ちゃいにーずティー

ちゃいにーずティー

大学時代に築いた私の看護観



特に、1年目はドイツ語、法学、社会学、統計学など看護学とあまり関係のない教養科目を多く選択しなければならず(まあ、ドイツ語は医学用語とは関連はあるかもしれないが、その頃の私には、関連性さえ見出せなかった)、1年目はひどく無駄な1年に思えた記憶がある。
1年目に取った看護関連の学科といえば、解剖・生理学、微生物学、くらいではなかっただろうか。

授業に身が入らず、おのずと出席率も下がっていったが、一夜づけが得意な私は、試験前のみ勉強する短期集中型(聞こえはいいが、ただのサボリ…ね)で、単位を一つも落とすことなく、2年目に突入した。

2年目からは、少しずつ実習が入ってきた。
実習は、一人の患者さんを長期間受持ち、その間にヘンダーソンの看護理論を使ってアセスメントし、看護計画を立てるとともに、1日の行動計画、レポート、そして教授とのミーティングなどなど、忙しさ極みなかったが、苦痛に思うどころか、楽しんでいる自分がいた。

「これだ、私がしたかったのは」

-患者さんを看護する中で、人として、看護者自身も成長していく-

実習を通して、自分の看護観も芽生えて行った。
私は、看護者はプロであると共に、人間らしさを忘れてはいけないと思っている。実習中、よく患者さんの死を日常茶飯事で何事もなかったかのように、死後処置を無表情で淡々とこなすナースを見かけたが、私はそれを見て、少し寂しいと思った。
確かにいちいち一人一人の患者さんの病状に一喜一憂していては、体がもたないかも知れないが、人の人生最期の時間に感傷的になって、何がいけないのか。

私は、人間らしいナースになりたいとそれらの実習を通して強く思ったのだった。

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