だーれんの中国帰国日記~ちゃいなりぃ~

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貴州の旅物語第4弾

http://plaza.rakuten.co.jp/chinary/diary/200407230000/
※ひとつ前回から読まれたい方は、こちら↓からお願い致します。
http://plaza.rakuten.co.jp/chinary/diary/200407170000/

(17日の続き)
「もしもし、だーれん、いや童童ですけど……」

はじめて暴露するが(というほどのことでもないか 笑)、中国語チャットQQでの私のハンドルネームは「童童」(トントン)。中国人には名前の由来をよく聞かれるけど、日本人ならすぐに思い浮かぶかも? 上野動物園で1986年6月1日に誕生したパンダの名前である。85年6月27日に日本で初めて「初初(チュチュ)」が誕生したがわずか3日で死んでしまった。そのため、童童が日本で生まれ育った実質初めてのパンダと言える。

私の実家は東京の上野だということもあってパンダには小さいときから親しみがある。さらに、当時小学生だった私は童童の誕生に、大きな感動を覚えたのだった。名前が公募されたときにももちろん一票を投じた。一生懸命考えた挙句、結局何という名前を応募したのかは覚えてないけど……。

当初、私がこの童童をハンドルネームにつけた際には、童童は上野から北京に嫁いで里帰り(1992年11月13日=私の初訪中も同じ年)を果たしたと思っていた。それで、私の日中友好の思いを重ねるつもりで、この名前をつけたのだった。けれど後日、嫁いだのは実際には童童ではなくその後に生まれた悠悠(ゆうゆう)だったことが判明。でも、それでも日中の橋渡しをする「パンダ大使」ということで、この「童童」を使っている次第。

さて話を戻して。

恐る恐るそう言ったら、「あー、今どこにいるの?!」
弾んだ声が返ってきて安心した。朝、電話したときにはお母さんが出て不在だったが、電話があったことを伝えてくれたらしく、すぐに話がつながった。

それで、貴陽から彼女の住む町・安順にいくバス停(体育館チケット売り場)を教えてもらい、いざレッツゴー。

途中、手持ちのお金が500元ほどだったので、念のためと思い2万円を元に両替。それからタクシーでバス停へ。

バスはどんなおんぼろかと思っていたら、予想を覆す豪華車両だった。15元の切符を買って乗り込むと既に満席に近い。空いているに席を見つけて座る。と、しばらくして車掌に怒られた。チケットに座席番号が書かれていたのだ。番号を無視して座る「中国式」(という勝手な思い=先入観)が馴染んでいるところに頭をガツンとやられた感じ(以前、観光地でチケットを買う際に、中国人に 「ちゃんと並んでもらえますか?」と怒られた際の衝撃に似ている )。

さて、バスは都市部を抜けるとひたすら農村を走る。これでもか、これでもかという農村地帯。道も舗装されているのに、でこぼこ道で、お尻が何度も宙に飛んだ。98年に大学の校外実習で、「希望工程」(貧困地帯の子供たちに義務教育を受けさせるための支援プロジェクト)参加のため、江西省の井岡山(毛沢東の革命根拠地として有名)を訪れたときもこんなだったなと思い出す。

いずれにしても、目指す先に待っている人がいなければちょっと躊躇してしまうところである。今回の待ち人は、まだ会ったことのないネット上の友人だったのだが、これまでのやりとりから既に不安よりも期待感が強まっていた。

ブルルル……。バスがこれまでの田舎町から、ちょっと都会めいた所に出てきたあたりで携帯電話がなった。その彼女からだった。「まだ、着かない?」「まだだよ。もうすぐ.....きっと。」初めて行くところだ。何の根拠もないが、バスに乗って1時間半、町並みからいってもそろそろ着くはずだった。

それから15分ほどしてバスはターミナルに滑り込んだ。想像していたほどの田舎ではない。バス停の前には農業銀行の立派なビルディングがそびえ立っていた。ブルルル……。再び電話が鳴った。「どこどこ? 何色の洋服?」すでにバスが到着したことを分かっていたのだった。「緑のTシャツ、農業銀行のほうに向かって歩いているんだけど……、どこどこ、、、、あ! はい、はい!」とうわけで初対面。

小学生のように小さな子だった。そういえば身長は148センチだと前に言ってったけ? そして隣にはさわやかな青年が立っていた。「にいはお! にいはお!」二人とも如何にも素朴で、純粋で、やさしい人柄がにじみ出てくる笑顔だった。



初めて会ったのに、旧友と再会したような気持ちで、誘われるままにタクシーに乗り込む。彼が助手席に、私と彼女は後方部。3分ほどで目的地に着いたようだ。タクシーのお金を用意するまもなく、私が払おうとした時にはすでに彼が払っていた。3元だった(北京では初乗り10元)。

着いたところは、またバス停。ここからまたバスに乗って1時間弱、また別の田園地帯へと走っていった。今度のバスは先ほどからはだいぶグレードは落ちて、まあ、これぞ田舎のバス的乗り物だった。

窓から見える景色はどこを見回しても山、山、山、山。そして、畑、田んぼが広がっている。だが、その途中大きな工場がいくつか。中医薬の工場と、飛行機工場だった。どちらも、この町を支えている大きな産業だった。

私の友達のお姉さんはこの薬工場に勤めていた。そして、お兄さんと迎えに来てくれた彼は、この飛行機工場のひとつで働いていた。ネット友達の彼女はこの飛行機工場の子弟が通う小学校でこの9月から働くことが決まっている。

えっ、彼女のうちは一人っ子政策なのに3人兄弟で


さて、でこぼこ道を大いに含む1時間弱の農村道を走った頃、いわゆる集団団地が見えてきた。そこが彼女たちの住む地域だった。彼女が盛んにいう「わたしの『廠(しょう)』」がそのときは聞き取れなかったのだが、後で分かったのは、『廠(しょう)』は飛行機工場のことを指していたのだった。言わば、日本でいう豊田市の如く(規模はまるで違うが)、飛行機工場の城下町ということである。

バスを降りる。はてどんな田舎に着くのかと一時期は期待と不安が入り混じっていたけれど、着いてみると、こざっぱりとしていて意外と普通な田舎の団地だった。

「あの山、何ていうの?」「名前? ないよ」
かの地には山が多すぎて名前などないのだった。「不便じゃないの?」彼女にはその質問の意図もよく分からなかったようだ。生活者には長年の知恵があるということを4日の滞在の間に徐々に理解していくことになる。

はじめに連れて行かれたところは、彼女のお姉さんのお家。「ここに泊まってね!」「えっ? いいの?」前にやりとりしていたときには、彼女の家は「狭いんだー」と言っていたので、「そんなー、いいよ、いいよ。そばの宿に泊まるよ」と言
っていたのだが。綺麗な一室を用意して頂いた。

後で分かったことだが、このお姉さんというは前述の通り薬工場で働いているのだが、週のうち6日は工場の寮に泊り込んでいるだった。通っても40分ほどの道のりなのだが、夕方6時に仕事が終わったときにはすでに交通の便がないとのことだった。そして、そのお姉さんは今年28歳、すでに結婚しているが旦那さんはシンガポールに駐在しているとのこと。さらに3歳になる子供は親戚のうちで預かってもらっているのだった。

そんなわけで、今日から4日間、主がいないそのお宅の一室を幸いにも使わせて頂くことになった。家族生活の始まりである。

ということで、今回のお話はここまで。(つづく)





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最終更新日  2004年07月28日 01時11分16秒
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