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「新幹線vs.エアライン 国内交通の覇者はどっちだ?」個人的には長い目で見ると、日本においてはエアラインの勝利だと思っている。夜の日米の空を飛び比べてみると、昔は日本は「線」、アメリカは「点」という特徴が如実に分かった。日本は鉄道や街道沿いに、人の営みが光の線となって連なり、一方アメリカは黒い大地の上に街の灯りが文字通り点在し、その他は漆黒の闇であった。ところが最近、日本は光の線が途切れているところが増え始め(つまり、田舎から人が減っているということだろう)、逆にアメリカはけっこうな距離に渡って光の線が伸び始めたような気がする。実際、アメリカは2005年頃からMegaregions of the United Statesという、複数の都市が連なった巨大都市圏出現の可能性が提唱されるようになってきた。鉄道は、遠い街と街、点と点の間を移動する乗客だけを相手にしているだけでは、つまり「道中の乗り降りの需要」がなければあれだけ「長大」なインフラを維持しながら採算合わせることが不可能なことは素人でもわかる。一方、飛行機の場合、必要なのは「点」に存在する空港というインフラだけ十分で、つまり、線から点へ衰退していくであろう日本の場合は長い目で見るとエアラインに軍配が上がるのではないかと思える。(逆に、アメリカはこれから「鉄道のような」交通機関の時代が来るかもしれない。「のような」とは、それが必ずしも今の鉄道と同じ形態ではないかもしれないという意味である。)
Oct 29, 2019
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石巻の住宅浸水1万棟 震災で地盤沈下し排水困難に東日本大震災の地殻変動で45~120センチの地盤沈下し、ただでさえ海抜が低かった地域が度々水害に襲われるようになったという話。被災者は震災後相当のお金をかけて自宅などを修繕したにも関わらず、今度は度々水害の被害にあうようになったことに対して不満を述べる。「床上浸水は3回目。家を直しても、また台風が来たら被害に遭う」「雨が降る度に浸水を心配しながら暮らすのはもうたくさんだ」今回の大雨では設置した排水ポンプでも対応しきれなかったとのことで、行政は、さらに排水ポンプを増強するとのこと。申し訳ないが、外野から見ていると波が来るたびに崩れる砂山を砂浜に作っているようにしか見えない。生まれ育った場所は離れたくないということなんだろうか。歳をとるとさらにそういう心理が働くのかもしれないが、お金のかけどころが違うように見えてならない。
Oct 28, 2019
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前回の台風の時にも似たような内容のブログを書いた。災害復旧能力を維持する体力再び台風「どうしようもない」=千葉の被災者、準備に追われる被災者の方々には大変申し訳ないが、今の日本の現状を考えれば今までの町を復旧させるのではなく、地域ごとに移転集約しコンパクトシティー化を目指すチャンスと捉えるべきなのではないかと個人的には思う。ただ今回も、再建の体力のない家は廃墟として放置される一方、かろうじて再建する体力のある家のみが歯が抜けたように建て直され、インフラ維持の観点からは非常に効率の悪い、無駄に広くスカスカな集落が再建されて終わり、というオチになるような気がしてならない。
Oct 11, 2019
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今日、日本の将来にさらなる暗い影を落とすようなニュースが2報、連続して流れた。出生数90万人割れへ 19年、推計より2年早く基調判断「悪化」に下方修正 8月の景気動向指数その上、消費税も10月1日から10%に上がった。それでもそれなりの収入を確保している人は結婚をし、子供も持つ率も高いかもしれない。しかし、そこから想像できるのはそれなりに裕福な家庭に生まれ育った子供の間の椅子取りゲームだ。その現象についてうまく分析しているブログがある。日本の若者はこれからもずっと不幸です/成功よりも「没落」の可能性のほうが高い理由(わけ)低所得者層は結婚をせず子供も作らないとなると、その空席をそれ以上の所得階層の子供が埋めることになるため、「相対的な所得階層が親より高くなる子供よりも、低くなる子供のほうが多く」なり、それが今の日本の閉塞感につながっているのではないかと考察しているが、全く同意する。言い換えれば自分の子供に希望を持たせづらい状況に陥っているということだ。多くの人が薄々それに気づいており、子供を作らなくなっている面もあるのではないだろうか。
Oct 7, 2019
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停電4日目「いつまで体力が持つか…」 耐える孤立集落台風15号の被害からの復旧が遅れている千葉県南部の復旧作業が遅れているという記事。今回の事態だけを切り取れば同情するが、長期的には、人口減少と特に地方の過疎化が急速に進む日本において、復旧対応も含めどこまでインフラの広がりを維持できるのかということも考えなければならない。日本は文化的に故郷や土地というものへの執着が極めて強いような気がする。その執着心を満足させるためには当然コスト、特に過疎化が進む中「地方」というものを維持するために莫大なコストがかかっていると思うが、それに気付いている人は思ったより少ないのでは。財政が厳しくなる中、日本はどこまで現状維持のコストを負担し続けることができるのだろう。
Sep 13, 2019
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看護師目指す外国人、落ちても「特定技能」へ 政府検討海外から呼び寄せた介護福祉士や看護師を目指す人材が、万が一資格を得られなくても「特定技能」の滞在資格は認めて引き続き国内の人手不足を補う要員になってもらおうという内容。個人的に、看護師はアメリカを含めた海外移住を考えた場合に非常に有利な資格だと思っている。自分がいるアメリカの田舎町の病院ですら日本人看護師の方が何人かいらっしゃる。看護師のアメリカでの待遇は日本のそれとは雲泥の差であり、それが理由で日本で看護師をやっているうちにアメリカ移住を考るようになった方もいらっしゃるだろう。また、看護師になりたくてなったというよりは、海外移住の足がかりとして看護師の資格をとったという人にも何人か会ったことがある。長い道のりとはなるが、まずは看護師として移住してしまって、滞在資格の維持に必要な職種の縛りがなくなる永住権をとってから自分が本当にやりたい仕事に転職というのもあり得る選択肢だ。そのようにしてかなりの人数の日本人看護師が海外流出していると思われるが、その一方で、海外から看護師候補の人材を「輸入」せざるをえなくなっているというのは、なんとも皮肉な状態と言わざるをえない。「流出」を止める近道は待遇の改善だろうが、長期的に経済が地盤沈下していく日本にそれを求めるのも難しい。上記の記事への「資格の水準に達していない者にそのような待遇を与えるのはとんでもない」などというコメントも見かけるが、コメントをつけたご本人も含めて、日本に「それではそれだけの高度な人材を引き止めるだけの対価を支払えるか」についてどう思っているのかを聞いてみたい気もする。ちなみに見方を変えれば、上記のような特定分野の人材不足を補うために海外から人を呼び寄せ資格をとらせるという日本のシステムは、日本に魅力が無ければさらに先の「本当に移住したかった国」への移住の踏み台として使われてしまうだけになる可能性もある。
Aug 13, 2019
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「70歳まで雇用」案にネット大反発「年金を支給したくないことの言い訳にしか聞こえない」「60過ぎたら週休3日にしたい」十分予想されていた事だと思う。良し悪しはともかく様々な場面で日本では自己責任が厳しく問われることがあり、それは十分予想されていたにもかかわらず、何かを実行した(してしまった)時に問われるものではないのか。国レベル、それも日本クラスの国のパイの縮小とその影響の拡大は極めてゆるやかに進行する。一時的な回復等はあったとしても長期的な方向性は変わらないと考える。
May 17, 2019
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東京オリンピック開会式のチケットは、1人あたり2枚までしか申し込めないようになっているようだ。ということは、子供のいる家族が家族そろって見に行くハードルは高い。大量購入による転売防止などといったことが理由なのかもしれないが、そもそも少子化なので、開会式への子供のいる家族の参加を軽視しているようにも見える。
May 16, 2019
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衝撃!年収1500万円超世帯の「行動パターン」が激変している子供に海外経験をさせる高所得者の家庭が急激に増えている、という内容だが、その理由付けはともかく、自分が海外に出た頃と比べて(お金があれば)日本から海外への移住というハードルは遥かに低くなっていると感じる。自分がアメリカに出た頃は、まだ、シンガポールを含む東南アジア諸国という選択肢は無かった。移住の選択肢になり得る程、日本と東南アジア諸国の差が縮まった、もしくは、それが選択肢になる程、日本に住み続ける事のへの危機感が増しているのか。
Apr 16, 2019
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カリスマ経営者が大学名変更、私財で学部新設へ京都学園大を京都先端科学大に改称。オーナーが私財100億円を投じ、「東大、京大に次ぐ水準の大学を目指す」そうだ。100億円ってすごいと思うかもしれないけど。日米大学(もしくは海外の有力大学)の資金力の差をご存知だろうか。たとえば自分のアメリカの出身大学の今年度の歳入(営業収益)をちょっとチェックしたら2800億円だった。年間の寄付金額は170億円。上記大学の100億円の投資はピンポイントだろうけど、2800億円や170億円は毎年発生している額だ。もちろん学生の人数や、そもそも予算がどれだけ有効活用されているかも問題だろうけど、そういう問題が霞むくらい、日本とアメリカの大学ではそもそも予算規模が違いすぎて比較にならないと思っている。もちろん中国やシンガポールの先進大学への投資も日本の大学への投資とはすでに比較にならない。
Mar 31, 2019
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要するに日本の人材の流動性の低さの問題だと思う。転勤なら辞めます!厚労省が企業に制度見直し指針活用呼びかけ以前と比べて中途転職・採用が盛んになったとはいえ、日本はまだまだ基本的に新卒一括採用で就職した会社で一生お世話になる(つもり)というケースが多いと思う。この記事では、転勤を強いる企業側が一方的に悪いことになっているけど、例えばその地域(分野)でのニーズが低くなった場合でも、企業は我が身を削って(他の社員に負担をかけてまで)必要がなくなった人材を雇い続けるという経済的リスクを負わなければならないんだろうか。人材が必要でなくなった地域(分野)では解雇によって人を減らし、人材が必要になった地域(分野)では現地で(または即戦力を)新規採用した方が効率がいいに決まっているけど、日本の場合、一度正社員になった人の雇用を守ることが最優先されるがために、同じ人材を社内で使い回さなければならないという事情もあるのだと思う。雇用されている側からすれば、転勤せずに同一業務内容、同一賃金水準で同じ地域の別企業に転職するという選択肢があれば、それはそれでその方が良いだろう。が、日本にはそういった環境が無い。転勤を強いられるというのは、雇用が保証されているという環境の裏返しなんだと思う。
Mar 30, 2019
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この記事は、自分の言いたいことをうまくまとめてくれている。日本の若者はこれからもずっと不幸です/成功よりも「没落」の可能性のほうが高い理由(わけ)記事中でも示されているように、今の日本は経済的に豊かな人の方がより多くの子供を残す(逆に経済的に厳しい人たちは子供を残さない/残せない)時代だ。ところが、世の中にある「職種」の配分はそうそう変わるわけではなく(大多数が所得水準が高い専門職などにつく、などという社会はありえない)、というわけで、これからそれなりに恵まれた家庭で育った子供の一定数が「下の層」に落ちざるをえない社会がやってくると思う。良し悪しはともかく、日本もやっと移民(みたいなもの)を受け入れる方向に動いているようにも見えるが、そこで語られるのは「優秀な人材を受け入れる」とか。「優秀な人材」を重点的に取り入れた場合、元々いた日本人がそれを支える層にシフトしていくのは明らかだ。もちろん皆がそれで満足できるのであれば、それはそれでいいのかもしれないが。
Oct 29, 2018
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こういうブログ記事は、ネガティブな情報ばかりを寄せ集めてあるので、読んでいてもむしろ本当?となってしまう部分もあるが、しかし、同意できるところも多々ある。死にゆく国─人口減で日本はこうなる自分がアメリカに来た二十数年前でもすでに中国の台頭の気配はあった。その頃は、「もしかしたら自分の目が黒いうちに中国が日本を抜くことがあるかもな」と思っていたけど、このブログ記事にあるように、すでに中国のGDPは日本の3倍に近づいてきている。もちろん中国の統計なんて当てになるかという批判もあり、最終的な判断は個人個人に任されているけど、ということは、信じた結果、もしくは信じなかった結果どう動いたかの結果も将来、自己責任として跳ね返ってくると思う。自分は、少子高齢化でも、それでも日本が発展していくという論で納得できるものに未だ出会った事はない。
Oct 26, 2018
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まあ、こういう記事は極端なものだけ切り出してくるんだろうけど、それにしても、一歩海外に出れば、同一労働で給料2倍くらいの話はもう珍しくなくなってきているような気がする。マカオ転職で給料4倍! このままでは日本の賃金が危ない! 記事内にもあるけど、中国企業のファーウェイが日本の大卒初任給で40万円を提示したことについてもしかり。もちろん、日本企業と比べれば安定感はないかもしれないが、このご時世、ニーズが変わればこれまで必要とされていた仕事があっさり必要なくなり、その時余分な人材を飼っておくほど海外の企業は甘くないし、そうしなければ国際競争に生き残れない時代になってきてると思う。日本企業の場合、日本と一蓮托生、日本全体が沈んでいっているのが残念ながら日を追うごとに明白になってきているような気がするし、浸水してきた水に足が浸かってから、すわ、となったところで、時既に遅しとなるような気がする。
Oct 25, 2018
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お久しぶりです。生きてました。なんと2年ぶり。なにはともあれ、日本とアメリカを往復していて最近、日本の世界における地位低下を如実に肌で感じるようになり、日本出身者としてちょっと憂いています。以前、非正規雇用の人が同一労働同一賃金云々と言うけど、発展途上国の人から見れば、たとえ日本で非正規雇用であっても同一労働同一賃金の論理で云々と言われるよ、みたいな話を書いたことがあった。ところが今となってはシンガポールや香港は日本の賃金を遥かに抜き去り、中国の都市部も既に抜きにかかろうとしている昨今、遠くない将来、日本の人が逆の立場に立たされる日も近いのではないかと思う今日この頃。というわけで、気になった記事をちょいちょい引用していってみます。年収1300万円でも「低所得」 米サンフランシスコの実情サンフランシスコでは、4人家族で年収12万ドル(約1300万円)の場合、低所得とカテゴライズされてしまうというもの。特に家賃が高く、平均的な2ベットルームアパートでも家賃が3200ドル(約35万円)だそうで。でもね、そこで生活していけている人がいるってことは、全体の賃金水準が高いということに他なりません。どのような職種の人でも、他の地域よりは賃金水準が高いってことでしょう。突然言われるからびっくりするけど、これって、日本が足踏みしていた間に、じわじわと広がっていった差がここまでなったってだけの話なんだよね。日本が足踏みしていた間も、世界は成長していたんです。
Oct 24, 2018
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(「バンクーバーの事件にあえて苦言(その2)」からのつづき)彼女は観光ビザからワーキングホリデービザに切り替え、カナダに長期滞在しようとしていたようである。「カナダ 観光ビザ ワーキングホリデー」で検索すると、入国審査の賢いクリア方法を指南する、若干怪しげなサイトが多数ヒットする。 「カナダで『観光→ワーホリ』に切り替える」なぜ、ここまでいろいろな小細工をしなければならないのだろうか。それはとりもなおさず出入国管理の本来の主旨から外れた出入国をしなければならないからに他ならない。日本人が海外で入国拒否にあうような入国方法をとることなどないだろうと思っている人も多いかもしれない。しかし、カナダの出入国管理の現場を扱った「ボーダーセキュリティー」という番組では、まさに入国拒否をされる日本人も登場する。「Border Security Canada Season 3 Episode 11」(動画は削除される可能性あり。)なぜそこまで無理をするのか。そしてそこまで無理をしたところで得られるものは、(運良く結婚相手でも見つけない限り)1年半のカナダ滞在と、日本帰国後の冷遇である。(違法滞在を続ける人もいるだろう。)「アメゆきさん(その1)」「アメゆきさん(その2)」カナダで仕事を見つけて永住、などと夢を見ている人もいるかもしれない。それは否定しない。しかし、それを実現できる確率は極めて低い。「永住権は魔法の杖?」当然だが、現地の人にとって「英語ができる」というのは特殊能力でも何でもない。観光ビザ+ワーキングホリデーの1年半で身につけた現地の人に劣る英語能力を補って余りあるだけの能力は何か持っているだろうか。たとえ永住権を持っていたとしても上記の条件はかわらず、ましてや就労ビザのサポートが必要な人材にそのような条件でもあえて興味を示す雇用主がどれだけいるだろうか。もちろん運良く様々な巡り合わせからそのような夢を実現している人がいないわけではない。ただ、その極めて低い実現確率を踏まえた上で、そのような一歩を踏み出すかは、それはもう本人の判断に委ねるしかない。ただ、周囲からの客観的な評価という現実を変えることはできない。最終的に日本に戻ったところで自らの海外経験がプラスに評価されないばかりか、マイナス評価となってしまい、不平不満を言う人を何人も見てきた( 「エコノミーorビジネス」)。しかし、リスクを知りつつ海外に飛び出す決断をしたのは自分なのだから、それは自己責任であろう(「知らなかった」というのは下調べ不足ということで、それも自己責任)。彼女は留学斡旋業者を使ったようであるが、そもそも個人的には良心的な留学斡旋業者など存在しえないとも思っている(「良心的な留学業者?」)。留学斡旋業者や留学情報誌・情報サイトなどは、「客」を留学実行に誘導しなければならないという商売目的上(アリバイ程度に失敗例や注意点などに触れることはあるかもしれないが)留学の成功例しか提示しない。留学情報誌の編集者から「インタビュー記事を作るのに、留学成功者を探すのが大変」なんていう笑えない話も聞いた事もある。留学経験者にしても失敗を自ら語る者は少なく、結果として、世の中にはバラ色の留学成功例が氾濫している。この点にも十分注意が必要だろう。
Oct 10, 2016
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そもそもバンクーバーという場所は、「英語を身につけるために適切な」場所だろうか。「古川さん、『海外生活の夢』暗転=英語使おうと努力-カナダ不明女性」 (時事 10月1日(土)11時35分)より抜粋。「図書館で勉強したり、友人を増やしたりするなど英語を使う機会を増やそうと努力していた」なんとも皮肉である。バンクーバーは日本人が多いことで有名だが、結果として努力しないと英語を使う機会が作れないような環境ということか。自分が目の当たりにしてきたロサンゼルスやニューヨークの状況からしてどのような状態であるかは容易に想像がつく。個人的には真剣に英語を身につけたいのであれば、努力するまでもなくいやがおうにも英語を使わざるをえない環境に飛び込むのが一番効果的と考えている。これも上記記事からの抜粋。「フェイスブックによると『英語力は中~上級』だった」実は、中途半端に英語ができる人が一番やっかいな存在だ。英語が全くできなければ警戒心を抱くどころかコミュニケーションもままならないところ、今回は、下手にそこそこ英語ができてしまったがために、そこそこコミュニケーションがとれてしまった。容疑者のような目的を持ったネイティブスピーカーの常套手段として、英語でたたみかけてその他のことに注意力がまわらなくしてしまうというテクニックがある。被害者は、英語を使う貴重なチャンスを逃すまいという思いと、会話に必死についていこうとするがあまり、まんまとその罠にはまってしまったと思われる。 「被害者に酒を購入させたか カナダ日本人女性遺体」(テレ朝news 10月2日(日)11時35分)「店のカメラには古川さんがアルコール度数の高い酒を買い、代金を支払う姿が(中略)古川さんはこうした種類の酒を口にすることは決してなく、(中略)シュナイダー容疑者はアルコール中毒のような状態だった時期もある」これは容疑者が「酒を購入させた(強いた)」のではなく、容疑者が上記のようなテクニックで被害者を誘導し、結果として被害者が自ら「酒を購入した」のだと想像する。繰り返しになるが、日本で、日本語で、他人に、それも48歳のホームレス男性が30歳の女性にそのような誘導をしようとしても成功することはまずないだろう。(つづく)
Oct 5, 2016
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2016年9月、カナダバンクーバーで 行方不明になっていた語学留学中の古川夏好さん(30)が遺体で発見され、現地のカフェで開かれていた無料の英会話交流で知り合ったとされるウィリアム・シュナイダー容疑者(48)が逮捕された。被害者の方には心から哀悼の意を表します。「カナダ 日本人女性遺体で発見、接点は英会話勉強の喫茶店か」(TBS 10月3日(月)19時49分)この手の事件は被害者を批判するとそれが逆に批判の対象になったりするが、安易な留学に警鐘を鳴らしてきたブログとして様々な点をあえて指摘しておこうと思う。「古川さんの同級生『なぜこんなことに』=遺体発見で地元青森-カナダ不明女性」(時事 10月1日(土)10時18分)この問いに答えよう。在バンクーバー日本総領事館による「安全の手引き」の、性犯罪が多発している現状と、それに巻き込まれないための助言の部分を抜粋する。・安易に相手を信用しない・自分がカナダに来た目的を常に忘れず、心に隙が生じないようにする・チューターやランゲージ・エクスチェンジを口実にちかづいてくる男性には要注意・中央図書館やスターバックス等のコーヒーショップは、邦人女性が狙われている場所として知られているので要注意残念ながら彼女は2番目を除いてその他全てにあてはまる行動をとり、このような結果を招いた。そもそもここまで具体的なことが安全の手引きに書いてあるということは、今回が初めてのケースではないということも浮き彫りにしている。2番目においても、この容疑者はホームレス状態であったとされているが、たとえば日本で48歳のホームレスに言い寄られたところで彼女は同じ行動をとっただろうか。彼女は英語を身につけようと留学をしたようであるが、英語は命をかけてまで身につけるようなものではない。自分は「日本は安全、海外は危険」と一律に決めつける意見には同意しない。危険な地域と安全な地域は偏在しており、海外でも安全な地域に居れば日本と同じような安全が享受できるからだ。しかし、残念ながら色々な人が集まる都市部は日本の都市部と同様、おのずと揉め事も起きやすく、比較的治安が悪いことが多い。なぜ、彼女は日本より危険とされている海外の都市部で安全とされる日本ではむしろとるはずのない行動をとったのだろうか。まさに「心の隙」としか思えない。(つづく)
Oct 4, 2016
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これもインターネット時代の留学の特徴とも言えるのかな。日本の人はまさか日本人が海外で不法滞在・不法就労なんてと思っている人も多いと思うけど、実はそれなりに居たりする。自分もこれまでに少なからぬ人数のそういう立場の日本人と出会う機会があった。そこに流れ着く入り口の一つは残念ながら留学であり、ただ、自分が現役であった頃は、直接出会うか、人づてに噂話として伝わってくるくらいしか関わり合う機会がなかった。ところがインターネット上で「自分の人生」をライブ動画中継するような人も少なからずいる昨今、臆面もなく不法滞在状態を晒しながら自らのアメリカでの「立身伝」を垂れ流す日本人(「元」留学生)が現れる世の中にもなった。いやぁ、本当に時代は変わった。ちなみにオーストラリアやカナダにはBorder Securityという入国管理をネタにした人気番組があり、そこには不法就労目的で入国しようとする日本人もしっかり登場する。過去の入国拒否歴を隠すために偽装結婚をしてパスポートの名前を変えてまでオーストラリアに再入国しようとした日本人ネイリスト。Border Security Australia's Frontline Season 7 Episode 13そしてこれは観光を装い、しかし実は空手のインストラクターとして就労しようとしている事が露見し、入国拒否された日本人空手家。Border Security Canada Season 3 Episode 11 ←ブログ内フリーページの留学ネタリンク集。 各フリーページの簡単な説明つき。
Mar 3, 2016
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自分が留学したのはインターネットが広く普及する前で、日本語に接触する機会は日本に国際電話をかける時か、日本人とつるむ時しか無かった(自分の留学先は日本人が少ない地域で、その上さらに後者はあえて避けていた)。現在は、アメリカに居ながらにしてスカイプや動画配信サイトなどを使って日本にいる友人や、さらには不特定多数の人とも気軽に会話が楽しめるようになった。自分の経験からすれば、特に留学初期は、日本語の英語に対する「負の牽引力」は非常に強力で、つまり留学初期に日本語に触れる事のマイナス面は計り知れないものだと思っている。もちろん留学の目的は英語の習得だけではないのかもしれない。ただ、そうやって気軽に日本語に触れられる機会がふんだんにある環境というのは、少なくとも英語の習得においてはとてつもなくマイナスに働いているように思う。もちろん一方で自動翻訳の精度も日々進歩しており、そもそも英語を習得する価値が低くなっているという面もあるのかもしれない。時代は変わった。 ←ブログ内フリーページの留学ネタリンク集。 各フリーページの簡単な説明つき。
Nov 12, 2015
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1年ぶりの日記。ハロウィンといえば思い出されるのは、服部君射殺事件。被害者や関係者には本当に辛い事件だと思うが、あえて指摘すれば、前回の日記の武庫川女子大学集団レイプ事件と同様の側面もある。繰り返し述べてきているが、腐っても国土の広さは日本の25倍のアメリカは、どこもかしこも「まんべんなく」治安が悪いわけではない。治安が悪い地域と全くといっていい程問題のない地域が偏在しているのだ。問題の無い地域は日本と同等か、日本よりも治安が良いと思えるような場所もある。さて、服部君射殺事件に話を戻すと、事件が起きたのはルイジアナ州バトンルージュ。たとえばこのサイトによれば、バトンルージュの治安は全米の下から4%。アメリカで生まれ育ち、止むを得ず地元から離れられないといったような事情があるならともかく、行き先に選択の自由がある留学で、なぜあえて治安の悪い地域を選ぶのか、いつも疑問に思う。日本ではさんざん「アメリカは治安が悪い(上記のような理由から、個人的にはこれは必ずしも正しい表現でないと思っている)」と言われているのに、なぜ留学となると治安に関する下調べをしないんだろう。痴漢は起きてはいけない事だが、混雑した埼京線に乗って痴漢にあったと言われれば、人は「ありうる話だな」とは思うだろう。アメリカの事情を知っている者からすれば、服部君射殺事件のような事件がバトンルージュで起きても、残念ながら「ありうる話だな」と思えてしまう面は否定できない。今後、同じような事件を起こさないためにも、、服部君射殺事件の情報を出す時には、『「全米でも治安の悪い」ルイジアナ州バトンルージュで起きた事件』と書いて欲しいと思う。
Oct 31, 2015
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恐ろしい。2年1ヶ月ぶりの日記か。留学なるものから離れて月日は流れ、かかわる事ももうほとんどなくなってしまったけど、ネット上でたまたま昔ここに書いた事に関連する情報が出て来たので書いてみる。プリーページの「留学環境 番外編 Sxxxxxx」に、日本の女子大の現地分校に送り込まれた女子大生の集団レイプ事件について伏せ字書いたけど、検索すれば他でもいくらでも情報が出て来るし、もう時効だろう。その大学は武庫川女子大学だ。フリーページでは、そもそも治安の悪い場所にあえて分校を創った事に対して、日本の大学関係者の無頓着ぶりとからめて疑問を呈した。そしてたまたま今日、ヒマに任せて全米の約20000市町村を網羅する住環境ランキングサイトを見ていたら、「ワースト100」の中にしっかりその街が入っているのが目に留まった。相変わらず環境劣悪なんだね。犯罪発生率はワシントン州内で最悪(ワシントン州内においてこの街より犯罪発生率が高い街は0%、つまり無いに等しい)。あれだけ日本では「アメリカは治安が悪い、悪い」と言いながら、なんであえてそのアメリカの中でも輪をかけて治安の悪い所に分校を創ったんだろう。(ちなみにアメリカはどこも「まんべんなく」治安が悪いのではなく、治安の良い所と悪いところが偏在しており、治安が良い所は日本かそれ以上に治安が良い。)武庫川女子大学のプログラムの中には、この分校への「海外研修」が義務づけられているものもあるようで、そのプログラムに入ってしまったらいやでもここに送り込まれる事になる。自分に娘がいたら、絶対にこんな大学には入学させない。
Nov 27, 2014
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なにやら気がつけば、2年以上、ここを放置してたな(笑)。いじめ関連のニュースを見ていて思うことがあったので書いてみます。加害者たち 罪悪感なく「面白い」罪悪感があったらいじめなんてとうに無くなってるでしょ。それ以前に、本人達は何をしているかの認識もないと思うよ。子供や学校の事ばかり言われてるけど、大人の世界だってへたすりゃ子供よりよっぽど陰湿ないじめとかが横行してるでしょ。だから「いじめをなくそう」なんて発想自体が時間と労力の無駄だと思う。日本の色々な問題の根っこの一つは「人の流動性の低さ」だと思ってる。たとえば一番効果的ないじめ対策は逃げることだと思うけど、おいそれと転校もできない。できたとしても、転校自体が珍しいから、今度は「転校生」というだけでいじめられる可能性もある。アメリカにもいじめはあるよ。でも、日本よりも転校や転職に社会が寛容だから、逃げ回った上で自分の落ち着きどころを見つけやすいんだよな。ただ流動性が高い分、今度は日本のような「安定感のある生活」というのは望みにくいけどね。まあ、どっちをとるかだと思うな。日本がそれでも少数を切り捨て、多数の安定を目指す社会を維持していくというのであれば、いじめは減らないどころか永遠になくならないと思うけどな。
Oct 25, 2012
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こんな記事を見かけたので、ちょっと書いてみる。「米大学ランキングが当てにならない5つの理由」記事の内容に同意するかは個人個人の判断にもよると思うけど、個人的な感想を先に言っちゃうと、「またしてもアメリカの(そこそこの)州立大学関係者の対私立(エリート)大コンプレックス文化」から出てきた記事か、というとりかたもできるような気もした(自分に都合の良い情報だけかき集めてランキングの挙げ足をとるっているだけと見て取れる内容もあったため)。日本では国立大>私立大という認識が社会に浸透しているのに対し、アメリカは一般に、私立大>州立大と認識される事が多い。たとえばエリート校の代表とされているアイビーリーグ校は全て私立大学だ。州立大学でも私立大学と肩をならべるようなところもあるんだけど、日本の国立大vs私立大の構図のようにどうしても「越えられない壁」のようなものがあり、それについてなんとか「ケチ」をつけようと次から次へと色々な記事が出てくるのも、日本の「東大偏重批判」と非常に似ている。ただ、日本とアメリカの大きな違いはそれでもアメリカの大学はランキングの順位というものから想像されるよりは、大学間の差はないということかもしれない。日本での「東大」重さと比べてアメリカでの「ハーバード」の重さはそれほど重くないと思う。話を冒頭の記事に戻すと、注目したのは『「難関校へとりあえず入る」よりも「中堅校でトップの成績」のほうが就職に有利」』という意見だ。このブログの留学関係のフリーページを読み流してもらえればわかると思うけど、自分はこの意見に全く同意する。ただし「アメリカであれば」という条件つきで。アメリカでは日本と比べて大学(や大学院)の成績が将来に与える影響が大きい。なので、ヘタに背伸びをした大学に入ってしまってどうしようもない成績をとってしまった場合は取り返しのつかない事になる。日本のエリート高校からハーバードに入った学生などがとりあげられたことがあるけど、個人的にはハーバードに入った後に、更に彼がその粒ぞろいの学生の中で競争に勝ち残っていけたかどうかが気になる。(ただし後段で述べるけど、日本に帰るのであれば、卒業さえできれば成績はあまり関係がない。)成績はあくまでも「その集団の中での比較」になってしまう傾向にあるので、「その集団」の母集団のレベルが高ければそれなりに厳しい競争を強いられ、ひとコケしてしまうともうそこで将来への道が閉ざされてしまったりする。というわけでアメリカでやっていくつもりであれば、むしろ背の丈か、へたすりゃ若干レベルを落としてでも(経済面を考えれば学費の安い州立大で)粛々と高成績を維持したほうが有利であることは本当だと思う。もちろんこのような安全策をとるか、ギャンブルに打って出るかはもう個人個人の判断でもあるんだろうけど。ただ、若干レベルを落とすどころか超安パイにも程があるところまでレベルを落としている日本からの留学生も見受けられるので(参照:「エコノミー or ビジネス?」)そのへんは、しっかりとしたバランス感覚が求められると思う。そう、このあたりが冒頭の記事に同意しかねる部分なんだけど、確かにランキングの上下は同じレベル帯の大学の中ではあまり関係がないけど、例えばランキング50位の学校と350位の学校では如実に差があることは否めず、というわけで、大学を選ぶ際の「ゆるやかな」基準ということであればランキングは大いに参考になると思う。さて、冒頭の記事(日本語訳)は、英文原文にはない『日本でも「どの大学に入るか?」より「大学で何を学ぶか?」の方が重要だ、と言われるようになって久しい』からはじまる訳者の意見(?)で記事を締めているけど、個人的にはこの「久しい」の時間的尺度は少なくとも「30年以上」であり(自分が物心ついた頃からずっとそのように言われているような気がするので)今後も日本での大学選びの際の最重点項目が「大学で何を学ぶか?」になることはないような気がしている。日本では依然大学の名前が前面に出ることが多く、これは出身校がアメリカの大学であっても同様で、そのあたりは「営業的留学」というページにもまとめてある。
Sep 6, 2010
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乗りかかった船なので、この件について集めた情報はできるだけここでフォローしていこうと思う。ドライバーが今年に入ってから2度交通違反で切符を切られていたことや、実際にバスを運用していたCanyon Transportationが州をまたいでの営業免許を持っていなかったことも既に報道されてるけど、ここでは留学関連の情報に集中しようと思う。ドライバーの滞在ステータスだけど、昨日の日本の報道では「学生ビザと就労ビザを同時に保持している」という、自分のような実体験がある者にとってはよくわからない表現になっていた。素直に解釈すれば、OPTという、ビザ上は学生の立場でありながら、学校で学んだ事を研修を通して生かしてみるという目的で就労が許される「就労許可(ビザではない)」を持っているか、学校のプログラム自体に研修が含まれているので(インターンシップ)、そのからみで(あくまでも研修目的という前提での)就労許可が下りていたという可能性がある。ただ以下の記事にもあるように、情報は未だ錯綜しているようだ。上記の現地報道によれば、ドライバーが在籍していたのはCollege of Southern Nevadaというコミュニティーカレッジ、通称コミカレのようだ。学校によって幅があるので一概に言えない面もあるけれど、あえて一言でまとめれば、コミュニティーカレッジはカレッジと名がついているものの、実際には大学に行くだけの能力や資力や機会がなかった学生のための学校といったような位置づけだ。内容は職業訓練的なコースと「本当の」大学への進学準備コースであることが多い。通常であれば2年で課程を終えるようになっているけど、留学生など、英語能力に問題がある学生の場合、正規のクラスの履修許可が下りずに余計な英語のクラスをとらされたりするので、2年で課程を終えられないこともある。なにはともあれドライバーはこのような学校に2007年の春学期(1月~5月)から現在まで3年半在籍し、この秋学期(8月~12月)にも2つのクラスの履修届を出していたようなので、少なくとも今年の年末までは学校に通う予定だったんだと思う。留学生の場合、特別な許可がない限り学生としての滞在ステータスを維持するために履修しなければならない最低単位数というのが定められていて、2つのクラスというのはちょっと少なすぎるような気がするけど、卒業に近い学期の場合、卒業に必要な単位だけとればステータスは維持されるという特例があるので、素直に考えれば彼は12月で卒業しようとしてたのだと思う。ちなみにここからは120%個人的な勘ぐりなんだけど、日本のマスコミが違法就労の可能性について今ひとつ追求しないのは1)今回の事故関連の情報としては重要ではない(これが一番素直な解釈)、2)現地特派員などがそのあたりの事情について良く知らない、そして3)そもそも日系マスコミは、今回の日本の旅行会社が下請け、孫請け、曾孫請けといったように「リスクを自らの遠方に追いやる」ようなビジネス展開をしていたように、取材等に関して下請け的に現地日本人の協力を求めることがあり、その際には今回と同じような違法就労的な状態も発生しているということを実は自ら知っているので、自分にババが返ってこないようにあまり深く追求しないようにしているからという可能性があるような気がしている。
Aug 12, 2010
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まずはこの事故で亡くなられた方のご冥福をお祈りし、また怪我をされた方は一日も早く良くなられることをお祈りします。本当は昨日のうちにこの日記をMIXIのほうに上げようと思ってたんだけど、MIXIがダウンしっぱなしなのでとりあえずこちらにアップしてみる。ちなみに重傷者の方々の入院治療が長期化しそうな気配だが、そうなると気になってくるのは医療費の問題。アメリカの医療費は膨大で、今回のケースではへたをすると普通の方が入られる旅行者保険ではカバーしきれない可能性が十分にある。日本領事館や日本の旅行会社はツアーに参加された方が入っている旅行者保険の内容を確認して、必要であれば早急に優秀な弁護士を紹介すべきだと思う。日本に逃げ帰ってしまえば、アメリカの医療機関は請求を諦めるといったような噂もあるようだけど、ある程度まとまった金額になれば、彼らは日本まで追っかけてきます。なにはともあれこのルートを旅した事のある自分としては事故の場所を聞いた瞬間にあれ?と思ったことがあった。なんでインターステート15号線?ちなみに当時の旅行記はこのブログにあります(前編後編に分かれていて、このリンクは前編へのリンクです。ザイオン~ブライスキャニオンは後編に登場します)。地図が小さくて見づらいかもしれないけれど、ザイオン(地図左下)からブライスキャニオン(地図右)に抜けるのであれば9号線を東に向かい、89号線を北上するという下道を使った方が近道で、普通はそっちを通る。自分が旅をした時もそっちを通った。それをこのツアーは一度9号線を西(ブライスキャニオンと反対方向)に戻って15号線を北上し、シーダーシティー(ここまでのルートは地図上青線)から14号線を東に向かって89号線に合流し、ブライスキャニオンに向かう途中、シーダーシティで事故を起こしたと思われる。さて、今回もう一つ個人的に驚いたことは、HISはともかく近畿日本ツーリストや日本旅行はけっこうしっかりした会社だと思っていたので、それでも現地ツアーだと他者との混載になってしまうんだなぁということ。というわけで近畿日本ツーリストのページを見にいってみると、恐らく今回のものと思われるオプショナルツアーはAlan1という下請け会社がやっていることがわかった。(さらに規約を良く読むと、オプショナルツアーは別会社がやるので、近畿日本ツーリスト自体は直接責任は負わない、ともとれる注意書きがしっかり書いてあった。そして今日の広報の会見では、近畿日本ツーリストは今回の件では直接の責任はないという内容を明言していた。)Alan1のページを詳しく見てみると、なぜ15号線で事故を起こしたのかもわかった。注意書きに工事中のため迂回するとある。本来であれば19:30にはブライスキャニオンに到着の予定が、実際には15号線上で18:40頃に事故を起こしており、ちなみに「迂回ルート」だとシーザーシティーからブライスキャニオンまで下手をするとあと2時間弱くらいかかることからして、運転手はそれなりに急いでいたのではないかとも思ってしまう。Alan1のページをさらに詳しく見てみると、このツアーはAlan1のさらに孫請けのウェスタンレジャーという会社が催行していることがわかる。ウェスタンレジャーのページを見に行ってみると、ウェスタンレジャー自体は客からのツアー申し込みの「直受け」は5月~9月の間は行っておらず、これはつまりその時期は日本からのツアーの孫請けに徹してるんじゃないかと思う。アメリカのメディアによると、事故を起こしたバス自体はCanyon Transportationという自社HPすらもたないような小さな会社から借り入れたものであり、つまりCanyon Transportationは近畿日本ツーリストやその他の会社の曾孫請け会社ということになるわけだけど、これも繁忙期ならではの状態ということだろうか。ウェスタンレジャーの担当者は日本の東京新聞や中日新聞のインタビューに対して「運転手は日系米国人の大学生(26)」と答えている。アメリカのメディアでは、運転手は単にJapanese(日本人)となっていたり、Japanese-American(日系人)となっていたりして実際のところは判然としないけど、アメリカの日系格安旅行会社の実態を垣間みたことのある者にとっては、日本からの留学生が(違法就労で)夏休みのバイトをしていたという可能性も捨てきれないと思っている。ウェスタンレジャーの担当者は日本人なので、会社が違法就労の斡旋をしていたともとれる発言はできないので、とっさに「日系人」と答えたのかもしれない。と、ここまで書いたところでもう一度最新ニュースをチェックしたら、やはり学生ビザでアメリカに来ている(就労許可がない可能性が極めて高い)日本人の26歳の大学生だということがわかった。(アメリカの日本人留学生の暗黒面がまた一つ垣間見えたってところかな(苦笑)。)恐らく彼はこれから結構な期間アメリカの刑務所に入った後、国外退去を命ぜられ、二度とアメリカの土は踏めなくなると思われます。就労許可なしでドライバーをやらせてたとなると、ウェスタンレジャー社もお縄をちょうだいすることになるから(表現が古いね)ラスベガス発のオプショナルツアーがしばらく混乱状態になるだろうし、以下のような記事に既にその一旦が現れている。(しかし、これは本当に氷山の一角だよ。少なくともアメリカのオプショナルツアーを催行してる現地法人なんて、ほとんどこんなかんじの所だと思う。)何はともあれ14人をひきつれてたった一人で添乗員兼ドライバーをやるというのはかなりの激務だったに違いない。アメリカの場合州によって交通法規が違うのでユタ州の場合はわからないけど、少なくとも自分が住んでいる州は日本の普通免許にあたる免許でこの15人乗りのバスを運転することができる。(自分も「おらが村」から日本人15人を乗っけてイチローの試合の観戦ツアーをやったことがある。ちなみに自分は日本の免許だけど大型免許も普通だけど二種免許ももってます。)というわけで、このドライバーも普通免許で運転してたりしたのではないだろうか(それ自体はアメリカでは違法ではないんだけどね)。後の記事で商用免許を取得していたとあるけど、少なくとも我が州では日本の二種免許のようにより高度な運転技能が問われるタイプのものでもない(普通免許に毛が生えた程度のもの)。なにはともあれちょっと気になったので色々調べてみたら「もしかしたら」の事情がちょっと見えてきたような気もした。余談だけど、アメリカのニュースサイトなどのコメント欄でアメリカ人の「日本人は高速の運転に慣れていないから事故を起こした」といったようなコメントをいくつか見かけたけど(アメリカ人はなぜか日本人は運転が下手だと思っている人が多い)鼻クソのような運転技能のアメリカ人にそんな事言われたくない(笑)。
Aug 11, 2010
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asahi.comに以下のような記事が載っていたので書き留めておく。「草食化?学生、米留学に尻込み 10年で1.3万人減」 97年に日本からアメリカへ留学した留学生は47000人で、この時がピークだったそうだ。この数字がどこまでのものを含めているのかはわからないけど、個人的感触からいけば、「遊学」も含めればピークはもっと前だったような気もする。自分は94年に留学したんだけど、そのあたりが恐らく「バブルの余勢」をかって、「自力で」海外に飛び出せた最後の時期だと思うからだ。詳しくは「バブルと留学」に書いてある。実際、皮膚感覚的にもそのあたりが一番まわりに日本人が多かったような気がする。なにはともあれ、この記事の日本の学生の「草食化」という内容を鵜呑みにするのであれば、日本が今後歩むであろう「中堅国化」に向かって成熟してきたのかも、と思わされる内容である。団塊の世代などが支えてきた高度経済成長時代の「より速く、より大きく、より多く、より(物質的に)豊かに」という価値観からの脱皮だ。(話は脇道にそれるが、そもそも日本の「外」で学ぶという価値を認める一方、外からは日本では学ぶものがないという評価を受けている(日本に来る留学生は少なく、さらにその多くはアメリカなどに行き損ねた人材という事実)という点で、日本は既に十分「中堅国」だとは思うけど。)さらに、アメリカへの留学から中国などへ留学先がシフトしているとの指摘もあるが、これもある意味正解だと思う。地理的にも直近にあり、近い将来大国となる中国との関係を近い将来中堅国となる日本は無視できないからだ。現実問題としてすでに最大の商売相手はアメリカから中国にシフトしているわけだし。ちなみにアメリカが世界中から留学生をかき集める意図の一つは、留学生を受け入れ親米の人材を養成し、その人材を介在して各国との対米関係を有利に運ぶというものであるが、その意味で、アメリカは、「アメリカの価値観の方が中国の価値観よりも肌にあっている」と自分に言わせたという点で成功しているわけだけど、でも、今後の世界地図を考える限り、日本は中国の価値観に迎合していかざるをえないだろうとも思う。そもそも自分が肌に合うという、「アメリカの倫理的価値観」は、「より速く、より大きく、より多く、より(物質的に)豊かに」という道を経て「他に先んじて豊かさを享受できる立場に立てた者」だからこそ唱えることができる、ある意味贅沢な価値観という面も否めないわけだし。
Dec 20, 2009
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タイトルを「MPHはじめました」なんてかんじにしちゃったから、すでにMPHのカリキュラムに参加しはじめちゃったみたいだけど、ちょっと興味が出てきたから軽く調べているだけの段階で、今のところ実際に始めるかもわかりません。あと、MPHの守備範囲(内容?)について補足しておくと、昨日のブログで例に出したように、政府規模のものをカバーすることもあるけれど、自治体(ローカル)規模、さらには病院や学校など、個々の組織規模のものも対象とすることもあります。話は飛ぶけど、カリフォルニアの州立大学は、UC BerkeleyやUCLAが入っているUniversity of California (UC)群(University of Californiaも州立(公立)の大学)、California State University (CSU)群、そしてその他の州立大学がある。ここで取り上げるものは、Council on Education for Public Health (CEPH)が認定するMPHのプログラムをもっている学校だけだけど、その他のものも含めたUCの全キャンパスの位置関係はここ、CSUの全キャンパスの位置関係はここで見ることができる。さてここからは、US News & World ReportのBest Colleges 2010のUniversities-Master's (West)カテゴリー(詳しくは前々回のブログ参照)に入っている学校を見ていってみよう。CUS Long Beachは言わずと知れたLAの南にあるロングビーチにある。Long Beachキャンパスは日本人留学生が多いことでも有名。CUS Long BeachのMPHプログラムのホームページはここ。CUS Long Beachのホームページを色々探しまわってみたが、そもそもCUS Long Beachはオンライン教育に積極的でないらしく、MPHのオンラインコースもオファーされていないようだ。CUS FullertonはLAダウンタウン(Googleによると、LAダウンタウンまで約30マイル、車で30分、渋滞時は1時間40分)の南東にある。CUS FullertonのMPHプログラムのホームページはここ。そこここのリンクが整理されていないなど、やる気がないかんじ。ここのオンライン教育課程を担当している部署はここらしいが、MPHのコースはオンラインではオファーされていないようだ。San Jose State Universityは、文字通りサンノゼ、つまりシリコンバレーにある。San Jose State UniversityのMPHプログラムのホームページはここ。そしてオンラインMPHのプログラムも提供しており、その情報はここ。ちなみにオンラインのプログラムとオンキャンパス(通常)のプログラム間の移動は認められていない。基本的に他の参加者とチームをくみ、二人三脚でカリキュラムをこなしていく形であり、自分だけ履修クラスの数や組み合わせを変えるといった自由度はない。裏技的にいくつかの単位はAdmission前に履修しておいてAdmission後に履修済単位とすることができるようだが、余計な学費がかかるなどマイナス面が多いようだ。ちなみにSan Jose State UniversityのオンラインコースはInternational and Extended Studiesという部署が統括しているが、MPHプログラム以外にはこれといったプログラムは提供されていないようだ。ちなみに今回MPHプログラムについて調べていて気づいたことだけど、そもそもMPH取得後は、ローカル規模であれ、グローバル規模であれ、包括的な公衆衛生(医療)対策、政策立案遂行に携わることになる人も多いと思われ、プログラム在籍中からチームワークを要求するものが多いような気がする。(その点でMBAとも似通っているような気がする。)つまり、オンラインプログラムとしては成立しづらいジャンルなのかもしれない。さらに続きます。
Nov 21, 2009
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そもそもMPHって何?って人がいるようなので、ここにウィキペデイア内のリンクを二つあげておこう。一つはProfessional Degrees of Public Health(英文)。もう一つは公衆衛生大学院。ちなみに今回このウィキペディアのエントリーを見て初めて知ったのだが、アメリカではCertified in Public Health(CPH)という資格試験の実施も始まったようで、これからより専門家としての地位が高まっていくのかもしれない。ここからは全く個人的な解釈なので、他の人の意見も聞いてみて欲しいところだけど、例えば今回の豚インフルエンザのケースなどにおいて、アメリカではCenter for Disease Control and Prevention (CDC) という組織が中心となって包括的対応策に役立つ研究、それに基づく提言や情報提供を行っている。CDCは日本語では米国疾病予防管理センターと訳されている。そしてCDCのような組織の中で働いている人はMPHをもっていることが多い。CDCで働いている人の中にはもちろん医師も多いが、社会全般の医療施策にかかわる分野に携わっている医師はMD(臨床系医学博士)の他に、MPHも持っている人が多い。医師は一般にミクロ(個人単位)医療のプロフェッショナルではあるけれど、集団単位の医療施策立案のプロではなく、一方、日本でCDC的役割を担っている厚生労働省では、基本的に個人対象の医療のプロフェッショナルである医師と、先輩から見よう見まねでマクロ的医療施策を学んだ官僚が対策の立案、実施を行っている。極端な表現をすれば、素人集団が物事を決めているとも言える。ただ、もちろん医師の中にも独学でMPHのプログラムで学ぶようなことを学んだ人もいるだろうし(当然アメリカなどのMPHのプログラムに留学する医師もいる)、官僚の中にもMPHホルダーか、それ以上の能力をもっている人もいると思われる。が、日本にはそのような人材を体系立てて養成するシステム(そしてそのような人材が活躍する場)が少ないことは事実だ。ちなみに今回の豚インフルエンザのケースでもCDCの発表する情報や提言を見た上で日本の厚生労働省が行う発表や施策を見てみると、ほぼ完全に厚生労働省はCDCの後追い(だいたい1~2ヶ月遅れでCDCの発表とそっくりの情報を発表したり、施策を行ったりしている)であることがわかる。一般の報道を見ていても、「アメリカのCDCでは・・・一方、厚生労働省は・・・」というタイプのニュースが多いことからして、なんとなくそれを感じた人もいるかと思う。なんだか長ったらしくなってしまったので、続きはまた後日としよう。
Nov 20, 2009
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何を思ったのか(種明かしはそのうち?)、いきなりカリフォルニア州とオマケでネバダ州のMaster of Public Health(MPH)、日本語では公衆衛生学修士、のプログラム、特にオンラインプログラムについて調べてみようと思い、ついでに自分で整理したものをここにアップしてみようと思う。MPHとは関係ないけど調べていく過程で出てきた面白そうなプログラムについてもちょこっと触れるかもしれない。素人が適当に調べただけのものなので、間違っている部分もあったりすると思うので、より詳しい情報は自分でも調べてみて下さい。(また、間違い等を指摘して頂けるとありがたいです。)MPHプログラムのAccrediting Agencyの最大手(?)はCouncil on Education for Public Health (CEPH)という団体のようだ。(アメリカのAccreditingシステムについてはこちらを参照して下さい。)CEPHにAccreditされているカリフォルニア及びネバダ州内のプログラムは以下の大学のものとなる。(ちなみにカリフォルニア州のもう一つの隣州のネバダ州にはCEPHにAccreditされているMPHプログラムはないらしい。)US News & World ReportのBest Colleges 2010のNational Universitiesカテゴリーランキング上位より:University of California Berkeley (UC Berkeley) (1)University of California Los Angeles (UCLA) (2)University of Southern CaliforniaUniversity of California Davis (UC Davis)University of Arizona (3)San Diego State University (4)US News & World ReportのBest Colleges 2010のUniversities-Master's (West)カテゴリーランキング上位より:California State University Long Beach (CSU Long Beach)California State University Fullerton (CSU Fullerton)San Jose State UniversityCalifornia State University Fresno (CSU Fresno)San Francisco State UniversityCalifornia State University Northridge (CSU Northridge)また、Loma Linda University (5)は、US News & World Reportでランキング対象外となっている。ちなみにLoma Linda Universityは(知る人ぞ知る)ある理由から、個人的にはあまり好印象を持っていないので、今回は特に情報を調べなかった。(括弧内の数字はUS News & World ReportのMPHプログラムのランキング(2008)内でのここに挙がっている大学の中での序列。数字のないものはランク外。)ランキングはあくまでも「目安」であって、これが全てではないと思う。MPHプログラムの関連団体はCEPHの他にもAssociation of Schools of Public Health(ASPH)というものがあり、ホームページ内では"ASPH represents CEPH-accredited schools of public health"としているんだけど、ASPH Member Schoolsの中に入っているのは上記の学校のうち、UC Berkeley、UCLA、University of Arizona、San Diego State University、Loma Linda Universityだけで、その不一致ぶりがよくわからない。(School of public healthとして独立している"School"のみが参加しているのかもしらんが、調べるのがめんどくさいので特に追求しないこととする。)その他、Society for Public Health Education(SOPHE) なんていう団体もあるようだが自分のブラウザではホームページが正常に表示されないので、これも深く追求しないこととする(苦笑)。というわけで、続きはまた今度。
Nov 19, 2009
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「12国立大学 大学院定員割れ」アメリカの場合、たとえ多少過剰な教員を確保していても、人口が増え続けていることもあり、常に高等教育機関が不足ぎみであるのに対し、日本の場合ははっきりいってもういらないだろう。特に大学院は定員割れを起こしているところが多く、その上卒業しても、そこで養成された人材の日本での社会的評価はさほど高くないと思う。(社会はそんな人材を必要としていない。)特に国公立大学の場合は、私立以上に国の予算が入っている以上、これは無駄な公共投資の一種だと思っている。今回の民主党政権は無駄な公共投資のカットを標榜している以上、そのあたりもメスを入れるべきのような気がする。主要国公立大学以外は大学院は廃止するべきのような気がする。個人的には「沖縄科学技術大学院大学」も気になっている。すでにインフラなどの整備が進んでいるけど一向に正式開校の気配がなく、開校したところで果たして学生や研究者は当初の予想通り集まるんだろうか。恐らくウン百億円単位の金がつぎ込まれていると思うけど、巨大なゴーストタウンを作ることとなってしまわないことを祈る。
Nov 9, 2009
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いやあ、すっかりごぶさたしてしまいました。の、割にはまたしてもちょっと辛口なエントリーを・・・。「新教育の森:授業すべて英語で 留学必修勉強漬け 秋田の国際教養大…成功の鍵」この記事を読む限りは美談のようにも思えるが、「英語で授業をする」という点についてあえて苦言を呈してみようと思う。そもそも結局アメリカの後追い、アメリカの真似でしかないように思えてしまう。(ただ、知人が「そもそも日本の良いところはアメリカなどの良い(良さそうな)ところを節操なく(つまり素早く)取り入れるところだ」と言っていたことがあり、その点ではこれも日本の良い所(柔軟性)とも言えるのかもしれないが。)日本と比べ、バラエティに富んでいるアメリカを一般化をするのは難しいが、それでもアメリカの大学の新入生は、明らかに日本の同世代よりは(少なくとも「暗記モノ」という目線から見れば)学力が低い。いや、低かった、と既に過去形で語らなければならないくらい、日本の高校までの教育のレベルが下がってしまったんだろうか。結果として大学は勉強するところになってしまったともとれる。(個人的には人生のうちでいちばん体力も気力も充実している時期に、無責任に思いっきり遊べる(色々な経験をすることができる)という意味で、日本の大学時代というのも捨てたものではないと思っている面もある。それはとりもなおさずアメリカと比較して高校までの学力の「蓄え」があってこそ可能であった。)日本らしさ、日本の良いところはどこにあるのか。これからも教育システムを含め日本はアメリカの後追いを続けるんだろうか。恐らく英語で授業を行うために、アメリカを含め、英語圏から教員をリクルートしてきていると思われる。さて、どのような人材がリクルートされてくるのだろうか。アメリカやその他の母国に就職口があるのに(もしくはないから)わざわざ日本にやってくるというのはどのような人材なのだろう。そもそも授業を英語で、などというシステムがウケる時点で英語に敗北してしまっているような気がする。それともこれからさらにグローバル化が進んでいくことを見越して将来的には日本語を捨てる覚悟ができているんだろうか。自分の場合、専門教育はアメリカで受けたので、(今は日本語もなんとかなるようになったが)日本語の専門用語を知らなかったりする。専門分野を日本語で説明できなかったりもする。(一部だけならともかく多くの授業を)英語で行っている大学は、日本にいながらにしてそのような人材を育ててしまおうとしているんだろうか。記事の中に「問題なく現地の授業についていけるレベルのTOEFL550点以上」とある。申し訳ないが笑ってしまう。未だに既に主流とはいえないPBTのスコアをスケールに使っているのも謎だが、少なくとも自分の経験からすればTOEFL550点というのは、現地(英語圏)の授業にギリギリついていけるかついていけないか、というレベルだ。さらに「授業についていける」という状態が「まともに内容まで踏み込み現地の学生と競争できる」というレベルで要求されているのであれば、全くついていけないと言ってしまって良いレベルだと思う。丁々発止のディスカッションまで含めて「まともに授業についていける」というレベルを要求しているのであれば(そんな点数がTOEFLにあるのであれば)900点~1000点くらいは必要というのが正直な感触だ。そもそもアメリカではTOEFL600点を要求する大学や大学院でも授業についていけない留学生が続出したために、各校独自の英語試験を課したりするようになってきているのに。日本の学校がTOEFL550点といったスケールに留まってしまうのは、そもそも担当者がTOEFL500点とTOEFL600点の英語を聞き分けることができないからに他ならないような気がする。ましてやTOEFL600点を上回る(つまりTOEFLでは計れない)レベルとなれば、「ペラペラ」とひとくくりにされてしまって終わりである。ちなみにこれは企業などの採用担当者にも言えることだと思う。そもそも日本国内ではそれほど高い英語能力は必要とされない(日本国内では「英語」を要求される人材としての価値はTOEFL500点程度であろうがそれを遥かに上回っていようが大差ない)ということは念のため書き添えておくべきだとは思うが。もちろんビジネス(つまり卒業生の就職時の「国内での」評価)的には成功しているのだと思う。勉強をさせる、という点において人間教育としてもうまくいっているようである。あくまでも国内向けではあるが。つまりもし英語で授業を行っていることによって世界に出て勝負ができるグローバルな人材が育っている(もしくはアメリカ等のまともな大学と肩をならべるような教育内容を提供している)、と考えているのであればそれはちょっと違うと思う。それでも勉強する癖と、英語の基礎能力はつきそうではあるから、もし世界に出て勝負しようと思っているのであれば、そこを経て英語圏の大学院に進学する踏み台としては、他の一般の大学よりはいいのかもしれない。細かい点を上げればきりがないが、記事内の「留学生と同じ部屋になる可能性も高く、授業を離れても英語を使わざるを得ない」というくだりも気になる。英語圏からわざわざこの秋田の小さな大学に留学してきている学生がいるんだろうか。(もしいるとすれば、三顧の礼をもって「来ていただいている」というパターンのような気がする。)それから「留学生と同じ部屋になる可能性」があるという表現は、むしろ日本人同士で同室となる可能性が高いことを示唆しているけど、ルームメートとはさすがに日本語でしゃべっていると思われる。ちなみに自分の経験からすれば英語を身につける早道は「日本語環境から遠ざかること」であり、いくら秋田の田舎とはいえ、日本語のテレビが見られる環境にあり、記事にも「休日も(ショッピングセンターの)『イオン』に行く」とあるではないか。そんなに英語をなんとかしたいなら、いっそのこと留学してしまったほうが良いようにも思えるが(もちろん費用面等の問題はあるのだろうが)、そんなこんなで3歩進んで2歩下がるとまでは言わないが、3歩進んで1歩下がるような環境で英語にこだわっている状況というのはなんとも歪なような気もする。なにはともあれ個人的には(ビジネス的には成功であっても)やはりこのような「アメリカのお下がり」的なやり方になってしまうのは残念でならない。日本らしい日本ならではのやりかたを模索してほしいものだと日本人として思ってしまう。
Nov 2, 2009
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みなさまお久しぶりです。「大学院生に実質的な給与を 基礎科学力委が提言」http://www.asahi.com/national/update/0805/TKY200908040424.html時に日本の有識者会議というのはこのように「対応は、それはアメリカを模倣する」という一行で済んでしまいそうなものを、どうしてご大層な何ページにもわたる「提言」にふくらませるのだろうかと思う(苦笑)。というのはさすがにちょっと大げさで、もちろんちゃんとした考察とかも入ってるんだろけどね。でも、この記事の内容を読む限りでは、大筋ではまさにアメリカの模倣以外の何ものでもないちなみにアメリカのシステムの良い点、というのは日本の人もよく勉強して理解しているが、それがもたらす弊害にちゃんと気づけている日本の人は極めて少ない。この提言を作成した方たちは、ちゃんとそういった認識を持っていると思いたいが、でももしそうだとすれば、「それを日本でやろう」というアイディアは絶対に思いつかないと思うんだけど、どうだろう。少なくとも個人的にはこのシステムは絶対に日本ではうまくいかないと思う。
Aug 6, 2009
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いやはや時の流れは早いもんだ。いやね、見捨てたわけじゃないんですよ。ちなみに個人的な事情を説明すると、今、日本帰国(もちろん永久帰国)に向けて鋭意努力中なんですね。なかなか忙しいわけで・・・。それでもなんとかその合間をぬって、またボチボチ更新できればと思っています。
May 17, 2009
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「小学校の英語授業:否定的な中学生多数…教研集会で報告」「『やればやるほど英語嫌い』 小学校英語活動に異論続々」正直何をやっているのか、と思う。もちろん動き始めたばかりだから教える側もまだぎこちないということもあるかと思う。しかし、中学、高校での英語教授は長い間行われてきたわけで、十分ノウハウを蓄積してくる時間があったにもかかわらず、相変わらず「英語嫌い」は多い。恐らく民間の児童英会話教室では子供に興味を持ってもらえるよう様々な工夫をこらした授業をしているんだと思う。かたや、小学校であれば、まずは教師は英語専門の教師でもなく、必ずしも本人が英語が好き、もしくは得意というわけでもなく、さらに教員免許の規制の壁が邪魔をして、よっぽどノウハウを持っている民間の児童英会話教室で教えている先生の入り込む余地はない。さらに、子供によってやはり好き嫌いはあるわけで、それでも嫌いな生徒も含めてなぜ「全員に」なのかと思う。そもそも日本人がアメリカで子育てをしようとする時に直面するのはどうやって日本語を覚えさせるか、だ。たとえ親が家庭で100%日本語で話していようとも、多少なりとも強制をしなければ子供は日本語が身につかない。当然親が言っていることくらいは理解できるようになるが、自らはしゃべろうとせず、いつの間にか、しっかり英語は身に付いてしまっている。これは、子供は無意識にこの社会では「日本語は不必要(重要でない)」と判断してしまっているからだという説があるわけだけど、逆に日本で英語を教えるというのはこの逆のケースに他ならない。普通に日本で生活していれば、子供に説得力をもって「英語の必要性」を理解させることは不可能だ。となると、次の手段としては他の習い事と同様、教える側として「興味をもたせる工夫をする」しかないわけだし、実際恐らく民間の業者もそのあたりを一番工夫しているんだと思う。ところが、習い事の場合、子供によっては他の子供の大多数が興味を示しているにもかかわらず、依然、興味を示さない子だっているわけだ。その子にむりやりその習い事の内容を身につけさせるというのはもう至難の業だと思うし、無理にやろうとすれば、むしろ嫌悪感を増長させることになりかねない。それぞれの記事中では、教師側も色々時間を使って工夫しようとしている様子も書かれているが、教師にとっても子供にとってももっと別なことに時間を使うべきでは、とは思ってしまう。「日本語のすすめ」記事の内容は以下の二文に集約されているのかもしれない。「欧州に暮らして感じるのは、人々の言葉への思い入れの強さだ。自らの言語と文化に誇りを持ち、それを海外に発信する国家戦略が徹底している。」「日本は自国の言葉と文化を冷遇する一方、英語学習にエネルギーを費やし、外国の流行を追う。」もちろん英語ができることに越したことはないし、将来的にはその必要性も増していくとは思われるが、全員が全員必要となるだろうか。それを達成するには膨大なエネルギーを擁すると思われるが、果たしてそれは費用対効果的にプラスの投資なんだろうか。自分はヨーロッパに行った経験はないけれど、インターネット上のチャットでヨーロッパ人と話すことはある。インターネットなだけに田舎の人も平等に参加してくるわけだけど、ドイツやフランスであってもやはり田舎の人は英語のチャットにはついて来れないことが多い。が、そもそも本人達の日常生活でも恐らく英語は必要ないのだと思う。日本だって同じことだと思う。情報格差云々というかもしれないが、別に無理して英語の情報を手に入れなくても生活スタイルによっては全く問題ないように思う。それなのに、なぜ「全員」なのかがちょっと理解しづらい。そういえば、今回「おくりびと」がアカデミー賞を受賞したが、米国メディアに対してはモッくんはわざわざカンペを読みながら英語で答えていた。ということは、どんな質問にも全く同じように答えていたということだと思うんだけど、むしろ、アドリブがきく日本語で個々の質問により細かく具体的に深く答えたほうが、よっぽど日本文化のプレゼンスを高められたのではないかと思う。なんで無理してでも英語、なんだろうか・・・。
Feb 24, 2009
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「韓国での春休み英語留学プランを発売、JTB地球倶楽部」12日間コースが239,000円(ともに寮またはゲストハウス)。別途燃油サーチャージや国内空港施設使用料などが必要。とあるが、あまり安いといった印象も受けないのだが・・・。もう記憶がおぼろげなんだけど、自分が通ってた語学学校は1ターム(6週間)の学費が千数百ドル・・・いや、もっと安かったっけか・・・で、寮に6週間だったらこれも数百ドル程度・・・いや、もっと安いか。で、プラス往復の航空料金がありゃいいわけだろう? 当然現地での生活費はこの費用に含まれてないんだからそれは同条件なわけだし。で、韓国くんだりまで行って、英語コミュニティーで軟禁生活を送るってこと? う~ん・・・、どうなんだろ。
Feb 19, 2009
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「人口減少社会の設計(松谷昭彦/藤正巌著 中公新書)」という本を読んだ。著者のお一人は元官僚で、またお二人とも一般的に言われるところの「学者」だ。官僚の視点は一般国民の日々の生活の実態からは乖離しており、また学者の考えることは机上の空論というのは時に正しいが、中には正鵠を射ている論点もあり、肩書きを見た瞬間に異をとなえはじめるというのも時に正しくないと思う。少なくとも「大局を見ている」という点では民間とはまた違った視点をもっていると思う。さて、この本の中では人口減少社会では(ちなみにこの本の内容は、日本の人口減少はもちろんのこと、グローバル規模、特に先進諸国における人口減少傾向も前提として書かれている)国際的にも国内的にも分業化、つまり日本国内で全ての製品を作ることが困難になり、おのずと一部の製品、商品については他国任せとならざるをえず、日本も逆に分野をしぼりこんで「得意分野」をもたなければならないとしている。この主張を理解するには極端なケースを考えてみればいいと思う。たとえば人口が100人の国があったとしたら、その国内で効率よく作ることが出来る製品というのはごく限定されたものとなる。無限の資源と無限の時間があればもちろんいかなる製品でも作り出すことができるかもしれないけれど、その間に国民全員餓死してしまうだろう。もちろん人口減少社会といっても今日明日にでも日本の人口が激減するわけでもないけれど、少なくとも物作りに携われる「生産人口」はこれから急減することは念頭におかなければならない。ところで良く言われることだけど、日本の教育や社会システムもジェネラリストの人材を育てるように出来ている。さてこれは「分業」という面から考えるとどうだろう。これがいい例なのかわからないけど、ゲーム世代なので、ドラゴンクエストなどに代表されるロールプレイングゲーム、いわゆるRPGゲームにたとえてみよう。RPGゲームの中には職業という概念があるものがあり、職業によって身につけられる能力が限定されていたりする。たとえば魔法使いであれば魔法を覚えられるが、物理攻撃能力は育たず、戦士であれば、物理攻撃の能力が高められるが魔法は覚えないといったかんじ。もちろん魔法使いは弱い魔法からだんだん強いものが身についていき、戦士も「徐々に」物理攻撃能力が強くなっていく。多くのゲームでは、ゲーム途中での転職も可能で、転職をすれば新しい職業の能力をまた一から身につけていくことになる。なので、たとえば効力は弱いながらも魔法を使える戦士や、そこそこの物理攻撃能力を備えた魔法使い、なんていうキャラクターを育てることもできる。RPGゲームの目標は当然最後に待ちかまえている強いボスを倒すことだ。さて、限られた時間の中でこの目標を達成するとしたらどのようなキャラクターが必要であろうか。ちなみにあるキャラクターが様々な職業を転々としてそれぞれの職業特有の能力をつまみ食い的に身につけている間、もう一人のキャラクターを一つの職業にじっと腰を据えさせていれば、そのキャラクターはその職業にかかる能力に極めて秀でているキャラクターに育ち上がる。そしてボスを倒すのに必要なのは、後者のキャラクターだ。もちろん物理攻撃に強いキャラクターだけでは勝ち目がないから、同じグループの中には魔法使いも必要になる。ただ必要なのは魔法に極めて秀でている魔法使いだ。様々な能力は身につけているものの、そのどれもが中途半端キャラクターしかいない場合、途方もない人数をそろえない限りボスを倒すことはできない。それでも人材がふんだんに供給され続けている間は「束になってかかる」という手法がとれなくもないが人口減少社会では、そういった「余裕」はなくなる。つまり冒頭の本の著者は、限られた人的資源、RPGゲームで言うならばプレイヤー(が使える時間)やキャラクターの数が限られているのであれば、個々のキャラクターの専門分野を集中的に鍛えるべきで、「その他の中途半端な能力を育てる余裕などない」か、少なくともそのような行為は極めて効率が悪い、ということを言いたいのだと思う。以下に、著者の疑問提起部分を引用しておく。「国際分業と資源の集中投入の考え方は、今野の人口減少下の経済において必須のものとなる科学技術開発力の向上の面からも必要である。・・・(ところが日本では)あらゆる産業分野における技術開発についての女性のあり方と小学校からの教育プログラムが提案されている。どうして全ての産業分野について技術開発を進めようと考えるのだろう。そしてなぜ国民の全員が技術開発のための素養を身につける必要があるのだろう(P154~P155)。」今のところ日本社会は日本語で成り立っており、基礎教育からはじまり職業トレーニングに至るまでまずは日本語で行われる。そのような状況においては英語ははあくまでもプラスアルファの時間と労力をかけて「追加しなければならない能力」だ。さて、人口減少社会でそのような事をしている余裕はあるのだろうか。
Feb 13, 2009
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よく、大人になってからネイティブ並の英語力をつけるのは無理と言われているけど、個人的には全くそんなことはないと思っている。いくらでも、とは言わないけど、20代になってから本格的に英語をやりはじめた人でもネイティブと十分にやりあえるレベルに達している人と何人も会ってきた。もちろん発音などには若干訛があったりすることもあるけれど、少なくとも麻生首相の英語を「流暢」と評価してしまう日本の人が聞いたら十分ネイティブスピーカーだと思ってしまうと思う。そのレベルに達している人はほぼ例外なく海外生活が長く、さらに極めてカリキュラムの厳しいプログラムに参加し、さらに社交的で、日本人だけで固まってしまうことなくアメリカ人などとも分け隔て無く付き合っている人が多い。社交的うんぬんという部分は本人の性格もからんでくるから何とも言えないけど、つまりそのような性格を有していてかつ長期海外留学をする時間と資力(もしくは環境)があり、厳しいプログラムに参加し乗り越えられるだけど能力があれば、誰でもそのレベルの英語力に達することは可能だと思っている。が、現実問題として、日本の人でそれが実行できる環境にいる人は極めて希だと思う。そしてもし、実用的な英語がそのような環境を経てからしか身につかないのであれば、日本に生活基盤がある人はいっそのこと英語に関しては餅は餅屋にまかせて、むしろ自分の得意なことを伸ばすことに時間と労力を注いでみてはどうかと思う。さて話はかわるけど、日常的に電車の中等でこれだけ英語の本を広げているにもかかわらず、日本人にとって英語を身につけるということに対して切迫感がないのは、そもそも日本にこれだけ人口と経済力があるために、通訳と、特に翻訳というビジネスが経済的に成り立ってしまうから、という説明がなされることがる。どういうことかというと、たとえば科学分野の有名な教科書の原著は元々英語であることが多いのだけど、日本ではその翻訳版というものが出回って使われている。もし、出版社に利益をもたらすほど翻訳版が売れないのであれば、そもそも翻訳版というものは存在しないだろう。実際、発展途上国の多くはそのような理由から、科学教育においては英語の原著を使わざるをえず、学生たちもいやおうなく英語を身につけざるをえなくなる環境にある。ここでもし日本の理科系学生にも半強制的に英語を身につける環境を提供する意志があるのであれば、もしかしたら翻訳版を発禁にするべきなのかもしれない。ただ、もしそのようなことを実行すれば、日本の学生は、膨大な時間をかけて原著と闘わなければならなくなるし、その負担を学生一人一人が負わなければならないとなると、「のべ」の時間と労力は膨大なものとなると思われる。(その上、英語原著の教科書を使いこなせる教員がどれだけいるかもかなり疑問だ。)かたや、翻訳版を作製するのにかかる時間と労力は極めて限定的な人数の翻訳者の肩にのみかかるわけで、それによって大多数の学生の時間と労力が節約できるのであれば、それに越したことはないという考え方もあると思う。もちろんそのような事を続ける限り、英語で世界と勝負できる科学者や技術者は育たないだろう。ただ繰り返しになるが、日本人の人口とその経済力を考えてみれば、日本語で勝負できる日本国内マーケットのニーズだけでも相当なものがあり、そこでは全く必要のない英語というものを、全ての科学者や技術者が研究や技術開発の時間を削ってまで身につける必要性はどの程度あるだろう。むしろ、科学者や技術者は自らの本分に徹し、英語は英語でその専門家に任せてしまったほうが遙かに効率的なような気もする。
Feb 11, 2009
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閑話休題、時事ネタ。このニュース、個人的には奥が深いと思うとともに、ちょっと恐ろしいと思っている。「IBM、北米でレイオフの従業員にインドなどで雇用提供か」以前、アウトソーシングの一つの形態として、たとえば日本人を中国に連れて行って、日本の労働基準法などより遙かに安い賃金で働かせるという手法がとられることがあるというのをネタにしたことがある。この記事の内容も構図的には同じだと思う。昨今の派遣社員問題で、仕事内容は同じでも、派遣社員と正社員の賃金格差が大きいことも問題になってたけど、グローバル規模で考えると、仕事内容は同じでも「日本国内にいる(日本の労働基準法に守られている)」おかげで他国の労働者よりも高い賃金を受け取っているというとらえ方もできる。あえて日本でやらなければならない仕事でなければもしかしたらこういった流れは今後も加速していくのかもしれない。そういった面から考えれば企業の経営側が、派遣労働法の見直しなんてしたら国内の空洞化がさらに加速する、と言っているのも一理ある。つまり、同じ程度のものが人件費を含めて低コストで作ることができるのであれば、企業としては当然そちらに移るということだ。ちなみに個人的にはポイントは同じ「程度の」ものという点だと思っている。よく、日本製品が高品質であることが日本の国際競争力となっているという議論を耳にするけれど、個人的には世界の大多数の人はもしくは価格が安ければ、そこまでの高品質は求めていないんじゃないか(もしくはどちらにせよそこまでの購買力がない)と思っている。「自動車教習所が窮地に! 「免許離れ」が深刻化」個人的には、「官製資格ビジネス」だと思っていた教習所、少子化もあいまって、いずれはこうなることは当然予想されてたんだろうけどね。これまでは「需要」が減ったとしても、ある時は免許制度を厳しくし(教習項目を増やす)、ある時は教習所で取得できる免許項目を緩和(増やす)したりして、自分たちの「受け皿」を助けて(ふくらませて)きたんだろうけど、ついに消費者からそもそも「その商品はいらない」と言われてしまって、打つ手がなくなってしまったってことなのかな。しかし、その恩恵からか、普通免許をとるのも安くなったねぇ・・・。
Feb 9, 2009
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今から約2年前のブログに試しにセンター試験の英語を解いてみたというネタがある。とてつもなく簡単だったことが記憶に残っている。ただ1問だけ間違えた。少なくとも新聞などで公表されている正解とは違った答えを選択していた。たしか前置詞の穴埋め問題だったと思う。この問題に関してはネット上でも「正解が2つある」と話題になっていたし、大手予備校なども入試センターに質問状のようなものを送ったといった経緯があったような気がしたけど、当然入試センターはだんまりを決め込んでいた。前置詞などというものは、所詮日本語のてにおはのようなもので、たとえば自分のブログにせよ、誰のブログにせよ、てにおはが「文法的に」「厳密に」正確なんていうことはありえないと思う。そもそも自分の書いている日本語が「文法的に正しいかどうか」を知る手段がある人はどれだけいるんだろうか。文法なんて言語にとって「後づけ」された屁理屈・・・というのは言い過ぎだとは思うけど、とりあえず「ネイティブスピーカーが見て違和感がない」とういう評価基準が「文法」の上にあるべきなような気がしてならない。ところがこの「ネイティブスピーカーが見て違和感がない」というのがくせ者で、というのも自分の場合、日本の人から見ればあくまでも「日本人」つまり「ノンネイティブスピーカー」なわけで、これは一生どんなことがあっても変わらない。というわけで、日本人が自分の英語を評価する際にはどうしても「文法書的しばり」が適用されてしまう。ところがこれがネイティブスピーカーだと、どんなインチキな英語でもこの「文法書的しばり」が適応されない。ちなみに時にこの「しばり」は人種差別的な側面を帯びることもある。つまり、見た目が「白人」時には「黒人」であれば、ネイティブスピーカーでなくてもこの「文法書的しばり」が免除されることがあるのに対し、アジア人はむしろ厳しく評価されることがある。以前このブログでもself-discrimination(ちなみに self-discriminationは、通常差別は自分の属するグループをタナに上げて他のグループを卑下することによって生じるのに対し、日本人の場合は、白人などに対して自分の立場を貶めた上で「自分自身を差別してしまう」という不思議な傾向があるというコンセプトを説明するために自分が作った造語です)という話をしたことがあるんだけど、なんで日本人は英語に関しても、自分自身に対して、もしくはアジア人に対して厳しくしてしまうんだろう。これについては、昨日の「海外経験もない、実際に英語を道具として使ったこともない先生から英語を教わった、やはりこれも海外経験もない、実際に英語を道具として使ったこともない先生」が英語を教えるために、とりあえず「文法書」という「正解のガイドライン」に頼らざるをえないことが原因だとも思っているんだけそ、それについてはまた追々触れることになると思う。さてセンター試験に話を戻すと、もちろん自分が日本で大学受験をした時には英語で全問正解なんて夢のまた夢。もう記憶の彼方だけど、6年間の学校での英語の授業+受験勉強を経てやっと8割くらい正解、といった程度じゃなかっただろうか。それも問題を解く際の思考過程は、この主語は三人称単数云々だからこの単語はこうなるはずで、だからこの空欄はこうなるはずで・・・とまるでパズルを解くようなものだったと思う。もしくは読解問題では、まるで漢文を読むかのように「頭中で単語を並べなおして」一文一文読んでいっていたようにも思う。ちなみに2年前に試しにやってみた時は、「なんとなくこれ以外ありえない」(ちなみにそれ以前に、選択肢を見る前に正解がわかるケースがほとんど)というように、瞬間的に正解がわかるようなかんじだった。なにはともあれ、言いたいことは6年間での学校での英語の授業+あの熾烈な受験勉強を経て身についたのは、あの驚くほど簡単な英語の試験で8割くらいの正解をひねり出す程度の英語力だったということだ。そもそも言葉というのは「瞬間的に」理解し、発信しなければならないたぐいのものであるにもかかわらず、問題の一つ一つにウンウン頭をひねってかなりの時間をかけて答えをひねり出した上での結果がそうなのだ。たとえば中学~高校の英語の授業や英語の試験勉強に費やした時間と労力とコスト、さらには受験勉強のうち英語に費やした時間と労力とコスト、そして英語の先生が先生になるまでに費やした時間と労力とその養成にかかったコスト、そして先生として教えることに費やした時間と労力とコスト、その全てが注ぎ込まれた結果が上記の通りなわけで、自分の場合は結果として今現在役に立っている部分もあるけれど、さて、日本に普通に住んで生活している人の中でそう思える人はどれだけいるんだろうか・・・。
Feb 6, 2009
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前回のブログにじょん・どーさんやそおぷさんが、それでも他言語での情報収集チャンネルを持っていたほうが良く、基本的なものでも英語ができれば趣味などでも役に立つ事も多い、といったコメントをつけて下さった。それはその通りだと思う。しかし英語力が付け刃的であった場合、英語媒体からの情報ををむしろ曲解してしまったりはしないだろうか。もちろん娯楽系のものであれば内容は正確には理解できていなくても、楽しめればそれでいいんだと思うけど、しっかりと内容を理解すべきたぐいのものは、むしろこれもしっかりしたプロを介して日本語で理解したほうが良くはないか。特に自分ではそうは思っていないものの、他人から見れば中途半端な英語力をもった地位の高い方が明らかに曲解している内容を元に主張などされるとむしろ弊害の方が多かったりもするような気もする。また、これはすでにそおぷさんへのレスにも同じような事を書いたけど、趣味、もしくは仕事上必要といったような動機付けがはっきりしていれば(特に趣味という動機付けはかなり強力だと思う)、英語を身につけることにもむしろ積極的になれるかもしれない、が、日本には特に英語を身につけたいとも思わない、必要ないのに、学校や会社などに言われたから仕方なしに英語を勉強している人のほうが遙かに多いような気がする。もちろん努力せずとも身につくものであれば、ほとんどの人は身につけたいと思っていると思うが、それは「タダならもらっておく」という心理と同列だと思う。もちろん将来的に必要になるかもしれないから多少無理をしてでも学校で勉強をして、せめて「入り口」は準備しておく、という考え方も理解できる。が、1クラス40人のうち将来的に本当に英語に興味をもつ、必要となる人はどれくらいいるだろう。東京などであればそれなりに多いのかもしれないが、日本全国に話を広げれば、恐らく1割にも満たないんじゃないだろうか。日本語の読み書きを身につけることはクラス全員にとって必要だろう。小学生レベルの算数はやはりほぼ全員にとって必要だと思うし、中学レベルの数学にしたって、かなりの人数が知っていて良かったと社会に出てから思うと思う。基本的な社会構造や理科の知識も知っていたほうが良いだろう。か、少なくとも人生の中で何度かは役に立つ。人生の中でかかわりをもつ頻度が英語とどっこいどっこいなのは、せいぜい古文漢文くらいだろうか。でも、社会に出てから古文漢文に悩まされることはない、が、社会に出てからも英語を身につけなければならない「ような気がする」プレッシャーに悩まされ続けている人は多いような気がする。もちろんこれも前回のブログへのコメントで、そおぷさんが人や社会は「理」だけでは動かないとも指摘されてるけど、日本での日常生活、ひいては人生を豊に過ごす上で、英語以上に時間を費やす価値のあるものはいくらでもあるような気がする。これも今回のシリーズで追々とりあげていくと思うけど、特に中学~高校での英語教育に関しては、がんばっている英語の先生方には本当に申し訳ない言い方になるけれど、人生のその貴重な時期になんということに時間を使わされているのかと思わざるをえない。やはり海外経験もない、実際に英語を道具として使ったこともない先生から英語を教わった、やはりこれも海外経験もない、実際に英語を道具として使ったこともない先生に英語を教わるということが、どれだけ効率的な教育なのか、どうしても疑念を持たざるをえない。もちろん教材面等から色々工夫はされているのだと思うし、自腹を切って英会話学校に通ったり、究極的には短期語学留学をするなど大変な努力をされている英語の先生も、もちろんいらっしゃると思う。しかし、それは中学高校の英語の先生のうち一体どれくらいなんだろう。しかして本人がそのような努力をしてもしなくても給料は同じなんだと思う。そう。思いついたからどんどん書くと、先日、英語教育に力を入れている私立の中高一貫校を卒業して来た人と話をする機会があったんだけど、実はそこそこいけているという印象を受けた。その本人は海外経験など全くなかったそうだ。聞けば英語の授業は基本的に全てネイティブスピーカーで、さらに教室内は日本語禁止で行われていたとのこと。教員免許や教員採用試験などといった規制にしばられている公立校ではこの芸当はまず無理だろうなぁ・・・。ちなみにこれも歯に衣を着せないで言い切ると、普通の中学や高校を出てきた人の英語のレベルはご存じの通り・・・なわけで、とすると彼女の「そこそこいけている」英語のレベルと比較してももう雲泥の差、なわけで、さて、しかして恐らく彼女が英語にかけた時間は公立校に通った学生と同じか多少多いといった程度なんだろうけど。
Feb 5, 2009
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そもそも日本に居ながらにして英語を勉強するというのは極めて非効率的なような気がする。留学ネタで取り上げたこともあるけれど、自分は留学の前半を、周囲にいたごく少数の日本人もできるだけ避け、ほとんど日本語との接触をもたない環境で過ごした。というわけで、留学半年で多少なりとも英語が聞き取れるようになったんだけど、そんなある日、日本から持ってきた日本語のCDを聞いてしまった・・・途端に友達の英語が聞き取れなくなってしまった。日本語が母国語なだけに、英語の歩みは鈍いが、日本語にさらされた瞬間に「日本語側」に引き戻される勢いはそれはすごいものがあったような気もする。まさに英語で1歩進んだところで日本語に接触した瞬間に2歩も3歩も引き戻されるかんじだ。ましてや日本で毎日を過ごしているのであれば、常に2歩3歩引き戻される環境で、英語を身につけようとするには非常に非効率的なのではないかと思う。限られた人生、だったらもっと身につけやすい「趣味」に身を投じた方が楽しいのではないかとも思う。もちろん仕事上必要なのであれば仕方がないけれど、果たして日本で英語が必要不可欠な仕事というのはどれだけあるんだろうとは思う。ちなみによく英語を身につけるべき理由として、(日本のメディアなどの政治的意図によってねじ曲げられていない)海外の生の情報に接することができるというということが言われるけど、そもそも誰が「海外の生の情報」とやらは偏向していないと言えるんだろう。日本語媒体に限定されていたとしても、それがたとえ海外のソースを翻訳したものだとしても見る目がある人はちゃんと正しい情報の取捨選択はできていると思うし、それが(母国語の日本語の媒体で)難しいというのであれば、ましてや第二外国語であれば、むしろ偏向した情報の手玉にとられてしまうリスクが高いような気がするけどどうだろう。その点でいけば、つい最近も「英語が堪能な(by朝日新聞)」麻生首相がダボス会議等で各国首脳と英語で会談をしたそうだけど、なんたるリスクを踏んでいるのかと思う。
Feb 2, 2009
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さて、このブログのタイトルだけど、最近さすがにもう「留学」ってかんじじゃなくなってきた。もちろん留学経験があるだけに、そういった情報へのアンテナは未だに敏感だし、これからも機会あるごとに留学ネタはとりあげていこうとは思っている。が、そろそろ「メイントピック」を変えていく時期なんじゃないかとも思ったりして。というわけで、とりあえず今日は英語ネタ。人は歳をとる。まあ、当たり前だね。自分も歳をとった。20代くらいまでは、「知識」では人生限りあるものだってのは分かってたけど、最近は多少以前よりもリアリティをもってそれを感じるようになり、さて、自分は残りの人生で何ができるんだろう、なんて思うこともあるよになってきた。というわけで、英語。日本の英語熱というのは相変わらずだ。本屋に行けば英語本があふれ、電車の中でもヘッドホンを耳にはめ、英語に耳を慣らそうとしていたり、英字紙を開いて必死に文字を負っている人などを見かけることは珍しくない。もちろん英語の参考書を開いている学生も。さて、その英語につぎこんだ時間とお金が将来何かの役に立つことがあるんだろうか。企業などが入社や昇進の際にTOEICの試験を課すことが増えてきたとも聞く。そして人は時間とお金をかけてTOEICの勉強をすることになる。しかし果たして入社後に、そこで身についた「英語」が役に立つことはどれだけあるんだろうか。もちろんそこで身についた「忍耐力」は役に立つことがあるかもしれない。ただ、忍耐力をつけるなら他にいくらでも方法があるような気もする。もちろん世の中には「趣味」という言葉がある。趣味の世界はある面「自己満足」の世界でもあるような気がする。だから「趣味」として「自分の英語力が伸びたのが嬉しい」と言うのであればもう他人がとやかく言うことではない。が、果たしてどれだけの日本の人が積極的に英語に人生の貴重な時間とお金を喜んで投資しているんだろうか。そしてどれだけの人が実際、人生の中でその「身についた英語」を役立てる機会を持てるんだろうか。日本で英語を勉強する価値についてちょっと疑問をもつ昨今なのであった。
Jan 31, 2009
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「桑田氏、25年越しの夢 早大院生になる!」このこと自体を悪いといっているわけではないし、この人だったらこれから将来もまだまだ色々な意味で社会に貢献してくれそうなので、むしろ好ましいと思える面もある。ただ、以前にもここでネタにしたことがあると思うけど、日本の大学院の入学条件に、実は「大卒であること」は入っていない。ちなみにもし桑田は確か大学には行ってないよね? 間違ってたらごめんなさい。というわけで具体的には何が条件になっているんだろう。「大卒もしくはそれに相当する社会経験」とでもなっているんだろうか。個々の大学院によっても違うだろうけど。あえてナナメに考えてみると、たとえばより上位の大学を卒業したほうが価値があると仮定すれば、当然、大学を飛び級して大学院に入ろうとする人がもっと多くてもいいはずだ。そうならないということは、やはり日本ではあまり社会的に大学院というものが評価されていないということの裏返しであるような気もするんだけどどうだろう?
Dec 20, 2008
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「ロケフリ利用の「まねきTV」は適法、知財高裁がテレビ局側の控訴棄却」海外に居ながらにして、日本のTVが見られるというのは海外在住者にとって長年の夢だったと思うし、今はロケフリやその他の方法で、「たれ流し的」に日本のTVを見ることはさほど難しくなくなってきている。もちろん英語を勉強している留学生にとってはこの日本語で見れてしまう日本のTVというのはちょっと危険かもしれないけれど。昔は日本食レストランや、日本食材店などでビデオをレンタルするのが一般的で、それもごく初期のものは、そのレストランや食材店の知り合いが日本で録画したものを貸し出すという、非常に簡易的なものだったと思う。それが組織だって番組を録画したテープがそのような店に「納入」されるようになった時、はじめて日本のTV局などから「圧力」がかかった。要するに、他人の作った番組で儲けるなんてけしからん、ってことなんだと思う。そして今回のロケフリ騒動。これも他人の作った番組で儲けるなんてけしからん、って論点以外にTV局側が腹を立てる理由が見あたらないんだけど、だったら、これだけ高速インターネットが普及したご時世、是非とも番組のインターネット配信をしてほしいものだ。もしそうなったら喜んで金を払うという人はけっこう多いんじゃないだろうか。
Dec 17, 2008
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「中国から優秀な留学生が来ないEUや米国の大学との競争で敗北感」なんとなく予想はついていたが、このくだりには改めて驚かされた。「東京大学には約700人の中国人留学生がいて、毎年増加している。ところが優秀な学生は年々減ってきている。 中国の大学ランキング100位以下の大学卒業生が東大の大学院を受けて合格してしまうからだ。」ただ、本論はこのあたりなのではないだろうか。「(文部科学省は)奨学金を与えたり、生活費の面倒を見たり、 特別枠を設けたりすれば、つまり入り口を広げさえすれば、優秀な学生が来ると思っているような施策は改めねばならない。優秀な学生は、どんなに金銭的な問題があっても、それを解決して将来のために今一番大切な スキルアップできる国、大学、教員を選ぶ。」ただ、個人的にはこれは文部科学省だけの問題ではなく、日本の大学、さらに日本社会の閉鎖性にも原因があるような気がする。まず、日本の大学院を出たところで、日本人ですら就職に困っているような状態なわだから、外国人が就職できるような機会があるわけがない。さらに、なんのかんのいいつつ英語が世界の共通語になりつつあるにもかかわらず、相変わらす日本の大学は日本語が主流、まあ、日本の大学なんだから当たり前といえば当たり前なんだけど。だったら、そもそも英語で教育を受けられる国に行こうと思うのは人情だと思う。そもそも「自宅からの通学圏」などということを考えなくても良い留学生にとって留学先の選択は全く自由なわけだし。だから、留学生の獲得において、日本の大学が欧米の大学と肩をならべるのは非常に難しいと思うなぁ。逆に、英語のみの授業などになってしまったら、日本人の学生が来なくなるだろうし・・・。
Dec 15, 2008
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「中台留学生50人が大学除籍、文書偽造の疑いで―英国」このたぐいのことは、アメリカでも頻発しているんだけど、今回はまとまった人数だったので、ニュースとしても配信されたんだろう。もちろん日本の大学にも中国からの留学生が多数留学してきているわけで、たとえば以前、こんなことがあった。「佐賀大学は27日、大学院工学系研究科の中国人の男子留学生(24)が、偽造 された本国の大学卒業証書を使って入学していたと発表した。 男子学生が今年10月に在留資格の延長を申請した際、入国管理局の指摘で 発覚した。 男子学生は卒業証書などを中国のブローカーから約3万円で購入したという。 本人は既に帰国した。」そもそも日本の大学院の入学には、乱暴な話、大卒であることが条件とされていないから、大学を卒業してなかったこと自体は問題にならなかった(?)のかもしれないけど、卒業証書を偽造したってことが問題なんだろうね。なんてことはさておき、これはたまたま情報が第三者(入管)に露見してしまったから大事になっちゃったけど、もしこれが氷山の一角だったら「水面下」のケースについては日本の大学はどのように対応しているんだろう。なんとなく、見て見ぬふりをするか、発覚しないように情報を隠蔽してるんじゃないかな、って気もするんだけど・・・。そもそも大量に発覚した暁には、大幅な定員割れをおこしてつぶれちゃう大学もあるだろうし・・・。
Nov 14, 2008
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さて、日本人を避けるという前提で留学先を選ぶとしたらどうしたら良いか、という話の続き。前回のエントリーへのコメントで現役lecturerさんも指摘して下さっているように、日本の大学などとの交換留学先に(実際には、日本から大量に日本人学生が押し寄せ、アメリカから日本へいく学生は極端に少ないという、「一方通行」状態になっていることが多いのだが)なっている大学がある所は、当たり前だけど日本人が多い。フリーページの「留学環境 番外編 Sxxxxxx」に出てくるSxxxxxxは、一見日本人に縁も縁もないような田舎町だけど、町内に日本の某マンモス私立大学からの交換留学プログラムを受け入れている学校があり(お金が落ちるから、受け入れ大学としても美味しいんだな、これが)、さらにまた別の私立大学の分校(?)のようなものもあり、時期によっては日本人であふれかえる(というのは大げさかもしれないが、キャンパスなどで頻繁に日本人を目にするくらいには)ような状態になるそうだ。また、学校によっては留学斡旋業者の「ターゲット」になっている学校もある。もちろん留学斡旋業者は上位校に大量に留学生を送り込むなんてことはできないから、当然「入りやすい」学校がターゲットとなっていることが多い。今はどうなっているかわからないけど、自分がテネシーにいた頃、テネシー州立大学系列にマーティン校という僻地キャンパスがあったんだけど、語学学校はもちろんのこと、大学本科も含めて斡旋業者のターゲットになっており、これも大げさな表現をすれば、ハワイの団体旅行よろしく、メンフィスの空港に飛行機が着くと、「ようこそテネシーへ ○○留学会社」という「のぼり」をもったエージェントが出迎え、留学生を満載したバスがひたすらメンフィス空港からマーティン校まで往復していた、という噂があった。実際、キャンパスの周りには何もなく、というわけで、マーティン校に留学しているという日本人留学生が、週末になると当時自分が住んでいたナッシュビルまで何人も遠路はるばる遊びにきていたから、「本拠地」にはそれなりの人数がいたことは容易に想像がつく。話はすっかり逸れてしまったけれど、学校が日本人にはまったくなじみのない田舎にあったとしても、留学斡旋業者のターゲットになっていれば、へたをすれば数十人単位で日本人がいる可能性があるということだ。話はがらっと変わって、軍の大きな施設がある所には一見日本人にはなじみがない所でも日本人が多い。これは米軍人と結婚した女性が多数住んでいるからだ。たとえばカリフォルニアのサンディエゴ。東海岸ではバージニア州のノーフォークには大きな基地があり、市内でバスに乗ったら運転手が日本人女性でびっくりした、なんていう話を聞いたこともある。サンディエゴやノーフォーク以外にもそういった場所は何カ所かあると思われる。とまあ、思いつくままにつらつらと書いてみたけど、なにはともあれ最初に挙げたシアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ニューヨーク、ボストンの日本人の数は、それ以外の場所よりもダントツで日本人の「濃度」が高い。特にニューヨークは街自体が小さな範囲に圧縮されているので、観光客の多さもあいまって、日本人遭遇率はこれでもか、というくらいに高い。そして交換留学先や留学斡旋業者のターゲットになっている学校は、学校内での日本人の濃度が高いので要チェックだと思う。また、上位校なら上位校で、研究者や派遣留学生の人数がかなり多いことが多く、思ったより日本人の「濃度」が高かったりする。と、こんなところかなぁ・・・。
Nov 11, 2008
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結局、楽天ブログ自体とともに、「留学とは何なのか」シリーズも随分間があいてしまっているけど、そちらのほうはもうしばらくお待ち下さい(爆)。とりあえず今日は、「日本人避け気味留学」について書いてみたいと思う。留学先の選定条件の中に「日本人の少ないところ」という希望を入れている人が時たまいるわけだけど、たとえば語学留学などだったら、多少なりとも日本語環境から遠ざかっていたほうがいいだろうし、日本人コミュニティーがあったらあったで「余計な気を遣う」ことにもなりかねないわけで、そういった意味でも(せっかく日本から出るんだから?)日本人が少ない地域に「滞在」したい、という希望もわからんでもない。かたや日本人にとって有用な情報源がある、などという、日本人が周りにいたらいたで役に立つこともまた事実なわけだけど。さて、というわけで、もし自分がこれからアメリカに留学するとして、もし、日本人が少ない地域や学校を選びたいとしたらどう考えるかを書いてみる。当たり前だけど、アメリカは広く、留学先として考えられる学校や地域は数限りなくある。留学系のブログなどで、カリフォルニア州では・・・などと書いている人もいるけれど、とんでもない。カリフォルニア州の面積は日本と同じくらい広いんですぜ。というわけで、たとえ同じ州内でも千差万別、いわゆる日本人が多いという州や町でもぽっかり日本人空白地帯があったり、日本人が少ない学校もあるだろう。だからそのあたり、かなり大ざっぱ(つまり留学先がしぼりこまれたら、あとは直接その学校に当たるしかない)にならざるをえないということは書き添えておく。また、「どんな日本人を避けたいか」ということも考えてみて欲しい。アメリカにいる日本人といっても色々な人がいる。駐在員はもちろんのこと、日系人くずれ(へたをすれば不法状態になって長期滞在している人)、ミリ妻(米軍人と結婚してアメリカにいる女性)、語学学校でチャラチャラ遊んでいる遊学生、大学などで研究している研究者、某州に留学してすっかり宗教にはまってしまった人、日本では静かにしていたのにアメリカでは「日本の目」が届かないため、ハメを外している芸能人や富裕層のご子息ご息女、観光客、官僚、そしてもちろん留学生・・・あげていけばキリがない。留学生でも自費留学もいれば、交換留学生もいる。ただ、場所によっては「特定の人種」が「濃縮」されているケースもあるわけで、たとえば田舎町の研究型大学にいる日本人のほとんどは研究者、ということは容易に想像がつく。そういった意味で、たとえば一緒につるんで遊んでしまいそうなので、遊学生は避けたい、という場合は田舎の研究型大学であれば大丈夫ということになる。随分前置きが長くなってしまった。さて、まず避けるべきはハワイ・・・は言うまでもなく、シアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ボストン、ニューヨーク。これらの都市はとにかく日本人が多い。また州でいえば、カリフォルニアはかなり日本人が「浸透」している。先に書いたように、もちろん「空白地帯」はあるだろうけど。それから、いわゆる上位校は日本人が多い。UCなどは留学生も多いけど、それ以外の上位校は普通の留学生は少ないけれど、研究者、そして企業や公官庁からの派遣留学が多い。理由は言わずもがなである。それから当たり前だけど、日系企業が集中している所には日本人が多い。特に注目すべきは自動車メーカーの現地法人がある所。自動車メーカーがあるということは、たとえばタイヤ会社、パーツ会社、商社、運輸業者からはじまって、日本食材店から日本食レストランまで、そこからの受益企業も全てそこにあるということで、かなりまとまった人数の「日本人村」を形成する。自分もあまり正確には把握していないけど、たいていは、デトロイト周辺からずーっと南に辿っていったところに帯状に集中していて、たとえばトヨタはケンタッキー州ジョージタウン、インディアナ州プリンストン、アラバマ州ハンツビル、テキサス州サンアントニオ、ウェストバージニア州バッファロー、ミシシッピー州ツペロ、また、ミシガン大学のあるアナーバーには研究所を持っている。ホンダだったらアラバマ州リンカーン、さらにオハイオ州に数カ所、ノースカロライナ州にも数カ所、インディアナ州グリーンスバーグなどなど。ニッサンはミシシッピー州カントンの他、バンダービルド大学のあるテネシー州ナッシュビル近郊に北米本社があり、テネシー州内何カ所かに工場をもっている。そんなわけだから、たとえばケンタッキー州やインディアナ州、アラバマ州やオハイオ州、テネシー州などの、日本人にはなじみのなさそうな観光地などでもけっこうな確率で日本人に会ったりするが、これはたいていそれらの関係者だ。他にも自動車メーカーは色々あるし、上に挙げたメーカーも他にもカリフォルニアなどにも工場や営業所を持っているところもあるけれど、後は自分で調べてくれ(爆)。(つづく)
Nov 9, 2008
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閑話休題。「外国人の日本留学試験、中国語と韓国語でも出題へ」ここまで媚びを売らんでも・・・。ちなみに記事によると、「2008年6月の試験では、受験した1万9206人のうち、中国人が74%、韓国人が14%」だったんだそうだ。そこまでするんなら、授業も中国語でやったら?というのは言い過ぎ?まあ「地方私立大バブル」が急速にはじけると困るって面もあるんだろうな・・・。ちなみにこの論法が通るなら、将来的にはTOEFLを日本語で受けさせろ、とでも言いだしかねんな・・・。
Oct 26, 2008
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