キャロルはわんちゃんのパラダイス写真館
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近鉄球団が消滅して随分と経つが、数少ないファンの一人だった者としては寂しい気持ち
は今も消えない。パリーグのお荷物球団として幾たびか売却を囁かれた。こんな球団を好きに
なったのだから私も世ほどの物好きかもしれない。もはや小学生の頃からの力の入れようで、
なにをきっかけにファンになったかは今もって解らない。当時は近鉄の野球帽をかぶるのが非
常に恥ずかしくて、西鉄の帽子をかぶっていたものである。そんな弱小球団にも世間の目が
注がれる時が、往く度か在った。一つは第51回夏の甲子園の決勝で延長18回引き分け再試
合になり、松山商業に敗れた三沢高校の太田投手の入団である。この決勝戦の中継は我が
家の家宝であった14インチ白黒テレビを前に、当時でも珍しかったであろう羽根がブリキ製の
扇風機をガンガン回しながら観戦した。まさしく「死闘」とはこの事だろう。ロシアの母の血を持
つ太田投手は非常に端整な顔立ち、体型もスマートである。なぜか表情は少し影がありそんな
ところがまた女性の母性をくすぐるのか人気を独り占めにしていた。一方の松商の井上投手
は非常に沈着冷静で終始表情を変えず投げていた。彼の眼鏡の奥の鋭い眼光が今でも記憶
にある。その太田投手がドラフトで近鉄に入団する事になった訳だから世間は注目する。誰か
が言っていた・・・「近鉄なんかに入って可哀想・・・」憤懣この上ない。大きなお世話である。
これで優勝できるとは世間知らずの中学生の私すら思わない。彼の入団もあり、その年はよく藤
井寺球場や大阪球場、日生球場へとよく足を運んだもので、それも一人で応援に駆けつけ
る。近鉄戦など誰が誘っても付き合ってはくれないし、失笑されるのがおちである。ただただア
ンパンをかじりながらほとんど空席の中での応援で、随一近鉄の私設応援団の熱気だけは凄
まじい迫力があり、それが余計にがらすきの球場に違和感を与える。座るのが疲れてきたら、
十分寝転がってみることもできるし、トイレを行く時も前の観客を気にしなくていい。そんな情け
ない利点もあることはある。太田投手も期待された以上の活躍はできなかった。まさに弱小近
鉄の色に染まってしまい、彼もまた低迷することになる。巨人、阪神へと渡り歩くが花は咲かな
かった。しかし、近鉄が全国的に注目される時が来る。あの88年の10,19である。

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