PR

プロフィール

キャリアCC

キャリアCC

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

2012年04月14日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
≪ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し 

せめて新しき背広をきてきままなる旅にいでてみん。≫




よく知られた冒頭部分である。

さて、この詩の続きは?……

詩人の苗村吉昭さんは著書『文学の扉・詩の扉』(澪標社)のなかで

≪ぼくはこの詩の冒頭部分しか覚えていなかったので、てっきり挫折した冬の暗い詩だと思っていた≫

と書いておられる。しかし、事実は違った。後半は季節に相応しい、

次のような澄みきった明るい詩であることに驚かれた経験を述べておられる。

≪汽車が山道をゆくとき

みづいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月の朝のしののめの

うら若草のもえいづる心まかせに≫


朔太郎→暗い印象→この詩も暗い、

そんな思考パターンが、事実を曲げて理解させていたようだ。

これとよく似たことを、うっかりすると自分もやってしまう。



断片と全体は、違う。

詩の中の一節と詩全体の印象が違うように、

詩と詩集全体の印象も違う。

受験勉強で覚えた歴史の記号的理解と実際の歴史は隔たりがあるだろう。

(人間ドラマや愛憎劇は心深くは伝わってきにくい)

数学の公式だけを覚えていて、その意味をあまり考えないですむこともある。

そんな教科書世界の<学習法>が、いつのまにか広がって

断片だけが独り歩きして、

全体像を見ない(あるいは見えないようにしている?)

そんな風潮がますます蔓延しつつある気がする。



クリックお願いします↓1日1回
br_decobanner_20110627022942.gif




「ひきこもり卒業のための応援」。ご案内は、ここをクリックしてください。


マイべストプロでのご紹介http://pro.mbp-osaka.com/cava






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2012年04月14日 08時50分12秒
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: