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先日、小沢一郎氏の人物像を表す言葉として
「忖度(そんたく)させる」という表現がありました。
「忖度」とは、他人の心をおしはかることで、
「相手の真意を忖度する」などと使うようです。
小沢氏の場合は、「忖度 させる 」です。
さて、世はお受験シーズン本番突入となり、
わが娘の通う学校の入学願書配付も始まりました。
不景気の影響か、(学費の安いこの学校は)例年以上の人気ぶりだそうです。
そして、娘の学年に対しても、来年小学校に進学するということで
内部生対象の進学説明会がありました。
経営がかかっている私学と違って、
国立というところは、どーーーーーも言葉が足りないというか、
志願者に対する学校側の「説明」が不足しているように思うのです。
営業努力(サービス?)に欠けるというか、痒いところに手が届かないんですね。
そこで保護者がどのような反応をするかというと、
まさしく「忖度」なんですねぇ。
学校側がもったいぶっているのか、格(ブランド力?orプライド?)を保とうと
しているのか分からないのですが、
学校側の言葉少ない説明に対して、保護者はあまり率直に、または具体的に
質問してはいけない、、、という雰囲気が漂い(質問しても、その回答がやはり
言葉不足)、保護者は一生懸命、先生の言わんとするところを推測し始めるわけです。
そして、学校側がそこまで求めているかどうか分からないけれど、
「こういう時はこうあるべきだ」という答えを自らが導き出して対応するのです。
そして、その輪が保護者全体に波及し、学校全体の雰囲気を作り出していくのです。
その雰囲気に合わない行動パターンをすると、「風変わり」ということになるんですね。
もちろん、礼儀をわきまえる必要はあると思うのですが、
紺・黒系に偏らなくてもいいじゃないですか。
入学願書の家族構成欄の隣りにある「備考欄」。
学校側は「何かお伝えしたいことがあればご記入ください」とだけ言う。
別に「会社名」「役職名」「出身校」を書けとは言っていない。
でも、なぜか、そのようなことで埋め尽くされる。
それに対して学校側も何かを言うわけではないので、
その「雰囲気」が連綿と続くんですねぇ。。
忖度させる学校側と忖度する保護者。
地図も無しに山の両側からトンネルを掘っていって、
うまく中で合流できればいいけれど、
穴が逸れてしまったら、「そこに行くとは言っていない」と言われたら
どうするんでしょうね。
でも、保護者は、「ぜったい合流します」と信じて進むんでしょう。