『はたらけど はたらけど 猶わが生活 楽にならざり ぢっと手を見る』
先日、ふと何故か私の脳裏に石川啄木の有名な歌が浮かんだ
いったい啄木がどんな生活をしていた故に綴った歌なのか、彼の人生について興味が湧いたのでネットで調べてみた。
何となく最初に開いたHPには、HP管理人の言葉と共に彼の生き方について簡潔に書かれており、それを読んで少なからず私は衝撃を受けた。
「啄木は妻との結婚式前に行方を眩ました挙句に式をすっぽかし、友人の金田一京助などには金を借り、母と妻子を置いて家を出て・・・・云々。
ぢっと手を見てるヒマがあったら、仕事しろよ」
と。
は?いったいどんな人間なんだ、石川啄木
私の心は、彼の人生に対して興味が増す一方だった・・・
そのHPを見る限り彼はとんだ無責任男に思えるし・・・
「ぢっと手なんか見てないで、現実を見ろよ~」
と、正に私もツッコミたくもなる。
でも誰でも人間には多面性があるし、他人が他人のある一面を取り上げて判断するのは良くある事だ。
他人の一部を都合良く解釈して批評したり、過剰に高評価を下したり、勝手な思い込みや依存心などから相手を英雄化したり、人間って何て利己的で私的感情に囚われた生き物なんだろうか。
さて、そんな石川啄木の人生について知りたいと、今度は彼の生き様をかなり詳細に紹介しているHPを探し出した
★ 啄木勉強ノート
★
そして彼がどのように生きていたのか、彼を取り巻く人間模様や彼の日記や作品などから、それは紐解いたかのように垣間見えてきた。
だが、 啄木の生きた時代は「亭主が大黒柱となり家族を養う」という観念が日本男子に定説のように継がれていたのでは
と思う。
結婚してからも猶そのプレッシャーと現実に押し潰されそうになり、 歌人「石川啄木」として追い求める己の道を現実社会の中で苦悩しながら、それでも己の魂の導かれるままに生き抜いた人
だったのではないかと思った。
結婚前も結婚後も彼なりに何とか生活費を稼ぎながら文を綴る事も諦めず、翻訳業や自ら編集者として文芸誌を刊行したり、小学校の代用教員や新聞社の社員として職に就いたり・・・。
確かに、家庭を築いて守ってゆく責任と強さには欠けた面もあったように思うが、彼を金銭的や生活面を助けた友人・金田一京助や親友の宮崎郁雨、そして彼の執筆活動を支えるように出逢った人々との深い繋がりにも恵まれ・・・彼は彼なりに一生懸命に生きた人生だったのではないか
と、生意気にも私はそう感じた
享年27歳という短い人生だったが、彼が望む通りに歌人としての功績と名誉を後世にも受け継がれている現実、これこそひとりの人間としての素晴らしい生き方だと学んだ気がした
『 過ぎ行けど過ぎ行けど 猶わが苦しみ楽にならざり ぢっと足元を見る
』
これは、啄木の歌をモジって浮かんだ私の言葉だ。
時は経てども、幼い時分に刻まれた心の深い傷はいつまでも己を苦しめる。
その観念に囚われてばかりいたら、ますます己が己をも苦しめて悪循環の闇に追い込んでしまう。
主観的な想いに執着せず、客観的に己の生きてきた足元を冷静に見つめる事が大切だ。
そして気付く、己の身を守るが為に見ようとして来なかった大切な事。感謝の想い。
私は本当に未熟な人間だが、時にはこうして冷静に自分自身の現実を振り返ることを忘れずにいたいと思う。
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