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 「今日一日生きて」
・1、3、金
確かに後期ロマン派から近代、そして現代へと音楽は綺麗なメロディーを失って行った。
それらは専門家の中で今称賛されたとしても、おそらく時代の壁を超えることはできないだろう。
それは武田氏が言うように音楽家が貴族に召し抱えられなくなった、パトロンに養われなくなったなどの理由が関係するかもしれない。
しかしもっと大きな理由は、音楽家が学校機関で称賛される音楽というものが、聴いて素晴らしい、人の心に染み入る、などという点はどうでもよくて、楽曲的にどれだけ優れているか、紙の上でのテクニックがどれほど優れているかを問われるからではないか。
おそらくそれは教科書にどれほど忠実に、間違いを犯さず作曲出来ているか、という視点なのだろう。
それがいつの間にか世間の作曲形態になってしまったのではと、僕は推察するのである。
要するに現在のクラシック音楽は、従来ヨーロッパの世間の娯楽から、専門家に褒められ、賞をもらうためのものに変化してしまったということではないか。

学校という機関がその芽を摘んで回っている結果になっている懸念もある。
楽器のためでも、歌のためでも、作曲家の中に豊かな歌心がなくてはならない。
複雑なシンフォニーを生み出すにしても、それがなければただの音符遊びになってしまう。
作曲家の中にその歌心が育つためには、それだけの環境が必要である。
何も歌に満ちたヨーロッパでなくても、昔は日本にもその環境はあったのではないか
。
山田耕筰があれほど次々溢れ出るメロディーを内に持っていたのだ。
何においても、クラシック音楽が娯楽ではなくなり、我々の生活に密着することなく、勉強の道具となった現在、美しいメロディーは誰にも生み出すことはできないのだ。
そこには「食べるために曲を書く」という切羽詰まったものが必要なのかもしれない
。
今は食べるために作曲する者はほんの一握りで、ほとんどは教えることで食べている

それが美しいメロディーの生まれない原因ではと僕は思うのである。
歌いながらうっとりするような現代の日本歌曲やドイツ歌曲に出会いたい。

ーーーーーーー
美しい音と世界・・・クラシック小品3曲






先回、日本の歌を3つ上げたが、ヨーロッパで大きく花開いたいわゆる「クラシック

は間違いない。

音楽好きな私は歌謡曲、日本の歌、シャンソン、ジャズ・・・なんでもOKだが、や
はり音楽性という点ではクラシックは人間の作品のうち、特に優れているように思う
。その中でも比較的、軽い3曲を選んでみた。

まず、ベートーベンのピアノソナタ「月光」だ。緩やかな三連符で始まるこのソナタ
の第一楽章を聞いていると、木材で作られた部屋の中からガラスがはめられていない
天井付近の小さな窓から月の光がこぼれてくる錯覚にとらわれる。

曲自体は後半にかけて激しい調子に代わっていくけれど、「この曲に感激しなくなっ
たら自分の感性も終わりだな」と思うことがある。

2番目はショパンの「幻想即興曲」。この曲を最初に聞いた時の驚き、それは今から
すでに50年ほど前になるけれど、心の底からびっくりした。なんという美しい曲か
!なんという躍動感と寂しさだろう!

今ではやや複雑な気持ちで聞く。ショパンの音楽というのはやはり退廃したヨーロッ
パの味がする。貴族的退廃が悪いわけではないが、骨太の農民の歌と比べると、一面
的な美しさだけのようにも感じられるからだ。

芸術は「お金持ち」がいなければならないから、現在でいうところの「搾取」がない
となかなか芸術が育たないというところが難しいが、パリに比べてお金持ちの貴族と
中世さながらの農奴が混在していたロシアでは、また独特のクラシックが生まれてい
る。

その旗手がチャイコフスキーだが、彼の音楽は私は実に奇妙だと思うことがある。重
厚なメロディーが続いたと思ったら突如として軽く美しいリズムが刻まれる。その中
でもバレエ組曲「くるみ割り人形」の「花のワルツ」ほど美しくおとぎ話そのものの
メロディーはないと私は思う。
(花のワルツのアドレス)

http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%81%8F%E3%82%8B%E3%81%BF%E5%89%B
2%E3%82%8A%E4%BA%BA%E5%BD%A2&tid=29ecf474a0ce4bfe1ebcc30eac8b4fc2&ei=UTF-8&r
kf=2&st=youtube

この世に妖精の舞う天国があるとしたらこんな音楽が流れているのではないかと思う
ほどで、高校の頃、この曲をレコードで聞いた時の驚きを今でも覚えている。

美しい曲はそれだけで十分なのだが、なぜ20世紀になって「美しいクラシック曲」
が作曲されなくなったのか、時々不思議に思う。音楽は作り手(作曲家)と聴き手が
いないと成り立たないから、ベートーベンがいなくなったのか、それとも聴衆となっ
ていた貴族がいないのか、それとも電子機器の発達で演奏会に行かなくても手軽に音
楽を聴くことができるようになったからなのか、いつも考え込んでしまう。

すでに「月光」、「幻想即興曲」、そして「花のワルツ」を聞いて感激する人がいな
くなったとも思えない。当時でもいわゆる歌謡曲やポップスのたぐいの俗曲はあった
のだし、現在の私たちは当時の貴族とそれほど生活が違うわけでもない。

私は今、現代に作曲される曲で「一人の男性が歌う歌」を聞いたことがないぐらいだ
。かつてのテノールのディスカウ、シャンソンのシナトラ、プレスリーに相当する歌
手はいるように思うが、5人ぐらいの団体でダンスを伴わないと流行しない社会にな
っている。その理由はまたゆっくり正月にでも考えることにしたい。

(平成25年12月23日)


武田邦彦






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最終更新日  2014.01.04 09:08:39
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