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長崎の小学校6年生の女子児童が同級生をカッターナイフで斬殺しました。(メディアでは刺殺と書かれていますが、状況からは「刺し殺した」のではなく「切り殺した」としか思えません。)
この事件が起こった翌日の朝のニュースで「心理学者」を名乗る者がこうコメントしていました。
「これは間違いなく突発的な犯行ですね。凶器にカッターナイフを用いている点を考えてもそうですし、なにより小学6年生の女子児童が大人と同じような『殺意』を持っているはずがありません。」
私はこのコメントを聞き、 『コイツは本当に「心理学者」なのか?!』
とビックリしました。
この人のコメントは、大好きな女の子を現実以上に美化してしまっている無垢な少年が
「あの女の子はウンチなんてしないんだ!」
と言っているのと大差ありません。
とりあえずこの人には「心理学者」を名乗る資格はありません。今すぐに看板を降ろしていただきたい。強くそう思いました。
私は世間が騒ぐほど、この事件に対する驚きはありません。
もちろんこれが2歳児の犯行だったとしたら、それは私も驚いたでしょう。しかし今回の加害者は小学生です。
子供の成長にはかなりの個人差があります。私の考えでは、早熟な子であれば小学校に入るような歳で、すでに自我を持っていてもおかしくはないと考えています。つまり、その時点で大人と同等の『殺意』をおぼえることも当然なことであると考えます。
むしろ私が驚いたのは、加害女児の「決意の固さ」です。
いくら殺意が芽生えたところで、実際の殺害に至るまでにはいくつものハードルがあります。よくメディアでは 「虚構と現実の区別がつかなくなって…」
などといわれたりしますが、「現実の重さ」というのはそんなにやわなものではありません。
殺害対象は同じ人間です。しかも今回の場合は同級生・友達です。触れば肌は柔らかいし、切れば悲鳴もあげるでしょう。流れ出た血は生暖かったはずです。
こうやって文章になっているものを読むだけでも気分が悪くなる人だって多いでしょう。それが「現実の重さ」なのです。人間はそんなに簡単に現実を乗り越えることはできません。
これを乗り越えるには、確固たる「意思の強さ」「決意の固さ」が必要です。加害女児はこういった「現実の重さ」を体験をしても、少しの動揺もみせずに殺害を実行しました。(もちろん心の中まではわかりませんが、少なくとも報道されている彼女の行動からは動揺らしきものは読み取れませんでした)
加害女児がここまでの決意を固めたのにはそれなりの理由があるはずです。現在報道されている情報から推測する限り、その理由は彼女のホームページに関係があるように思えます。
加害女児は自分のホームページを持っており、そのページには自作の詩などが多数公開されていたようです。その詩はどれも大人びた視点から書かれていて、加害女児の自我が他の同級生と比べて発達していたことを窺わせます。彼女にとってこの自分のホームページこそが自分の内面をさらけ出せる大切な場所だったのではないのでしょうか。
人は本当の自分をさらけ出せる大切な場所-その人にとっての聖域-、を他人に踏みにじられたり、破壊されそうになれば全力でそれを守ろうとするものです。
「大切な家庭が壊されそうになり、それを阻止するために殺人を犯してしまった」
そう考えれば、それほど不思議な事件ではないような気がします。
ここから先は完全な私の推測ですが、おそらく加害女児は被害女児に対して、何度も警告を発していたのではないでしょうか。
『これ以上、私の大切な場所を壊さないで。でないと大変なことになる…』
こういったサインに被害女児は気づけなかったのではないかと思います。
もちろんこのことに対して被害女児を責めているわけではありません。しかし、そういったことに気づいていれば殺人にまでは発展しなかったのではないかと思うと、少し悲しい気持ちになります。
- 一人の小学校6年生の命が消えてしまったことに対して -ご冥福をお祈りいたします。