues/バーチューズ):地上の奇跡を司り、それをもって英雄に勇気を授けたり、正しい行いをする者たちの前でその奇跡の威力を見せたりする。名は「高潔」、「美徳」を意味する。キリストが天に召される時に、付き添ったのも力天使たちであるという。また、カインの誕生の際に産婆の役目も務めたとされる。*第5位に数えられる天使。⑥能天使(Powers/パワーズ):神の掟を正しく実行にうつす働きを司る能力の天使。神に対して加えられた侮辱をつぐなう方法を教える。神の命により、天に背いた悪魔達を滅ぼすという役目を持つ。天使の階級の中で堕天使となる数が最も多い。*第6位に数えられる天使。⑦権天使(Principalities/プリンシパリティーズ):国家及びその指導者層の守護。国家の興亡。悪霊からの守護を司る。人間の指導者たちの行いを監視して正義の決断をさせる。あるという。また、カインの誕生の際に産婆の役目も務めたとされる。*第7位に数えられる天使。⑧大天使(Archangels/アークエンジェルス):二枚の翼を持ち、助祭のような姿をして神と人間を結ぶ連絡係を務める一方で、天使軍の兵士として槍を持ち群をなして地獄との戦いの任に就く。終末の時には7人の大天使がラッパを吹きその時を知らせる役目を持つ。*第8位に数えられる天使。⑨天使(Angels:エンジェルス):最も人間に近い存在で、人間を悪意から戒め、正義を示す。*第9位に数えられる天使。 第12項 シュタイナー思想から Ⅱ-了参考図:cosmos-systems哲学・思想ランキング
2024年11月29日
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ルドルフ・シュタイナー「精神科学と医学」第11講 1920年 3月31日 ドルナハ第11講-Ⅰ 昨日出発点とはまったく別のものに行き着いたように、今日も私たちは、まったく特定の具体的な物質を出発点として、それからさらに問題全体を拡張する試みをしていきます。おわかりのように、私たちの課題には、一部は問題そのものの性質のため、一部は私たちに割り当てられている時間が短いために、いわば円を描きつつ接近することがどうしても必要だからです。私たちは、いわば公理に始まって、次第に複雑なものに上昇していくという、例の科学的な道をとることはできないのです。今日の私の課題として、植物炭(Carbo vegetabilis)を出発点とすることで、私たちの道をもう少し先に進むような観察範囲を皆さんに示したいと思います。昨日チコリ、野イチゴその他を研究いたしましたように、今日もこの奇妙なもの、実際どこにでもあるのですが、世界でも最も奇妙なもののひとつであるこの物質に関わるものを研究していこうと思います。そうすることで、実際の自然観察に入っていこうとするだけの場合でも、今日の科学性というものが導いてくれる以外のことにただちに目を向ける必要があるということが、いわば最もよくわかるのです。昨晩の講演でコリスコ博士(☆1)が未来の科学はそもそも何かまったく別のものでなければならないと指摘されたこと、そしてその際、繰り返し「生理学」という語が好まれていたのは非常に興味深いことでした。このことは、化学的なものと生理学的なものに橋が架けられなくてはならないということを表明するものだからです。こういうとき私はいつも、理解するための条件が全く欠けているために、現在のところ公開講演ではまだ完全にお話しできないようなありとあらゆる事柄について考えざるを得ませんでした。私たちは炭素というものを人間の外部にある自然のなかにも、ここではこう申し上げたいのですが、一見、人間の外なるものであるように見える自然のなかにも見い出します。そもそも大いなる自然のなかには人間以外にいったい何があるのでしょうか。本当は何もないのです。と申しますのも、とりもなおさず私たちの前の、人間の外なるもののなかにあって、まさに人間の外部にあるもの、これはすべて、人間の進化につれて人間から外に出され、人間から遠ざけられたものだからです。人間はある進化段階に入って行かなくてはならなかったのですが、その段階に入って行くことができたのは、人間に相対する外界である種のプロセスが進行し、それによって、ある種の別のプロセスをそれ自体人間の内部に取り入れる可能性が与えられたことによってなのです。したがって、ある種の外的なプロセスと、ある種の内的なプロセスの間には、実際常に対立と親和性とが存在しているのです。さて、これは、まあそうですね、化学の生理学化について昨日言われたこと、これは厳密な表現ではないかもしれませんが、特に昨日のコリスコ博士の講演をお聴きになれば、私の意味するところは理解されるでしょう。また日曜日にシャイデッガー博士(☆2)によって非常に好ましく述べられたこと、その興味深い議論においては、ホメオパシーの際に行なおうとすることは、本来精神科学的に把握されねばならないということが指摘されましたが、そのことと、不思議に共鳴し合っていたということをお話ししておかなくてはなりません。そしてこの共鳴の響きは、ある場所で奇妙な言葉となって消えるのです。私はこの言葉と、もう数十年来取り組んできたと言ますが、それはしばしばこう表明される言葉なのです、ホメオパシーの医師であっても、神秘主義的になることをいくらか恐れている、すなわち、神秘主義という評判を立てられることを恐れていると。さて、私がこれと取り組んできた根拠というのは、まったく特定の、しかしあくまで現実へと回帰していく見解のなかにありました。よろしいでしょうか、ホメオパシー的治療のプロセスにおいて切に求められる本質的なものは、実際のところ結局、ここで誤解なさらないようお願いいたしますが、物事の性質をきちんと描写しようとすると、いささかラディカルな言い方にならざるを得ないのが常なのですから。その物質そのもののなかにあるではなく、それよりは遥かに、その物質を調合する際に行なわれること、つまり、私たちの前に珪酸としてあるもの、あるいはそうですね、植物炭素としてあるものを調合するということにあるのです。それは、調合すること、つまりその時になされることのなかにあるのです。ホメオパシーの薬を調合することが求められるとき、そもそも何が起こっているのかについて私はずいぶん取り組んでまいりましたが、この場合私はぜひとも、ラッシャー博士(☆3)も認められますように、例えばリッターの調合(☆4)もこのホメオパシーの薬に含めたいと思います、リッター嬢自身がこれをお認めにならないとしてもです。問題はまさに、ホメオパシーの薬が調合される際、そもそも何が起こっているのかということなのです。求められるものは結局調合することのなかにあります。そのとき作り出すものを調合するという出来事全体のなかにあるのです。例えば皆さんが珪酸を用いて、珪酸を希釈度を高く調合する場合、皆さんはそもそも何をしているのでしょうか。皆さんはある一点を目指しているのです。自然においてはすべてが根本においてリズミカルなプロセスに基づいています。皆さんは、当の物質の本来の、最初に現われている作用が前面に出ているしばらくの間は、ある種のゼロ地点を目指します。さてよろしいですか、私が財産を持っていてどんどん使い果たし、ゼロになってさらにゼロ点を越えていくと、今度は単に財産が無いということではなく、財産という性質を越えて借金に移行するものがやってくることになりますが、私が外的な物質の物質的性質に向かい合うときにも、ちょうどこれと同じようなことが当てはまるのです。いわばこの物質の作用にとどまることにより、私はこの物質の作用がもはや計測できる状態では発現しないゼロ地点に到達します。私がさらに先に進むと、単にこの出来事全体が消え去るというだけではなく、反対のものが現われてきて、この反対のものがさらに周囲の媒質にまで混入されるという事態になるのです。私にしてみればしたがって常に、媒質のなかに、つまり、粉薬その他の、微細にされたホメオパシー的な物質を混入するために用いられるもののなかにも、当の物質の反対の作用を見ていたということです。この媒質は別の構成を獲得します。ちょうど、財産から借金をこしらえることに移行すると、外的社会生活において私が別な者になるように、物質もその反対の状態に移行して、以前は自らの内に有していたこの反対の状態を周囲に付与するのです。すなわち、その物質の量を私がどんどん減らしていくことによってある物質がある特性を持つと私が言うとすると、その物質は、私がいわば一定のゼロ点に近づくことによって、別の特性を獲得する、つまり以前の特性を周囲に放射し、私がその物質を扱う手段を適切なしかたで促進するという特性を獲得するのです。この促進というのは、ここで描写された反対の作用が直接引き起こされるということにあるのですが、これが可能なのはやはり、当の物質にある状態をもたらして、その後で、あるいは光の影響のもとで、たとえば蛍光を発したり、燐光を発したりするようにする、そういう状態がこの物質にもたらされるようにこの反対の作用を引き起こすことによってのみであるとさえ言えます。こうして周囲に放射される反対の作用が引き起こされたのです。これらは考慮されなければならない事柄です。実際重要なことは、神秘主義的なものに陥ってしまうということではなくて、結局自然をその真の活動(Aktion)において観察してみるということ、私たちが物質の特性に関しても実際にそのリズミカルな進行に入っていけるように自然を観察することなのです。これが、そもそも諸々の作用がどこにあるのかを認識するためのライトモティーフとでも申し上げたいものなのです。皆さんが希釈していくとき、まずゼロ点に達します。このゼロ点の向こうには反対の作用があるのです。けれどもこれで全部ではなく、皆さんは今度は、このゼロ点の向こうにある道の内部で、今度はこの反対の作用にとってまたゼロ点であるようなゼロ点に達します。この点を越えていくことで、皆さんはさらにもっと高度の作用、なるほどその方向性においては最初の線にあるけれども、まったく別の性質を持った、もっと高度の作用に行き着くことができるのです。ですから、希釈において明らかになる諸作用をある種の曲線で描くことは実際すばらしいことでしょう。ただ、この曲線は独特のしかたで構成されなければならないことに気づかれるでしょう。つまり最初はこのような曲線を形成し、次に、低いけれども作用はしている、そういう低い希釈度が作用をやめて、今度はより高い希釈度が作用を始める一点、つまり第二のゼロ点であるところにに来ると、ここで直角に転回して空間へと曲線を引いてこなければならないだろうということです。これらのことは、この講演のなかでさらに述べていきますが、これは人間と人間外部の全自然との親和性全体と密接に関わっていることです。さて、私たちが植物炭のようなものを観察するとき、まっさきに目につくことに注意を向ける人はまずこう言うでしょう、多量に服用されると、植物炭は、まったく特定の病像を引き起こすけれども、これは、ホメオパシー療法の医師の見解に従ってこの同じ物質を「希釈」することによって克服されると。記:ホメオパシーはドイツ人医師ハーネマン(1755 - 1843年)が始めたもので、レメディー(治療薬)と呼ばれる「ある種の水」を含ませた砂糖玉があらゆる病気を治療できると称するものです。参照画:Samuel Hahneman 第11講-Ⅰ 了哲学・思想ランキング
2024年11月15日
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「知るを生きる」第11項 シュタイナー思想からⅠシュタイナーの人間観を考証 前項に述べた通り人間は、7つの構成要素(詳細に区分すれば9つの構成要素)からなりたつ存在です。(1)肉体-----------------物質(鉱物・植物・動物界の領域特性)(2)生命/エーテル体-----生命の働き(植物・動物界の領域特性)(3)魂/アストラル体-----感情の働き(動物界の領域特性)(4)自我(精神)---------意識的な思考・感情・意志*9つの詳細区分の場合には更に感覚魂・悟性魂・意識魂(5)霊我(マナス)-------自我の力によって霊化されたアストラル体(6)生命霊(ブッディ)---自我の力によって霊化されたエーテル体(7)霊人(アートマ)-----自我の力によって霊化された肉体上記の内、(1)~(4)は、存生(ぞんじょう)に実現されていますが、(5)~(7)存命中は可能態として存在していて、未だ存在してないものの、この(1)~(3)の変容は、すでに魂の領域において、以下のような分化(意識魂、悟性魂、感覚魂)が行われていて、それぞれが(5)~(7)へと発達していきます。また、これらの意識魂、悟性魂、感覚魂は、それぞれイマジネーション認識、インスピレーション認識、インテュイション認識の可能性を孕んでいます。●肉体→意識魂(イマジネーション認識)→霊我●エーテル体→悟性魂(インスピレーション認識)→生命霊●アストラル体→感覚魂(インテュイション認識)→霊人これらの認識は、通常の意識を超える世界の認識であり、イマジネーション認識は、「霊視的」認識であり、魂の世界を知覚するもの。インスピレーション認識は、「霊聴的」認識であり、神霊の世界を知覚するもの。インテュイション認識は、高次の霊的世界へといたり、「神霊の本質」を認識するものとなります。全体としての人間存在をみると、肉体、エーテル体、アストラル体という三重の覆いのなかにあって、感覚魂、悟性魂、意識魂の中心で、それらを治める精神としての「自我」の生が我々自体の人間であるということになります。古くからの伝統的な【霊】【魂】【体】という区分でいえば、霊・魂・体の区分説は、古代ギリシャ哲学や宗教に由来しています。特にプラトンやアリストテレスの思想に影響を受けています。彼らは人間の存在を三つの部分に分けて考えました。霊魂(プシュケー): 精神や意識の部分で、知識や理性を持ち、物質的な世界とは異なる存在です。魂(プシュケー): 生命力や感情の部分で、身体と霊魂の中間に位置します。体(シューレ): 物質的な部分で、感覚や運動を通じて物質世界と関わります。この区分は、人間の存在を理解するための枠組みとして、多くの宗教や哲学に取り入れられました。例えば、キリスト教では、霊魂と体の区別が重要なテーマとなっています。【体】肉体・エーテル体・アストラル体【魂】感覚魂・悟性魂・意識魂【霊】霊我、生命霊、霊人 Ⅰシュタイナーの人間観 了参考図:Earth's celestial evolution哲学・思想ランキング
2024年11月04日
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「知るを生きる」第10項 シュタイナーの人間の本質から概要 ルドルフ・シュタイナーは、人間の9本質(7本質)について、1904年の「神智学」、1906年の「神智学の門前にて」、1907年の「薔薇十字会の神智学」、1910年の「神秘学概論」などでまとめて述べています。シュタイナーは、人間に7本質を考えます。1 霊人(アートマ) :インツゥイツィオーン認識(合一的直観)2 生命霊(ブッディ) :インスピラチオーン認識(霊聴的霊感)3 霊我(マナス) :イマギナチオーン認識(霊視的想像力)4 意識魂 :霊我と一体になった魂5 悟性魂(自我・私) :覚醒意識(人間的・対象的意識)、思考力 6 感覚魂 :アストラル体と一体になった魂7 アストラル体(魂体):夢の意識(動物的意識)、感覚・感情8 エーテル体(生命体):睡眠意識(植物的意識)、形成力9 肉体(物質体) :昏睡意識(鉱物的意識)三分本質説では、1から3が「霊」、4から6が「魂」、7から9が「体」です。そして、4と3、6と7が一体なので、実質的に7本質となります。5が「自我」だと言う場合、この「自我」は日常的な「自我」ですが、目覚めた「自我」は、5と4が一体の「自我」と捉えられます。また、5の「自我」を中心にして、上下が対象の構造になっています。つまり、「自我」は7から9を感覚によって知覚しそれを言語化し、1から3を直観によって知覚しそれを言語化します。そして、7、8、9は、それぞれに、3、2、1が変化したものであるとも言うことができます。「自我」を3「霊我」で満たすと、それが7「アストラル体」を照らし、それによって「自我」が「アストラル体」を支配することで、そこに「霊我」が現れるのです。つまり、「アストラル体」を意識化して働きかけることで、その部分が「霊我」になるのです。こうして、「アストラル体」は変化していない部分と、変化した部分(霊我)から構成されるものになります。2と8、1と9の関係も同様です。 この上下対称性は、ブラヴァツキー夫人の神智学にはありませんがプロクロスときわめて類似しています。ただ、シュタイナーがプロクロスについて語っているのを知りませんし、プロクロスには下位のものが上位のものに変化するという関係はないと思います。「魂」は「体」を通した「体験(印象)」を「表象」に作り変え、それを「霊」に受け渡すと、「霊」はそれを「能力」に変換して成長します。また、シュタイナーは、「人間は思考存在であって、思考から出発するときにのみ、認識の小道を見つけることができる」と言い、「悟性魂」が行う「思考」を重視します。ですが、単なる「抽象的思考」は超感覚的認識の息の根を止めると言います。「生きた思考」が、超感覚的認識の土台を築くのです。超感覚的認識というのは、「魂」、「霊」の諸感覚で、それぞれ、魂的、霊的存在を直接、知覚します。思考を「生きた」ものにするには、外界に対して偏見を排して帰依する態度で、自分自身を空の容器にして、事物や出来事が自分に語りかけてくるように、外部のものに思考内容を作り出させることが必要です。シュタイナーは、霊界の法則が思考存在としての私自身の法則と一致している時、はじめて私は霊界の法則に従うことができると言います。そのような「魂」の中の不死なる部分、真・善を担うのが「意識魂」です。そして、「私」として生きる霊は、「自我」として現れるから「霊我」と呼ばれます。また、独立した霊的人間存在が「霊人」で、「霊人」に働きかける霊的生命力、エーテル霊が「生命霊」です。ちなみに、動物の「自我」はアストラル界に1つの種類の動物の1つの群魂という形で存在します。同様に、植物の「自我」は低次の神界に、鉱物の「自我」は高次の神界に存在します。シュタイナーの歴史観によれば、「太陽ロゴス」である「キリスト」が、ゴルゴダの秘跡で「地球霊」になって以降、「意識魂」を育てる時代になりました。シュタイナーは、ブラヴァツキー夫人と違い、アフラ・マズダをこの「太陽ロゴス」と同じものと考えます。シュタイナーはマズダ教(ゾロアスター教)に従い、神智学はより古いミトラ教に従っている点が、二人の大きな違いを生んでいます。シュタイナーによれば、睡眠時、「自我」と「アストラル体」は、「エーテル体」と「肉体」から離れます。また、夢を見る時には、「アストラル体」が、より「エーテル体」と結びつきます。睡眠時の「アストラル体」は、宇宙的なアストラル界から法則を受け取り、それをエーテル体の建設に使います。死後の人間は、まず、「肉体」を脱ぎ、次に「エーテル体」を脱ぎ、最後に「アストラル体」を脱ぎ、それぞれの死体はやがて消滅します。アストラル体を脱ぎ捨てた後は、霊界を認識してその世界を体験しますが、また、地上世界にも働きかけて、それを変化させます。その後、やがて、霊界から流れてくる諸力を受けて、新しくアストラル体を形成し、再生します。記:プロティノスは感覚的世界と超感覚的世界のもう一つうえに絶対的一者をおき,人間の魂は脱自によって一者と合一するとした。この思想はプロクロスを通して5世紀末,ディオニュシウス・アレオパギタの名をかりた著作家によってキリスト教的に変容された。偽ディオニュシウスによれば,神はいっさいの規定を超えており,善とも存在ともいうことはできない参照画:Procross hierarchy「知るを生きる」 第10項シュタイナーの人間の本質 概要-了哲学・思想ランキング
2024年11月03日
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「知るを生きる」第9項 人間の構成「身体」と「自我」、「霊」と「魂(魂+魄)」●Ⅲ霊魂の構成 「魂」、「霊」、「魂魄」 人間の本質、なかでも「身体」、「精神」に加えて「た・ま・し・い」と呼称されるものが、情報革命とされるAIそしてAIG時代の到来とともに一躍脚光を帯びてきました、魂(Soul)魂は、感情や意識、個人の本質を含む存在の中心とされます。多くの宗教や哲学では、魂は不滅であり、肉体の死後も存在し続けると考えられています。例えば、プラトンの哲学では、魂は永遠であり、肉体の死後に再び生まれ変わるとされています。霊(Spirit)霊は、より高次の存在や神聖な側面を指します。霊はしばしば、宇宙や神とのつながりを象徴し、個人の精神的な成長や啓示を導くものとされます。シュタイナー教育では、人間は体、魂、霊の三つの要素から成り立っているとされ、霊は人間の最も高次の部分であり、精神的な成長を促すものとされています。これらの概念は、異なる文化や哲学においてさまざまに解釈されますが、共通しているのは、人間の内的な成長や自己理解において重要な役割を果たすという点です。魂魄(Konpaku)魂魄(こんぱく)思想とは、人間の精神と肉体を司る神霊やたましい、霊魂に関する思想です。魂魄思想に関する主な観点としては、次のようなものがあります。仏教では、魂は人間の精神の働きを司る陽気の神霊、魄は肉体を司る陰気の神霊と考えられていました。人が生きている間は身体にとどまっていますが、死ぬと魂は天に昇り、魄は地に帰ると考えられていました古代中国では、人間を形成する陰陽二気の陽気の霊を魂、陰気の霊を魄としました。一般的には精神をつかさどる魂によって人間の神霊を表します。道教では、魄は肉体を支配する感情のことを言い、喜び、怒り、哀しみ、懼れ、愛、惡しみ、欲望の7つをまとめて七魄と呼んでいました。儒教優位の社会では、生者が決定している規範秩序が強力な力を持つために、死者の格付けが生者の秩序に支配されてきました。参考画:Konpaku 第9項Ⅲ 「魂」「霊」「魂魄」-了哲学・思想ランキング
2024年10月31日
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ルドルフ・シュタイナー「精神科学と医学」第10講 1920年 3月30日 ドルナハ第10講-4 私たちは、人間における二元性を、人間のなかに現われている地上を越えたもの、宇宙的なものと、本来性(*地球)が地上的なものとの二元性として見ることができます。人間の生体組織のなかに、まずもって明確な素質として現われてくるのは、地上を越えたものと地上的なものでしょう。そして人間が精神機構(Geistorganisation)というものを備え、さらにそれと対極的な親和関係にある消化機構も持っていることによって、末端部のもの、地上を越えたものがいかに人間にいわば反映しているか、昨日私はすでに示唆いたしましたが、これは実際繰り返し指摘してまいりましたことです。つまり、消化に向かう分泌と関係するものと、精神の働きの基盤である、脳における分泌と関係するもの、これらはすべて、根本的に、末端部の、天的な(himmlisch)人間を私たちに示しているのです。いかに奇妙に、逆説的に思われようと、そうなのです。これに対して、人間において、液体的プロセスであれ、気体の形状でのプロセスであれ、尿形成および汗形成と関係するもの、これらすべてが私たちに示しているのは、自己を個別化する人間としての地上的人間です。私たちは、人間の本性の、この互いに離れようとする両極のなかに非常に重要なものを見なければなりません。さて、近代においては残念ながら、この二元性、私がまさに人間の本性のなかに指摘したばかりの二元性を、治療のためにいくらか役に立つように指摘するようなきっかけは、少なくとも私の知る限りでは一度もありませんでした。と申しますのも、皆さんもおわかりのように、私たちがここで考察しておりますような事柄はすべて、治療的なものと病理学的なものをひとつに纏めようというものだからです。病理学と治療法は、二つの互いに分離した分野であってはなりません。このことはまた、私がここで提示することをすべて、いわば治療法へと方向づけるよう導きます。そうすれば、病理学的に理解することが、さらに治療的に考えることを可能にするようになるのです。ですから私はまさにお聞きの通りの言い方でこういうことをお話ししているわけです。こういう治療法的なものへの方向付けということをほとんど考慮しないなら、非難するのはきわめて容易でしょう。よろしいでしょうか、このように、そうですね、例えば梅毒の外的な発生を知ろうとする人にとって問題なのは、実際確かにそうなのですが、本当に梅毒が現われるには、その都度どのくらい感染がなければならないのか、少なくともだいたいどのくらい感染していなければならないのかということなのです。これを単に確かめるだけであれば、まさにこういう確認が進んでいくうちに、病理学をいわば自立(emanzipieren)させて解放する、自由にするしまうことになるでしょう。なぜならば、いささかおおざっぱな比喩を用いるのをお許しください。こういう感染というのは、そもそも、実際梅毒の場合においてさえ、だれかが頭にこぶをこしらえたと聞けば、石か何かがぶつかったにちがいない、つまり何か打撃を受けたにちがいないということ以上に重要であるとは言えないのですから。打撃をこうむることがないなら、あるいは、れんがが頭に飛んできたりしないなら、こぶができるようなことはない、ということが正しいのは申すまでもありません。しかしこれをことさらに特徴づけてしまうと、治療プロセスを実り多いものにするような特徴付けに行き着くことはできません。なぜなら、結局のところ、頭に石か何かが飛んでくるということがどのように起こるのか、それというのは社会的には非常に意味のあることかもしれませんが、治療に行き着くための生体組織の探究ということにとっては、このことがきわめて普遍的な意味を持っているとは言えないのではないでしょうか。人間の生体組織は、引き続き治療学においても役割を果たしてくれるような事柄を見つけだすように探究されねばならないのです。さて、梅毒の治療においても、私がお話しした事柄は大きな役割を果たします。治療プロセスはまさにこのことによって解明されるのです。ここでお話したことは、病理学的な重要性よりも、まさにこの両者病理学と治療学との間に橋を架けるためにお話ししたのです。私がこのことをお話しするのは、それによって、これらの議論はここである種の精神から、これは日毎に際だってくるでしょうが、育成されているということを特徴づけたいと思うからです。しかも今日においては病理学をますますいっそう自立させ、治療学の方へ導かないという傾向が出てきていますので、思考の方も、正しいしかたで追求されれば治療プロセスの探究にとってきわめて意味深い実り多い事柄から排除されているのです。するとこのような問いが出てきます、いわば宇宙的に末端的である人間と、地上的、地球的に中心的である人間との間にこういう二重性が成立していることは、人間の生体組織一般にとっていかなる意味があるのかという問いです。人間のこの両方の部分は、力の組織が異なった現われかたをしているのです。末端的なものはすべて、形成するものとして現われてきます。そして末端的なもののいわば究極の行為は、人間のまさしく末端部に発現して、それに他ならぬ人間の形態を与えることなのです。ほとんどが次のように言うことができるでしょう。人間の末端部において、人間そのもののなかの形成するものが、いかに珪素のなかの形成するものと共に作用しているかを。髪の毛の珪酸に対するふるまいという点でひとつ研究してみるとよいと。皆さんは、人間が自らに介入させる度合い、あるいは、この介入に抵抗する度合いを、珪酸が人間の頭部形成に対していかなる力を保持しているかいないかというまさにこの点において研究することができるのです。ただ、人間を常に他の体格とともに一括して見なければならないのはもちろんですが。今日通りを横断して、はげ頭の人を総覧できれば、その人たちがどれほど珪酸形成プロセスを受け容れているか、それに抵抗しているか、その傾向がわかります。ここで与えられるのは直接的な直観(Anschauung)なのですが、これは本当の霊視ができなくても獲得できるとはいえ、自然そのものの働きにまで深く入り込んでいかなければ獲得できないものなのです。ここに現われてくるのは主に形成力なのですが、これは細胞形成力ではなく、人間の形態そのものがその究極の現われである総体的な形成力(Totalgestaltungskraefte)なのです。毛がたくさん生えているかどうかなどの皮膚の構成全体も、勿論この形態とみなします。これに対して、もっと中心に置かれているもの、炭素及び炭酸とより関係しているもののなかにあるのは、形態を解体するものであり、そこでは破壊、解体が作用しています。私たちは実際、私たちの内部で絶えず形態を破壊、解体しようとし、そして再び絶えず宇宙から形態を作り出そうとするということによって生きています。私たちは人間として、絶えず形態に関して自分で自らを変形させようとし、そしてこの変形が繰り返し宇宙から調停される、ということによって生きているのです。人間のなかに存在しているのはこの二重性、形成(Gestalten)と変形(Deformieren)というこの二重性なのです。これらは人間の生体機構において共に作用しています。ここで想像してみてください、一方では、末端部の宇宙的な形成力(図参照、上からの矢印)があって、人間のなかへと作用しています。この力は心臓で地上的な力と出会います。ここで心臓によって均衡が作り出されることは皆さんにお話しいたしました。今度はこう仮定してみてください、人間のなかで作用しているこの末端部の力、本来心臓まで到達しようとする傾向を持っているこの力が、心臓そのものの機構において心臓のせき止め作用を受ける前に(図参照、右からの矢印)、先に膨張してしまい、滞留してしまうと。この力が、心臓での大きなせき止めに至る前に、いわば、せき止めの予行(Vorstauung)のように、膨張し、滞留する、と仮定しますと、人間のなかに低い度合いではあってもやはり、宇宙的、地球外的な形成力が人間に現われていることを示すものがあると云え得るのです。さて、対抗するこちらの力、消化と消化プロセスの変遷を通じてやはり心臓にまで作用する力、この力もまた、心臓に到達する前に、先に膨張してしまう。すなわち、地球的なものがここで膨張してしまう(図参照、右側)と仮定してみましょう。そうすると、ここで膨張し、凝縮しているのは、人間において霊的、物質的に形成するもの、頭部及び腸でのすべての分泌に関係しているけれども、心臓の活動には直接対抗しておらず、前もって一種の副次的活動をしているもの、そういったすべてのものということになるでしょう。するとここで得られるのは、一種の副次的消化といったものであって、これは、地球とその中心から発するものが、人間のなかの変形させるものとして、人間のなかの形態を解体するものとして、先に膨張することによって成立するのです。ここで私たちは人間のなかのこの二重性を器官的に固定させたわけです、つまり、一方の場合には女性の生殖器官、女性の性的なものが、後者では男性の性的なものが与えられたのです(図参照)。図の文字(左から):Weibl.(女性的なもの)、Maennl.Geschl.(男性的・性的なもの) 女性の性的なものを研究することができるのは、私たちがそれを、その宇宙的・末端的な、形成する力への依存性という点で観察する場合です。そして、男性の性的なものを、その個々の形状に至るまで観察することができるのは、私たちがそれを、その地球的な解体力への従属という点で観察する場合です。 人間の生体機構を真に科学的にこの点に至るまで深く探究する道がここにあるのです。この道においてはまた、そうですね、自らのうちに形成力を担っている植物的なものは、どのようにして形成力の麻痺している子宮であっても再び形成するように作用するのかということもわかるのです。人間の生体組織のなかの形成力をこのように研究すれば、皆さんは、植物界、鉱物界の形成力をも真に見出すようになるでしょう。このことは個別に観察していくつもりですが、もちろんまず最初に、ここで大きな関連全体に触れておかなくてはなりません。よろしいでしょうか、ひとたびこのような事柄が見通されれば、私たちもようやく真の胎生学というものを手にすることができるでしょう。今日いまだそれは得られておりません、なぜならば、胎生学上の発達の当初において宇宙的なものが強力に作用を及ぼしていること、宇宙は男性の精子と同様、女性の生体組織を受胎させるものであること、こういうことはそもそもまったく顧慮されていないからです。人間の胎生学上の発達の初期段階というのは、ぜひとも人間と宇宙との関係から観察されねばなりません。男性の精子によって植え付けられるものは、時間の経過とともに現われてきます。それによって、このとき宇宙が女性の生体組織のなかに移し入れようとしている形成力が変形される、つまり、宇宙が全体の形態に作りあげようとするものが、男性の精子によって個々の器官へと特殊化されるように変形されるのです。女性の生体機構の持ち分は、人間の生体全体の組織化にあり、男性の生体機構、男性の精子の力の持ち分は、個々の器官への特殊化、差異化、つまり個々の器官を分離させること、統一的な全体形態を変形させることにあります。このように言えるかもしれません、すなわち、女性的な力によって、人間の生体機構は、球体を形成することを目指し、男性の精子によって、人間の生体機構は、この球体を心臓、腎臓、胃などに特殊化していくことを目指す、と。女性的なものと男性的なものなかで、地球と宇宙というこの両極性が私たちに直接現われてくるのです。これはまたしても、人間の太古の叡智を前にして私たちが大きな敬意を抱き始める一点であり、ウラヌスがガイアを身ごもらせる、あるいはクロノスがレアを身ごもらせる、云々と語られるとき、私たちはまったく別の感情をもって耳を傾け始めるのです。この古代の意味深いイントゥイションに大きな敬意を示すにしても、それが単に神秘的な朦朧とした感情である必要はまったくありません。このような事柄を洞察し始めた人々が、私がしばしば耳にしたような、神話は現代の自然科学より以上に生理学を含んでいる、という箴言に同意するのは、最初は意外なことです。最初はひとにショックを与えるのです。それは理解できますが、そのなかには途方もなく多くの真実が含まれているのです。そもそも前進すればするほど、ますます次のように告白するようになる、ということです。つまり、このような関連についてもはや何も見ていない今日の方法は、人間の生体機構のなかに真に入っていくのにいかに適していないか、ますますいっそう告白せざるを得なくなるのです。この機会を逃さず再度申し上げておきたいことは、ここで私がお話ししていることには、例えば古代のものを研究することによって得られたものはひとつとしてないということです。ここでお話ししていることは、まったくもって事実そのものから実際に取って来られたものなのです。ただ、太古の叡智と一致していることを指摘することもあります。かと言って、私がここで皆さんに講義していることが、太古の叡智から取って来たものであるというのではないのです。ですから、ここで皆さんに特徴をお話ししてきました経過を追求して行けば、まず直観というものが現われてきて、それからそれが太古の叡智のいくつかに私たちを導いてくれるのです。例えば私自身は決して、そうですね、パラケルススの研究によって何かあるものに到達することを使命として表わすことはないでしょう。そうではなくて、私自身が発見したことが、どのように見えるか、パラケルススをひもといて調べてみたいという欲求にかられることがあるということです。ですから、私が提示しようするものを、このような意味で理解してくださるようお願いいたします。とはいえ、私たちが人間の生体機構の奥深くまで見つめると、精神科学的な見地から、太古の叡智に対して大きな畏敬の念を抱くようになるということも、ひとつの事実として認めなくてはなりません。けれども、これは、むろんこことは別の知の領域で扱われねばならない問題です。このことについては、さらに明日お話ししましょう、その前に、二つの二重性からの、女性的なものと男性的なものの出現について、ここで皆さんにお話ししたことを消化していただいていたわけです。これは明日見ていきますように、さらに深い関連を示唆するものなのです。参考画:gender■原注☆1 Walter Johannes Steinは、オーストリアの哲学者、Waldorf学校の教師、Grailの研究者であり、人智学の先駆者の1人でした■訳注*1 アニス セリ科の香草。一般的には種子をスパイスとして用いることが多く、甘い芳香に特徴がある。焼菓子に入れたり、リキュール類の原料にも用いられる。多くの図鑑では、アニスの学名は、Pimpinella anisum となっている。ヨーロッパでは民間で催乳薬として用いられる。*2 チコリ キク科、和名キクニガナ。明るい空色の花をつける。若葉は野菜として食される。根をコーヒーの代用品とすることでも有名。一般の薬草学においても、葉、花、種子、干した根、いずれも、利尿、健胃緩下等の薬効があるとされている。中国では全草が肝炎や黄疸の薬として用いられる。*3 スギナ トクサ科の多年生植物。これの胞子茎がツクシ。スギナの全草は利尿薬とされる。いわゆるトクサ(木賊、砥草)は Equisetum hyemale。 地上茎は円筒形で分枝しない。茎は珪酸を多く含み、固いので、18世紀まで、鍋類、特に白銅製品などを磨くのに用いられた。第五講(小冊子15ページ)参照。*4 野イチゴ ワイルドストロベリー。ヤマイチゴ、エゾヘビイチゴ、シロバナヘビイチゴ とも。葉、根、実いずれも用いられ、冷却、収斂、強壮性のハーブとされる。*5 ラヴェンダー シソ科の多年草。ハーブとしては最も有名なもののひとつ。花から取れる精油は香料、薬用に広く用いられる。*6 メリッサ レモンバーム。香水ハッカの異名も持つ。シソ科の多年草。全草にレモンのような芳香がある。ディオスコリデスの「薬物誌」(紀元前一世紀)にも記され、古代から薬草として用いられた。ハーブティーとしても用いられ、リキュールの原料でもある。パラケルススはこれを「不老不死の霊薬」と呼んだと言われる。第八講(小冊子13ぺージ)参照。ー参考ー「ハーブ大百科」誠文堂新光社「花の王国 第二巻 薬用植物」平凡社「ハーブ 新来の香草たち」朝日新聞社 第10講-4 了 「精神科学と医学」第10講 完了哲学・思想ランキング
2024年10月30日
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ルドルフ・シュタイナー「精神科学と医学」第10講 1920年 3月30日 ドルナハ第10講-3 治療プロセスにおいてはまた、準備された、調理された食物と生(なま)の食物に対する問いがきわめて重要だと思われます。ここでもまた、何らかのことに賛成しようとかいうことではなくて、この分野においてはますますもって私をアジテーター(扇動者/agitator)などとごらんにならないようにお願いいたしますが、そもそもここにあるのが何なのかを客観的に調べなければならないのです。人間がいつもの調理された食物をとり、その力を同化する場合は、生々しい食物を食べる生体であれば何らかの仕方で自分でやらなければならないことを、外的に行なうことになります。人間は、生々しい食物を食べるときには自分でやらねばならないことを、調理その他によって取り去ってもらうのです。さて重要なことは、私たち人間は、むろん末端部においていわば自然全体と関わっているけれども、中心部、とりわけ消化もその一部である、中心部においては、自然から私たちを分離し、個別化させるように構築されているということです。私たちがこの人間と自然との関係をありありと思い浮かべようとするならば、例えばこのように言えるかもしれません。人間はその末端部を通じて(図参照、緑)全宇宙に組み込まれており、そして消化においては血液形成に向かって自らを個別化していく(赤)、したがってここ(後者)は、もはや外的なプロセスに完全には対応しないプロセスを遂行し、少なくとも外的なプロセスのなかに完全に固定されている場所よりは外的なプロセスに対抗して独自性を打ち出している地帯なのだと。さらに次のようなことをお話しすればもっとわかりやすくなるかもしれません。図の文字(上から):(gruen)Kieselsaures(緑)珪酸、(gelb)Alkakien(黄)アルカリ、(rot)Kohlensaure Salze炭酸塩(赤)、ここ数日間お話ししてまいりましたことは、人間は実際全宇宙に組み込まれていること、人間においては、とりわけこの緑色で描いた部分においては、鉛、錫、鉄の形成力が作用しているということです。赤で描いた部分では、銅、水銀、銀の形成力が作用しています(図参照)。この調停作用をしているのが金であり、とりわけ心臓にその場所を定めている力です。けれども人間についてこのように語るなら、ちょうど、一本の指について、それを生体組織全体の一部とみなして語るのと同じなのです。人間についてこのように語ることは、人間を本来全宇宙の一部とみなすこと、本来全宇宙に組み込まれているものとみなすことです。しかしここのこの地帯には矛盾があって、人間は消化とそれに関連するすべてのものにおいて自らを分離する一方、思考し、見るときの相互プロセスのなかにも、やはり自らを普遍的な宇宙プロセスから個別化させていくものが存在しています。したがって人間は、消化プロセスと関係するすべてのもののために、いわばわがままに何かを必要としているということなのです。そしてこのわがままなものが、自然から直接与えられているものをまたもや取り入れるという調理の本能に顕現したのです。なぜなら、自然から与えられるものをそんなに直接取り入れるとしたら、人間というものは、少なくとも平均的には、それを直接加工するにはあまりにも弱すぎるでしょうから。逆説的な表現をしてよろしければ、もし私たちが食物を調理しなければ、食べることは絶え間ない治療プロセスにちがいないでしょう。つまり、もし私たちが食物を調理しなければ、環境とのより強力な親和性によって、食べることは絶え間ない治療プロセスであるにちがいないだろうということです。したがって、なまの食物をとることは、調理された食物をとるよりはるかに治療プロセスなのです。調理された食物をとることはむしろ単なる栄養摂取プロセスですから。なまの食物をとることは、調理された食物をとるよりはるかに強い意味において治療プロセスである。それというのは、私が思いますに、非常に重要な原則です。なまの食物をとる食餌療法は、調理された食事よりはるかに本来の治療に近いのです。さらに言及しておきたいことは、調理されたものはすべて、その作用がいわば切り詰められていて、その作用は赤く図示された部分(図参照)にとどまっているのに対し、なまのまま生体組織に取り入れられたもの、つまり果物などは、この地帯を越えて末端部まで入り込み、むしろ末端部に現われて、例えば血液がその養う力を末端部まで送り届ける誘因となったりするのです。皆さんが珪石 (けいせき/Silicea)を用いて治療しようと試みる場合、患者にしばらくの間、なまの食物を与えることを試みれば、こういう試みこそなされるべきなのですが、皆さんもこのことを確かめられるでしょう。そうすれば、皆さんは珪酸の作用を本質的に高めるのだということがわかるでしょう。なぜなら、その際、皆さんは、珪酸が末端的に行なおうとすること、つまり形成的に働きかける、変形(Deformationen)を完全に直す。もちろんこれは無骨な変形のことを申し上げているのではなく、解剖学的には直接現われてこないもの、生理学的にのみ現われてくるもののことなのですが、そういうことですが、珪酸がこれを直接行なおうとするとき、皆さんはこのとき、治療プロセスの期間中も相応しい栄養分を珪酸に供給することによって、珪酸を支えるわけです。これらはまさに、方法論上指摘しておきたいことなのです。なぜなら、これらを追求することはきわめて意味深いことですし、私が思いますに、これらの事柄はあまりにも研究されていないからです。研究されるにしても、おおむね経験的にのみであって、そのなかにラツィオ(合理性/rationality)は探究されず、したがって、この分野において確認できることについて満足のいく見通しをたてる可能性は余り見出せない状況です。こういう事柄すべてにおいて個人というものに注意をはらうことが重要になってくることは言うまでもありません。ですから私は今までの講演でこう申し上げてきたのです。この分野で何かを語るやいなや、今度はある種の関連においてはそあてはまらないことになると。けれどもこれらのことは方針として知っておかなくてはなりません、例えば個々のケースにおいて、次のように言わなければならない場合でもです。この患者の場合は生々の食物を与えてはいけない、そんなことをすれば彼の体質全体からあれやこれやのことを誘発してしまうから。つまり、このときはそうしてよい、このときはそうしてはいけないなどと言わなければならない場合でもそうなのです。そういう場合でもやはり、今ここで特徴をお話ししたことは正しいのです。こういう事柄によってはじめて、人間の体質全体を本当に見通すことができるのです。と申しますのも、よろしいでしょうか、私たちが明確に区別しなければなりません、つまり、末端部のもの、つまりそこでは人間が現実に全宇宙に組み入れられていて、私たちが人間からあれほど離れている鉱物的なものを生体組織に組み込むときにのみ扱うことのできる末端部のものと、私がここで赤く図示した部分、この両者を明確に区別しなければならないのです。私たちがこれ(後者)を扱えるのは、たしかに植物的なものを通じてですが、まずもって現在の塩的な特徴によって作用しているもの、すなわち炭酸塩(kohlensaure Salz)であるすべてのものを生体組織に取り入れるときにも扱うことができます。一方、アルカリ性のものはすべて、両者の均衡を取ることに関係しています。つまり(順に)、炭酸塩、アルカリ、珪酸塩あるいは珪酸そのものとなります(図参照、黄色)。つまりこれは、人間と周囲の自然との親和性を示唆するものなのです。よろしいですか、私たちは人間というものを、二つに分かれたものとして見るわけです、その中間のものが、この二つに分かたれたものの間を行ったり来たり振り子運動しているのです。そしてこのように言わなければなりません、末端部の人間と、より中心部の、個別化された人間とをこのように見ることは、私たちを全自然の内奥の本性まで真に導いてくれるのだと。つまり末端部の人間は、地上を越えたあらゆるものと親和性を持ち、このことを如実に示しているのは、自身鉱物的なものとして実際に諸惑星や星座に依拠している、人間のなかの鉱物的なものの働きなのです。さらに中心においては個体として、あらゆる地上的なものに親和性を持っているのです。しかしこの、消化組織に表現されているあらゆる地上的なものとの親和性によって、人間は同時にまた、思考することのできる、そもそも人間として進化することのできる、人間本性そのものでもあるのです。参考図:生体物質カラー 第10講-3 了哲学・思想ランキング
2024年10月29日
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