パニック障害と鬱とPTSDの治療を続けるとほほな毎日

パニック障害と鬱とPTSDの治療を続けるとほほな毎日

PR

×

フリーページ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

ちーぱんさん

ちーぱんさん

お気に入りブログ

マッキーの部屋 マッキー4603さん
昼寝の寝言 しっぽ2さん
くまぽぷの部屋 くまぽぷさん
猫日記「タマとベイ」 よこたまべいさん
nekoフォトログ ミ… シュメイナスさん

コメント新着

みんな集まって♪@ みんな集まって♪ みんな集まって♪みんな集まって♪みんな集…
みんな集まって♪@ みんな集まって♪ みんな集まって♪みんな集まって♪みんな集…
すぐに遊べるゲーム@ すぐに遊べるゲーム すぐに遊べるゲームすぐに遊べるゲームす…
すぐに遊べるゲーム@ すぐに遊べるゲーム すぐに遊べるゲームすぐに遊べるゲームす…
あなたにピッタリ@ あなたにピッタリ あなたにピッタリあなたにピッタリあなた…
あなたにピッタリ@ あなたにピッタリ あなたにピッタリあなたにピッタリあなた…
イカセてほしい@ イカセてほしい イカセてほしいイカセてほしいイカセてほ…
イカセてほしい@ イカセてほしい イカセてほしいイカセてほしいイカセてほ…
大胆過激な@ 大胆過激な 大胆過激な大胆過激な大胆過激な大胆過激…
大胆過激な@ 大胆過激な 大胆過激な大胆過激な大胆過激な大胆過激…
2005年11月21日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
入院(手術)したら、泊りがけで遊びに行くなんて早々できなくなるから・・・と、半ば無理矢理日程を切って遊びに行った友人の家で、ほぼ徹夜で話しこみました。この6年間のことを。

彼女は、サッカーの応援仲間です。
川崎フロンターレが出来て、来年10周年。
最初はバラバラに応援していた人たちが、当時はまだ少なかったゴール裏に次第に集まって、旗を振ったり声を出したりして応援し出して付き合いが始まりそれから6年。もう6年になるんですね。チーム結成(前身は富士通川崎ですが)より長い間、みんなと一緒だったことになります。
アウェイには、みんなで車を融通しあって乗りあって出かけ、または電車や、飛行機で行ってレンタカーに乗り合い、フロンターレを追い掛け回しながら、友人としての親交も深まっていきました。

私が、前夫とのことで段々壊れて行って病気になった時も、彼らは何かあったら飛んできてくれる心強い味方でした。
今回の友人は、前夫と一緒にいるだけで発作が止まらなくなってしまうという、もうギリギリのところまで来たとき、
「とりあえず、家においで」
と言って、夫婦で迎えに来てくれた友人です。


実家へ帰ったら、もう「離婚」しか選択肢がないと思い、ふんぎりがつかなかったのです。

でも妹夫婦の家に(家賃を入れているとはいえ)そうそうお世話になっているという訳にもいかず、週末毎に友人の家にお世話になり続ける訳にもいかず、同じ市内にアパートを借りて移り住む事にしました。
仕事を探し、アパートを探して契約まで済ませて・・・、
そこで今のダンナから「待った」がかかりました(今ダンナも応援仲間でした。勿論この段階では「タダの友人」。お互い後に結婚するなんて、露程も思っていませんでした)。

「いいから一回実家へ帰りなさい。」

彼は強固にそう言い張りました。「実家で療養しろ。」と。
アパートを借りると決めた段階で、「前ダンナとやり直すのはもう無理だな」と思っていたので、離婚の覚悟はもうできていましたが、私を支えてくれる友人達から離れることが何より不安でした。
親より今の自分の立場を理解してくれ、支えてくれる友人達の近くにいたかった。

けれど結局、説得に折れて実家に帰ることにしました。
それから2年半。競技場から遠ざかることになります。

離婚が成立し、実家で療養していて体調が少しよくなったので、働きに出た派遣先で、向かいに座っていたのがボーダー(境界型人格障害)の人だったんです。

昨日と今日でいう事が違う。ヘタをすると10分前と今では指示が違うのです。出来上がった仕事が、彼女の言う通りになるはずがありませんでした。
「なぜ?なぜ上手くいかないの?」
と思いながら、契約延長、延長で半年も頑張ってしまいました。

その間に薬はどんどん増え、もうこれ以上は増やせないという所まで来て、これ以上の契約延長はしない、と断り職場を後にした帰り、派遣会社から
「あの職場は、アルバイトも派遣も1ヶ月も続かないことで有名な職場で、あなたが契約延長してくれるものだからだまっていたけれど、問題アリの女性がいてね・・・。」

「・・・、先に言ってくれっ!!」
と思ったけれども後のまつり。私の負けず嫌いな性格が私を更に追い込んでしまったのでした。

もう働く事はできませんでした。
ほぼ引きこもり状態に陥って、部屋から外に出るのも難しくなっていました。
離婚のとき引き取ったネコと8畳の部屋で過す毎日。
そんな中、何気ない言葉でメールくれ、励まし続けてくれたのが今のダンナです。
こんな最悪な状態の中で、彼は私を選び、家族に紹介し、結婚を決意してくれました。

「一緒にやっていけるか、半年試してみろ」

という父の言葉で、半年間一緒に住んでやっていけるかどうかお互い考え、病気で殆ど出かけることもできない状態だった段階で、結婚を決断、入籍し、抽選で当たった公団住宅へ引っ越しました。

それから2年かけて少しずつ治療を続け、何とか近場の外出はできるようになり、通院ならできるようになり、今年の春からサッカーの競技場へ戻りました。最初は「音」にやられて、すぐに救護室行きでしたが、「耳栓」という武器を得て、ゴール裏ではないけれど、昔からの仲間と試合観戦再開することができるようになりました。
それでも、試合中1度は具合が悪くなって席をはずす・・・、ということが続いていたのです。

それがここ一ヶ月で劇的に良くなった。
これはウソ偽りのない事実です。
それを喜んで、何がいけないんでしょう。
良くなったキッカケを、同じ病気で苦しんでいる人に自分のブログで紹介して、何がいけないんでしょう?
わざわざ他の人のブログへ行って、押し売りしたわけでも何でもありません。

一昨日、昨日、今日と、もう異常としか思えない勢いで書き込まれた方がいたので、その方の書き込みは削除させて頂きました。

基本的に、猥褻な書き込み、まったく関係の無い書き込み以外は削除しない方針でしたが、やむなく「削除」しました。
その書き込みをお読みになった方も既にいらっしゃると思います。
私のブログでの書き込みを信じるか、削除した方の言い分を信じるかはみなさんの判断にお任せします。

まぁ、私がタダの「嘘つき」で「傲慢な性格」と思われたなら、もう私のブログには来て頂けないと思うので、それが「答え」になると思いますが・・・。

昨日、友人と語り合った中で

「6年間、病気をしてみんなに心配かけて、手助けしてもらって、どうしてそこまでして貰えるのかと思う」

という話になったとき、

「それは、ちーぱんがそんな細かい事、気にならないというような存在だったからだよ」

といわれました。
いろいろありすぎた6年間だったけど、変わらずい続けた事で、また受け入れてもらえたのかな、とちょっと思いました。
素敵な友人達とめぐり合えて、私は幸せモノだと思います。
ありがとう、ありがとう。そしてこれからも、よろしくね。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2005年11月21日 12時52分19秒
コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: