加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

May 15, 2005
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カテゴリ: 音楽
 フェニーチェ来日公演の「椿姫」を見た。


 何より突出していたのは、舞台を現代に置き換えたこともさることながら、ヴィオレッタの「娼婦性」を強調したこと。前奏曲の間、何人もの男が入れ替わり立ち代り、彼女にドルの札束を渡すのだ。
 第2幕も、林のなかのような風景なのだが、地面にはお札が敷き詰められており、空からもお札が降る。ジェルモンも息子と別れてくれと、ヴィオレッタに札束を差し出す。

 これは納得でした。
 なぜって、ヴィオレッタは本当に娼婦なのだから。

 原作を読めばよく分かる。だがオペラ化されたとき、彼女のその部分をほとんど削ってしまったので、ただ台本に忠実に演出しただけでは、ヴィオレッタのどこが問題なのか分からない。娼婦的な場面なんてほとんどないのだから。そしてジェルモンが「すごく悪いやつ」になってしまうのだ。

 ジェルモンは、ごく普通の田舎の頑固親父だと思う。今だって、たとえば地方の保守的な家の主だったら、自分の息子が東京に出て行って、キャバクラのナンバーワンと付き合ったら心配して連れ戻しにくることもありうるんじゃないかなあ。貢いでいるんじゃないかって。


 こうして考えていくと、「椿姫」って結構嘘っぽい。もしヴィオレッタが病気で余命わずかでなかったら、アルフレードとなんて危なっかしくて同棲できないんじゃないかな?数ヶ月で舞いもどってしまうのでは。

 これは精神科医の香山リカさんの発言なのだけれど、芸能界とか水商売とか華やかな世界に一度身をおいた人が、普通の生活に戻れなくてすごく苦労する、そういうケースがとても多いそうだ。ヴィオレッタだって、余命わずかでなかったら、そうそう簡単にあの生活を捨てられるだろうか?

 まあ、そのへんをばっさり切り落として、きれいきれいの分かりやすいお話にしてしまったから、「椿姫」は人気があるんでしょう。分かりやすければ、あまり考えなくていいし。

 で、その話が、面白い演出によって、俄然「考えさせられて」しまったところが、今回の演出を見ての成果かもしれない。
 唯一不満は、ジェルモンへの冷淡さ。カーセンはジェルモンは「皮肉屋」だと言っていたけれど、そうだろうか?少なくとも「プロヴァンス」のアリアに見られる息子への愛はホンモノだと思うのだけれど。
 「リゴレット」の主人公のように、度を越した子への愛のために、何かを見失ってしまった父親なんじゃないだろうか。

 ジェルモンをもう少し暖かく描いた演出を見てみたいけれど、なかなかお目にかからない。いっそ自分でやってみたい!なんて夢想してしまう。
 誰かジェルモンをもっと理解した演出をしてくださいな。はっきり言って相当飽きてしまった「椿姫」でも喜んで観にいきますから。





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最終更新日  May 18, 2005 03:05:07 AM


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