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2006年03月29日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
大人になってから飼ったネコで「チャリ」というネコがいました。
実家の庭に迷い込んできた捨て猫で、猛烈アピールの末、見事「家ネコの座」をゲットしたネコです。家に迷ってきた時、首に「チャリチャリ」と音のする鈴をつけていたので「ちゃり」という名前になりました。

チャリは虚勢手術も済んでいるオスでしたが、何せブ男で、オマケにガニ股なネコでした。「にゃぉう」という泣き声も可愛いというにはちょっと程遠い位置にいました。
でも甘えん坊には「程があるだろう」という程で、当時4匹いた家ネコのうち、ボス格のママちゃんをさしおいても、母きみちゃんに突撃していって甘え、ママちゃんになぎ倒される毎日をすごしていました。

そのうち私は結婚して、実家を離れました。

ある日、某大手カメラメーカーでの派遣勤務が終わって帰ってくると、母から留守電が入っていました。
「お母さんだけど、連絡ちょうだい。」
とだけ入っていました。
すぐに電話をすると、母は

と切り出しました。

チャリがえさを全然食べなくなってしまったので、獣医さんに見せたのだそうです。チャリは抵抗するでもなく、素直にゲージに入り、母はカートにゲージをくくりつけて、ゴロゴロひきずりながらチャリを獣医さんに診せに行きました。

「心拍音がおかしい」

獣医さんはちゃりを一通り診てそういったそうです。
そこの機器では詳しい事はわからないので、一旦入院させ、獣医さんが別のもっと設備の整った獣医さんのところにみせにいくことになったそうです。で、その結果が分かった、と。

「先天性の心疾患らしいの。どうしようもないんですって。」

家に来て2年、推定3歳のネコでした。
ガニ股で歩くのも、「にゃおう」と泣き方が変だったのも、実は心臓がきちんと機能していなくて常に苦しかったからなのだ、ということがわかりました。

「チャリはどうなるの?」

母は、「どうすることもできないの。」といいました。
普通のキャットフードはもう食べられる状態ではないので、エサはチャリだけ鳥のササミを茹でて食べやすい大きさに割いた「きみちゃん特製チャリ用エサ」になりました。


「チャリのね、生命力がいつまで続くかなんですって。遠いけど時々会いに来てやってくれないかしら。」

母は続けてそういいました。

その話を聞いてから、私はちょくちょく実家に帰るようになりました。チャリは行く度に私を歓迎してくれましたが、歩き方がさらにガニ股になり、泣き声がかすれて来、しっぽの振りが鈍くなり、毛艶も悪くなって、明らかに弱って行っているのがわかりました。
それでもチャリは、母に甘えることを忘れません。
必死で母の後を追い、母に甘えママちゃんに撃退されていました。



ある日、会社に出勤して仕事をしていて、何だかとても胸騒ぎがしてならない時がありました。とにかくチャリが気になります。「実家に帰らなくては!」と思います。
私は、開発センター長のところへ行って、
「祖母が風邪を引いてしまって、病院に連れて行くのに車を出さないといけないので、午前中で早退させて欲しい。」
とウソを言い、会社を早退してそのまま実家へ帰りました。

実家に帰ると、ピアノの奥の薄暗いところに設えたチャリ用の寝床で、チャリは息も絶え絶えになりながら横たわっていました。母は、

「今朝から急に、立ち上がる事も出来なくなって・・・。」

といいました。そして、「連絡はしなかったけれど、実は数日前から殆どエサも口に出来なくなっていた。」といいました。

「チャリ」

そう呼ぶと、チャリはうっすらと目を開け、少しだけシッポを動かしました。そっとなでると「にゃおう」と微かに鳴きました。
でももう大好きな母の元へ甘えに行く事は、出来なくなっていました。

母と一緒に、ちょっと酸っぱいコーヒーを飲みながら、ここ数日のチャリの様子を聞きました。
母は、本当に献身的にチャリの面倒をみてきたのだなということがわかりました。それ位事細かにチャリの様子が語られたのです。まるでその場に私もいたかのような錯覚に陥りました。

時々様子を見に行くと、チャリはそのたびにうっすらと目を開け、少しだけシッポを動かし、少しだけ口を動かしました。
もう「にゃおう」とは言えなくなっていました。

やがてトップリ日も暮れて、私は家に帰ることになりました。
帰り際にチャリをそっとなでて、
「後はちゃんと大好きなお母さんがやってくれるからね。安心してもうゆっくり休んでいいのよ。」
と声をかけ、後ろ髪をひかれる思いで家を出ました。

2時間後、家についたら、電話が鳴りました。
「ついさっき、旅立った」と母が教えてくれました。

私が家を出て30分位たった頃、急に苦しみだして、七転八倒した挙句、最後は力尽きて逝ったのだそうです。

「辛くて見ていられなかったけど、なでてあげるより他できることがなくて・・・。」

と母はいいました。
ちゃりは、庭の隅の歴代のネコ達が眠る場所に、父の手でそっと埋められたそうです。

翌日、母が獣医さんに
「昨日、家族の見守る中で旅立ちました。」
と伝えると獣医さんはこういったそうです。
「家族に看取ってもらえるペットは幸せです。
具合が悪くなると動物病院に預けっぱなしにしてしまう家もあるし、手間がかかるからと捨ててしまう人もいる。
チャリは大好きなお母さんに見送ってもらって、幸せだったと思いますよ。」
と。

この時チャリは推定3歳。先天性の心疾患であることがわかってから、半年の月日が流れていました。

それからもう10年以上の月日が経ちますが、今でも時折チャリの話題が出る事があります。
そういえばあちらで、大好きだった母と再開することはできたのでしょうか?

いろんな思い出が、脳裏をかすめます。


この文章を、大切な友人、Tさんに捧げます。





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最終更新日  2006年03月29日 19時33分22秒
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