冬の寒さから解放で数ヶ月前から石の部屋で昼寝と夜は必ず寝ている。
自分だけの空間
朝日がうつくしい東側に、家が建ち
写真が撮れない
立ちはだかる
障害
人生そんなもので
それでも、生きていけるわけで
そのむかつきも相手の立場で考えれば
こっちの都合でしかない
そんなたわいのない
念の飛ばしあいで
世の中のトラブルが発生するのだろう
今の私はそれを受け入れ
次のSTEPを目指す、向上心が生まれるだけで
特に相手に対しての感情もない。
そんな空間があり、よくよく考えれば
贅沢な話で
家を建てるときなにげなく
作った部屋で
数年前までは
ガラクタの物置で
石と出合い
思いっきり体感してみようと、おもったことと
自分ひとりになりたかったのだろう。
今思えば、相当ボロボロな夫婦関係だったから・・・
逃避ともいえたね
超わがままな
空間をつくり
ひたすら、買いまくる石のせいで
空間は石まみれになっていった。
途中、おれ、何やってんだ?
なんて、考えながら
何気に買いまくって行く途中
いろいろな特徴ある石が紛れ込んでいることに気付き
それがトライゴーニックだったね。
今や二部屋が石まみれになっていて
ベランダにも箱ごと置いてある。
はたまた、友人にも預かってもらい・・・
笑えます。
でも、とにかく
そのなんとも言えない
空間がいい
昔書いた表現なら
子宮のなか
守られた空間のような
どんな・学びの初期の葛藤まみれの自分であったとしても
石は今思えば、その存在意図・役目の慈悲・許しを
私の見せつけていたように思う。
そして自分を実験台のように
先端をすべて自分に向けたり
外向けたり
レーザーを自分向けたり
不安・恐怖を感じながらも
体験したんだ。
過去にその当時の友人に
そんなに石集めて悪いことがおこるよとか
言われたり
でも、あれから4年経って
そこから先悪いことが起こっても
それは、自己責任でOKな話で
その起こるルーツを知っていればいいだけの話で
流れを受け入れ
今に至り
今思えば、クンダリーり症候群になってみたり
不安定さを体感しながらも
時間とともに癒され
結局は自分自身の過去の清算の時だったように
思う。
自己体験がすべてで
誰かの何々は…参考でしかないね。
ふに落とすことはできないね。
今を受け入れるしかなく
そこからどうするか
考え
他人に依存するのではなく
自己を掘り下げ
今に感謝できるようになるまで
時間とお金を費やすも
それは
そのままで比較と洗脳と苦しさと不安と恐怖の中で
苦しみながら死ぬまで生きるよりは
はるかに生きることが楽しく・HAPPYになっている
今を思えば
無駄ではなかったと思う。
とことん自己を掘り下げる
そんなときに、石っていいなと今はつくづく思うよ。
依存する時期は、おもっいっきり依存して
その先に、腑に落ちるタイミングがやってきて
一つの問題が消えていく
それぞれの人にそれぞれのタイミングと時間が必要であるが
その時には、誰との比較もなく
自分は自分という確固たる自分が存在して
年齢も関係なくあせらずにいられる状態にも
なっているよ。
人は人、おれはおれ。
たぶん、少なくともよく眠れて
さくっと朝起きて
相手の立場で客観的に物事をみることができることが
必要なようで
今はもうすでに
自分から飛ばしたものは
付き添いの人たちも
守ることはできない状態で
ただひたすら
自分に返る
言い換えれば
本当の自分でありたいのに
付き添いのやつらのせいで
生きられなかったとすれば
そいつらの魔力とやらは無くなって
ほんとの自分でいきられるよ
そんな、変化があるように思う
低レベルの変な能力があった人はなくなり
たぶん、キツネ、タヌキ、・・・・・とつながっていたひとは・・
そして
能力がなかった人が突然9次元とつながれたりね。
そんな今なんじゃないかな・・・・・
個人的には、思うことを思うように表現できるよ。
今の段階で。
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